第133話 待ち遠しい週末
レイラの泣きはらした顔は誰が見ても判るほどに真っ赤になっていて、エマたちの家に戻った時にも案の定、リゼからその目はどうしたのかと訊ねられたものの、私は探しものを見つけて戻る途中、急に吹き付けてきた突風によって巻き起こった砂埃が運悪くレイラの両目に入ったために、先ほどまで近くの井戸で目を洗っていたからだと言って、そうなった理由を説明した。
その後、私たちの来訪を知ったエマたちの両親からドルンセンの町長へとすぐに話が伝わり、先は複雑な事情があってちゃんとしたお礼が出来なかった分、町をあげて私たちを盛大にもてなしたいという町長の話を受けた。
私たちは当然のことをしたまでで、お礼など不要であると丁重にお断りしたものの、彼の気はどうにもおさまらなかった様子で、私たちがまた用事ですぐにここを発つつもりである旨を告げると、せめて食事だけでもという話になり、ちょうどこれから昼食の時間帯を迎えることもあって、私たちはその厚意に
「えっと……何もしていないというか、当時居なかった私までこのような御相伴に与ることになって、本当に良いのでしょうか?」
「こういう時ばかりは細かいことを気にする必要は無いと思うよ、アンリ。今日は陛下にこれまでの経緯を説明することで皆が酷く緊張していて、私も朝ごはんがほとんど喉を通らなかった分、今はもうお腹がぺこぺこで。今から楽しみだもの!」
「全く、あなたは食べることとなるといつもそうなんだから。けれどまぁ、リゼの言う通りかしらね。せっかくのご厚意なのだから、皆で気兼ねなく頂くこととしましょうよ。ほら、レイラも……ね?」
「あ……はい!」
リゼは美味しいお昼ご飯が食べられるとなって、実に嬉しそうな表情を浮かべていて、間もなく振る舞われた豪勢な料理に舌鼓を打ちながらずっと満足げな顔を見せていたものの、何処からか話を聞きつけた町の人たちが私たちの居る町長の家へと料理を持って押し寄せ、次から次へと運ばれてくる大皿の波に、最終的にはあのリゼでさえも降参する事態になった。
結局リゼはそのほとんどを私たちの分まで平らげて見せたものの、そのお腹はまるで子どもを身籠ったかのように傍目から見ても大きく膨れ上がっていて、彼女はしばらく動くことすらもままならず休憩することとなり、結局空中船に乗ってドルンセンの町をあとにする頃には、天頂にあったはずの陽が既に少し傾きかけていた。
「う……まだちょっと、気持ちが悪いかも……」
「んもう、幾ら勿体ないからってあれは流石に食べ過ぎよ? リゼ」
「だって、皆が私たちのために持ってきてくれたお料理でしたし、やっぱりその気持ちに応えたいじゃないですか……正直、最初に思っていた量の優に三倍以上はありましたけどね。どうせならエフェスにも食べさせてあげたかったくらいです」
「ふふ、エフェスも普段からすごい食べっぷりですものね。もし二人があの場に居れば、ちょうどいいくらいの量だったのかもしれませんが」
「まぁエフェスにはちゃんとお土産も用意したから、あとで渡さなくてはね」
今日は来られなかったエフェスにも、少しくらい時間が経ってもすぐには悪くならず、美味しく食べられるようなものを何か持ち帰りたいというリゼの声を受けて、私はエマたちへのお菓子を買う際、それとは別に彼女へのお土産として買ったものがあった。
その一つがプファンクーヘンという、パン生地を油で揚げたもので、その外側には衾雪の如く粉砂糖が散りばめられていて、中には専用の器具で注入したマーマレードやチョコレートといったものが入っているパン菓子だった。
そしてもう一つ、キプフェルという三日月の形をした小さなクッキーも、そのほろほろした小気味良い食感と粉砂糖をふんだんにまぶした美しい見た目からエフェスが喜びそうだったので、一緒に購入して持ち帰ることにした。
「あ……そういえば、もうすぐ紅葉狩りに行くんでしたよね、メル」
「ええ、シャルが良い場所を紹介してくれるそうよ。前にイル=ロワーヌ島に訪れた時はアンリも忙しくて来れなかったし、まだ解決していない問題もあったけれど、今度は心の底から安心してゆったりとした時間を皆で過ごせるわね」
