私たちの生きる道

第130話 望外の喜び


 何の後遺症も見られず、無事に医療施設から退院することになったリゼを皆で迎えに行った私は、彼女の様子を見に来てくれたアンリと言葉を交わし、そこで私が近いうちに休みが取れないかどうかを彼女に訊ねたところ、ちょうど来週の週末が空いているとのことだったので、しめたと思った私は、皆で行く予定の紅葉狩りにアンリを誘い、間もなく彼女は二つ返事で同行することを了承してくれた。


「さて、これで皆で紅葉狩りに行く手筈が整ったわけだけれど、その前に私にはもう一つ、片づけなければいけない仕事があるのよね」

「ロイゲンベルクに行かれるのですよね。その、王陛下たちに説明をするために」

「ええ。お尋ね者である私の話をちゃんと聞いてもらえるのか未だに不安ではあるけれど、父の意識が回復する前に色々と済ませておきたいのよ。起きて最初の仕事が身に全く覚えのないことの釈明だなんて、あまりに酷過ぎるもの」

「これまでのメルに対する接し方や扱いにしても、あの時から落胤が長く憑依してた影響が大いにあったのでしょうからね……そう考えると、かなり複雑な気分です」


 父の心や意識がいつ奪われ、その記憶の頁が何処で止まったままなのかはまだ判らないものの、次に目が覚めた時に父が少しでも穏やかな気持ちでいられるように、血の繋がりがある家族として、また父の一人娘として、私はその責務を果たしたいと思った。たとえラウシェンバッハの家が、長く継いできた貴族の爵位を完全に失うことになっても、また最初からやり直せばいい。命があるのなら人は何度だってやり直せるのだから。


「あっ、そうだわ。今回ロイゲンベルクに行くのは私とリゼとアンリの三人で行く予定だったけれど……レイラ、あなたも一緒に来てはどうかしら」

「私……ですか? もちろん構いませんが、今回は私が同行したところでおそらく何のお役にも立てないかと……」

「実はね、その帰りに……ドルンセンの町に寄って行こうと思うの。リゼも前に会った双子のことが気になっていたみたいだし、怪我人もまだ多く残っているかもしれないから、あなたの力が大いに輝くことになるかもしれないわ。それに……ね」

「……解りました。そういうことであれば、ぜひご一緒させてください」


 ――レイラにもその想いを届けたい、父という存在が確かに居るのだもの。あの町の状況が今どうなっているかが全く判らないのはとても不安ではあるけれど、いずれにしても彼女の抱えていた気持ちにもここで一つの区切りをつけてあげたい。


「ねぇねぇお姉ちゃんたち、私は行っちゃ駄目なの?」

「えっ? 別に駄目ってことはないんだけれど……実際の説明をするのは私やメルになるし、もしもエセルがまたフィルモワールを訪ねてきた時に、それを間違いなく察知出来るのはエフェスだけだろうから、今回だけはこっちでお留守番してもらおうかなって思っていたの」

「あ、そっか……うん、そういうことなら分かったよ。ひょっとしたらこっちに来るかもだし、その時に私がここに居ないと分からないもんね」

「ごめんね、エフェス。次にロイゲンベルクに行くときは絶対一緒に行こうね」

「うん、約束だよ!」


 シャルとエステールは被害が確認された近隣諸国への視察に公人として出なくてはならなかったため、私はリゼとアンリ、そしてレイラといった四人でかつての故国、ロイゲンベルクへと再度赴くことになった。

 なお王陛下と面識があった師匠にも、記憶喪失にある現状を含めた報告も兼ねて共に謁見に臨むことを何度か勧めたものの、いずれ漂泊生活の折にまた同国へと辿り着くだろうとのことで、今回は同行しないことになった。


 私はこれまでに数多くの修羅場を潜ってきたものの、一連の事態に関する説明と私が受けた誤解に纏わる釈明に関してだけは、剣や拳では解決出来ない問題であるだけに、最終的にどういう具合に落着するのかは実際にその時を迎えるまでは分からないと言える。しかし私は臆することなく堂々と、今までこの目にしてきた真実の総てを包み隠さずに、陛下にありのままお伝えしようと考えた。



 ***



 翌朝、アンリの駆る空中船に乗ってロイゲンベルクの王城がある首都、ヴォルフスハーゲンにほど近い森林地帯に降り立った私たちは、未だ警戒態勢が敷かれている町の中に徒歩で向かい、町の出入口を守護する憲兵に事情を話すと、どうやらイングリートからの話が既に伝わっていた様子で、そのまま王城へと赴くこととなった。

