第52話 黒いとんがり帽子


 遠くに見える光は止めどなく拡がるのかと思いきや、一定の距離に達したところで今度は突如として収縮に転じ、間もなく何事もなかったかのように、消滅した。

 ただ一つ、周囲の地形に半球状に刳り抜かれた、巨大な窪みだけを残して。


「い、今のは、一体……?」

「え? 貰いものの法具だよ。空間にちょっとした穴を開けて、そこに邪魔なものを全部吸い込ませてお掃除するんだって。吸い込まれたものが何処に行っちゃうのかはボクも知らない。だって興味、ないもん」


 明るい調子でそう告げた声の方に視線を移すと、広いつばを持ち、その尖った左右の先端が大きく折れ曲がっているさまが特徴的な黒い帽子に、同色の外套マントを纏った出で立ちで静かに佇む、誰かの姿があった。


「ん……んん?」


 極めて端麗な目鼻立ちをしていながらも、まだ幼さを残している顔貌からして、私やリゼよりも一回り年下であるように感じられる。

 片や帽子から覗く左右に結わかれた流麗な髪は、受ける陽の度合いで青の深みを変容させる氷河のような色調を見せていて、それが翡翠かわせみの羽色を思わせる、少し垂れ気味の大きな明眸にとてもよく映えているように思えた。


 しかし少し引っかかるのは、自分のことを指してボクと称していた点。

 この外観に加え、外套の下に少し丈の短い白いスカートが顔を覗かせているところからして、何処からどう見ても少女であるようにしか考えられない。


「な、何……? ボクのことをそんなにじろじろと見つめて……」

「あっ、いえ、ごめんなさい。けどあなた『僕』って……女の子、でしょう?」

「えっ? 女の子はボクって言っちゃダメなの?」

「いえ……駄目、ではないわね。今のはどうか気にしないで。それより――」


 この子とは出会ってまだほんの数分しか経っていないけれど、訊きたいことは山のようにある。また一方のリゼとレイラは揃って放心した様子で砂漠の彼方を見つめたまま微動だにせず、まだこの現状を呑み込めていないことが手に取るように判った。

 

 ――私は私で、現状を捉えきれず、かえって冷静になってしまっているような?

 ともあれ目の前のこの小さな恩人に、礼を忘れることがあってはならないわね。

 一体誰が何をどうしただとか、そんなことは後回しで構わない。


「えっと……私たちのことを助けてくれたのはあなたよね? 他に良い言葉が見つからなくて申し訳ないのだけれど、本当にありがとう。私の名前は……メルセデス。あなたのお名前は、何と言うのかしら?」

「ボク? ボクはボクだよ」

「いえ、そうではなくて……えっと、他の人からは何と呼ばれているの?」

「ああ、えっとね……周りに居た人たちは、エセルって呼んでたよ」

「エセル……? う……何だか急に気分が……」


 リベラディウスに集約していた膨大な魔素は、その放出を目前に控えながら、結果的に彼女――エセルが現れたことで逃げ場を失い、間もなくこの全身へと一気に逆流した。そしてその反動を受けてか、一時的にこの身体が、酷い悪心を齎す魔素酔いの状態に陥っているようだった。


「あれ、お姉さん大丈夫? ほら、これあげる」

「う、これは……飴玉、かしら?」

「それ食べるとね、何だか気分がすっきりするよ!」

「ありがとう。確かに、気分は紛れるかもしれないわね……ん」


 物は試しで、エセルに勧められるがまま、彼女から手渡された空色の飴玉を口に入れたところ、それまで味わったことのない爽やかで仄甘い味わいが口内に広がり、そこから少し遅れて炭酸水にも似た、泡が弾ける感触を徐々に伝え始めた。


「あら……おいしいわね、これ」

「でしょ? 気持ちがもやもやした時とかよくそれ舐めてるの」

「そうだったのね。ところでエセルはどうしてあんなところに――」

「あぁ、そうそう! ボクね、エフェスを探していたの!」

「わっ、ちょっと待って……んぐっ」


 急にこちらにぐいと身を乗り出してそう訊ねてきたエセルに、思わず気圧されて飴玉を呑み込んでしまった。そのあどけない表情は、こんな子が本当にあの巨大な化物を退けたのか、という疑問符を私の頭の中に次々と運んで一杯に満たしていく。


「こほん、そのエフェス……っていうのは、あなたの姉妹か誰か、なのかしら?」

「他の人から見たらきっと、そんな感じかな。見た目は私とほんとそっくりで、目と髪の色だけが違うんだけど、お姉さん今までにどこかで見なかった?」

「……いいえ、少なくともこれまでに見た、という記憶はないわね」

「そっかぁ、ありがと。ボク、法具を使ってエフェスを探しててさ、この辺りにものすごく強い魔素の反応が突然現れたから、もしやと思って飛んできたんだけど……空ぶりだったみたいなの」

「飛んで、来た……? もしやそれって、転移法テレポート?」

「そうそう。あのね――」


 ――転移法は、魔現のさらに上位区分とされる、神理アルケーの領域に在る文字通りの奇跡。それをこの子がやってのけたとでも? いえ、けれど実際にあの化物の前からここまで私たちを運んできた事実もあるのだから、その言葉を疑う余地は何処にも無いわね。才能があるのであれば、年齢や経験なんて関係ないもの。


 エセルが言うには、予め配した移送用の魔導陣を主陣として、『世界の位置』を記すという特殊な法具の力を借りながら、移動先として選んだ地点に副陣となる別の魔導陣を描き出すことで、その両者を隔てている空間を一時的に連結させることが出来るのだという。加えて、主陣や副陣からの距離が近ければ、一種の魔現として描いた疑似的な陣を利用して、相互に転移することも可能になるとのことだった。


 先ほど私たちの居たところに突然現れて、また瞬時にこちらに移動してきたのも、どうやらそういうからくりがあった様子ながら、私からすればその世界の位置を記すという法具の原理も含め、もはや彼女が述べた内容の大半が今ある知識の範疇を軽く飛び越えていて、とても理解が追い付いていかない。


「その、あなたはひょっとすると……何処かの宮廷に仕えている神官か何か……なのかしら?」

「きゅうてい? さっきも言ったけどボクはボクだよ。じゃ、エフェスも居ないみたいだしそろそろ帰ろっかな。あ、お姉さんたち、もしあれだったらボクの居た町まで一緒に飛んでく?」

「えっ?」


 エセルはそう言って、歪な形をした木の杖を何処からか取り出すや否や、その杖先を使って、砂の上に何やら奇妙な文様を描き出し始めた。弾んだ調子の声で鼻歌を唄い、幼さが残るその顔を太陽のように明るく綻ばせながら。

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