第67話 着火


「馬車がすぐに拾えて良かったですね……これならきっともう分かりっこないですよ、メル」

「ええ……そうだと、いいけれど」


 街なかですぐに客待ちの辻馬車を拾うことが出来たのは願っても無いことだった。

 この馬車でフィルモワール方面に向けて走り、街道を越えて道中二つの町を通過して、今日中にタルゼットという町まで進む予定になっている。


 しかし相手は、神理アルケーの領域にある術に通じ、さらに私が死すらをも覚悟した件の巨大な砂ミミズを、一息で呑み込んでしまうほどの恐ろしい法具を有していた、あのエセル。そんな全てにおいて規格外の彼女がこのエフェスを狙っているという以上、常に不測の事態に備えておく心構えが必要になってくる。


「でも、エフェスだってうんと強い魔現が使えるんでしょ? それで妖魔や妖獣をやっつけてたとか言ってたよね?」

「うん……けど、他のみんなと一緒だったし、それが正しいことだって、白い人たちに言われていたから、ただ教わった通りにやってただけなの」

「妖魔の駆逐は主として、王陛下からの命を受けた討伐部隊や、貴族が擁する私兵団が領地の治安維持のために行うものだけれど、エフェスぐらいの子が関わっている討伐隊があるなんて、今までに聞いたことがないわ」


 それにエフェスの話を聞く限り、その養成方式にも極めて多くの謎が残る。ほぼ同じ容姿をした子たちが九人も居て、白い装束に身を包んでいたという得体の知れない大人に魔現の修練も含めて別々に養育されていただなんて、全ての点において常軌を逸している。


 そしてまた、徐々に疑問を持ち始めたエフェスたちと瓜二つの姿をしたエセルが、その九人全員を亡き者にしようとして彼女たちを突如襲撃したというあたり、何か彼女たちの背後でとてつもなく大きなものが蠢いているように感じる。


「……どうしたんですかメル? 何かものすごく考え込んでいるみたいでしたが」

「いえ、エフェスたちを集めて養育していたのは、一体何者だったのかなって思ってね。エフェスは物心がついた時からもうその状態だったみたいだから、私があれこれ考えても仕方がないのは解って――」

「……あぶなっ! エフェス、大丈夫?」

「ありがとう、リゼ……お姉ちゃん。私は大丈夫だよ」

「何でしょう? どうやら馬車が急停車したみたいですが……」


 御者と誰かが言い争っているような声が聞こえる。

 ひょっとしたら別の馬車か通行人との間で何か問題があったのかもしれない。


「ちょっと様子を見て来るわ。リゼも一緒に。レイラはエフェスと一緒にここに居て頂戴。私たちが戻ってくるまで、決して外に出ては駄目よ」

「はい……分かりました」


 リゼと共に馬車から出て御者の方に向かうと、その正面には見覚えのある少女が道を塞ぐような恰好で屹立していた。


「だ、か、らぁ、おじさんに用はないの! ボクは中の人に用が――」

「……久しぶりね、エセル」

「あっ、やっぱり居た! メルにリゼ、だったよね。確かちょっと前にポルカーナで別れて以来かな? まだこんなところに居たんだ」

「ええ、ちょっと色々あってね。それで、エセルはどうしてこんな所に? 私たちに用があるわけでもなさそうだけれど」

「うん。二人じゃなくってね。エフェスに用があるんだ。見つけた反応は間違いなくエフェスのものだったから、近くまで一気に飛んで来たの。そしたら近くに別の反応もあってさ、もしかしたらと思ったんだけど、やっぱりメルたちだった」


 ――やはりエセルはあの反応を見逃してはいなかったのね。

 しかし数ある馬車の中から私たちが乗っているものを特定して止めたとなると、あの中にエフェスが居ることも既に見破っているということなのかしら……。


生憎あいにく、あなたの探しているエフェスという子とは遭遇しなかったわ。けれど、私たちがやって来たアルビニエの町にある修道院の方に、何か強い力を感じたわね。気になるのであれば今からそちらに行ってみてはどうかしら?」

「へぇ、そうなんだ。ありがとうメル。それじゃ今からその修道院とやらに向かってみようかな」

「ええ、ぜひそうするといいわ。今度こそ其処で会えるといいわね」

「うん。それじゃ」


 ――これは……何とか上手くやり過ごすことが出来たのかしら?

