第81話 人の振り見て我が振り直せ


 その日の午後から、半ばリゼに強制されるかたちで、先に海水浴で訪れた砂浜からやや離れた場所にある人気ひとけのない岩場の辺りで、彼女と共に特訓を行うことになった。またその間レイラたちには、亡命申請中の身である私たちがあらぬ誤解を受けることがないよう、誰かがこちら側に来ないかどうかを見てもらっている。


 シャルと戦うことになる天覧試合では私の力を最大限に引き出せるリベラディウスが使えないため、一般的な金属よりもやや魔導抵抗が高い流木を剣の代わりとして扱うことにした。今から試合が行われるまでの間にその不慣れな武器でも常と遜色ない立ち回りが出来るようになっていれば、相手の技量がいかなるものであろうと勝利への距離はぐっと縮まるはず。

 なお、特訓相手となるリゼは徒手空拳というわけではなく、彼女が武術を修練する傍ら、剣術の使い手に対抗する延長技術として学んだ棍術こんじゅつを活かし、私と同じく浜辺に漂着していた流木類を用いて仮想の敵役を演じることになった。


 そして久々に手にすることになったリベラディウスではない武器は、魔素が上手く浸透していかないせいか、リベラディウスを扱っていた時と比べて様々な点でその勝手が大きく異なっているように思えて、私には間近に控えているシャルとの一戦が、自分が当初想定していたよりもずっと困難な闘いになりそうだと感じた。


「……中々、思った風にはいかないものね。リベラディウスを振るうことに慣れ過ぎていたのかしら。まぁそれでも、ただの人間相手に負けたりなんてしないけれど」

「ただの……なら、確かにそうですが……メルはひょっとして一番大事なところを見落としてはいませんか?」

「一番大事なところ?」

「そうです。いいですか、あのシャルは私たちの話を聞いた上でメルに戦いを挑んできているのですよ? たとえ人に非ざるものたちと戦った話が誇張だと思われていたとしてもです。それは彼女にそれだけの自信があるということではないですか?」


 リゼが言ったことは確かにもっともであるように思える。それに彼女は自分に見合うだけの相手が見つからずに困っているとも言っていた。つまりそれは、本来対戦するはずだった相手を除いて、このフィルモワールには剣で彼女に比肩出来るだけの実力者がまず居ないという事実を表していることになる。

 仮にあのシャルという女性が元々大層な自信家であったとしても、勝てる見込みのない勝負に自らその身を投じるとは到底思えない。


「……そうね。彼女はきっと、女性の中ではこの国でも随一の使い手なのでしょう。しかしそうだとしても、私は臆するつもりなんてさらさらないわ。この戦い……絶対に負けるわけにはいかないのだから」

「そうですよ。メルには何としてでも勝っていただかないと……いくら命の恩人であるとはいえ、メルが会ったばかりのあの人のものになるだなんて……私、絶対に嫌ですからね! まぁそれは別にあの人だけに限った話ではないですけど……」

「……もちろんよ、リゼ。私はあなたの期待を裏切るつもりはないし、あのシャルに負けるつもりも全くないわ。むしろ彼女には、私に剣での戦いを挑んだことを必ずや後悔させてあげるわよ」

「ええ……ぜひ、そうしてください。では、特訓を続けましょうか」


 そうして短い休憩を終えた私は、再びリゼとの特訓に臨んだ。慣れない武器を手にして行う戦いは、当初考えていたよりも数段難しく感じられ、本気で動いているリゼを捉えるのは極めて困難だった。昔から能書のうしょ筆をえらばずとはいうものの、リベラディウスが私に齎してくれた恩恵の大きさを、私はここにきて改めて実感することになった。


「あれ、誰か浜の方に出てきたみたいだよ?」

「え……? あ、本当だわ……でもあれって……」


 リゼの姿を追っていると、ふとそんな会話が耳に飛び込んできたため、私はリゼとの模擬戦を一旦中断し、そのままレイラたちが指し示した辺りに視線を向け、その視覚を研ぎ澄ませた。


