第72話 生きている喜びの味


 エヴァが私宛に残していったという手紙の中身は、手紙というよりも報告書と呼んだ方が相応しいような書き方に終始していて、私は思わず笑ってしまった。


 その手紙に書かれてあった内容の前半部分を要約すると、フィルモワールに加え、その同国と友好的な関係下にある周辺諸国の治安を維持し、異国からの諜報活動を事前に察知、あるいは進行中のものに対する妨害工作を行うことが自分たちの本来の任務であり、その他の諸事に干渉することは原則的に行わないものの、フィルモワールに亡命を求めている私たちはその国民に準じる存在と見做し、その身の安全を図るのは当然のことで、一個人としての他意は無いとのことだった。


「あくまで組織として動いたっていうていなのね……ふふ。本当、あのエヴァも素直ではないわね。けれど、あの時と同じで今回も本当に助かったわ」


 なお手紙の後半では、エセルを捕えた結界術は、本来規格外の妖獣を封じ込めるために作られた極めて高価な特殊法具によって展開したもので、これから捕縛した彼女に対する入念な取り調べをエヴァの組織が有する専用の施設において行うべく、エセルの身柄はフィルモワールへ移送され、厳重な警備体制のもとで拘留されるために安全上の懸念は無いということに加え、私たちが皆でフィルモワールへ滞りなく入国が出来るように、旅券を持たないレイラたちでも審査が不要になるという特別な入国許可証が同封されていることが記されていた。


「これは……まさに至れり尽くせり、といったところかしら。あちらで彼女と顔を合わせたら、また改めて挨拶とお礼とをしないといけないわね」


 そして私は、それらの説明も兼ねて、リゼたちと一緒に昼食を取るために、宿の近くで食事を提供しているという料理店を訪れることにした。



 ***



 お店では私たち二人の回復祝いも兼ねて少々奮発し、四季を表したという高級なコース料理を四人分頼んだ。このヴェルデルッツォでは、その地理的な利点から山と海の幸の両方が極めて新鮮な状態のまま手に入るということで、実際に食す前から、こちらに強い期待感を抱かせるようだった。特にリゼは未知の料理に興味津々なようで、注文前から料理の内容について店員に色々と細かく訊ねていた。


「あっ……早速運ばれてきましたよ。これから楽しみですね、メル!」

「ふふ、そうね。皆で生きている喜びを、心行くまで噛み締めましょうか」


 まず最初に運ばれてきた前菜には、フィルモワールを象徴する硬質なパンを細長く切ったものを、オリーブオイルとにんにくとで香り付けした上でトーストし、其処で虹色のビーツとクリームチーズが、牛肉のローストやサーモンらと共に踊る『クロスティーニ』と呼ばれるものや、赫灼としたトマトにモッツァレラというもちもちした白いチーズを合わせ、さらにバジリコという現地で採れたハーブが緑の彩りを添える『カプレーゼ』なる見目美しい料理などが出された。


 次いで、トマトソースを基調として海の幸である貝類やエビに加え山の幸であるきのこがふんだんにあしらわれた豪勢なパスタや、アルビニエでも頂いたリゼお気に入りのピッツァ料理、そして現地の特産品であるという芳醇な風味を持つヴェルチーニ茸にベーコンとチーズを合わせ、さらに上からパセリがまぶされた『リゾット』なるかゆ状の料理も現れ、皆がそれぞれの味わいに舌鼓を打っていた。


 それから満を持して現れた主菜には、予め肉料理と魚料理を各々で選ぶ方式になっていて、私とリゼが香草やオリーブなどで風味づけて網焼きした仔牛の肩肉にレモンソースをかけた料理、そしてレイラとエフェスが、ヴェルメリア海で獲れた白身魚を塩コショウなどで味付け、少量の油で炒め焼いた上にバルサミコと呼ばれる爽やかな芳香を放つソースをかけた料理を、色とりどりの野菜の付け合わせと共に頂いた。