 平静を装うのは楽ではないわね。けれど、これで無駄な争いを避けられ――


「……って、言うと思った?」


 ――やっぱりそうは、いかないわよね。

 現実っていつもそうだから、覚悟は出来ていたわ。


「ん……それはどういう、意味かしら?」

「ボクね。実はその修道院の方から来たの。エフェスの残した魔素においをずっと追っかけてさ。そしたらそこに覚えのある香りも別に混じっててね、何だかおかしいなぁって思いながら追い続けたら、この馬車を見つけたんだ」

「あら、そうなの? ひょっとしたら私たちが乗る前にそのエフェスって子が乗っていたのかも知れないわね。一つ前にあった町で降りたのではないかしら」

「それは無いよ。だって、今も漂ってくるから。その、馬車の方からね」


 傍らから伝わってきた音で、リゼが構えたのが判った。

 どうやらこれ以上の茶番は、お互いに無用である様子。


「……そう。どうしてもあの子に会いたいわけね」

「うん。だってボク絶対にエフェスと会わなくちゃいけないから。殺す、ために」

「もし私が、そんなことはさせないって、言ったら?」

「そうだねぇ……関係のない人を巻き込むのはあんまり気が進まないけど、もし邪魔するっていうのなら、一緒に消しちゃ――」

「ふっ!」


 その瞬間、エセルの言葉を遮るようにリゼが仕掛けた。

 音が伝わるよりも速く、私が抜くよりも早く。

 守るべき少女と瓜二つの姿をした、彼女に。


「……馬車を出して! さもなくば、死ぬわよ!」

「ひ、ひぃいぃぃ!」


 御者は恐怖に駆られて即座に馬車を走らせた。

 そして私は、リゼと共にこの地に縛り付けなくてはならない。

 これまでになく小さくて、途轍もなく大きな巨人を。


「ふふふ……お姉さんってこんなに速かったんだ? これは当たったら死ぬね」

「問答無用!」


 リゼは恐らく、持ちうる限りで最大の速度と威力とを以て、その巨人の足を必死に止めようとしている。しかし、眼前のそれはリゼを嘲笑うかのように舞い、跳び、そして宙を踊った。そしてリゼの拳と脚は裂帛と共にけたたましい轟音をあげながらも、それらはエセルに届くことなく、悉く空を切っていた。


「何て、動きなの……あのリゼが翻弄されているとでも……?」

蟒呀絶蹴撃ぼうがぜっしゅうげき!」

「はっはっは、すんごい足さばき!」


 リゼの脚が獲物に襲いかかる蛇の如く、極めて不規則で多角的な軌道を描きながらも精確かつ瞬息の一撃を絶え間なく打ち込んでいく。その攻撃は次々と変転する体位と、相手を中心として円を描くように移動する特異な歩法とを併せた上で行われているようで、きっと受ける側からすれば何処からリゼの脚が飛んでくるのか判らない状況であるはずだった。でも現実は――


「おかしい……まるで影像シャドウと戦っているような……」


 エセルはリゼの攻撃を受けるでも逸らすでもなく、その全てを寸でのところで巧みに回避している。最初は幻術の類を疑ったものの、彼女の身体にくっきりとした影が付いている以上、決して幻影を相手にしているわけでもなかった。


「くっ……何故、当たらない……⁉」

「お姉さんたちはさ、きっと魔導で身体そのものを強くしてるんでしょ? 筋肉を強靭にしたり反射神経を研ぎ澄ましたりさ。でも――」

「…………?」


「思考を強化したことって、ある?」

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