第131話 新たな繋がり


 辻馬車で首都から移動した私たちがかつての学び舎――ローゼン・アルカディアンを訪れると、其処では妖魔や妖獣たちの侵入を防ぐ目的で築かれたであろう防柵や、大規模な結界を形成するために使われる法具などの撤去作業を行っている人たちの姿があちこちで目に留まり、私は程なくして、その中に一際目を引く鮮やかな紅蓮の炎の如き髪色をしたイングリートの姿を見つけることが出来た。


 そして私がイングリートのもとに歩み寄ろうとすると、彼女も私たちの存在にすぐ気が付いた様子で、作業を中断してこちら側に向かってくるのが判った。


「あら……あなたたち、もうこちらに?」

「ええ、イングリート。先ほど、陛下とのお話を終えてきたところよ。今回はあなたが事前に話を通してくれていたおかげで、こちらからの説明も滞りなく終えることが出来たわ。本当にありがとう」

「その、私はただ……国に仕える者として当然の務めを果たしたまでのことですわ。ですからあなたに感謝されるようなことをした覚えは無くってよ」

「それでも、嬉しかったから。こうして一言、あなたにお礼が言いたかったのよ」

「まぁ、悪いようにならなくて何よりでしたわね。私はあなたがお尋ね者になるようなことをするとは考えていませんでしたから、身の潔白が証明出来たのであれば何よりですわ。それで……あなたはもうこちらにはお戻りになりませんの?」

「ええ、これから先も私たちはフィルモワールで生活することになると思うわ。とはいえ、たまにはこちらに赴いて父の顔を身に来たり、お母様たちの墓前に献花したりと度々訪れることにはなるでしょうね」

「そう……まぁ、あなたが戻ってきた時くらいは、お話のお相手ぐらいにならなっても構いませんけれど。もし今お時間があるのでしたら、これから一緒にお茶でも如何かしら? ちょうど私が行っていた作業にも一区切りがついたところですし、リンデもあなたの話を聞いたら、会いたがっていた様子でしたわよ」

「リンデが? なら、早速そのお言葉に甘えさせてもらおうかしら」


 ディートリンデ・ヴァイセンベルガーはこの学院の学長であるメヒティルトの孫娘で、人の姿をとって密かに社会へと紛れ込んでいる妖魔たちに関してその存在を兼ねてより擁護し、条件付きであれば彼らにも人と同等の権利を保障すべきであると長く主張を続けてきた、所謂擁護派といわれる数少ない存在だった。


 ただ、妖魔である落胤に肉親を奪われた過去を持つ私とは意見が反り合わず、衝突したこともしばしばあったものの、リンデは決して悪い人間ではなく、また私が通学していた当時は貴族出身であった私とその従者であったリゼを貴族階級自体を嫌っていた生徒の多くが蔑む中、彼女だけは一貫してそういった差別意識を全く持ち合わせてはいない様子だった。


 そう言った理由から、当初私は半妖であるレイラを彼女のもとに預けようと考えていたくらいで、今でもレイラにとっては特に良き理解者になれる人間だと思っているものの、落胤が引き起こした一連の動乱によって、擁護派である彼女は以前にも増して肩身の狭い思いをしているのではないか、とその心情を案じていた。

 

 私はそんなリンデのことに思いを馳せながらリゼたちと共に学院の食堂へと移動し、主庭園とそのまま通じている半屋外の空間がある席へと移動した後、イングリートが別の場所で作業をしていたらしいリンデを、こちらへと呼び寄せたようだった。


「こちらよ、リンデ」

「あ……久しぶりね、リンデ。元気にしていたかしら?」

「こんにちは、リンデ。卒業式で会った時以来……かな?」


 リンデは、私が最後に学院で見かけた時の姿とほぼ変わらず、仄かな菖蒲色あやめいろを示す、真っすぐに伸びた長髪を湛えながら、落ち着いた紅紫べにむらさきの煌きに彩られた大きな瞳は、やはり少し眠そうに見えるほど大きく垂れていた。


「ええお久しぶり、メルセデス。リーゼロッテも相変わらず一緒なのね。それと、お隣の方々は新しいお友だちかしら?」

「あぁ、イングリートにもだけど、ここでちゃんと彼女たちのことを紹介するわね。私の右手側に居るのが、私が今住んでいるフィルモワールでお世話になっているアンリで、私の正面で視線を泳がせている子が、レイラよ。二人とはね――」


 それから私はイングリートとリンデの二人に、アンリやレイラと知り合った経緯を話せる範囲内で簡明に説明した。私からの話を聞いた彼女たちは、私やリゼがこれまでにレイラたちと一緒に体験してきたことを詳しく耳にすることになり、凡そよくある日常からは著しくかけ離れたその内容に、二人して衝撃を受けると共に極めて新鮮な刺激を得た様子が見て取れた。


「私、先日あなたからお話を伺った時にも随分驚いたものでしたけれど、あの時は相当簡略化してお話されていたようですわね……」

「私もイリーから色々聞いてはいたけれど、やはり本人の口からその詳細が直接語られたのもあって、より生々しいというか……相当違って聞こえるものね。しかしレイラさんがまさか半妖だったとは。少し変わった色の目をお持ちだとは感じましたが、レイラさんもその身の上が原因で、本当に大変な思いをされてきたのですね」

「はい……正直、今でもメルたちがもしあの時来てくれなかったらと考えると、途端に背筋が凍りつきそうになります」

「言葉では容易に言い表せない複雑な事情があっても、世の常というものは異質なものに冷たいものです……これから先、人の世に生きる妖魔や半妖を取り巻く環境は、さらに酷なものとなっていくことでしょうが……レイラさん、私でよければいつでも相談に乗りますからね」

