星の無い夜
第107話 青天の霹靂
アンリからの報告を受けた私たちは、明朝仲間と共にデミュールへ偵察に向かうという彼女たちに同行させてもらうことにした。そうしたのは、こちらが妖魔化を含めた未知の影響を被る危険性も当然
なお、私を含めて眠れないリゼたちのことを鑑み、私がシャルを通じて取り寄せた、アシュ砂漠で生育するロフォテ・ペヨルテという
しかしそれでも底知れない恐怖と不安から、各々で眠りにつくことが難しかった私たちは、シャルの提案によって彼女の寝室にある非常に大きな寝台に皆で集まり、その中で寄り添い合いながらお互いを落ち着かせるための言葉を交わし、そのまま一夜を明かすこととなった。
翌朝、女王陛下によって非常事態宣言がなされたオーベルレイユは、昨日までの活気が嘘であったかのようにその街中が閑散とし、全ての学校が休校、そして一部を除いたほぼ全ての店が休業状態となって、極めて物々しい雰囲気に包まれていた。
そんな中で私たちは皆が皆、不安と緊張とが入り混じった複雑な表情を浮かべたまま出発の準備を終え、迎えに来たアンリの部隊と合流し、専用の馬車には五人一組で分かれて乗り込むかたちで、一路デミュールへと向かうことになった。
そこでアンリは、万が一仲間が散り散りになってしまった場合でもお互いの位置が判るように、所有者同士が強く念じさえすればある程度の距離の隔たりを越えて、何と意思でのやり取りが出来るという極めて希少な特殊法具、水晶竜の鱗を私たち全員に配った。
その道具には予めアンリによって施された特殊な魔紋が刻まれてあり、元々ある共鳴作用を活かして、一度に複数の相手と連絡することやその位置を探ることすらも相互間で可能であるとのことだった。
また、アンリから得た最新の情報によれば、フィルモワールから生み出されている空間結界の傘の下にある領域では未だ妖魔との遭遇報告は無かったものの、一足先にデミュールに送り込んでいた調査隊からの連絡は途絶したままだという。
それ故に私たちは現地、もしくはその付近において即戦闘状態になることも踏まえて、いつでもすぐ戦闘態勢へと移行することが出来るように、お互いに声を掛け合いながら放っておけば震え出しそうな心をしっかりと強く持つことに努めた。
とりわけ年端も行かないエフェスに、元は人間かも知れない妖魔を相手にさせることは本当に心が痛むものの、彼女の戦力があるのと無いのとでは、展開出来る戦術と戦力に著しい差が出ることから、どうしても欠かすことは出来なかった。
なおシャルに仕える執事であるエステールも、屋敷にある修練場で初めて知った事実ながら、フィルモワールきっての槍の名手であったため、今回の偵察には支援ではなく戦闘要員として同行することになった。
「……ふぅ、途轍もなく速い馬たちね。もうすぐ着いてしまうみたいだわ」
「メル。現地では何が起こるか分かりません。常に全方位に注意を払っておきましょう。足元から急に妖魔の手が出てこないとも限りませんし」
「こ、怖いこと言わないでよ、リゼお姉ちゃん……」
「大丈夫だよ。もしエフェスの脚を掴むような手が地面から出てきたら、お姉ちゃんが根こそぎ踏み潰してやるから」
「しかし、対する妖魔たちは元々現地の住人である可能性もあるんですよね……そこはその……何とか、ならないものなのでしょうか?」
「レイラさん……でしたよね。今回ばかりはそこまで配慮しながら戦うことは流石に難しいと考えます。これから起こり得ることの責任は全て私たちが負いますから、レイラさんたちはこちらに向かって来る妖魔たちを、決して迷わずに可能な限り全て撃破してください。さもなければ……死にます」
アンリの正しい言葉が胸に深く突き刺さる。しかしこれから私たちに降り注ぎ得る火の粉は、そのくらいの覚悟がなければ決して打ち払えない。無論、相手の総数も現場の状況も判然としない以上、その現状次第では、フィルモワールの国軍が防衛を固めている結界の境界線付近まで即刻撤退することもあり得る。