「……あれは、シャル……? でも、彼女一人ではないようだわ」

「傍に女性が何人も居ますね……友達なんでしょうか?」


 魔素で強化した視力でつぶさに観察すると、其処では白いフリルで飾られた黒いビキニの水着を纏ったシャルが、白の長椅子に仰向けになって状態でその身体を横たえており、そして似たような出で立ちをした数人の女性が、彼女を取り囲むようにして、片や大きな扇で風を送るもの、片や何かをシャルの身体へ丹念に塗り付けている者とに分かれているようだった。

 その時私は、シャルと初めて出会ったあの日にも、彼女の名前を様付けで呼んでいたエステールなる女性と、さらにその連れと思しき複数の女性たちが彼女の後ろ側に控えて居たことを思い出した。


「あれは日焼け止めでも塗っているのかしら……? でも何というか、周りの子たちの様子を見る限り、ただの友達って感じではないわね……」

「そう……ですね。詳しいことは判りませんが、彼女たちはきっと……シャルのものになった子たちですよ。この国では同性愛は何も珍しいことじゃありませんし、いわば彼女の愛人となることで一生安定した生活が確約されるというのなら……二つ返事で了承した子だっていたかもしれません」

「なるほど……確かにそうなのかも、しれないわ」


 私がもしシャルとの試合に敗れれば、私もあそこに居る女性の一人となって、ひたすら彼女に阿諛あゆし、喜ばせ続ける存在として生きてゆくことになるに違いない。一度そうなれば、リゼやレイラたちと一緒に過ごす時間はもはや永久的に失われてしまうはず。私が迂闊に乗った賭けが齎し得るものは、つまりそういうことだった。


「わぁ、お互いにあんな顔を近づけ合って……えっ、ええっ……?」

「……行きましょう。こんなの覗き見をしているようで良くないわ」

「ほ、ほらほら、エフェスもあっちに行こうね」

「わっ! リゼお姉ちゃん痛いよ、引っ張らないでってば!」


 リゼは彼女たちの間で繰り広げられる凄艶なやり取りを見て、エフェスに見せるべきものではないと感じたのか、その顔をあからめながら彼女の腕を強く引っ張って岩場の奥へと移動し、レイラもその頬を紅潮させながら両手で自身の顔を覆い隠したものの、その指の合間から彼女たちの戯れを眺めているようだった。


「えっと……ほら、レイラもいつまでも見ていないで、行くわよ」

「あっ……ご、ごめんなさい! 今行きます!」


 それから私たちは、あちら側からも見えないようにもう少し奥の岩場へと移動し、其処で特訓を再開することにした。其処は足場が少し不安定であるものの、周りが比較的高い岩壁に囲まれた空間になっているため、ここからなら誰かに見られることはまずなさそうだった。


「もう、何で見ちゃいけないの? 何だかみんなすごく楽しそ――」

「何でもいいの! しばらくそっちでレイラと一緒に座って、私たちが戦っているところでも見ていてよ」

「……しかし、あちらがあんな風に過ごしているのを目の当たりにしてしまうと、正直調子が狂ってしまうわよね」

「心の余裕ってやつでしょうか……だとしたら何だか癪に障りますね。メル、その気持ちもよく解りますが、こちらは思い切りやってやりましょうよ」

「ふ……そうね。あんなのに負けてなんていられないわ。私たちがどんな思いをしてここまで来たか……私、こちらに到着してからは緊張の糸が途切れて少し気が弛んでいたところがあったから、ここからまた気を引き締めていくわよ」


 天覧試合を間近に控えている身であるにもかかわらず、今も余裕綽々とした様子で見目麗しい女の子たちと濃艶な営みを見せるシャルの姿からは、やはり相当な自信を持っていることが窺える。しかしそういった過剰な自信は往々にして油断を生み、そしてその油断こそが彼女の中に付け入る隙を作り出してくれるはず。


 先に勢いよく賭けに乗ってしまった私が言えたことではないものの、その驕慢な姿勢を自らの鏡として、私は残り時間の全てをリゼとの特訓に費やすことに決めた。

 リゼを失望させることなく、心に描いた理想の未来を現実へと導くために。

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