戦いの果てに
第119話 決戦の地へ
決戦の日。今まで積み重ねてきたものが全て、この日に試される。
失敗は決して許されない。たとえ落胤を討ち滅ぼしたとしても、そこまでに誰か一人でも欠けるようなことがあれば、私は今日のことを終生悔いることになる。
そんな事態は断じて招いてはならない。死神が囁こうと私はそれを拒絶する。
お母様とお兄様、そしてリゼが繋いでくれたこの命はきっと、今日のため。
己の敵に打ち勝ち、必ず皆で無事に帰る。それが私のたった一つの願い。
だから私は何が起ころうとも、この生命の灯火を絶やしてはならない。
――お母様、お兄様、メルセデスは、行って参ります。
「これが、炎の洗礼……とっても、奇麗だわ」
「……すごい。皆の武具が、七色に煌いています……」
ロイゲンベルクに向かう前にヴィーラが居る、イシュワラ・サーダナム山頂の神殿を訪れた私たちは、彼女に炎の洗礼を施してもらった武具を手にし、そこから止めどなく発せられる虹を纏ったかのような神々しい輝きに揃って圧倒されていた。
「ねぇ見てよリゼお姉ちゃん、私の杖もきらっきらだよ!」
「本当だね、エフェス。ふふ、この輝きがきっと私たちを守ってくれるんだよ」
「お前たちの武具に施した洗礼によって
「ヴィーラさん、一つお伺いしたいことがあるのですが、仮に妖魔化した人間がこれに触れたとしたら、どうなりますか……?」
「廓清の祝福はあくまで邪なる存在を浄化するもの。そういった者たちが触れれば邪気のみが取り払われ、たちまち元の姿を取り戻すこととなろう」
「……それを聞いて安心しました。これであの容器から出る煙から逃れた者が居たとしても、純粋な妖魔と区別することなく武器を振るうことが出来る……」
「だが、もし仮に自分の意思でそうなった稀有な者が居たとしたら、その限りではないがな」
まだ残っていた懸念として、地下や建物の奥に居て特殊容器から発生したあの煙が届かない者たちの存在があったものの、ヴィーラの話が確かであれば皆が憶することなく存分に戦うことが叶う。元が人間だったものと争うことなど誰も望んではいないが故に、それは願っても無い僥倖だった。
「ではそろそろ、行きましょうか……ヴィーラさん、この度は大変お世話になりました。私たちはこの武器を手にして、必ずやあの妖魔に打ち勝ってみせます」
「私に出来るのはここまでだ。あとはお前たち次第だが……お前たちであれば、それも成せるだろう。相手がいかなる存在であろうと常に己の力を信じ、そして仲間と繋がり合っていることを忘れるな。健闘を……祈っているぞ」
それからヴィーラのもとをあとにした私たちは、いよいよ決戦の地となるロイゲンベルク王城がある地、ヴォルフスハーゲンを目指して空を駆けた。するとイシュワラ・サーダナムから離れ、故郷へと向かう道の途中で空の模様が一変し始め、先にアンリの仲間から報告を受けたような濃い暗紫色をした妖雲に辺りを囲まれ始めた。
「もしかして、この雲が例の……」
「ええ、リゼ。きっとこの密雲こそが今各地で妖魔化を押し広げているもののようね……私たちも洗礼を受けた武具があるとはいえ、常に体内の魔素を活性化させておかなければ決して安全とはいえないわ」
「現地に着く頃にはもっと濃くなっているでしょうからね……アンリ、あとどれぐらいで到着する感じですか?」
「そうですね、現在の速度であればものの三十分ほどで現着する見込みです。王城の周辺に達した時には、船窓も開放して先の話し合いで予め設定した地点に特殊容器を投下します。投下後は私が広域結界術を張り、さらにエフェスの魔現で、さらにその煙を広域に拡散させます」
「どうしようリゼお姉ちゃん……今さら、身体が震えてきちゃった……」
「大丈夫だよエフェス。皆がこんなに近くに居るんだもの。もちろん、この私もね! たとえどんな相手が来たって、怖くなんてないよ。だから一緒に頑張ろう!」
「う、うん……! 私、頑張るよ……!」