「ありがとうございます、ディートリンデさん」

「リンデで構いませんよ。こことフィルモワールは遠く離れていますが、その……レイラさんはお母様の教育から言葉の読み書きにも明るいとのことで、良ければこれからお互いに文などしたため合って、また色々とお話をしましょう」

「あっ、それは嬉しいです……! ぜひ、よろしくお願いいたします」


 レイラとディートリンデはあっという間に打ち解け合って、既に友人の仲となったようだった。そしてそんな二人を傍らで見ていたイングリートが、私とリゼのそれぞれに視線を送りながら、何かを言おうか言うまいかとしばらく逡巡している様子を見せていたものの、ややあって決断したのか、その少し強張っていた口元を弛めた。


「あの……ちょうど良い機会だから、ここでメルセデスとリーゼロッテの二人に言っておきたいことがありますの」

「えっ、私たちに? 何かしら?」

「あなたたちが学院に通っていた頃に、私がせんだってお二人のことを長く蔑んでいたことについてですが……今となっては実に申し訳なく思っておりますわ。ですからこれだけは言わせてくださるかしら……その、本当にごめんなさい」

「イングリート……自らの非を認めるということはとても勇気の要ることだわ。けれど、あなたにはあなたの事情があったのだもの。過去は過去として変えることは出来ないけれど、私たちはきっとこれから新たな関係を築いていけるはずよ」

「ええ、当時は思わずこの手が出そうになったことすらもありましたが、こうして私たちの目の前で謝ってくれたのですから、私もここからまた始められればいいなって思いますよ、メル」

「ほら、リゼもこう言っているわ。だからイングリート、あなたさえ良ければこれから私たちの友人になってくれるかしら?」

「……ふふ、もちろんですわ」


 そうして私とリゼはそれぞれイングリートと握手を交わした。私たちが学院に通って頃には全く想像することが出来なかったこの瞬間を迎えて、最初こそ相容れない関係だったものの、お互いの心情を覆い隠すことなく真っ向から曝け出した相手とは、やはり分かり合える可能性があるのだということを強く感じると共に、また新たな友人が出来たことをとても嬉しく感じた。


「今は二人とも、後片付けの作業などで忙しいから難しいでしょうけれど、落ち着いたらぜひリンデと一緒にフィルモワールに遊びにきて頂戴。私、今はお店を開いているのよ。お客様から頂いた意見も参考にしながら、錬金術で創り出した様々な調合品を店頭に並べているわ」

「へぇ……あちらでお店を? 錬金術を以て創り出した物品というのはとても興味深いですわね、リンデ」

「ええ、とっても。でもお邪魔する時は服装にも気を付けなくてはね。こちらとは季節が真逆なのだから。それに泊まりでいくことになるでしょうし、宿も――」

「あぁそれなら、私の友人が部屋を貸してくれるわ。とっても大きなお屋敷でね、私やリゼも縁あって一緒に其処に住んでいるの」

「あら、そうでしたの?」

「お部屋の一つ一つがとっても広々としているんですよ。寝台もかなり大きくて、夜に私とメルとが一緒に入る時も全然余裕で……あ」

「あっ……」


 リゼは普段レイラたちと一緒に話している時の勢いでつい、今の私とリゼとの間柄を深く知らないイングリートたちに、その実生活の一端が露呈するような一言を口にしてしまった。もちろん今となっては別に隠すことのほどでもないにしろ、ここはフィルモワールではないため、話を聞いた二人の面持ちを見る限り、やはりそれは彼女たちにとって驚くべきことであったようだった。


「えっと、あなたたちは……いつも、お二人で寝台に?」

「そう、よ。何か、問題かしら?」

「いえ、別にそういうわけではありませんが……その、こちらに居た頃よりもさらに仲が深くなったのですわね。名前も愛称で呼ばれていたようでしたし」

「愛称のことなら、私とリゼとが対等な関係になったことが大きいかしらね。それと、以前よりもずっと深い仲になったのは……本当のことよ」

「ずっと深い仲って……あの、ひょっとして二人は付き合っているの?」

「……そうよ、リンデ。私たちはお互いに深く、想い合っているわ。友人や幼馴染、そして性別という枠組みさえも全部飛び越えて、ね」

「女性同士でって、二人は変に思うかもしれませんし、今の世間一般的に考えられている価値観からしても外れているのは知っていますが……私のメルに対する気持ちはどうしても止められなくって、そんなものがどうでもよくなるぐらいでしたから」

「……お二人がそれでいいのなら、私は別に良いと思いますわ。人と人との間にある特別な想いに、外野があれこれと言うのはそれこそ野暮というものでしてよ」

「普通は道理から外れている行いとして忌避されるものだけど、それは昔からそういうものとして考えられてきたものに、今の人間が何も考えずただ倣っているに過ぎないものね。ちょうど学院であなたたちを蔑んでいた、多くの人たちのように」

「ええ……私には確固たる意思のもとにメルセデスたちに強く当たっていましたが、他の方々は周囲がそうだからとただその感覚を模倣していたようですからね。そう考えると、自分というものを貫いているあなたたちの方が、ずっと美しいですわ」


 昔から連綿と引き継がれてきた一般的な価値観や考え方というものに触れ、それらに何の疑問も持たずただ漠然と倣い、その基準に照らし合わせた上で異質として見做されるものを嫌悪して排除しようとする働きは、もはや思考停止の何物でもないと感じていたものの、大勢が支持する意見の方が世の常となるのが必定だった。


 しかし私たちの目の前に居る二人は、そんな旧い価値観に囚われず自分の持つ信念で以て物事を判断しているようで、私は彼女たちとならきっとこれから良い友人でいられるはずだと強く感じた。

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