「それにシャルは食にも明るいですから、きっとまた季節ならではの恵みを頂けるんでしょうね、一体どんなものが出てくるのか……」
「呆れた……あなた、ついさっき食べ過ぎて気分が悪くなって言っていたのに、もう次に食べることを考えているだなんて……」
「ふっふふふ。いいじゃないですか、リゼらしくって。でも今から楽しみですね。何の憂いも無く皆でお出かけできるというのは、本当に幸せなことだと思います」
「まぁ師匠もまたすぐに何処かにふらっと出てしまいそうだったから、今回は食べ物で釣ったんだけれどね……記憶はほとんど戻っていなくても、そういうところは全然変わっていなくて驚いたわよ」
***
その後、フィルモワールへと帰還して屋敷に戻った私たちは、留守番を頼んだエフェスに早速お土産を渡そうといつも皆で集まる場所に移動したその時、エフェスと彼女の隣に一緒に居る人物の姿を見て、一瞬言葉を失うほど驚いてしまった。
「えっ……⁉ あ、あなたは、エセル!」
「嘘……本当に、ここを訪ねてきた……?」
「エフェスに留守番を頼んでおいて大正解でしたね!」
「あっ、お姉ちゃんたち! おかえりなさい!」
「お邪魔してるよ、メル。本当、すごいところに住んでるんだね」
エセルから話を聞くと、彼女は以前にもそうしてきたようにエフェスが放つ固有魔素の波動を辿って彼女を見つけ出したらしく、エフェスはというと屋敷の中でじっとしているのが途中で我慢ならなくなったようで、ちょうど気分転換に外に出て商店街の辺りを散策をしている時にエセルと突然出くわしたようだった。
「エセル! あなた、無事に脱出することが出来ていたのなら、すぐに私たちに知らせてくれれば良かったのに……」
「それも考えたけど、やっぱりボク一人の方が動きやすい気がしたし、竜血泉の近くにある地下施設に関しては前にクリストハルトを通じてその位置を知っていただけで、内部にどんな仕掛けがあるのかは判らなかったからね」
「この前のあの虹色に輝いていた光の柱は、エセルが何かの仕掛けを動かして、ああなったのでしょう?」
「まぁね。大体のことは手紙に残した通りだよ。あの厚い妖雲が掛かった状態で魔素を解放しても、高濃度の妖素による影響の方が勝っちゃって、親玉の手伝いをすることになっちゃうだけだったから、メルたちがやっつけるのを待っていたんだよ」
「もう、エセルも倒す手伝いをしてくれればよかったのに」
「そう言わないでよ、エフェス。知っていると思うけど、ボクはボクであの避難所に押し寄せて来る妖獣を撃退したり、敷地全体を囲うほどの結界の結成を手伝ったりで大変だったんだから」
「そういえばエセル、あの時はどうしてロイゲンベルクに?」
先にイングリートも言っていた通り、エセルは当時避難所となっていたローゼン・アルカディアンに留まり、妖魔たちからの侵入を防ぐべくイングリートらと共に奮闘していたらしかった。ただ彼女が何故その時其処に居たのかについては、詳しいことは判っていないままだった。
「あそこってさ、そう遠くない場所に大きな木があるでしょ?」
「それってきっとフィーン・アジールのことね。確かにあるけれど」
「実はあそこの真下に、この世界でも一番大きな竜血泉があってね。ボクはその近くにある地下施設を訪れていたの。ロイゲンベルクには親玉が居たから、様子伺い程度に寄ってみたんだけど、何だか妙に魔素が集中している場所があってさ。気になって訪ねてみたら、あの避難所があったってわけ」
「なるほど……それで、雲が消えたあとはまた木のところへ?」
「そう。あそこの近くにある地下施設だけは、他のところとはちょっと違ってて、どういう仕組みかは判らないけれど、他の場所と連動させることが出来るようになっていてね。それで各地の竜血泉から一気に魔素を解放して、色んな町に残留してた妖素を全部洗い流した感じ、かな」
「私たちは落胤さえ倒せばそれに合わせて諸問題も自然に万事解決すると思っていた節があったから、あなたの活躍には本当に助けられたわ。それと、あなたがくれたあの
