第132話 祈りと涙と
「お母様、お兄様、お久しゅうございます……お二人が見守っていてくださったおかげで、私たちはまたここに無事に戻って来ることが叶いましたわ」
イングリートたちとの話を終えた私たちは学院をあとにし、再び辻馬車を利用してロイゲンベルク北部、ノルトレイゼンの郊外にある霊園へと向かい、同園の最奥で眠るお母様とお兄様とにこれまでの経緯を報告していた。もちろん、リゼと深く想い合う関係になったことも含めて。
そしてリゼも二人に対しては生前からかなりの恩義を感じていた様子で、私と一緒になってその墓前に立ち、お母様が特に好きだった薔薇――モンクールという棘の無い、可憐な淡い桃色の花冠を束ねたものを、静かな祈りと共に捧げていた。
それは元々今の私たちが住むフィルモワールで生まれた薔薇で、シャルのお屋敷でも四季を問わずに美しく咲き誇っている。たとえ何度散ってもまたその花を力強く開かせるさまを見る度に私は、いつだって輝くような微笑みを咲かせていたお母様たちの姿を、この眼裏に思い描いていた。
「二人とも、今日はごめんなさいね。こんなところまで付き合わせてしまって」
「いえ、上天に昇られたご家族さまへの報告は、とっても大切なことですから。その無念を晴らし、無事に戻ってきたメルたちの来訪を受けて、きっとこの上なく喜んでおられることと思います」
「ええ、ありがとうアンリ。本当ならツァイフェルにある私の生家でお茶の一つでも振る舞いたいところだけれど、あの辺りは先に起こった暴動の影響から街路の通行がまだ難しいらしくてね。また機会を改めてお誘いさせてもらうわ」
「はい。その時を楽しみにしていますよ」
「それでは一旦船に戻ってからフィルモワールに帰る前に……一度、ドルンセンの町を訪れて見ましょうか。ねぇ、リゼ?」
「そうですね。町の状態もですが、あの双子のことは特に気がかりですし……」
「では、早速行きましょうか。……それではお母様、お兄様、今日のところはこれにて失礼いたします。私たちは誇り高く生きたお二人に恥じることがなきよう毎日をしっかりと生き抜き、必ずまたここへ顔を見せに戻って参ります」
そうして墓前をあとにした私たちはリゼの想いに応え、また私とレイラしか知り得ない二人だけの約束も果たすため、アンリの駆る空中船に乗って私たちが国を離れてから最初に訪れた場所――ドルンセンの町へと向かった。
「ほら、見て頂戴リゼ。パルマベリーよ」
「あの時は町に流された毒の特効薬になるかもしれないとのことで、あの子たちと一緒になってたくさん集めました。あれからまだそんなに経っていないはずなのに、もう随分と昔のことのようで、懐かしくすら思えますよ」
「あなた、最初にこれを見た時はその場で食べようか迷ったのでしょう? 実はこれとよく似たダールベリーという種があるけれど、そっちは毒だから危ないのよ」
「へっ……? そ、そういうことは、もっと早く言ってくださいよ、メル!」
「ふふ、次からはそうするわ」
町の近くにある小さな森の中に降り立った私たちは、其処から徒歩で町がある方へと進んだ。ここに降りる直前、ちらりと覗いた町の外観を遠目に見た限りでは、建物の残骸や家屋が焼け落ちた痕跡といった妖魔に襲われたような気配は特に感じ取れなかったため、船から出た私は、町に至るまでの道に数多く実っていたパルマベリーを見ながら、ここに訪れた当時のことに思いを馳せていた。
「へぇ、ここがドルンセンの町なのですか。とても
「ええ、私たちが来た時はかなり大変な状況だったのだけれど、今ではあの時のことが全て夢であったかのように、元々あった平穏な時間を取り戻しているようだわ。リゼ、あの子たちの家がある場所はまだ覚えている?」
「はい。あそこに風見鶏がある教会堂が見えますが、あの裏手から少し行ったところにある、青い屋根のお家だったと記憶しています」
「よし。二人が今家に居るかどうかは判らないけれど、早速伺ってみましょう」
