第66話 瓜二つ


「あなた……知っているわ。前に偶然会った、エセルという子があなたを――」

「い、嫌あぁ!」

「あぁ、ちょっと待って! リゼ、その子を捕まえて!」

「は、はい!」


 そのエセルという名前を聞いた瞬間、血相を変えて祭壇から飛び出した彼女を、後から即座に追い付いてみせたリゼが、背後から両腕を回して捕まえてみせた。


「やめて! 離して!」

「あ、暴れないで! 私たちは、あなたに何もしないから!」

「嫌だ! 絶対に……嫌だぁ!」


 その瞬間、全身の毛が逆立つような感覚を覚え、間もなくそれまでに感じたことが無いほどに極めて重い圧をもった魔素の伝播を感じた。それはもはや魔素の放出といった次元ではなく、破局的な噴火を寸前に控え、今にも大爆発しそうな火口の前に立っているかのような錯覚すら覚えるほどのものだった。


「何て、重くて熱い魔素……あの子は本当に、人……なの?」


 本能的な恐怖心からか、いつの間にかリゼはその両腕を離していたものの、尚もその眼前で凄まじい魔素を滾らせる少女に対し、リゼは意を決したのか、正面から彼女と向き合った。


「リ、リゼ! 今その子に近づいては――」

「大丈夫です、メル。きっとあの子……エフェスとは分かり合えます」


 それからリゼが一歩ずつ確かめるようにエフェスとの距離を詰めていき、やがてそのエフェスの姿は、リゼの手が届く距離にまで迫りつつあった。ひょっとするとリゼは、かつてドルンセンの町であの姉妹と関わった時と同様に、昔亡くした妹さん――フローラの姿を、何処かでエフェスのそれと重ねているのかもしれない。


「安心して……エフェス。私はあなたに何もしない。ただ、あなたの力になってあげたいだけなの。それにこうすれば――」

「…………⁉」

「ほら、落ち着くでしょう?」


 リゼがエフェスのとても小さな身体を両腕で包み込むように抱き締めると、エフェスの身体から猛火の如き勢いで迸っていた魔素の奔流が次第に和らいでいき、やがてその勢いは完全に失われていった。


「う……あたた、かい……」

「……ほらね、エフェス。ここにはあなたを傷つけようとする人は誰も居ないの。だからどうか私たちに教えてくれないかな? あなたのことを」


 それからしばらくして落ち着きを取り戻した様子のエフェスを、リゼが近くの参列席に座らせ、私たちは彼女からの言葉をゆっくり待つことにした。そしてややあってその口を開いた彼女は、訥々とつとつとした調子で私たちに語り始めた。


「わ、私……は――」


 エフェスは幼い頃から、自分の周りに自らと瓜二つの姿をした双子の姉妹のような子たちが九人もいて、外に通じる扉が一つ無いという奇妙な家で共に暮らしていたという。しかし皆が常に同じ空間に居たわけではなく、白い衣服を纏った大人から言われるがままに、九人が別々の部屋でそれぞれの生活を送っていて、時折皆が一所ひとところに集められる時にのみ、お互いに顔を合わせることが出来たらしい。


 ただし他の姉妹と必要以外の会話をすることは禁じられていて、その白い人間から下された教えに従って、それまでに習った魔現の力を使い、ただ黙々と与えられた目標施設を破壊、あるいは特定の妖魔や妖獣を排除するという日々を過ごしてきたとのことだった。

 

 エフェスはそんな中で次第に、自分という存在を取り巻く環境に疑問を感じ始め、白い人間からの命令にも、何故そうするのかといった理由を逐一訊ねたり、不必要な会話を禁じられていた他の姉妹とも、密かに接触をしたりし始め、そこで初めて彼女たちも自分と同じような疑問を抱えていたことが判ったのだという。


