第118話 月下の誓い



 炎の洗礼を受けるために各々の武具をヴィーラに預けた私たちは空中船に乗って一路フィルモワールへと向かい、アンリの判断で王城の敷地内にある、あの闘技場として使われていた広大な敷地内に降り立つことになった。


 その後、城内では空中船を目撃した一部の兵士たちの間でかなりの騒ぎになってしまったものの、女王陛下が事態の速やかな収拾を図る目的で、城内の者たちに箝口令かんこうれいを敷いたことにより、その騒ぎは瞬く間に終息の兆しを見せた。


「機密指定が掛かっているのは百も承知ながら、緊急時にすぐさま発進出来るようにしたかったのですが……やはり町の外側に降ろすべきだったでしょうか? 一応高空から素早く垂直に降下してきたつもりだったのですが」

「それはもういいじゃないの。実際それほど多くの人たちに見られたわけでもないし、対妖魔目的で急造された浮揚機関による試験中に不具合があって、急遽ここに降りて来たという説明で片が付いたわ。それに極秘の実験だったという設定で、陛下が箝口令まで敷いて下さったのだからこれ以上の心配は無用よ」

「本当に陛下には余計な手間を取らせてしまって……しかも、さっき空中船を仲間が起動した際に偶然発見したのですが、あの船は外から見た時にその姿を透明に出来る能力もあったようで……私がもっと早く気付けていれば良かったですよ」

「あの船にそんな能力が……? しかしそれがあればロイゲンベルクの上空に達しても相手に視認されることなく城内に船を降ろすことが出来そうね」

「ええ。あとは別の仲間が良い報告を持ってきてくれれば……」


 特殊容器が妖魔化した人間にも有効か否かの証左はまだ得られていなかったものの、アンリの仲間たちが前線で妖魔化した人間と思しきものたちを生け捕りにしたとの報告を受け、現在彼らはその収容先へと急行して、元の人間に戻るかどうかの実験を行う予定であるとのことだった。

 また彼女の仲間が伝えて来た前線各地からの報告によると、暗紫色に深く染まった厚い妖雲の群れが空の全てを覆い隠さんと拡がりを見せ始めており、このフィルモワールの上空を埋め尽くすのも時間の問題である様子だった。


「落胤の魔の手がいよいよこちらにも伸びて来た感じね……それで、その実験の結果というのはすぐに判るのかしら?」

「はい。おそらくそちらの実験結果は今日中に出るかと思います」

「そう……こちらの思惑通りに効験が得られると良いのだけれど……」

「妖獣への効果は既に実証済みですから、きっと上手くいきますよ。作戦の素案に関しては、あれが妖魔化した人間にも有効であることを前提に進めるつもりです。皆さんが夕食を終える頃には、きっといい報告が出来るはずですよ」


 そこで仲間たちとの情報共有やこれまでの経緯の報告を行うというアンリとは一旦別れ、私たちは依然として閑散とした街なかを通ってシャルの屋敷へと戻った。

 明日に備えて短い間とはいえ少しでも英気を養うことにした私たちは、本来専属の料理人が不在である中、その道に明るいエステールとリゼの両者から色々教わりながら、屋敷にある厨房で皆がそれぞれのために好物を作ることにした。


「全く……どうしてこう、剣のように巧く使えないのかしら……」

「ふふ、メルは全身に力が入り過ぎです。私の言った通り、もっと力を抜いてゆっくりやれば必ず出来ますから。切ったものが少々不揃いになっても全然構いません」

「そうだメル、こんなのもっと適当で大丈夫だぞ?」

「……って、ベアトリクスさん! それはあまりにも雑過ぎですよ!」

「む……そうか? 食材の形など身体の中に入れば全部同じだろうに」

「ねぇリゼお姉ちゃん、これはこのままかき混ぜてればいいの?」

「あっ、上手じゃないエフェス。そんな感じで泡立てないように上手くやってね」


 皆での調理中、敢えてなのか誰も明日のことは口に出さず和気藹々とした雰囲気に終始し、私は未だに慣れない包丁に四苦八苦しながらも、そんな中で私は皆と交わす会話が妙に楽しく感じられ、こんな風に少しどたばたしつつも皆で一緒の時間を過ごすことがまた出来るように、明日は必ず勝利を掴み取らねばならないと思った。