 私はそこで罪人のような扱いを受けるかと思いきや、国を出る以前のように貴人として丁重に迎え入れられ、何ら滞りなく玉座へと導かれた。


「面をあげよ」

「は……」

「ふふ、久しぶりだな、メルセデス。以前に会った時にはまだほんの子供だったのに、本当に見違えるようだ」

「陛下もお変わりなく、ご健康であらせられるようで何よりでございます……此度は急な来訪にもかかわらず、その玉顔を拝する機会を賜り――」

「そのように畏まる必要はない。何より私は、お前がまだ足取りもおぼつかない頃から知っているのだからな。その頃から随分と聡明な子だったのを覚えておる」

「は……ありがとうございます。それでは私なりの言葉で、一連の事態における経緯につきまして可能な限り簡明にご説明いたします。もしも途中でご不明な点がございましたら、何なりとご質問ください」


 それから私は王陛下に、私が生まれ育った家を棄て、この国を出ることになった端緒でもある出来事、即ち自らの与り知らぬところで交わされていた婚礼の密約のことから、リゼたちと共にいかにしてフィルモワールにまで至ったのかを、途中でこの国の貴族院が擁するコルクラーベンなる組織の追手と交戦状態になったことも踏まえて語り、さらには落胤が長く私の父に憑依していたことや、彼がその身体を使ってこの世界を改変しようと実際に行動を起こしたことについても深く言及した。


 そして私の話を黙したまま、時折深く頷きながら傾聴されていた陛下は、それを一通り聞き終えると、申し訳なさそうな面持ちを浮かべながらその口を開かれた。


「ふむ……メルセデス。どうやらお前は、この私が考えていた以上の、実に困難な道のりを越えてきたようだな。その上で異界から来訪した落胤なるものの悪計を未然に防いだその活躍たるや、まこと驚嘆に値する」

「は……私には本当にもったいないほどのお言葉ですが、大変嬉しく思います。正直に申し上げて、この場に臨むまでは本当に不安で胸が一杯でしたが、陛下からこのような賛辞を頂戴することが叶って、これまでの艱難辛苦が報われるようです……」

「それに貴族院の指示で動いたものたちがお前たちの命を脅かした件についても、非常に申し訳なく感じている。同件に関しては、著しい事実誤認があったことに加え、この私が関知していない明らかな越権行為が認められる以上、後ほど然るべき処置を執ることとなろう。だがそれも裏を返せば私の注意が行き届いていなかったが故に招いた事態だ。メルセデス、お前には本当に済まないことをしたな」

「そんな……陛下は事情を御存じでなかったのですから仕方のないことです。私のことに関してはどうかお気になさらないでください。ただ、その……願わくば、父へのご沙汰に何卒陛下からのご厚情を賜りたく……平にお願い申し上げます」

「うむ、それに関してはあやつの回復を待って本人の口からも詳しい話を訊く必要があるが、決して悪いようにはせぬ。それとお前は……フィルモワールの国籍を新たに取得したようだが、我が国では重国籍を原則的に認めてはおらぬ」

「はい。それも存じておりましたが……その上で自ら選択した道ですので、このままロイゲンベルクの国籍を失うことになっても、後悔はありません」

「そこでだ、メルセデス。私はお前たちに名誉国民の称号を与えたい」

「えっ、この私を名誉国民に……? それも私たち、ということは――」

「文字通りの意味だ。今ここに居る四人はもちろんのこと、今日この場に来られなかったものたちについても、私から直に同称号を贈らせてもらおう」


 ロイゲンベルクにおける名誉国民とは、純粋な国民に限らず外国籍を有する他国の人間であっても、国家に多大な功績や貢献を示したものであれば王陛下から贈られることになる最高位の栄誉称号で、対象者が外国人の場合は、その称号と共に付与される特権によって、正国民が持つ市民権と同等の権利を有し、さらに固定資産税や相続税などの各種税金や入国審査の免除といった優遇措置までもが一生涯に渡って受けられるようになるものだった。


