明ける空の下で
第65話 いつか何処かで見たような
「いやぁ……本当に美味しかったですね。ピッツァというあの料理、一つ一つを専用の石窯で焼いて作っていたそうですが、上に載っている具材や生地そのものが少し違うだけでああも奥行きが出るとは。特にあのチーズが食材と絡んで絶品だったと思います。そのうちにまた食べてみたいですね。地鶏の照り焼きも良いですが、今度は違う具が載った……」
私たちが食べたピッツァという料理をリゼは大層気に入った様子で、店内でそのための生地を成形している職人の華麗な手捌きを見て、
『あれ……私もちょっとやってみたいです。もしお願いしたらちょっとだけでも挑戦させてもらえたりするのでしょうか?』
などと呟き、その目を輝かせながら次々とピッツァを口に運んでいた彼女の姿は、とても幸せそうでいて、見ているこちらも何だか楽しく感じられた。
「ふふ。リゼは本当に食べ物のこととなると、活き活きとしているのだから。さっき食べたばかりだというのに、もう次に食べる時のことを考えているだなんて」
「だって今から事前に計画しておかないと、きっと次に店内でお品書きを見た時にまた迷っちゃうと思うんですよ。レイラだってそうでしょう? あれだけ色々な種類があったら目移りしちゃいませんか?」
「ははは、そうですね。でも私は二人と一緒に食事が出来るだけで、本当に幸せだなって思いますし、料理もより美味しく感じられるような気がします」
「私もレイラの意見に賛成よ。本当に、人の想いって不思議なものよね……」
三人でそんな取り留めもない話をしながら目指す、女子修道院があるという小高い丘はウーヴァの丘と呼ばれていて、修道院の建物に至るまでの道中には、黄緑の色をした粒をたわわに実らせた葡萄畑がその丘陵を伝うように所狭しと並んでいて、心地よく吹く風にその青葉をさやさやと揺らせていた。
「こちら側はロイゲンベルクとはほぼ真逆の季節で、もう初夏の時節といった感じですね……メル」
「そうね。この何とも爽やかな風が、目的地であるフィルモワールが近いことを知らせてくれているようだわ」
「確かフィルモワールには美しい海があるんですよね! 私、海って一度もこの目で見たことがないから、今から楽しみです」
「ふふふ……私とリゼも、まだ絵画を通してでしか見たことがないから、楽しみな気持ちはあなたと同じよ、レイラ」
そうして歩くこと約二十分ほど。私たちは丘の上へと辿り着き、修道院の本館に通じる大きな門があるところにまで達した。なおその門前には案内板が設置されており、女性でさえあれば、敷地内にある庭園から中央の礼拝堂までを自由に見学することが可能である旨が記されていた。
「良かったわ。これなら私たちの三人とも礼拝堂の中に入ることが出来るわね。それじゃあ早速行きましょうか」
青々とした並木に挟まれた比較的長い通路を道なりに進んでいくと、やがて石膏を主材として作られたと思われる、こちら側では信仰対象であるらしい聖母の像が現れ、さらにそれを囲むようにして据えられた噴水が、空から燦然と注ぐ陽光をその水面の上で鮮やかに躍らせながら、美しい飛水の軌跡を宙空に描き出して、辺りに冷涼な気配を漂わせていた。
そしてその先には、端々から濃やかな手入れをされていることが窺える壮麗な庭園が広がっていて、一方では見事な色艶を誇る薔薇の園が広がり、もう一方では鮮やかな色彩を湛えた
そこからさらに奥へと進んだ先にある石段を昇っていくと、少し深めの緑をした屋根に赤い煉瓦で造られた瀟洒な建物が目の前にその悠然とした姿を示し、正面の礼拝堂を中心点として、建物全体が左右対称の形を描くように大きく広がっているさまが見て取れた。
「何だか圧倒されるような雰囲気があるわね……さ、このまま皆で礼拝堂の中にも入ってみましょうか」