 そうして最後に、一連の料理を締め括るものとして『ティラミス』という甘味が振る舞われ、もう既に一杯だったお腹が、それを受け容れるためにすぐさま空きを作ったのが私にも分かった。

 それは、雲のようにふわふわとしたスポンジ生地と濃厚なチーズの風味を湛えたクリームが交互に層を成し、その最上面には珈琲のような芳醇な香味をもつ粉のようなものが雪の絨毯のごとく綺麗に敷き詰められていた。

 一度それを口にすると、ほろ苦さと甘さ、そして何とも味わい深いコクが口内で絶妙な調和を奏で、病みつきになるようで。本当に甘いものは別腹だと言える。


「いやぁ……また結構食べちゃいましたね。それにしてもメル、まだ身体が本調子ではないはずなのに、こんなに食べてしまって大丈夫だったのですか?」

「うっふふふ。いえ、私も胃が驚くのではと思ったのだけれど、何だか今日は食べたいっていう気持ちが物凄く強かったのよね……より強く生きている、って心から感じたかったのかもしれないわ」

「私までまたこんな豪華な食事を頂いてしまって、本当に申し訳ないです。ですが、本当にとっても美味しかったです。やはり皆で食べると、ただの空気までもが調味料になっているような気がしますね」

「ふふ、レイラったら面白い表現をするのね。けど、言わんとしていることはよく解るわ。こうして皆で食べると特にそう感じるものね。それと……ねぇ、エフェス。あなたも今日のお食事は楽めたかしら?」

「……うん。どれもこれも食べたことない味ばっかりで、どう表現したらいいのか分からなかったけれど、きっとこれが、おいしいってことなのかなって、思って」

「そう。ふふ、それなら何よりだわ」


 エフェスの表情は食事の前と比べ目に見えて随分と明るくなったものの、まだどこか少し暗い影を残しているようにも感じられる。きっとまだ私たちが命を落としかけたことに対して、自責の念を抱いている様子だった。私たちがいかなる言葉を以て彼女のそんな気持ちを慰めようとしても、その心が真に安らぐにはやはりまだまだ時間が必要なのかもしれない。


 そして店を後にした後、私たちは宿に戻って、ヴェルデルッツォの町からいつ出発するかについて話し合った。リゼとレイラは、私の体調を気遣って翌日の出発を強く勧めてきたものの、今から馬車を出せば夜明けにはフィルモワールにつけるとの話を町の人から聞いていた私は、このまま出発することを心に決めた。


「ここまでくればきっと邪魔も入りませんから、もう少しだけゆっくりとされた方が……」

「ありがとう、リゼ。けど私なら大丈夫。あともうひと踏ん張りすれば、フィルモワールなんだもの。皆でゆっくりするのは其処に辿り着いてからにしましょう。レイラもエフェスも、それで構わないかしら?」

「分かりました……メルがそう言うのであれば、私はもう何も言いません。このままフィルモワールへと向かいましょう」

「私も……うん。大丈夫だよ」


 こうして私たちは、旅の最終目的地に向けて移動を開始することになった。

 これまでの道中で何度も命を落としかけながら、その灯火を絶やさずにこられたのはまさに奇跡としか言いようがない。


 当初は一人きりの心算だった旅路はすぐさま二人となり、星の巡り合わせからそれが三人に、そしてここに至って何と四人にまで増えた。それはほんの小さな数でありながら、その数の分だけ幸せや喜びや悲しみを共に分かち合うことが出来る、私にとっては特別な意味を持つ、掛け替えのない数字。


 目指すべき場所はもうすぐ手の届くところにあり、其処に足を踏み入れた瞬間からきっとまた新しい何かが始まるはず。けれどそれがいかなるものであっても、皆と一緒であれば怖くないし、きっと良い方向へと導いていける気がする。


 ――だから私はもう、決して振り返らない。

 そしてこの今から其処へと向かって歩き出すの。

 芸術と自由を湛えた花の都、フィルモワールへと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る