第125話 勝利を掴むために


「……っ、メル! 落胤の姿が!」

「後ろをお願い!」


 落胤は消える直前に、黒い靄のようなものにその全身が包まれることから、転移する瞬間こそは目で見て判断が出来るものの、それが何処に現れるかはまるで見当が付かなかった。何故なら落胤は炎を纏っていた時とは打って変わって、入念に探らなければ感知出来ないほどの微弱な妖力しか放っておらず、ただ攻撃の一瞬のみにその妖力を爆発的に上昇させるという戦法をとるようになっていたからだった。


「上だわ!」

「はい!」

「待って! また消えたわ!」

「メルの左です!」

「くうっ!」


 相手は転移によって瞬時に彼我の距離を詰め、私たちがそれを辛うじて察知すると、それに即応して再び転移を行い、時を移さずしてこちらの死角を突いた位置へと移動するという非常に危険な行動をとってきた。


 それは相手の攻撃を正面から受けるとほぼ同時に、次の攻撃が気配もなくいずれかの方向から急に飛んでくるといった実に恐ろしいもので、長く続けば何処かでその対処に遅れが生じ、たちまちのうちに危機を迎えることは明らかだった。


(これは……どうにかして、一刻も早く相手の転移先を読めるようにしなくては。リゼ、何か良い案は無いかしら⁉)

(何か……常に相手の位置を掴めるようなものがあれば……)

(そうだわ! 私、さっき懐を探った時に気が付いたのだけれど、店の鍵をうっかり持ってきてしまっていてね。それにあなたが前にくれた可愛らしい鈴が付けてあるのだけれど……その鈴をあいつに付けるというのはどうかしら?)

(……鈴、ですか。確かにその音を目印にすれば転移先も掴めそうですが、あの落胤にどうやってそれを付けるかという問題が……いっ!)


 その瞬間、私とリゼとの間に空いていた僅かな隙間を縫って転移してきた落胤が、その身を回転させながら赤黒い炎刃を振るい、それは私の身を掠めたに留まったものの、リゼの方はその腕を割と深く斬り付けられたようだった。


「リ、リゼ!」

「ぐっ……! だ、大丈夫です……ごめんなさい。少し油断をしてしまいました」


 リゼが受傷した部位は左の上腕部で、彼女は右手をそこに宛がっていたものの、その指間や手の周囲が鮮やかな赤の色にみるみる染まっていき、相当量の出血があることが見て取れた。水箪に入っていた霊水は私が飲んだばかりで、その残りは僅かであるものの、彼女の怪我を少し癒すことぐらいなら出来るかもしれない。それに私が調合した出血を早く抑えるための粉末も用意してある。


(リゼ、水箪を……!)

(待って、くださいメル……私に、考えがあります)

(考え……? それは一体……)


 落胤は負傷したリゼに追撃を加えようと、彼女の周囲に転移を繰り返したものの、リゼは努めて冷静に彼からの攻撃に対処し、時折大きく身体を捻りながら、容赦なく浴びせかけられる攻撃を巧みに回避して見せた。


(メル……私の魔素を探ってみてください)

(えっ、あなたの魔素を? とにかく分かったわ!)


 私には今一つリゼがそうするように指示した意図が読み取れなかったものの、ひとまず彼女の言う通りにその魔素を探ってみることにした。すると驚くべきことに私は彼女自身から発せられる反応に加えて、別の場所から微弱ではあるものの、それと似たような気配を感じ取ることが出来た。


(これは、リゼとそれとよく似た反応がもう一つ? 一体どういう……)

(回避しながら、この私の魔素が最も濃く含まれている血を……向かって来る落胤に偶然を装って出来るだけ掛かるようにしました……)

(血を相手に……? もしかして!)


 体内にある魔素は、その人間の血液に最も多く含まれる。通常それは外気に触れると間もなく飛散してしまうものの、そうなる前に異質の魔素を持つ他者と接触すると、特有の反応を示しながらしばらくそこに残り続けるという性質がある。


 どうやらリゼは自身の血を見た時に、それが妖魔相手でも同様の事象が起こるのではないかと考え、実際に試した様子だった。果たしてそれは彼女の思惑通りに作用し、そしてこれによって私たちは転移した落胤の位置を瞬時に感知することが出来るようになったと言える。