「そうですね。行きましょう、レイラ」
「あっ、はい!」
間もなく足を踏み入れた先には、大理石で造られた柱が並ぶ奥行きのある身廊が、天使を象ったであろう彫像を幾つも従えながら、天井に見える神秘的なフラスコ画や、側廊から覗く縦長窓や高窓から差し伸べる採光と共に、主祭壇がある聖堂の内陣へと私たちを導いているようで、何とも厳かな雰囲気を醸し出していた。
「はぁ……本当に荘厳な感じがしますね、メル、レイラ。修道女の方々は毎日ここで神様にお祈りを捧げているのですよね」
「そうね。とても素敵な場所だわ。何だか自然と、心身が引き締まる感じすらしてくるわよね」
最奥にある半球状の構造になった内陣には、至聖所でもある主祭壇に加え、賛美歌や聖歌といった宗教音楽を奏でるためであろうパイプオルガンが、端粛な彫刻と共に其処に据えられ、さらにはそれらを囲むようにして七色に彩られた豪奢なステンドグラスが配されており、外界から訪れた光を虹のように変容させていた。
「凄く大きなオルガンですね……一体どんな音色をこの場所で響かせるのでしょう」
「こちらに注いでくる万華鏡のような彩光も手伝って、きっと幻想的な空間を作り出すはずだわ。この美しさを人の言葉で表すのは少々無粋かもしれないわね」
リゼやレイラと共に、しばしその別世界に居るような神々しい空気感に浸っていると、突然主祭壇がある方から大きな物音が伝わって来た。
「えっ、今の音は何でしょうか?」
「分からないけれど……確かに祭壇の方から聞こえたわよね?」
「レイラとメルはここに居て下さい。私が少し様子を見て来ますから」
「あっ、ちょっとリゼ! もう、勝手に上がっていいのかしら……」
現在の堂内には、私たちを除いて他に観光客や修道女たちの姿も無く、聊か
「殺さないで!」
「うわぁっ⁉」
静寂を切り裂くかの如く勢いで突然発せられたのは、女の子の声。
正面からまともにその声を受けたリゼは、そのあまりの勢いに仰け反って、そのまま尻もちをついてしまった。
「今のは、何……? ねぇリゼ、其処に誰か居るのよね?」
「お、お、女の子が……その、祭壇の裏で
「何ですって……? ……あっ」
リゼの正面に位置する祭壇、ちょうどその陰に隠れてこちらからは視認できなかったその少女は、何かに酷く怯えたような様子でいて、さらによく見るとその身体を震わせながら、身の丈以上に小さくなっていた。
「ねぇあなた、一体どうしたの?」
「やめて、殺さないで……」
「……誰もあなたにそんなことしないわ。さぁ、こちらに来て一緒にお話しをしましょう。何があったのか私たちに教えてくれさえすれば、あなたの力になれるかもしれないわ」
ステンドグラスから差し述べた光に、腰の辺りにまで伸びた若草の如く艶やかな蒼の髪が照り映え、少し垂れ気味の眼瞼から覗く、滄海の水底をそのまま写し取ったかのような青玉にも等しきその大きな双眸は、私とリゼの姿を交互に捉えながら、幼さを残した端麗な
しかし私はそんな彼女の姿を見て、何故か既視感のようなものを感じた。
「本当に……殺さない?」
「ええ、もちろんよ。私はメル。そしてこちらがリゼ。それからそちらに立っている子がレイラ。よければあなたの名前を、私たちに聞かせてもらえるかしら?」
「私は……エフェス、っていうの」
「エフェス……? ……はっ」
その名前を聞いて、私は一目見た時に感じた既視感の正体が掴めた。それは以前アシュ砂漠で私たちを助けてくれた、あのエセルという子が探していた少女の名前と一致していて、尚且つそのエセルが見せた面差しともぴったりと重なって見えたからこそに違いなかった。
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