自由の都 オーベルレイユ

第74話 新たなる日々の始まり


「なるほど……どうやら、この国でお店を開くためには、正式な国民として認められる必要があるみたいね」


 街なかにあった案内板を参考にして宿を取った後、私たちは最寄りの大衆食堂で朝食を取った。其処では時間を問わず、幅広い年齢層の人間が出入りしているようで、話をしたお店の主人は私たちに嫌な顔一つせず、色々と教えてくれた。


 まず、他国から流れてきた人間がこの地に亡命するためには、役場で亡命申請を行い、その亡命理由の正当性が認められれば、正式に亡命者として法的な保護を受けると共に、労働や居住の権利を手にすることが出来る仕組みになっている。

 しかしその時点ではまだ『準国民』という扱いで、同国内で店舗を出店するにはいわゆる市民権を持つ『正国民』として国から認められる必要があるという。


 そして、その正国民の認定を受けるための条件としては、準国民かそれと同等の身分にある者が、同国内において一年以上の社会奉仕活動、あるいは一般的な労働を行い、その間一切の犯罪行為を行わなかった場合においてのみ、そのための審査が受けられるようだった。


 しかし物事にはやはり例外があるようで、同国に対する多大なる貢献の顕示、あるいは王侯貴族からの推薦状があれば、その限りではないとの話だった。


「ここに来て、一番の近道がまた貴族ですか……やはりメルとはつくづく縁があるようですね」

「まぁ……ね。といっても、この辺りに王侯貴族の知り合いなんて居るわけがないし、こつこつ積み重ねていくのも、悪くないかもしれないわね」

「あっ私、治癒術や弓以外にも裁縫は得意ですよ。ひょっとしたらそれを何処かで活かせるかもしれません」

「そういえばこれまでにも、私やメルの洋服の解れたり破けた部分をよく繕ってもらっていましたよね。私もそれなりに得意ですがレイラのそれはもっと上手でしたし。となると私は……お料理には多少の自信がありますから、こういうお店でお世話になる道もあるかな、と」

「……まずいわね、私は護衛や妖獣討伐、あるいは錬金術の関係であれば役に立てるかもしれないけれど、そういったものが正国民でなくても受けることが出来る仕事なのかどうかが判らないわ。また後で訊いてみないとね」


 手持ちの資金と換金用の貴金属とでまだ当面はしのげるものの、やはり生きていくにあたって先立つものは必要になってくる。とはいえ、この短い間に生死の瀬戸際を何度も通り抜けて来たのだから、その辛苦に比べれば正国民への道のりというのも、それほど険しいものでは無いように感じられる。


「私は……何にも、できない……今までだって妖獣を殺すことぐらい、しか……」

「エフェス……あの、メル。私がこの子の保護者になることって出来るのでしょうか? 私がエフェスの保護者になって、いつか正国民としての認定を得れば、確かこの子も同じようにその資格を得られるのですよね」

「リゼ……? 確かに就労年齢に達していないエフェスが正国民の資格を得るには、保護者が必要になってくるから、誰かがとは思っていたけれど――」

「なら、私がなります。エフェスもそれで良いよね?」

「えっと、ほごしゃって何……?」

「……エフェスの傍にいて、守る人のことだよ。ついこの間みたいにね」


 ――エフェスには、両親が居たという想い出が何一つないのよね。

 その物心が付いた時にはもう、彼女が言うところの『白い大人』に言われるがままに暮らし、他の姉妹らしき子たちと共に妖魔を排除していたのだから。親や保護者という存在が何なのか知らないのも無理はないのだわ。


「私のこと、リゼお姉ちゃんが守ってくれるんだ……?」

「ふふ……うん、そうだよ。だから別に何も心配しなくて大丈夫だからね、エフェス。あなたにはあなたにしか出来ないことが、きっといつか見つかるはずだから。ゆっくり行こうよ、ね?」


 やはり以前にもあの礼拝堂で感じた通り、リゼは亡き妹フローラの姿をエフェスのそれと重ねているようで。

 私にとってはおぼろげな記憶の中にしか見ることが出来ないものの、リゼにとっては、エフェスの面差しを見て何か強く想うところがあるように感じられる。


「……よし。正国民として認められるための手段はまた後で考えるとして、とりあえずは亡命者として認定して貰わなくては何も始まらないから、申請に至らしめた事由について、提出書類にはしっかりと明記をしておかなくてはね。私たちに戻る場所なんてもう世界の何処にもないのだから」