リゼの記憶を頼りにしながら、彼女の後に続くかたちでその町なかを進んだ私たちは、しばらくして彼女が先に言った通りの場所に一軒だけ青い色の屋根をした家を見つけることが出来た。
そしてリゼがその扉に掛けられた
「はぁい……あれ、リゼお姉ちゃん⁉ 後ろにはメルお姉ちゃんもいる!」
「こんにちは! えっと……髪を左に結んでいるから、エマ、だよね! 本当に久しぶり、元気にしてた?」
「うん、みんな元気だよ! それより早く入って入って、レナも中に居るから!」
その顔を太陽のように輝かせながら私たちを中に招き入れたエマに付いていくと、奥にはレナが居て、この辺りでは今が咲き頃である紫陽花の絵を紙に描いているようだった。エマから話を聞くとご両親は町の仕事で二人とも外に出ているらしく、今は彼女たち二人が家で留守番をしているらしかった。
「二人とも、本当に無事で何よりだわ。元々妖雲がこの辺にはあまり掛かっていなかっただけかもしれないけれど、妖獣……その、化物が出て町を暴れまわったりするようなことは無かったのね?」
「うん。遠くの町が大変なことになってるって、こっちに来た人たちが話してたみたいで、大人の人たちが町のまわりをぐるって色んなもので囲んでたの。それで大丈夫だったのかも?」
「そっかぁ。私は二人が妖魔や妖獣たちに襲われてたらって思って、こうして二人の顔を見るまではすっごく心配だったんだけど、何事も無くて本当良かったよ」
「あ……そうだわ。ちょうどロイゲンベルクから持ってきたお菓子があるのよ。エマにレナ、二人とも甘いものは好きでしょ? 良かったら一緒に頂きましょうよ」
「うわぁ本当? ほらレナ、お皿とか持ってこようよ!」
「うん……!」
それから私たちはロイゲンベルクで既に営業を再開していたお店を見つけて、そこで買ってきた焼き菓子――アプフェルキューヒレを二人に振る舞うことにした。それは輪切りにした林檎に衣をつけて揚げたものにシナモンなどを掛けたもので、故国では昔から伝統的に食べられてきたお菓子の一つだった。
「うん! おいしいねこれ! 中は本当にりんごなんだ」
「ふふ、喜んでもらえて何よりだわ。私も久々に頂いたけれど、やっぱり懐かしい味よね、リゼ」
「はい! これならあっちでも簡単に作れますからね。暑い時期はこれに氷菓を加えても冷たい刺激が加わってさらに美味しく感じるかもしれません」
「ねぇ、お姉ちゃんたちってたしか旅をしてたんだよね? 今はどこにいるの?」
「あぁエマ、お姉ちゃんたちは今ね――」
リゼはエマとレナに私たちが今住んでいるフィルモワールについての話を嬉々とした面持ちで語り始め、まだ町から一度も出たことがない二人は、その目を輝かせながらリゼの話に聞き入っている様子で、途中からはリゼに対して矢継ぎ早に質問をしていた。アンリもそんな彼女たちのやり取りを見ながらその口元を綻ばせ、何とも微笑ましいものを見ているといった表情を浮かべていた。
そんな中で私はレイラと事前に示し合わせていた通り、彼女がここに来るまでの間に落としものをしたことに気付いたという理由で一旦彼女と共に中座することにし、それなら皆で探そうと提案してきたリゼをやんわりと制して、彼女とアンリとをエマたちの家に置いたまま、レイラを彼女の父が最期を迎えた場所へと連れて行くことにした。その場所は町の外にある雑木林を西に行った、湧水泉のある近くだったので、大体の位置はまだ覚えていた。
「着いたわよ、レイラ」
「ここが父が居た、最後の場所……」
辿り着いた現場には、当時彼の仲間が複数の天幕を設営していた名残が今もまだ残っていて、私は彼女に其処で起きた一部始終の出来事を、覚えている範囲内で可能限り詳しく説明した。そして私からの話を一頻り聞いた彼女は黙したまま、何とも言えない複雑な色を帯びた顔をして、天幕の残骸がある辺りをあちこちと歩き出した。
「純粋な妖魔の遺体は、皆どういうわけか事切れるとすぐに霞のようになって消えてしまうの……だからお墓のようなものは作れなかったけれど、ちょうど今あなたの足元にある残骸、その辺りに彼の居た天幕があったわ。ひょっとしたらその幕の下に彼の所持品が何か残っているかもしれない」