おそらくこの戦いが、私や皆にとっては命をやり取りする最後の戦いになる。一度でも気を抜けば途端に死が口を開けて待っている谷底へと真っ逆さま、そのため常に全身の神経と研ぎ澄ませ、怖気にも屈しない強い心を持ち続けなくてはならない。
以前のエフェスならば、疑問を感じながらも淡々と行えていたことであろうものの、彼女はここにきて自分が生きていくことの意味を見い出し、さらに決して譲れない大切なものが出来たことで、それらを失うことへの恐怖が生まれたに違いない。
しかし今の彼女にはその小さな体躯に見合わないほど大きくしっかりとした芯が中に備わっている。あとはリゼがその背中を押してくれたのだから、きっともう心配は要らない。
「メル……ロイゲンベルクが見えてきました」
「嘘、でしょう……あれが、私の生まれた地……ですって……?」
上空から薄らと見えたかつての故郷は、王城を始めとした街並みや建物の多くが、濃霧のように深く充満した妖気の中で異形な肉塊と構造物とに覆われ、もはや見る影もないほどに様変わりしていて、私は思わず自分の目を疑った。
「これだと当初予定していた投下地点がほとんど判りませんね……エフェス、順番が前後してしまいますが、一度この街なかに掛かっている濃霧を振り払えるような風の魔現をお願いできますか?」
「うん、任せて……!」
そこでエフェスが、一体に濃く立ち込めた妖霧を一旦排除するべく、アンリに先立って船内から船体の最上部へと通じる場所に赴き、そこから風の魔現を発動させることになった。
「いくよ……
開かれた船窓からエフェスの声が鳴り響くや否や、船がある場所から外側へと吹き付けていく凄まじい旋風が巻き起こり、その魔現は杖に据えた魔石と炎の洗礼の効果が合わさったのか、地上に煙っていた妖霧を悉く吹き飛ばしていくのが判った。
「すごい……これなら落下地点も判ります。しかもここは台風の目と言われる場所のように穏やかなままで……いえ、感心している場合ではありませんね。エフェスが戻ってきたらすぐに目標地点へと移動しましょう。あなたたちも早速、投下の準備に取り掛かって」
「はっ」
「御意」
そして間もなく私たちが投下目標地点へと移動すると、アンリが広域結界術を発動させるための魔紋を施した特殊容器を、同行したアンリの仲間たちが彼女からの指示を受けて次々に投下し、やがて最後の地点への投下が完了した直後、アンリが先にエフェスが向かった船の最上部に赴き、そこから術を発動させるようだった。
「出でよ……
船窓越しに耳に伝わってきたアンリの声と共に、これまでに投下した場所から光の柱のようなものが一斉に上空へと立ち昇り、たちまち辺りの空を半円状に広がる光の膜のようなもので覆い尽くした。
「あれが広域結界なのね……極めて大規模な陣術といったところかしら」
「ふぅ……何とか上手く結界を展開出来たようです。ではエフェス、申し訳ないのですがもう一度だけ風の魔現をお願いします」
「私なら大丈夫。まだまだいけるよ!」
そうして再び繰り出されたエフェスの強大な風の魔現を受けて、妖魔化した人間たちを元に戻す力をもった煙は光の膜で閉ざされた街の全域へと満遍なく拡散していった。アンリの仲間から得られた実験報告では、その煙には少し曝露しただけでも十分に効果があるらしく、その濃度よりも散布範囲を重視すべきことが示されていたため、このように煙を広く行き渡らせることは特に重要な意味を持っていた。
「さぁ……これで城内に侵入するための手筈は整いました。あとは王城の敷地内に見えるあの広場に船を降ろし、すぐさま次の行動に移りましょう!」
「ええ!」
私たちの船がロイゲンベルクの上空に入り込んだ際か、あるいは先に街中を占領していた妖霧を吹き飛ばした瞬間か、はたまた今ここに降り立った時からか、いずれにしても落胤は私たちの侵入を感知しているに違いなかった。
妖魔化した人間たちを差し引いた上で、彼が率いる勢力の残りがいかほどのものかは想像が出来なかったものの、ここから先は特に警戒して進む必要がある。
