第126話 願いが描きし光の階
「この温かな光は、前にエセルと戦った時の……?」
「そうよ、リゼ。この輝きには私のものだけではなく、あなたがくれた力も溶け込んでいるわ。これは謂わばあなたと私が持っている想いの姿、そのものなの」
私が形成した
「何て優しい光……周囲はこの妖気の影響からか、急に光を奪われたように真っ暗になってしまったというのに、ここだけはこんなにも明るくて、静かで……」
「けど、落胤がこれから放とうとしている一撃は、きっとこの光を以てしても耐え抜くことは難しいでしょう。だから私はただ指を咥えて待っているのではなく、この輝きを全て自分の力に変えて、私たちから全てを奪い去ろうとしているものに、真っ向から立ち向かうつもりよ」
「ということは、またあの光の柱のようなものを……?」
「あの時は、とにかく範囲を広げて少しでも当てようとした結果、そうなったけれど、今はあの時とは状況が違うわ。倒すべき相手はすぐそこに、それもその莫大な妖気流の発生源となっているのだから、かえってその精確な位置が掴める」
陣の外側にあった光は悉く落胤に喰われ、もはやその姿は目視出来ないものの、相手の居る位置自体は、妖気流の流れを辿ることでしっかりと把握することが出来ている。あとは力を放出する範囲を可能な限り絞って、極限にまで収束させれば、狙うべき一点に向けてこれまでに無いほどの強力な一撃を見舞うことが可能となる。
対する落胤も、今から私がしようとしていることとほぼ同じ攻撃を繰り出してくることが予測されるが故に、そこから先は間違いなく純粋な力と力の衝突となる。それはつまり、自らを理想の未来へと導く願いの大きさが勝った方が後に残り、そのまま勝者となることだった。
そこで今の私たちに必要なものは、確固たる信念とお互いを深く想い合う絆の力、そして何より皆で無事に帰るため、必ず勝利を掴み取るという意志の強さに他ならない。相手も十中八九、後先を考えないほどの攻撃を繰り出してくる以上、私がほんの少しでもそこに怖れを感じてしまえば、想いを支える柱は途端に崩壊し、あの黒い炎に全てを焼かれてしまうに違いない。
――だからこそ私は、相手にはない強みをここで最大に活かす。
そう、私はあの落胤と違って、決して一人ではないのだから。
私にはリゼが居る。ただそれだけで、誰にも負けやしない。
それこそが私の強さ。落胤に打ち勝つための最大の武器。
「覚悟は出来たか……?」
「望む、ところだわ! けど、ここで朽ち果て、滅び去るのは……あなたの方よ!」
「ふ……良かろう。ではこの私が直々に、死出の門出を祝ってやろうぞ!」
漆桶にも等しき常闇の先に赤黒い焔が煌々と燈り、間もなくそれは点から球、球から面となるほどに拡大し、それまでこちら側に流れていた妖気流が元来た方向、即ち落胤の居る方へと急速に逆流していくさまが陣を通して感じられた。
「来ますよ……メル!」
「ええ……けど、私の思った通りならば……きっと……」
空間が軋みをあげていることから、途方もない妖力を湛えた力場はもはや崩壊寸前である様子で、その全てが今にも堰を切ったように雪崩れ込んできそうだった。そしてまさにその亡霊の呻き声のような悍ましい怪音を上げたその時、それまでずっと正面から感じられていた妖気が、瞬く間に私たちの背後へと転移したのが判った。まさにこの私が、予測していた通りに。
「
「メル……!」
「いくわ……
落胤の妖気が微かに変化した瞬間に既に身を反転させていた私は、死霊の斉唱にも等しき妖気の奔流に呑まれる寸でのところで、その腰元に据えていた剣を前へと突き出し、その切っ先から私たちの想いと願いとを全て乗せた、暗闇の向こう側へと導く光の
「うぉおおぉおおぉおおおおっ!」
「はぁあああぁああああああっ!」