 それは様々な誤解や特殊な事情があったとはいえ、故国を棄てたお尋ね者が賜れるような代物ではなかったため、私は思いがけない陛下のご高配に酷く驚いた。


「あ、えっと、その……身に余るご高配……実に痛み入ります、陛下」

「何、私がお前たちにしてやれるせめてもの気持ちだ。遠慮なく受け取るがいい」


 その後も陛下からの質問に対してアンリなどが補足を行いながら答え、今日はここに来られなかった師匠が生存していたという報告も含め、一通りの説明と釈明とを終えた私たちは、この場所に来るまでにずっと抱えていた憂いが消えたこともあって、実に晴れやかな気持ちのままで玉座をあとにした。


「本当に良かったですね、メル! これで最後まで残っていた心配事がきれいさっぱり消えちゃったんじゃないですか?」

「ええ、リゼ。しかもまさか私たちが名誉国民の称号まで頂戴することになるだなんて、本当に望外の喜びといったところだわ」

「その……私までそんな大変な称号を頂いてしまって良かったのでしょうか?」

「当然よ、レイラ。私たちがあなたにどれほど助けられたか、言葉なんかでは言い尽くせないくらいだもの」

「私もレイラさんと同じで、実に畏れ多いことだと思いましたが……これはきっと素直に喜ぶべきことなのでしょうね」

「私たちは皆が皆、自分たちの命を賭けて必死に行動したんだもの。結果的にそれがこの世界に安寧を齎して、そのことを陛下が正しく評価して下さったと思えば、確かに相応のものなのかもしれないわ」

「それに、フィルモワールに戻って女王陛下に報告すれば、きっとあちらでも国家英雄として称号や勲章を授与されることとなるでしょう」

「はぁ……非常に光栄なことだけれど、これからはそういった栄誉を受ける者として、何処に出ても恥ずかしくないよう、その振る舞いには常に細心の注意を心掛けなくてはいけなくなるわね。もちろん、これまで以上に」

「えっと……別に飲食店であるような時間制限付きの食べ放題とかで、何というか脇目もふらず食べる分には大丈夫、ですよね?」

「ははは、それはもちろん大丈夫よ。リゼはこれからも沢山食べるといいわ。あなたとエフェスの食べっぷりは、見ていて本当に気持ちが良いものがあるから。まぁ時々、胸焼けしそうになることもあるけれど……ね」


 それから私は、リゼたちと共にイングリートのもとを訪れることにした。陛下によると避難所となっていた学院において今も後片付けの作業に加わっているとのことで、また学院があるキルヒェンシュヴァイクは場所的にもヴォルフスハーゲンと隣接している都市だったため、未だ運行が再開していない路面列車ではなく、既に街なかを再び走っていた辻馬車を利用して現地へと向かった。


「それにしても、落胤はどうしてこの世界を改変しようとしていたのでしょうか?」


 学院へと向かう馬車の中で、リゼがふと零した一言に、私は初めて一連の事態を巻き起こした落胤自身のことに思いを馳せた。


「そうね……これはあくまで私個人の推量だけれど、彼はきっと、生まれてからずっと親の愛というものに触れることなく、周りの事情に翻弄されるがまま、終には住む世界からも追われ、この地に辿り着いたんだと思うの。だから全てが自分の想い通りになる……居場所のようなものが欲しかっただけなのかも、知れないわ」

「居場所……」

「詳しい事情は何も判らないし、彼が居た異界ではよくあることなのかもしれないけれど、実の親が居るのにその愛を受けることはおろか、別の世界にまで放逐されるというのは、最初から親が居ないことよりもずっと辛いのかもしれないわ」

「そう考えると……何とも、複雑ですね。しかし親の愛、か……私は、エフェスの保護者として、家族として……上手く、やれているのでしょうか? 私はうんと小さい頃から親が居なかったものですから、時々分からなくなることがあって……」

「大丈夫よ、リゼ。あなたは上手くやっているわ。それは、あなたと一緒に居る時のエフェスの顔を見ていれば判るわ。それにきっと親だって、子どもから教わることが沢山あると思うの。だから焦らなくっても、お互いにゆっくりと成長し合っていければいいんじゃないかしら」

「メル……はい。そうなれるように、これからも頑張っていきます」


 私のお母様が注いで下さった無償の愛は、今もこの胸の奥底で温かな輝きを放ち続けている。たとえごく短い時間であっても、それを確かに賜ることが出来た私は、ほんの一瞬でさえもそれに触れることが叶わなかったであろう落胤に比べて、ずっと幸せ者だったのだとつくづく感じた。


 そして私から二つの大きな存在を奪った彼は、愛に満ち足りていた当時の私に、愛を知らない自分の気持ちを訴えたかったのかも知れないと、私はそう思った。

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