何はともあれ、現場に到着してこの目を以て実際に確認するまでは次の行動には移れない。
「間もなく目的地に到着します……皆さん、戦闘準備をお願いします」
「了解よ……ではリゼ、レイラ、そしてエフェス。これからきっと戦闘になるだろうけれど、皆命の危険を感じたら迷わずに後退して。いいわね?」
「はい……!」
「解りました……!」
「う、うん!」
それから間もなく私たちを乗せた馬車は、デミュールの町が素の視力でも目視可能な、町から少し手前の地点で停車し、シャルたちも含めた私たちの全員が降りたことを確認したアンリは、仲間たちと共にすぐさまその乗ってきた馬車を保護するための結界術を展開し始めた。
「これで多方向から突然襲われても、すぐにどうこうということは無いはずです。さぁ……皆で警戒しながら町の方へと向かいましょう」
私たちは全方位に注意を払うだけではなく、妖獣などの奇襲にも備えて、前方に私とリゼ、それにアンリが先駆けとして着き、その後方にエフェスとレイラ、さらにその
「ん、メル。何があちらの茂みが動いていませんか?」
「本当だわ……早速、私たちをもてなしてくれるということかしら?」
間もなくさやさやと音をたてながら草根を掻き分け、私たちの前に姿を現したのは一羽の野兎だった。
「なぁんだ、うさぎかぁ……全く驚かせないでよ!」
「良かったじゃないの、エフェス。妖獣じゃな――」
「はっ……危ない!」
次の瞬間、エフェスの傍らに居たレイラが、野兎の後方にある茂みへと矢を射り、その鏃は何かの動物を確かに捉えたようだった。程なくアンリが慎重にその場を確認すると、そこには赤い毛並みをした、極めて発達した異形の牙爪を備えた狼の変異体と思しき獣が、眉間を撃ち抜かれて倒れているとの報告を受けた。
「あ、ありがとう……レイラ」
「いえ……獣特有の鋭い眼光が目に入ってきたものですから……」
「どうやらあのうさぎはその獣から逃げていたようですね……しかし、これで町の周辺に妖獣が居ることがはっきりしました」
「でもこのうさぎ、どうして私たちから離れないのかな?」
「ん、これは……あちらこちらの茂みが一斉に騒がしくなり始めたわ」
今のやり取りで他の妖獣が私たちの存在を嗅ぎつけたのか、方々の草むらから不穏な音が鳴り始め、それが次第に大きくなっていくのが判った。
「これはきっと、その妖獣化した狼の群れだわ……!」
私がそう言うや否や、複数の狼の妖獣が、辺りの茂みから大きく飛び出して私たちに襲い掛かってきた。
「
私が多方向から一度に殺到した狼たちを即座に斬り伏せると、
「
次いで飛び出してきた第二波とも言うべき複数の狼を、リゼが蹴って足場にすると共に、衝撃波を伴う回転蹴りを倒れ込んだ妖獣へと容赦なく浴びせかけていく。
「
アンリがこちら側に引き返すと共に、姿勢を転向させながら
「
最も後方に居たエステールが、その長い戦槍で複数の狼を串刺しにして見せた。
「
さらにエフェスが残存する相手に向けて魔現を放とうとした様子だったものの、本来獲物だったはずのものに思わぬ反撃を受けたかたちになった狼たちは、脇目もふらず茂みの奥へと消えて行ったようだった。
「……ちょっとステラ、私の活躍は?」
「いえ、きっとシャルが出るまでもなかったということかと……」
「ふ、そういうことなら仕方ないわね。それよりあなたって、元々メルたちのように技名を叫ぶ流派だったかしら?」
「それはその……何というか、修練場で彼女たちと手合わせしているうちに自然とうつってしまったというか……」
「ともあれ、皆無事で何よりだわ。これで私たちのことを恐れて、しばらくは襲って来ないでしょう。今のうちに目的の町に素早く向かった方が良さそうね」
それから私たちは、皆でお互いの死角を補うように警戒しながら、デミュールの町へと進行した。町は既に妖魔たちからの襲撃を受けた後なのか、街中の家屋や商店街はいずれも見る影がないほどに醜く破壊されていて、その方々では余炎の中で、悲しげに
