これからを生きるために

第82話 重なる刃に揺れる花


「いよいよ……ですね。心の準備は大丈夫ですか、メル」

「当たり前じゃない。ずっと傍で私を見てきたあなたになら……解るでしょう?」

「ええ、もちろんですとも。私が知っているメルは誰よりも気高く、そして誰よりも強い心の芯を持ったお方。あんな色欲に塗れた人なんかに負けるはずがありません。それでは、どうかお気をつけて……必ずまた、私たちのところに戻ってきてくださいね!」

「絶対勝ってくださいね、メル! 私、リゼたちと一緒に応援していますから!」

「私も応援してるから頑張って! 帰ったらまたみんなで美味しいご飯を食べに行こうね!」

「本当にありがとう、みんな。それでは……行ってくるわね!」


 宿から発つ直前、リゼたちと交わした言葉は数少なかったものの、皆から受け取った想いの力はこの胸では抱えきれないほど、あまりにも大きくて。思わず目から零れ出そうになったものを私は必死に堪えつつ、送迎のために派遣された専用の馬車に乗って、天覧試合が催される会場となっている王城に向かった。


 それからやがて王城に到着した私は、案内人に導かれるがまま城内の通路を進んだ後、出場者用の控え室へと通され、其処で自身の出番を静かに待っていた。その間、深呼吸を何度か繰り返して、放っておけば昂ってしまいそうな気持ちを落ち着けていると、ふといつかの光景と今とが重なって見えたように感じられた。


「そうか……私、ロイゲンベルクの王城でイングリートと戦う前にも確かこんな風にしていたわね。あの時と同じように……今回の相手にも必ず勝ってみせるわ」


 ここからでも闘技場から観客の声が俄かに漏れ伝わってくるものの、私はそれを意に介することなく、時を忘れてしばし瞑想に耽った。こうして緊張を十分に解しておけば、本番においても身体が強張ることなく、適度に脱力した状態からいつも通りの動きを繰り出すことが出来る。そうして幾許いくばくかの時が流れ、控え室の戸が叩かれる音でふと我に返った私は、そこでついに自分の出番が回ってきたことを悟った。


 係員の指示に従い、少し暗い通路を独りで抜けると、私の視界は眩い光に白く塗り潰された。そして程なくその白が薄らいだ時、私は自身の四角八方が夥しい数の人で埋め尽くされていて、その全方向から発せられた声の津波が、私を呑み込むかのように止めどなく押し寄せてくる感覚を覚えた。


「あそこね……」


 そのまま闘技場の中央にある試合用の空間へと移動した私は、そこで対戦相手であるシャルの姿を三日ぶりに捉え、進行役の指示を受けて彼女と共にお互いの顔が素の視力ではっきりと見える距離にまで近づき、各々が非殺傷化処理が施されたという金属製の剣を二振り手渡され、片方を予備として使うか最初から二剣として扱うかは、各自の判断に委ねるとのことであった。なお、その剣を収める鞘にも同じ金属のこしらえが施されている様子。


 また勝敗はお互いのうちどちらかが先に戦闘不能になるか、あるいは私たちが今立っているこの試合場の外側に身体の一部が接触したと見做されれば即刻敗北の判定が下されることになっていて、さらに剣術の天覧試合という名目上、炎や電撃といったそれ自体が直接攻撃の手段と成り得る魔現を行使した場合は、即座に反則負けをとられるという。


 ただ仮に試合途中で自身の剣が折れたり場外に飛ばされたりして全ての武器を滅失したとしても、即敗北とはならず、あくまでその勝敗規則のもとに試合は続行されるという。それはどうやら白打などを駆使して相手から武器を奪うことも剣術の一側面として認められた上でのことであるようで、裏を返せば相手の武器を無力化したからといっても最後の瞬間まで油断が出来ないことを意味していた。


「こんにちは、メル。先日屋敷で会った……いえ、砂浜でこちらが一方的に覗き見をされた時以来かしらね?」

「こんにちは、シャル。少し誤解があるようですが、私としては覗き見をしたつもりはありません……ただ自然と目にあなたたちの姿が入り込んでしまっただけです」

「もう、素直じゃないのだから。言ってくれればあなたたちにも加わってもらって、皆で素敵な時間を過ごせたというのに……」

「その……ああいった集まりなら、最初からご遠慮させていただきます……」

「ふふ、ほんの挨拶代わりの冗談よ。さて……」


 その瞬間、シャルの目つきが急変し、彼女の身体から穏やかな雰囲気が消えると共に、それと入れ替わるようにして底知れない覇気のようなものが彼女の全身から発せられているのを確かにこの肌を通して感じた。