事実、エセルが餞別として私に託した変若水が無ければ、今頃ここにリゼはおらず、私はその心痛で二度と立ち上がれないほど激しく憔悴していたに違いなかった。私たちはかつてお互いに命のやり取りをした間柄ではあるものの、私たちを取り巻く状況やその関係性が大きく変化した今、これからは彼女ともきっと良い繋がりを持てるはずだと私は感じた。
「そういえばメルお姉ちゃん、さっきからずっとその手に袋を持ってるけど、その中って何が入ってるの?」
「あぁこれはお留守番をしていたエフェスに、時間が経っても美味しく食べられるものをと思って、中にはパン菓子とクッキーが入っているの。本当はもっと早く帰ってきたかったんだけれど、ちょっと色々あってね。時間的に夕食前だからもう――」
「えっ、これ食べていいんだよね? ほら、エセルも甘いもの好きでしょ? 今から一緒に食べようよ!」
「大丈夫ですよ、メル。エフェスですから、こんなのすぐ何処に入ったか判らなくなっちゃいますよ」
「それも、そうよね……いいわ。今お茶を淹れてあげるから、エセルもぜひ一緒に食べて」
「あ、いいの? それじゃボクも遠慮なくもらおうかな」
それからエセルが、エフェスと同じようにその頬を明るく輝かせながら私が買ってきたお菓子を楽しみ、口のまわりに白い粉砂糖をたくさん付けている姿を見て、私はそれを微笑ましく感じつつ、彼女にこれからのことを訊ねてみることにした。
「ねぇ、エセル。あなた、これからはどうするつもりなの?」
「そうだねぇ、そんなの考えたこともなかったかな。正直、クリストハルトの都合で生み出されたボクの存在意義って何なんだろうって思っていて。少し前まではその答えを探すために、とにかく生き長らえようと必死になっていたかな。けど、今はそれよりただ自分の気持ちが向く方向に、歩み寄っていった方が楽しく思えるの」
「ん……ということは、私たちのところに来たのも、そういう意味だと思っていいのよね?」
「うん、メルたちに会えばきっとまた何か面白いことが起きそうだと思ったし、エフェスがどうしているのかも少し気になったから」
「それならエセル、あなたもこれからここに住むというのはどうかしら? シャルならきっと二つ返事で了承してくれるはずよ」
「えっ、ボクが? うぅん、悪い話じゃないけど、ボクってずっと一人で行動してきたから他人と一緒に生活するっていう感覚が全く解らないんだよね」
「だったら尚更のこと、それを知るためにも私たちと一緒に居ればきっと何か見えてくるはずよ。最初はお試しでも構わないし、エフェスだって今は一緒の方が良いでしょう?」
「うん。昔はすごく怖かったけど、今のエセルとなら、一緒に居たいかも」
「って、エフェスもこう言っているけれど、どうかしら?」
するとエセルは自分の顎先に右手を宛がい、そのまましばし考え込むような素振りを見せたあと、やがて彼女の中で決が出たのか、下を向いていたその顎先を上げると共に私の問いかけに答えた。
「それじゃあお試しってことで、ちょっとだけ一緒に過ごしてみようかな」
「ふふ……実に良い判断だと思うわ、エセル。ちょうど週末に皆で紅葉狩りに出掛ける予定だったから、あなたもぜひ一緒に来て頂戴ね」
「モミジガリ? それって何処のこと?」
「はっははは! エセルってば場所の名前だと思ってるよ、おっかしいの!」
「む……場所じゃないなら、一体何なのさ」
「駄目よ、エフェス。何かを知らない人を馬鹿にするような言い方をしてはいけないわ。説明不足でごめんなさいね、エセル。えっと、紅葉狩りというのはね……」
そして私はエセルに紅葉狩りというものがどういうものかを説明し、話に興味を持った様子のエセルは程なく、私たちに同行することを了承してくれた。ここに来てようやく、全ての事柄が私の願っていた通りに動いたようで、幸いなことに私は、エセルを含めた皆と一緒に、紅葉狩りに出掛けられることになった。
私には今回のことが、お母様たちが不思議な力で結び付けてくれた繋がりであるように感じられ、ロイゲンベルクがある方向に感謝の祈りを捧げると共に、もうすぐ訪れる楽しい時間をこれまでにないくらい、とても待ち遠しく思った。
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