 そうして皆で作り上げた料理は、一流の料理人が最高の食材を用いたお料理にも遜色が無いほど非常に美味しく感じられ、私たちはそれぞれの好物に舌鼓を打ちながら、来月の始め頃にある連休の予定について花を咲かせていた。


「ん……だったら、皆で紅葉狩りに出掛けましょうよ。私が景勝地の中にある絶好の場所を案内してあげるわ。その近くにお料理も一緒に楽しめるところがあるからきっと素敵な時間を過ごせるはずよ」

「あら、それはいいわね。紅葉狩りだなんて長いこと行っていないわ」

「……あの、シャル。モミジガリってどういうことですか?」

「あぁ、レイラ。あなたの故郷では馴染みが無いものよね。ほら、最近秋の気配が濃くなってきて、あちらこちらで木々の葉が色づいてきているじゃない?」

「あっ、言われてみれば確かにそうですね。私にはすごく不思議でしたけど」

「あれを紅葉こうようというのだけれど、そうして葉が色づくことを神代の昔にはもみづと言ったらしくてね。それと狩りというのはこの場合狩猟じゃなく、色づいた枝葉を手折って眺めていたところから来ているの。だから紅葉狩りはそうして色づいた葉を目で……いえ、全身で楽しむことよ」

「なるほど、そういうことだったんですか。でも色づいた葉を楽しむだなんて、何だか風情があっていいですね……」

「でしょう? ふふ……だから、ぜひ行きましょう。必ず、皆でね」


 顔にこそ出さなかったものの、シャルが言った『皆で』という言葉には非常に重い意味が込められているように思えた。そしてまた私はそこに、明日の戦いで誰か一人でも欠けてはならないという強い想いを感じたような気がした。


 それから私たちが夕食を終えると、その頃合いを見計らったかのようにアンリが私たちの屋敷を訪れ、彼女が先に言っていた落胤のもとへと踏み込むための素案と、件の実験結果についての報告とを併せて受けることとなった。


 アンリの話によると、例の収容先に向かっていたアンリの仲間たちから、特殊容器による実験が無事に成功したとの報告が齎され、当初の予想通り、妖魔化した人間への対抗手段となることが明確に証明された。


 さらにレイラが妖獣に投げつけて、既に使用済みとなった特殊容器についても、現在そこに用いられていた高濃度の純粋魔素を密封するための技術解析が、私たちが持ち帰った資料を頼りに進めてられているとの話だった。


 個人的には元凶である落胤を討ち滅ぼしさえすれば、各地に大勢いるであろう妖魔化した人間たちも自然に元の状態に戻るという考えがあったものの、そうならなかった際の保険としてそれへの対抗策も今のうちから用意しておく必要があった。


 それから私たちは、どのようにしてロイゲンベルクの城内へと踏み込んでいくかといった具合案の検討に移った。城内の構造や周辺地理のうちでアンリ側に不足していた情報は、その実情を知る私やリゼが協力することで可能な限り補った。


 さらに最初から作戦行動に組み込まれていた特殊容器については、まずアンリが広域結界術の柱とするべくいずれの容器にも魔紋を施し、王城のあるヴォルフスハーゲンの一帯にアンリが操る空中船からそれらを可能な限り素早く投下した後は、術を発動させることでそこから発生した煙が飛散しないように閉じ込め、さらに満遍なく行き渡らせるためにエフェスが風の魔現を用いるという段取りを組んだ。


 それによって妖魔化した人間たちの脅威を出来るだけ無力化した後、それが奏功しなかった純粋種と思われるものは様子を見て駆逐しながら、予め皆で決めた最短経路を通って例の落胤が居ると思われる玉座の間を皆で目指すことになった。


 なお城内に入り込んだ後は内部に仕掛けがあることも考慮し、一度に皆が囚われてしまうようなことがないよう、二人一組に分かれたそれぞれが一定の距離を以て行動するという方向に決定した。


 また船には緊急時の脱出手段ともなる空中船の操舵手として作戦に同行するアンリの仲間が例の指輪を借りて乗員として船に残り、同容器を他の領域にも投下する役目を担うことになった。