 事実認定を得るのは難しいかも知れない反面、故国からの追手に襲われた結果としてあの谷に架けられた橋が崩落したのは紛れもない事実で、フィルモワールの諜報員に違いなかったエヴァにもそのことを知らせてある。そして私にはそんな彼女が、その認定に際してもきっと何らかの色を付けてくれるような、そんな気がした。


「まぁ、他力本願もいいところだけれどね……」

「ん、何ですかメル? たりき……?」

「いえ、大したことではないわ。さ、食事を済ませたら、早速役場にその申請書を出してくるわね。他の皆はまだ疲れも残っているだろうから、どうか先に宿屋に戻って休んでいて頂戴」

「あっ、それなら私もご一緒しますよ、メル」


 その後、レイラとエフェスが宿に、私とリゼが役場にといったかたちで、一時的に別行動を取ることになった。レイラたちも一緒に行くと申し出てくれたものの、役場に皆が総出で赴く必要はない上に、きっとまだ二人共ここまでの疲れが残っているだろうと考えて、彼女たちには宿で待機してもらうことにした。


「それにしても……こうして、二人きりというのは何だか随分と久しぶりな気がしますね、メル」

「そうね。独りで家を出た時には、まさかこうして四人で行動することになるとは夢にも思わなかったもの。けれど、あの時あなたが私を追ってまで付いてきてくれて、本当に良かったと、私は心からそう感じているわ……リゼ」

「ふふ、私がメルに付いていくのは当然のことですよ。だって私にとってメルの存在は……自分が生きていることの一部なのですから」

「……ありがとう、リゼ。あの時、そんなあなたを置いて独りで旅立とうとしていた当時の私は……実に愚かな人間だったわ」

「それはもう、良いじゃないですか。今もこうして一緒に居られるのですから……私は何も文句はありませんよ」


 ――私にはここまで私のことを想い慕ってくれる、家族のような……いえ、家族以上の絆を持った人がこうして傍に居る。これからは、これまで以上に、そんなあなたと一緒に居られるこの平穏な時間を大事にしたいわね……。


「それにしても、このフィルモワールって……本当に、自由なんですね……」

「ん……? まぁ……」


 ふとリゼが示した視線の先を追うと、街中であるにもかかわらず二人の女性が息が触れ合うほどまでに近寄って、お互いの瞳を見つめ合っている光景が目に留まった。個の意思を何よりたっとぶこの国では、同性愛に関しても極めて普通のこととして見做されていて、きっと他国ならば免れ得ないであろう偏見の眼差しを向けられたり、迫害されたりといった差別を受けることは皆無であると聞いていた。


「わ、私たちも、こう二人して並んで歩いていたら、見えるんでしょうか……その、恋人、みたいに」

「えっ……?」

「い、いえ……何でもありません、変なことを言ってしまってすみま――」

「ふふ、そうね。確かにそう、見えているかも知れないわ」

「……えっ? あっ……やっぱり……そう、なんでしょうか」

「リゼは嫌? 周りにそういう風に見えたりしたら――」

「あ、いえあの、そのえっとぜ、ぜぜんそんな、ことはっ……!」


 リゼの顔は見る見るうちに耳の先までもが林檎の如く赤く染まり、まさに夏を迎えようとしているこの時節に、湯気が立ち昇りそうなほどの熱を全身から放っているように感じられた。


「ふふ、どうしたのリゼ。そんなに慌てて」

「あ、慌ててなんかいません! ただ、私とメルとがはたからそんな風に見えているとしても、私は嫌なことなんて絶対に無いっていうか……その、つまり――」

「なら、こうしてみましょうか。昔、みたいに……ね」

「あっ……」


 繋いだ手から伝わってきた温度は、火に触れているかのように熱く、しかし確かに柔らかな温もりのようなものを含んでいるように感じられた。役場までの道中は面白いものなんて何一つ無かったのに、私はリゼと一緒に歩きながら、自然と自分の顔がほころんでくるのが分かった。傍らに並んで揺れる、もう一つの顔と同じように。

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