(ありがとう、リゼ。これなら相手が転移してきてもすぐに反応が出来るようになるわ。今そちらに行くから、もう一度水箪を受け取って頂戴。この量でもきっと、今よりはましになるはずよ。それから、怪我をしている腕をこちらに向けてくれれば、その時に止血用の粉末を掛けてあげられるから、そちらもお願いね)


 リゼの用いた作戦は確かに有効であった反面、これ以上の出血は彼女の身体にも深刻な影響を齎すために、それに対しても速やかに対処を行う必要があった。

 案の定、落胤はその間にも次なる攻撃を仕掛けようと転移してきたものの、リゼのおかげでその移動先をすぐに掴むことが出来た私は、相手の攻撃を受け流すと共に反撃を試みた。


柳舞反襲撃ヴァイデ・シュトライヒ!」

「何……!」


 落胤は私から反撃を受けるなどとは想像だにしていなかったようで、さらにそのあまりのことに動揺したのか、これまで刃が重なった次の瞬間にはもう別の場所に転移していたにも関わらず、反撃を受けてもなおその身体はそこに在り続けていたため、私は間髪を入れず攻撃を加えた。


四刔断截襲フィアツァック・アングライフェン!」


 吃驚した影響からか未だ態勢が整わない様子の落胤に対して、一度の踏み込みで四方向――左斬り上げからの逆袈裟、そして右薙ぎから唐竹へと続く一連の斬撃をほぼ同時と言えるほどの間隔で行い、相手は完全な防御が間に合わなかったらしく、確かな損害を与えられたようだった。以前エセルが言っていたように、どうやら平静を保てなくなると、転移を行使することが難しくなるようだった。


 そうして攻撃を避け切れず、斬撃の幾つかをまともに受けた落胤は、即座に左の掌を勢いよく前に突き出すと共に、私に向けて黒い突風の如き猛烈な衝撃波を浴びせ掛けてきたものの、相手からの反撃を予測して一旦距離を取ろうと動き出していたことが功を奏して、その直撃からは免れた。


「ん……! また来る!」

「お任せを……!」


 転移した落胤の位置を早々に感知したリゼは、敢えて相手が居る方へと一気に駆けて、自身に向けられた攻撃を華麗な跳躍で回避すると共に、宙空でその身体を素早く捻りながらその脚に魔素を集約させた様子で、まるで巨大な斧を振り下ろすかのように、凄まじい勢力を以て強大な魔素を湛えた右脚全体を、その眼下に居る落胤に向けて一気に叩きつけた。


鴻牙濤刃脚こうがとうじんきゃく!」


 その技は少し前、砂浜での修練中にも一度見たことがあり、当時襲来した台風の影響から大波が浜へと押し寄せてきたことがあったものの、彼女が同技でそれを見事に真っ二つにしたことがあったほど、実に途轍もない威力を誇る蹴撃だった。

 そして回避が間に合わなかった様子の落胤は、何とかその重い一撃を受け留めたものの、攻撃の余波を受けて先ほどの私同様にその両足が床面へと沈み込み、一時的に身動きが取れない状態になったように見えた。

 リゼはもちろんその隙を見逃すことなく、今度はその両腕に魔素を集約させたようで、間髪を入れず再び落胤へと急接近していった。


「なっ……貴様!」

「逃がさない! 吼竜千烈叭こうりゅうせんれっぱ!」


 それからリゼは突進しつつ、捻った両拳から怒涛の勢いで苛烈な衝撃波を連射し続けた。対する落胤は平静を失った影響からか転移もままならず、先の攻撃で崩された体勢を立て直す余裕も無かったであろうことから、防御すらも間に合わなかった様子で、リゼはそんなことなどおかまいなしといった面持ちを見せながら猛進し続けた、後方へと弾かれていく相手の身体との距離をさらに詰めると、その右の拳に一層強大な魔素を込めたのが感じ取れた。


崩竜絶焦撃ほうりゅうぜっしょうげき!」

「ぐふぉあっ!」


 リゼの放った一撃は落胤の身体を確実に捉え、人の身では余り過ぎるほどの衝撃を一身に受けた彼は、瞬く間に後方へと大きく吹き飛ばされ、奥の壁面に大きな亀裂が入るほど強く叩きつけられると共に、その内側へと深くめり込んでいった。


「はぁ……はぁ……メル」

「やったわね、リゼ! あなたの今の攻撃、間違いなく効いたはずよ」

「は、はい……そうだと……はぁ……いいん、ですが……」


 一連の猛攻によって短い間に多量の魔素を消耗したのか、リゼは全力疾走した直後のように肩を大きく上下させながら、激しい呼吸を繰り返していた。なお落胤はリゼの攻撃によって壁面の残骸に埋もれたままで、まだ動きがないようだった。