「これは酷い……アンリ、これは私の思っていた、以上だわ……」
「ええ……この町も昨日まではきっと、私たちのところと同じで、穏やかな時間が流れていたはずです。それがたったの一日で、こんな……」
「このくまのぬいぐるみも、手足がちぎれちゃって……かわいそうに……」
「しかしこんな
「どうかしましたか、レイラさん?」
「待ってください……今遠くの方から、何か人の声のようなものが……」
「えっ? 皆、一旦静かに……!」
半妖であるレイラは平常時でも私たちより遥かに優れた聴覚を持っていて、しかも最近では魔導の鍛錬によってその能力にも更なる磨きが掛かっている。その彼女が捉えたというのだから、きっと何処かから本当に声がしているに違いなかった。
「……どうレイラ、声がする方角は判ったかしら?」
「えっと……きっとこっちの方からです!」
「分かったわ。では皆で警戒態勢を維持しながら、そちらの方に向かいましょう。レイラも声の内容がはっきりしてきたら、判る範囲で構わないから教えて頂戴」
レイラが指し示す方向に進んだ私たちは、やがて自分たちの耳にも彼女のいう人の声と思しき音が聞こえてくるのが判った。ただしそれはどちらかというと声というよりも、私たちが攻撃に移る瞬間に発するような裂帛の音に近いものだった。
「皆十分に気を付けて、もう近いわ……」
瓦礫と化した家屋の脇を抜けて声のした方を恐る恐る確認すると、そこには妖魔ではなく、私たちが先ほど戦った狼の変異体と思しき複数の妖獣たちに八方を囲まれて震えながら蹲っている女の子と、その前で一振りの剣のみを盾にその子を守らんと立ち塞がっている一人の女性の後ろ姿があった。
「あれは……生存者だわ、早く助けないと!」
私がちょうどそう言い終えた瞬間、二人を方々から取り囲んでいた妖獣たちの群れが一斉に襲い掛かったのが判った。たとえ今からどれだけ速く飛び出したとしても、その狂気に満ちた牙爪がこちらの助けよりも先に彼女たちへと到達してしまうことは、もはや火を見るよりも明らかだった。
「くっ! もう間に合わな――」
絶望的な諦念に呑み込まれかけたその時、私の予想に反して彼女たちを喰らおうとした妖獣たちが瞬時に引き裂かれ、間もなくそれらは動かなくなった。それは自らの身を挺して子供を救おうとしていた女性が描いた、思わず溜息が出てしまうほどに美しい剣筋が齎した賜物だったものの、私はその剣技に確かな見覚えがあった。
「え……? 今の技は、エーデルベルタの……そんな、嘘でしょう……?」
私が目にしたものは、自身の身体を瞬時に高速回転させることで小規模ながら旋風を巻き起こし、全方位の敵に対して幾重にも渡って斬り付ける、紛う方なきエーデルベルタの剣技、
今この私以外にあの技をあれほどの精度で繰り出せる人間は、私の知る限り存在しない。私の他にも放浪先で認めた弟子が居たというのなら話は別であるものの、かつて師匠自身は弟子を取ったのは私で二人目だと語っていて、それはつまり私と私のお兄様の二人以外にはこれまでに一人も弟子を取らなかったということを意味していた。
ただそうなると、目の前に居る人物の説明がますますつかなくなってくる。
ここは自分の目と耳とを以て、その真相を確かめるほかない。
「……あの! そこの人たち! お怪我は、ありませんでしたか?」
「ん……? あぁ、大事ない。この子も無事だったようだ」
「……っ! あ、あなたは……!」
この双眸に映り込んだ女性の姿は、かつてこの私に剣と生き抜くための道とをその身を以て示してくれた、私の剣の師匠にして人生の師匠、ベアトリクス・フォン・エーデルベルタその人のものに違いなかった。
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