落胤が放った光を喰らう死そのものと、私とリゼとで紡いだ譲れない願いの光は、互いに凄まじい圧を以て拮抗し、空間全体が激しく振動すると共に、方々から赤黒い火柱が旋風の如く幾筋も立ち昇り、そして巨大な力の衝突によって空間上に生み出された歪みと思しきものから、紫電の如き雷鞭が群れをなして
「ぐっ、ぬぬぬ……!」
「メ……メル! 全身から電光が……うぐっ!」
「耐え抜くのよ、リゼ! 私たちは絶対に、負けられないのだから!」
私たちの身体も落胤の攻撃による影響から、猛炎で焼かれたかの如き灼熱感と千の釘を打ち込まれたにも等しい激痛が頭の頂から足の爪先までをも駆け巡り、骨の髄が痺れるような感覚を覚え、その想像を絶する苦痛の連続に、ほんの少しでも気を緩めようものなら、次の瞬間にはもう意識の糸が断たれてしまいそうだった。
「灰と消えるがいい……小娘!」
「消えるのはあなたよ! 在るべき場所へと……還りなさい!」
しかし落胤の抵抗はこちらの想定を遥かに上回るほど凄まじく、次第に私の身体が後方へと押し出されていくのが判った。すると私を背中から支えていたリゼが、私の身体が吹き飛んでしまわないように、必死に踏ん張ってくれているのが判った。
「うぐっ……! どうか負けないで、負けないでください、メル! 私が後ろからずっと支えて、いますから……! くぁああぁあああっ!」
「リゼ……ええ! 私は、私たちは……皆が無事で、一緒に幸せな時間を過ごせる、ように……! 今からこいつを打ち倒して、必ずフィルモワールに、帰るの……だから!」
「無駄な、抵抗を……! このまま一気に圧し潰して……ん⁉」
その時、私は正面に立つ落胤の精神体に
「ぐっ……これは……!」
「落胤の様子がおかしい……きっと膨大な妖気流を放ち続けたせいで、憑代にも過大な負荷が掛かってその反動が……今こそ押し返す好機だわ、リゼ!」
「はい!」
私は向かい来る妖気の奔流がほんの一瞬だけ弱まったのを見逃さず、この身の底から魔素を振り絞るようにして、さらにリゼから託された力もそこに溶け込ませながらリベラディウスの切っ先へと導き、その全てを余すところなく一気に開放した。
「はぁあああああぁああああっ!」
「ぬぐおっ……! ば、馬鹿な……こんな……私、が……!」
落胤の器たる憑代はそこで終に限界を超えてしまったようで、莫大な力の衝突によって生み出された光の大嵐が過ぎ去ったあと、地に両膝を突いた元の肉体から黒い影のようなものが分離したのがはっきりと見えた。
「お……おのれぇ……!」
憑代を失った落胤の精神体は、風が吹けば消えてしまうほどに酷く弱々しい黒煙のようになって宙を揺らめきながら、こちらに近寄ってくるようだった。程なくしてその右腕は長い曲剣のような形状を象り、最後の悪あがきとして、酷く消耗してその場に蹲っていた私たちの頭上からその刃を振り下ろそうとしていたようだった。
「させ……ない!」
次の瞬間、私の身体が独りでに動き、もう二度と剣を振るえなくなっても構わないと意を決して、全身の魔導経路中に燻っていた魔素の残滓に働きかけることでそれらを強制的に再燃焼させ、先に師匠からたった一度ながら、直接叩き込まれたことでその身に沁み込まされた技を、凶刃を携えながらこの眼前にまで迫り来た殺意に向かって、一気に閃かせた。
「
「ぐぶふぅぉ……!」
刹那の煌きは、さながら線香花火のように華やかな花冠を一斉に開くと共に、その花弁を激しく宙に舞い散らせながら、ほんの微かな残光だけをそこに遺して、跡を濁すことなく眼裏の彼方へと消えて行った。
「はぁ……っく……」
自身の器に在った力という力の全てを残り滓まで出し尽くした私は、もはや立っていることすらも叶わず、ほぼ気絶に等しいかたちで、その場に倒れ込んだ。