「では、ここからは先に決めた二人一組のかたちで行動しましょう……皆、十二分に注意を払って頂戴。たとえ何が起こってもお互いに支え合って、乗り越えていけば大丈夫よ……それと、会話の声も相手に気取られる可能性があるから、ここからは極力この水晶竜の鱗を使って、お互いに意思の疎通を行いましょうか」
城内には予め何らかの仕掛け、すなわち防衛用の罠が施されている可能性が高いため、予め決めた二人一組で進んでいくことになっている。
その組み合わせは、まず私とリゼが先駆けを務め、その次に師匠とレイラ、アンリとエフェスと来て、そして
また、私たちが降り立った広場には、先の煙を受けたのか妖魔化していたと思われる兵士たちが方々で倒れ込んだまま動かなくなっていた。これまでに寄せられていた報告を鑑みるに、彼らが意識を取り戻すまでには数時間を要するはずだった。
しかし煙がこちらの想定以上に奏功していたのか、残存した妖魔に遭遇することも無く、私たちは何事もないまま広場から通じている城内通路へと足を踏み入れた。
(何でしょう……耳がつぅんと痛くなるほど静まり返っていて、かえって気味が悪いくらいですが……)
(誰も相手にしなくていいのなら、それに越したことはないわ。私たちが倒さなければいけない相手は、例の落胤だけなのだから……)
(天井や足元にも注意してくださいね。敵はどこから攻めてくるか判りませんから)
残存した敵がまだ息を潜めているかもしれない以上、不必要な音を立てるわけにはいかないため、私たちは水晶竜の鱗を利用して、声ではなく思念による意思疎通をしながら、静寂が聞こえるほどにひっそりと静まり返った城内通路を慎重に歩いた。そうしてしばらく進んでいくと、やがて隊列の先頭を務めていた私とリゼとは、大広間のような空間に足を踏み入れた。
(ん、こちら側の通路にこんな広間が……? ねぇリゼ、こんな場所、以前からあったかしら?)
(いえ、このような空間は見覚えがありません。でもひょっとしたら何かの仕掛けかもしれませんよ。皆で一斉に入るのはどうにも危険ですね)
(あら? ちょっと待って、リゼ。向こうに何かがあるようだわ)
(あれは……水晶のような球を乗せた台座? 何かの仕掛けでしょうか?)
(おそらくそうね……すみません師匠、後ろの皆にここで待つように伝えていただけますか? 私とリゼとで一旦様子を見て参りますので)
(承知した。レイラやエフェスの守りは私たちに任せておけ)
大広間の奥には怪しげな台座があり、そこには水晶と思しき球が据えられているだけで、別の出口へと通じている扉などは一つも見受けられなかった。
(いかにも何かありそうな感じがするけれど、一瞬だけ触れてみようかしら?)
(十分に注意してくださいね、メル。こんな所に意味のないものをわざわざ置く必要は無いはずですから……)
(ええ。ではリゼ、いくわよ)
意を決した私は、右手でそっとその水晶球に触れてみたものの、特にこれといった反応も無く、依然としてただ静寂だけが辺りを支配しているだけだった。
(これは……何も、起きない?)
(一体どうなっているんでしょう? もしかして二人で同時に触れるとか――)
(なっ……!)
リゼがそう言いながら、傍らに立って同じように水晶球に触れると、それは間もなく爆発的な閃光を放ち、瞬く間にこちらの視界を白一色に染め上げた。
凄まじい光に呑まれた私たちがようやく元の視界を取り戻した時、私とリゼとが、さっきまで自分たちが立っていた場所とはまるで趣きの異なる、非常に物々しい雰囲気に満ちた暗い広間の中に居ることに気が付いた。そして私がふと視線を送った先には、まるで大鴉の如く黒い羽根に覆われた外套を纏い、艶のある墨色の笠を被った出で立ちで、こちらに背を向けている何者かの姿があった。
やがてそれは、私たち二人の来訪に気が付いたのか、背をこちらに向けたままの格好で言葉を投げかけてきた。
「キッヒッヒ……断界ノ狭間へようこソ、お二人サン」
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