第108話 匿路を抜けて
「せ、
「えっ……メルの師匠⁉ そんなまさか……でも、そのお顔は間違いなく……」
「ということは、このお方こそ以前メルたちが私に話してくれた……あの?」
しかし思いがけない再会を果たしたはずの師匠は、私とリゼの顔を見てもまるで初めて会う人を見るような目つきをしたまま、ただ怪訝そうな顔を浮かべているばかりで、私たちが見せた反応に対しても、その返事に窮している様子だった。
「ん……んん……?」
「あの……師匠……?」
「……その、すまないが一つ私に教えてはもらえないだろうか?」
「は、はい……師匠。何でしょう?」
「その……君たちは一体、誰なのだ……?」
予想だにしなかった師匠からの言葉に、私はしばらく返す言葉が見つからなかった。その後アンリたちの勧めもあり、少し落ち着いて話が出来る場所に移動した私たちは、レイラが応急処置を行った生存者の女の子から詳しい経緯を訊ねる一方で、師匠と全く同じ姿をしたあの女性にも引き続き話を聞くことにした。
まず生存者の女の子――ミュゼの話によると、真夜中に突然両親から叩き起こされた彼女は、町の至るところから複数の妖魔が突然現れたことを知らされ、事態を重く見た両親の判断で、外の安全が確認出来るまで自身が住む屋敷にある宝物庫の中にその身を潜めることになったのだという。
しかし、そこから何時間経っても迎えが来ないことに強い不安を感じた彼女が、我慢に堪えかねて宝物庫の扉を開けて外の様子を確認したところ、辺り一帯が既に焼け野原のようになっていたという。
それから妖魔に蹂躙されたのか、すっかり様変わりしてしまった町の中で、ミュゼが両親の姿を探して彷徨っていたところ、急に後ろから狼のような群れが現れたらしかった。
それから彼らに追われるかたちで助けを求めながら逃げ惑ったものの、あちらこちらが破壊され尽くした街なかにおいて、すぐに身を隠せるような場所は何処にも見当たらず、ついには辺りを取り囲まれてしまい、もはやこれまでと観念する寸でのところで、一人の女性が身を挺して立ち塞がってくれたのだと述べた。
その時私は、レイラの耳が捉えたものが彼女の叫び声で、それを辿って駆け付けた私たちが目撃したあの光景が、妖獣たちから包囲されたミュゼたちが襲撃を受ける、まさにその瞬間だったことが判った。
次いで師匠と思しき女性からも話を聞いた私は、間もなく彼女が自分の名前も含めて、自らに纏わる多くの記憶を失った状態のまま当ても無く放浪していたという事情を知った。
しかしその身体だけはやはり師匠そのものだったためか、生きるための道を感覚的に示してくれたらしく、ここに至るまで彼女の身に降りかかってきたあらゆる脅威を、その腰に帯びた剣一つで全て退けてきたとのことだった。
ここまで得た情報から察するに、どうやら師匠はあの時に崖から落ちた衝撃がもとで命こそは失わなかったものの、記憶の多くを喪失してしまった様子で、かつてこの私を五年もの長きに渡って一切の甘えと妥協とを排して厳格に鍛えてくれたことも、その頭の引き出しの中からは見つけ出すことが叶わなかったようだった。
「そうか……どうやら私は、君の言うそのベアトリクスという者に違いないらしいな。私自身、君に剣を教えていた過去があったとは俄かには信じ難いが、この身に刻まれたものたちが君の話を裏付けているように感じられる」
「記憶はいずれ……何かがきっかけで一気に戻るかもしれません。それまでは私たちが住むフィルモワールの方で療養されては
「それは実にかたじけないことだが……君たちは今、この町のように妖魔や妖獣に襲われた町を訪ねているのだろう? であればこの私も何か君たちの力になることが出来るはずだ。どういうわけか妖獣共を相手にしても恐怖すら感じない」
「……ありがとうございます、師匠。その……今後の動きについてはあちらにいるアンリにもこれから確認を取らねばなりませんが、きっと他の町も似たような惨状を迎えていることが予想されますので、相手側の様子も探りつつ、引き続き生存者が居ないかどうかを実際に確かめにいくことになるかと思います。それに、彼女の話によると――」
アンリが先にしていた話では、本来ならばフィルモワールの国軍がそれ相応の勢力を投入して事態の対処にあたるべき案件であるものの、空間結界のすぐ外側がこれだけ危険な状態に陥っている現状を鑑みれば、防衛に割いている大部隊をおいそれと送り込むことが出来ない複雑な事情があるという。ましてや未だその姿が窺い知れない敵側が、反攻勢力への対抗手段として、人間を妖魔化させる大規模な奇術なり何らかの仕掛けなりを用いてくる可能性も否めないため、大人数を以てあからさまな攻勢に打って出る行為は、払うべき代償があまりに大きすぎるのだと考えられる。
「ふむ……となれば、妖魔や妖獣との実戦経験がある者たちによる、少数の部隊で動く方が今は得策だということか」
「それに、あのアンリは公にはまず知られていない抜け道も数多く知っているようですから、相手の中枢があると思われる場所まで、それほど時間を掛けることなく一気に踏み込むことが出来るかもしれません」
「相手の中枢……? してそれは一体何処にあると?」
「おそらく……私の故国、ロイゲンベルクです」
その後、アンリからの報告を受けた本国からの支援部隊がこちらに送り込まれ、このデミュールに暫定的な前線基地としての機能を持たせるべく、派遣された国軍の兵士たちがそれ専用の施設を建造するための作業を始めていた。そして私たちは簡易的に設営された天幕の中で、アンリから今後の行動についての説明を受けていた。