 そんなある日、いつもと同じように目標を消去するべく、一所に集められた彼女たちがその対象を捜索していたところ、自分たちと全く同じ外見をした少女と遭遇した。彼女は黒いとんがり帽子を深々と被り、同じ色の外套をひらめかせながら自らの名前を名乗った後、傍らに居た姉妹を指先から放った怪しげな光で貫き、何のためらいも見せずに、すぐさま別の姉妹にも襲い掛かった。


 反撃も空しく、次々と命を奪われていく姉妹の姿に、それまで感じたことのない恐怖を覚えた彼女は、残された他の姉妹と散り散りになりながらも命の危機からは何とか脱した後、執拗な追跡を振り切るために各地を転々とし、そして今この地にたまたま流れ着いたとのことだった。


「嘘……でしょう? あの子が……まさかそんな……」

「エセルは……私たちとは何かが違ったの。上手く言えないけど、言われた通りにしか動けない私たちとは逆に、全部自分で考えながらどう動くかを決めている感じで。だから、みんなで束になってもまるで敵わなかった……」


 それは、私たちの命を救ってくれたあのエセルがエフェスの姉妹にあたる子たちを抹殺したという俄かには信じ難い話。その話の信憑性を裏付ける証左は何も存在しないものの、彼女の表情を見る限りとても嘘をついているようには思えない。


「でも……そういうことであれば、ここに長居するのは危険だわ」

「……そうですよ、メル! あの子、エセルは確か、大きな魔素の反応を探知できるような法具を持っていて、それを頼りに転移してたって言っていましたよね。となれば、さっきの魔素の放出も彼女に捉えられている恐れがあります」


 エセルは、フィルモワールの周囲に転移による侵入を防ぐ結界のようなものが張り巡らされていて直接飛ぶことは出来ないと言っていたけれど、ここはまだフランベネルだから、この近くぐらいにまでは一気に飛んで来れるかも知れない。


「とにかく、早くここから出て、皆で一緒にフィルモワールへ――」

「あの……メル、こんなことは言いたくないんですが、この子と一緒に行動するのは危険……じゃないんですか?」

「確かにそうね、レイラ。けど、私は目の前で命の危険に晒されている子を放っておくことなんて出来ないわ。今まさにその脅威が迫っているとなれば、なおさらね」

「そう、ですよね……すみません、変なことを訊いてしまって。忘れて下さい」


 ――レイラの懸念はごもっともだわ。私たちにしても、あのマリオンのような輩がまだ何かを仕掛けてくる恐れが皆無ではない以上、一刻も早くフィルモワールへと渡ることが最優先で、余計な問題を自ら抱え込むだなんて愚の骨頂だものね。


 けれど私は、私自身が正しいと思った道の通りに進んでいきたい。

 たとえそれが、回り道や思いもよらぬ脇道に逸れる結果を招くとしても。


「さ、そうと決まれば早くこの町を出て、フィルモワール方面に進みましょう」

「あっ……そういえば今日、レイラと一緒にメルを待っている間に、辻馬車らしきものを見かけましたよ。あれを使えば傍から見ても誰が乗っているか判り辛いですし、何より移動距離もかなり稼げるのでは?」

「それは良い考えだわ。では早速、街に降りて辻馬車を探しましょうか。さ、エフェス。一緒に行きましょう。とにかくフィルモワールにまで行けば安全だわ」

「一緒に行っていいの……? 私が一緒だと、みんな危なくなっちゃうよ?」

「そんなことは気にしなくて大丈夫。ほら、私が手を握っていてあげるから」

「うん……ありが、とう……えっと、リ……ゼ?」

「ふふ、そう。リゼだよ。どうかよろしくね」


 まずはこの丘を早急に下って、街なかで辻馬車を拾い、速やかにフィルモワール方面へと歩みを進める。一度馬車にさえ乗ってしまえば、きっとあのエセルでさえ私たちが何処にいるかは正確に掴めないはず。そうなればあとはこっちのもの。

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