「リゼ、仙薬はまだ残っている?」

「はい。これで、最後ですが……」

「そう。きっとこれで終わるような相手ではないから、精神体の消滅をこの目で確認するまでは一瞬たりとも油断できないわ」


 ここまで闘ってみたところ、落胤は連続転移や妖気を剣状に物質化させて見せるなど、非常に卓越した能力を持ってはいるものの、やはり実戦経験には乏しく、また攻撃を受けることにも慣れていないように感じられた。


 さらに憑代である器の強度が本来の力を著しく制限する足枷となっていることから、炎獣の如き形態に変貌していた時もきっと無理をしていたに違いない。そして私がそんな彼が次に出るであろう行動を推測しようとしたその時、私の身体に突如として大きな揺れが伝播してきた。


「ん? これは、地面が揺れて……壁の残骸が動いている?」

「けどこの揺れって、地面が揺れているというよりは、空間そのものが大きく震えているような感じが……」


 リゼの言葉はどうやら本当のようで、実際に軽く宙転してみると、滞空中は地に足が付いていないにも関わらず、身体はその間も確かな振動を感じたのが判った。


「見て下さいメル! 壁の残骸が宙に浮き始めました!」

「あれは……一体どういう、こと? あの残骸の多くは、いずれもかなりの重さがあるはずよ。それが独りでに宙に浮くだなんて、普通じゃないわ」


 すると間もなく落胤が激突したことで大きく破壊されていた壁の中から、恰も影をそのまま切り取ったかのように黒々とした彼の姿が現れ、その右手には再び赤黒い炎を纏った剣のようなものが握られていた。


「ぺっ……どうにも儘ならぬものよ。お前たちのような小娘に後れを取ることになろうとは。やはり小賢しい攻撃は性に合わんようだ」

「まさかこの振動、落胤から発せられる妖気の影響だとでも?」

「しかし未だ妖気らしきものを何も感じないのは、私たちの感知する力が、ある種の閾値しきいちを大きく越えて逆に麻痺しているということなのでしょうか……?」

「どうでしょうね……何はともあれ、相手の気配が一変したのは確かだわ。間違いなく、これからまた何かを仕掛けてくるはずよ」

「……そこで、お前たちを一度に始末するには、やはり圧倒的な力で滅するのが最良だと判断した。よってこれから私は、この憑代が耐え得るか否かを考慮せず、今出せる最大限の力を以て、お前たちを塵すらも残さずこの世から抹消してやろう」

「な……何ですって?」

「何、無駄な抵抗をしなければ一瞬だ。苦痛を感じるよりも先にその肉体は跡形もなく滅びるだろう。苦しんで死ぬか、楽に死ぬか、好きな方を選ぶがいい」

「はっ……では私たちはあなたを返り討ちにして生き残るという選択肢を選ぶわ」

「そうか、それは楽しみだな……はァアアアッ……!」


 その瞬間、私は全身の毛が逆立つような感覚を覚えたと共に、落胤の方からまるで大木がこの身を強く打ち付けたかと錯覚するほどに重い圧を持った突風が急に吹き付け、それを受けた私とリゼは揃って後方へと弾き飛ばされそうになったところを、それぞれ剣と拳とを床面に深く刺し込んだことで何とか堪えてみせた。


「ぐっ……ううっ! 言うだけのことは……ある、ようね……!」

「あ、相手も、もはや形振り構わずといったところで、しょうか……くっ!」

「そういうことなら、こちらも全身全霊を尽くして、向かい来るもの全てを徹底的に打ち破るまでよ……! だからお願いリゼ、もう一度私に……あなたの力を、どうか貸して頂戴!」

「ふふ……言われるまでもありませんよ、メル。私の力も身体も、そしてこの心も全て……あなたのために捧げますから!」

「ありがとう……リゼ。あなたと私と、そして皆が無事に帰るために、今ここで落胤の全てを滅ぼしてみせるわ……!」


 私は持ちうる限りの魔素とリゼから託された力に加え、自分自身が持つ想いの総てを一身に纏い、自らを信じ抜き、そして見えない道を切り拓くために必要な、願いの光を紡ぎながら、手にしていたリベラディウスを一際高く頭上へと掲げた。


光竜天衝陣ドラッヒェン・シュトラール!」

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