「……それで、ミュゼから得られた情報に加え、まだ断片的ではありますが他の町から得られた最新の報告とを統合した結果、今回人間から強制的に妖魔へと変えられたであろう者たちには、とある共通点があることが判りました」
アンリたちの分析によると、元人間と思しき妖魔たちには、本来純粋な妖魔ならば個々に持ち合わせているはずの人格や思考といったものが著しく欠如しており、まるで見えない何かに指示されているかのように、集団での破壊行動に徹している様子が見受けられるという。さらにごく少ない目撃証言によれば、その瞳はいずれも紅く染まり、血に飢えた獣のように襲い掛かってきたという。
またさらにそのことに加え、明るい時刻に異変が起こった場所から得られた情報として、突然黒い霧のようなものが町中を覆ったかと思うと、それを吸い込んだ何人かがその場に蹲ったのも束の間、次々と妖魔に変貌するさまを目の当たりにしたという報告も寄せられたとの話だった。
「黒い霧……まるで私の記憶にある、あの妖魔の姿、そのものだわ……」
「でもそれって、同じような空間の中にいても、妖魔に変化しなかった人が居たってことですよね? その違いは一体何だったのでしょう……?」
「残念ですがその辺りに関してはまだ何も……それと、次の目的地についてですが、この近くで最近発見された
「えっ、ここからあの砂漠の中頃にまで続くような隧道が? そんなものがあっただなんて全く知らなかったわ……」
アンリ曰く、それは先に訪れたクレフ遺跡と同様にこれまで開くことが出来なかった数ある扉のうちの一つが、クリストハルトから得たあの指輪によって新たに開閉可能となり、彼女が率いていた調査隊は、その先で旧時代の遺構であるらしい長大な隧道を発見したという。
さらに其処は何者かによって最近まで使われていた形跡があり、本来はマタール王国の近傍にまで伸びていたと考えられるものの、隧道の途中で通路が大量の瓦礫によって塞がれていて、現在は完全に通行不能になっていたとのことだった。
離れた都市と都市とを地下で連絡する長大な隧道。それは現代の技術では到底建造不可能なもの。しかし私は以前それと似たようなものを、あのレイラが囚われていた極秘施設の最下部で見たことがある。当時はあの隧道が一体何処まで伸びているのか見当すら付かなかったものの、クリストハルトたちはおそらくそれを利用して、各地で拉致した人間などを極秘裏に輸送していたものと思われる。
そして以前、クリストハルトの悪事が露見した際に、彼は逃走と並行して証拠隠滅を図るべくそういった隧道の多くを破壊して寸断したのではないかと考えた。
「でもここからその辺りまでって、相当な距離があるはずですよね? 私たちもアシュ砂漠を越えようとした時は大変でしたけど、隧道の中はどうやって進んでいくのですか? もしかしてそれぞれが馬を駆っていくのでしょうか」
「いえ、それには及びませんよリゼさん。そこはこの、クリストハルトから得た指輪が役に立ちます」
「指輪が……? というと?」
「私たちがこれから向かう遺構の最深部には、かつて何らかの物資を輸送していたと思われる魔導列車があります。そしてそれは今も、機能していました」
「えっ、列車……? 地下にそんな列車が……?」
「はい。それを使えば自動的に目的地まで移動することが可能です」
私たちがイル=ロワーヌ島に滞在している間に、アンリの調査隊はその列車を使って次の目的地であるスプーラの辺りにまで移動出来ることを確認したらしく、そこには停留可能な空間と、地上へと移動可能な機構があるとのことで、さらにその出入口もアンリの指輪が無ければ開かないため、外界から妖魔などに侵入される危険性はまず考えられないだろうとのことだった。
「分かったわ。では早速その列車があるところまで向かいましょう。師匠も……もし差し支えなければ、ご一緒していただいても構わないでしょうか?」
「もとよりそのつもりだ。えっと……メル、だったか? どうかよろしく頼む」
「はい、こちらこそどうかまた、よろしくお願いいたします……師匠」
「ねぇリゼお姉ちゃん、あの女の人ってメルお姉ちゃんの先生だったの?」
「そうだよ、エフェス。メルはあの人から剣を教わっていたんだから」
「へぇ……そうなんだ? じゃあきっとものすごく強いんだね!」
それから私たちはアンリに導かれデミュールから南東にある鬱然とした森の中頃に移動した。其処にはクレフ遺跡で見たような洞窟状の入り口があり、その奥にある扉の先からは同遺跡と酷似した無機質な通路が広がっていて、突き当りにはそこに立っているだけで最下層へと移動出来るという、あの不可思議な仕掛け部屋もまた存在していたものの、どういう絡繰りを用いているのかは未だに判然としなかった。
そして最下層に辿り着いた私たちがしばらく道なりに歩くと、薄明かりに照らし出された隧道の中に、アンリが言っていた列車と思しき車両が佇んでいるさまが浮かび上がり、彼女がその車体に指輪を翳すや否や、その乗車口の扉が独りでに開いた。
「さぁ皆さん、どうぞ中へ」
私たちの全員が客車と見られる構造をした車両に乗り込むと、列車はそれを見計らったかのように音も無く動き出し、またそれと同時に車内全体が魔光灯の輝きによって隅々まではっきりと見渡せるほどに明るくなった。
するとやがて硝子の窓越しに見えていた停留所の薄明かりが次第に後ろへと流れていき、私たちは星の無い夜空のような空間をひたすら進み続けた。まるで先の見通せない未来へと向かっていくかのように。
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