「あとはこの、お互いに手にしているもので語り合いましょう。それから対戦中に敬語は要らなくてよ。最初から私の命を奪うつもりでかかっていらっしゃい」

「ええ……では遠慮なく、そうさせてもらうわ」


 私たちのそれぞれが進行役から互いに指示された位置について構えをとると、程なくして対戦の開始を告げる銅鑼の音が鳴り響き、戦いの火蓋が切って降ろされた。


 ――こうして相対しているだけでも、シャルがこういう場に極めて慣れているであろうことがひしひしと伝わってくる。彼女は単純な試合だけではなく、恐らくは命のやり取りすらをも何処かで経験してきたのかもしれない。


 相手は私と同様にこちらの出方を窺っているのか、試合開始の直後から微動だにせず、剣を鞘から抜くことすらしていない。私の戦闘能力は彼女との話の中で大体は伝わっているであろうものの、その実がいかなるものであるかは判らないはず。しかし相手の実力が判らないという点に関しては、私もほぼ変わらない。

 だったら、実際に確かめてみるまで……!


「……ふっ! 土竜滅砕牙シュナッベリーゲル!」


 この先制の一撃はあくまで欺瞞攻撃。直立時の足の配置からして彼女がそれを避けるために移動する方向はおそらく右側。そこで私は瞬間的に驚異的な脚力を得られる走術、仙脚アオゲンブリックを行使してその回避予測位置へと先行し、向かってくるであろう彼女を正面から待ち受けて、そのまま仕留めようとした。

 そして時を移さずこの目に映った彼女の姿は、果たして私が思い描いた通りにこちら側へと飛び込んできたため、私はその機会を決して逃さないように全神経を集中させた。


「見えた! 刃鳴ツァイト・クレッフェン!」


 刃圏の内側へと入り込んだシャルの身体を、かのイングリートをも仕留めた神速の抜剣術を以て、右の脇腹から左肩へと流れるように斬り上げた。しかしその剣身が捉えたものは彼女と同じ姿をした何かで、この刃に僅かな抵抗感を残したまま、その身体は掴みどころのない霧のように掻き消されてしまった。


「この感触は――」

「はああぁっ!」


 その瞬間、何処からか現れた剣の切っ先が私の髪間を射抜くように通過し、私は今しがた自分の斬ったものが彼女の幻影であったことにそこで初めて気が付いた。ただ奇妙なことに、あの幻影にこの刃が触れた際には、微かに何かに当たったような感触が確かにあった。魔導の範疇にありながら魔現としての側面も持つ幻体には、本来実体と呼べるものが無いにもかかわらず。


「くっ!」


 不安定な体勢ながら異様な気配の接近を肌で感じ取った私は、無意識のうちにその身体が反応を示し、彼女の放った一撃を寸でのところで躱した後、地面を激しく転がり回るように移動し、その回転力を利用することで彼女との距離を素早くとり、間もなく自身の体勢を整えると共に再び手にした剣を構えていた。


「今の一撃を避けるとは、さすがだわ、メル」

「……あなたこそ。幻影の類まで使うなんて……高度な魔導を扱えるようね」

「初撃を当てられなかったことは悔しいけれど、これは思った以上に面白い戦いになりそうで、久方振りにこの胸が躍るのを感じるわ」

「ふふ……私も、よっ!」


 相手に攻撃の起点を悟られないよう、不規則な足捌きを以て可能な限りの高速で彼女の周囲を駆け巡りながら、お互いを隔てる距離を徐々に詰めていく。こうして不必要な視線移動を誘引させることで、相手の視覚能力が少しでも低下していれば、私から放たれる次の一撃を完全に防ぎきることは恐らく出来ないはず。


「……ふっ!」


 私はその一撃を通すためならば、多少の見栄は張ってみせる。

 一撃を二撃にも三撃にも虚飾する半魔現の術、幻踏ネーベンモントによって。

 目には目を、剣には剣を、そして幻影には幻影を以て、彼女に応える。

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