「それは本当ですか? 私、ちょっと探してみます……!」
元々アル・ラフィージャの近くで日銭を稼ぐために古代遺構の残骸などを日々拾い集めていたレイラは、私からの話を聞くや否や慣れた感じの手つきでその残骸を探り始め、やがてその中から父親の遺品と思しきものを見つけ出したようだった。
それは錆びた金属製の小箱から見つかった品々で、紙幣や硬貨に加え、指輪や耳飾りといった貴金属類が収められていて、おそらくはドルンセンの町で人々を欺いてまんまとせしめたものもそこに多く含まれているに違いなかった。
ただそんな中で一つだけ、他のものとは明らかに雰囲気が違うものが紛れていたようで、レイラはそれを握り締めた右手を自分の胸に宛がっていた。
「レイラ、ひょっとして何かそれらしいものが見つかったのかしら?」
「……はい。これ、です」
「それは、貝殻で出来た腕輪……? 随分と小さいようだけれど」
レイラの掌にあったものは、様々な紋様を湛えた白く小さな貝殻を集めて作ったであろう腕輪で、その輪の大きさは、凡そ子どもの華奢な腕を通るぐらいのものでしかないように感じられた。
「これは……私がうんと小さい頃に、拾った貝殻を繋ぎ合わせて作ったもの、なんです。滅多に帰ってこないお父さんが戻ってきたことがあって、また何処かに行っても私のことを覚えていて欲しかったから……その時に贈り物としてあげたんです」
「そう、だったの。けどそれをその箱にしまっていたということはきっと、あなたのことが胸の奥底の何処かにあったから、でしょうね……お金に執着して周りが見えなくなっても、その想いだけは最後まで確かにそこにあったのだわ」
「う、ううっ……お父さん……」
小さな腕輪を両手で抱き締めながら大粒の涙をはらはらと流すレイラを見て、私は胸が強く締め付けられる感覚を覚えた。そして自分でも不思議なことにその身体が独りでに動き出し、地面にしゃがみこんで震えていたレイラの身体を正面からそっと抱き締めていた。
「……レイラ、私にはこうしてあげることぐらいしか出来ない、けれど」
「ごめん、なさい、メル……もう泣かないって、決めて、いたのに……こうしてこの腕輪を、見ていると、次から次へと涙が溢れてきて……ぐすっ、身体が震えてきちゃうんです」
「いいのよ、レイラ。あなたの溢れ出すその想いを我慢する必要は何処にも無いの。私がこうして胸を貸していてあげるから、どうか遠慮しないで、あなたの気が済むまでここで泣いて頂戴……」
「うっ……お父さぁん、う、うううっ……うわぁあああ!」
いつもおっとりした様子が常だったレイラは、その姿からは想像も出来ないような大声をあげて、その肩を強く震わせながら私の胸の中で啼泣していた。肉親を失った痛みというものが、自分の中にあった一部分が抉り取られ、その心臓に大穴を開けられたような喪失感を伴う、筆舌に尽くしがたい感覚であることは、この私が自分の身を以て知っている。
レイラにとって、自分の命を救ってくれた者に、本人が悪事をはたらいていたとはいえ、世界でたった一人の血の繋がった父親の命を奪われた事実は、これからも決して変わることはないはずであるものの、彼女はそれを全て知った上で、こうして私に力を貸してくれる大切な仲間であり、また友人であり続けることを選んでくれた。
だから私もそんな彼女の気持ちに対して、自分で出来る最大限の範囲で、これから先もずっと応え続けてあげたいと、そう強く思った。
そしてレイラは私の腕の中で一頻り泣いた後、やがてもとの落ち着きを取り戻したようで、フィルモワールに居た時に私がシャルに調合用の素材だと言って仕入れてもらった、ベルコリーネという、乾燥した砂漠地帯にも咲くらしい淡い紫色の
「どうか……安らかに、お眠りください」
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