「……それでは、この手筈で参りましょう。明日はまたこちらから皆さんをお迎えに上がります」

「ええ、アンリ。今日は本当にお疲れさま。明日はこの作戦を皆で絶対に成功させてみせるわ」

「はい、メル。必ず皆が無事に生き延びて、このフィルモワールへと帰還しましょう……! それでは、今日のところはこれにて失礼します」

「……さて。そろそろお風呂を頂く時間かしら? 今日は……」

「ならメルにリゼ、今日はあなたたちが一番風呂に入るといいわ」

「シャル? それはまたどうして――」

「何でもいいじゃないの。ほぅら、あなたも!」

「わっ、シャル押さないで……」

「でもまぁそういうことなら……行きましょうか、リゼ」

「あっ、はい……」


 二人きりでの入浴をシャルから半ば強引に勧められた私たちは一番にお風呂に入ることになり、私は先にリゼからあった申し出を受けるかたちで、再び全身の按摩を受けることにした。


「どうですか、メル?」

「ええ、本当に……とっても気持ちが良いわ。くすぐったさはまだ少しあるけれど、それより心地よさの方がずっと勝っている感じ、かしらね……」

「ふふ、それは何よりです。やっぱりゆっくりの方が良い感じですね」

「……ねぇリゼ、一つ訊きたいのだけれど。あなた、明日の戦いが終わったあとは、一体どうするの?」

「ん、そうですねぇ……ひとまずまたピッツァ造りの修行に戻って、それと並行して様々なお料理の勉強もします。何というか元の生活通りですかね」

「じゃあその先は?」

「えっ、先? うぅんと、あの建物の三階で自分のお店を持って、其処に来てくれた人たちに最高のお料理を振る舞いたいと思いますが……ちょっと先のこと過ぎてあまり想像がつかないかもです。ちなみにそういうメルは? どうなんです?」

「あ、私? 私は……」


 ――自分から話題を振っておいて訊き返されることを考えていなかったのはあまりに迂闊だったわね。正直に言って私もリゼと同様に元の生活に戻ることになるだろうけれど、その先はどうなっていくのか、そしてどうなりたいのかを深く考えて居なかった気がするわ。けど、私がその道の先にあるものを望むとしたら……。


「おやおや? メル……実はよく考えていなかったんじゃないですか?」

「え……そ、そんなことないわよ? もうずっと先まで考えているんだから」

「あら、そうなんです? それじゃあ早速聞かせて――」

「ざぁんねん、それは帰ってからのお楽しみよ」

「ああっ、ずるいですよメル! このこの!」

「あっいやっ! く、くすぐったい! あっはははは!」

「全くもう……! またそうやって上手く逃げちゃうんですから」

「はっはっは、はぁ……ふふ。だからもしその続きを聞きたいのなら……生きてまたここに戻ってくるのよ、リゼ。絶対にね」

「……はい。必ずメルや皆と一緒に、またここに戻ってきますよ……! けど、質問から逃げた罰は、今ここでしっかりと受けて貰いますから……ねっ!」

「あっ! ち、ちょ……リゼ、やめ……あははははっ!」


 そうしてリゼからのお仕置きを一頻り受けた私は、散々笑い疲れたあとに彼女と背中を流し合って身を清め、同じように湯に浸かって一日の疲れを溶かした。それから自分の部屋に戻って朝を待つのみとなった私は、傍らに佇むリゼと二人で月明かりの下、柔らかな夜風を浴びながら再び言葉を交わしていた。


「いよいよ、ですね……」

「ええ。明日私は、私がこれまでずっとつけることが叶わなかった決着をつける。私から全てを奪い去ったあの妖魔から、これ以上何も奪わせないために……ね」

「私も、その妖魔のおかげでメルを失うところでしたから……母君様や兄上様の無念を晴らすためにも、何処へも逃がしはしません……決して」

「じゃあ……リゼ、小指を出して。昔二人でやった時みたいに、あの夜空のお月様に誓いを立てましょう」

「ふふ……懐かしいですね」

「では、いくわよ……」


 お互いの小指を絡ませながら、夜天で笑う月に誓う。

 明日、絶対にあの妖魔との決着をつけることを。

 そして、必ず皆で無事に戻って来ることを。


 ――またリゼと二人で、笑い合えるように。

 これから私は、なすべきことを、なす。

 お母様、お兄様……どうかお力を。

 

 この、メルセデスにお貸しください。

 全ての魔を退け、何物にも屈しない力を。

 そして……愛する人を守り抜ける、真の力を。


 もう二度と、決して、大切なものを奪われないように。

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