しかし落胤が確実に消滅したことを確認するべく、そのまま遠くへと離れていきそうだった意識の糸を何とか手繰り寄せて意識を辛うじて繋いだ私は、リゼが居た方を確認しようと、地を這うように動きながらその身を緩やかに反転させた。
「リ……リゼ、は……」
私の身体を最後まで支えていたリゼも、その力を全て使い果たした様子で、ちょうど私と対面するように、こちら側に向かって倒れ込んでいるのが見えた。そして辺りを一通り見回してみたものの、落胤と思しき姿や彼がそれまで放っていた特有の気配を持つあの妖気は、もはや何処にも感じられなかった。
「勝った……のね、私たち。あの、落胤に……!」
それからややあって、近くに転がっていたリベラディウスを杖代わりにし、まだ上手く力の入らない腕を振るわせながらゆっくりと立ち上がった私は、リゼにもそのことを知らせようとして、おぼつかない足取りのまま彼女に歩み寄っていった。
「リゼ……!」
「ん……メ、ル?」
「勝ったのよリゼ、私たち……あの落胤を打ち破ったの……!」
「そう、ですか……! ふふ……でも私とメルとが力を合わせたんですから……きっと当然のこと、ですよ」
「そうね、当然の勝利、よね! ほら、立てるかしらリゼ。肩を貸してあげるわ」
「無理をしないでくださいメル。膝、がっくがくになっていますよ……?」
「そ、そんなことは今良いのよ……! 二人してこんなところにずっと寝転がっているわけにもいかないでしょ? ほら、行くわよ」
そう言いながらリゼに肩を貸して彼女と一緒に私が再び立ち上がると、ふと落胤の憑代となっていたもう一人の姿がこの目に入ってきた。
「あれは……でも落胤にあれだけの負荷を掛けられたのだから、きっともう……」
「いえ、それはまだ判りませんよ、メル……私なら大丈夫ですから、顔を見てきてあげてください」
「ん……分かったわ、リゼ」
リゼから一旦離れた私は、床に倒れ込んだまま微動だにしていない父のもとに歩み寄り、うつ伏せになっていたその身を一度起こして、その顔を間近から確認した。
「こんな穏やかな顔を見るのは……一体いつ以来、かしら。あなたはいつだって切り立った崖のように峻厳な面持ちで、私に
私に一度たりとも優しい素振りを見せたことがなかった父。しかしそれでも、かつてレイラが私にそう訴えたように、私と血の繋がりがある唯一の存在であることには変わりなく、閉目したまま動かないその顔をこうして目の当たりにすると、何とも言い知れない感情が心の奥底から沸々と湧き出てくるのが感じられた。
しかしそれはきっと、この私がいつからか己の奥底に封じ込めていた、父に対する想いのかたちに違いなかった。
「どうして、あそこまで厳格だったあなたが、あんな落胤なんかに憑依されて……うっ……せめて一度くらい、娘であるこの私に笑いかけて欲しかった……お兄様やお母様には向けられていたあの優しさに、私も触れてみたかった……ううっ!」
そう言いながら、止めどなく込み上げてくる想いに自然と項が垂れ、ぴくりとも動かない父の胸にその額が接した時、私は亡骸からは決して伝わってくるはずのない生命の鼓動が、確かにこの身に触れたのを感じた。
「えっ、今のって……? まさか……」
そうして私が父の胸にこの耳を宛がい、先ほど触れたその鼓動を入念に探っていると、果たしてその流れが再びこの私へと伝播し、そして私の中から発せられる生命の証と共鳴してみせた。
「生きて、る……生きているわ……リゼ! 意識はないけれど、ちゃんと心臓が動いている……! 彼は、私の父は、まだ確かにここに居る……!」
私は今度こそ、失うことなく、手に入れることが出来たのかもしれない。私がこれまでずっと待ち望んでいた、私が私でありながら、想いを通じ合わせた大切な人たちと共に生きていく、一点の曇りもない、真に穏やかな時間の始まりを。
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