第83話 息つく暇すら与えない
シャルを自らの刃圏に導き入れるために踏み出す次の一歩から、独りではなくなった私たちは一斉に高く跳躍した。こうして反射的にでも相手の視線を上方に誘導すれば、彼女に影の位置から本体を割り出されてしまうよりも先に、この一撃を届かせることがきっと出来るはず。
無論、シャルほどの敏捷性があれば、跳躍から体勢を転向させ攻撃に移行するまでの僅かな間に回避行動をとられてしまうであろうものの、私は瞬間的ながらも魔導で空間中に疑似的な足場を作ることが出来るため、それによって一気に反動力を得て急降下攻撃を見舞うことが叶う。あとはただ、実践あるのみ!
「
跳躍から攻撃に転じるまでの間は確かに瞬息だった。
しかし確実に捉えたかのように見えたシャルの身体は、突然床下へと沈み込んだかのように私の剣先から逃れていき、流水の如き動きを以て地を這うほどに低い姿勢からくるりと回転するや否や、何かがきらりと閃いて、その輝きが宙を穿ちながらこちらに凄まじい勢いで迫り来るのが判った。
そして驚くべき速度で私に向かって来るそれは、彼女の手から放たれた白刃、そのものだった。
「なっ!」
着地で屈んだ状態からの急反転が間に合わなかった私は、咄嗟に左腰に差した鞘を背中側に強く押し出して投擲された剣を弾いたものの、間もなく立ち上がったシャルが迷うことなく一気にこちらとの距離を詰め、そのまま追撃態勢に移行する様子が見て取れたため、私も即座に全身を反転させると共にその回転力を利用するかたちで、向かって来る彼女の足を強く払おうとした。
「はあっ!」
「ふふっ」
シャルはこちらに向かって自身の身体を捻るように宙を舞い、高速回転しながらその勢いを保ったままこちらに斬りかかってきた。私はそれを辛うじて右手にした剣で受け留めると同時に、左手で掴んだ鞘を抜き出して彼女に振り下ろそうとした。
しかし彼女は即座に反応を示し、地面に剣を突き立てて強く固定した剣先で私の鞘を巧妙に弾いて見せ、そしてその柄を握りしめたまま剣を軸にするかたちで半回転し、こちらに強烈な両足蹴りを浴びせかけてきた。
「くっ……!」
自身の脚全体から生み出す瞬発力だけを頼りに後方に宙返りを行ってそれを寸でのところで回避し、即座に空中で姿勢を転向して衝撃波による反撃を行う。
「
しかしリベラディウスほどの大きな剣圧を生み出すことはやはり出来ず、シャルは私が放った衝撃波を、地面から抜いた剣でそのまま一気に斬り上げることで縦に引き裂き、その威力を完全に殺したようだった。そして彼女はすぐさまその場から移動し、私が先に弾き落した剣を拾い上げ、再びそれを自らの腰元に戻した。
そしてその時、一瞬だけ彼女がこちらに左半身を向けた隙を私は見逃さず、再び仙脚を以て彼女の至近距離にまで急接近した。
「
一撃でも当たりさえすればシャルの体力を減らせる、その一心から速度のみに徹した乱撃を彼女に見舞ったものの、彼女は実に見事な体と足捌きとを以てそれを悉く回避し、またさらに巧みに受け流すことでその切っ先の軌道を逸らしつつ、さらにはこちらが攻撃のあとに見せたほんの僅かな隙を見つけ出したのか、極めて鋭い返しの刺突を放ってきた。
「ぐっ! やるわね……! しかし!」
それに対し私は反射的にその剣筋を逸らそうと剣で反応したものの、シャルはすぐさま二撃目として右の腰に据えていた剣を、鞘に納めたままの状態でこちらの左脇腹目掛けて打ちこんできた。対する私も即座に左手で腰元の鞘をそちらに向けて振り出して受ける衝撃を減じようとし、それは果たして成功したものの、刃を交えたまま身体のみを巧みに回転させていた彼女は、間髪を入れず私の左膝の辺りを裏側から蹴り上げ、私は一気に体勢を崩した。
「しまっ――」
「ごめんなさいね」
酷く前のめりになった私は、何とか倒れずにその場に踏み留まることだけは出来たものの、ほぼ同時に背後から襲来した強烈な打撃を受けて、次の瞬間には試合場の床上を激しく転がっていた。
「ぐ……! くはっ! けど、こんな……もので! 私が!」
それからすぐさま体勢をとり直した私は、右の手にしていた剣こそは離していなかったものの、左肩から激痛が走りそこから伸びる腕が力無くだらりと垂れて、こちらの言うことをきかなくなっていた。どうやら背後から受けた衝撃で左肩が外れてしまっていたようで、関節の位置を即刻元に戻す必要があった。
「いっ……!」
かつて師匠との修練の中でも度々同じようなことがあったために、脱臼した各関節を元に戻すことには慣れていた。しかしそうしている間にもシャルは次の一手を放っていたようで、再びこの身体に向けて剣を投擲すると共に、自身もこちらとの距離を詰めるべく移動を開始したのが振り向きざまに見て取れた。
まだ痺れが残る左手では十分な対応を行うことが出来ず、四半秒もしないうちに相手が放ったその剣がこちらに到達するのが判った。もちろん、ここから身体を反転させて確実に対処する猶予などは微塵も残されていない。
故に私は反射的にほぼ全ての魔素を視覚の能力強化に回し、緩やかに流れた時の中でその軌道を予測すると共に、右手にした剣を即座に自身の背中側へと回したことで、辛うじてその直撃だけは免れた。しかしその一方で依然としてこちらに急接近してくるシャルに対しても、時を移さず対応をしなくてはならない。
「う……ぐうっ!」
私はすぐさま、本能的に向かうはずの利き手側とは逆方向に退避行動をとったものの、既に手が届く距離にまで迫っていたシャルから両手を以て振り下ろされた一撃は非常に重く、その剣を受けること自体は出来たものの、まだ満足に握れない左手が足を引っ張るかたちでその勢いを殺しきれず、軌道のみを変えるに留まって、私は手にしていた剣を弾き飛ばされてしまい、極めて無防備な状態に陥ってしまった。もはやこの身に残された鞘だけでは次に来るであろう追撃を防ぎきれない。
「……ん!」
その瞬間、自身の右の足元にシャルが先に投擲した剣が転がっているのを視界の内に捉えた。そして私は彼女の追撃を避けるべく跳び上がると共に、その柄を右のつま先で
「いくわ……!」
舞い上がらせた剣を宙空で手に取り、それを持ってシャルにそのまま攻撃を仕掛けると見せかけて、互いの刃圏が交わる直前で手にした剣を、眼下で待ち受けている彼女に向けて投擲した。
「
シャルは即座に半身を逸らしてこちらの放った剣を躱しつつ、こちらがもう片方の剣を抜く前に先手を打とうとしたのか、自らこちらに向かって飛び掛かってきたものの、私は彼女の刃圏に接する直前で右の鞘から鍔だけを右手親指で強く爪弾いて剣身を抜き出し、左手でその柄を掴むと共に、露出した剣のうちこちらを向いた刃先だけを右手で持ち上げて、その切っ先を弾指の間のうちに彼女へと差し向けた。
「な……!」
「
斬り結ぶその瞬間、私の抜剣術は既に抜かれていたシャルの刃が到達するよりも僅かに早く彼女の身体を捉えたようで、その剣身を通して確実な手応えがあったことがこの手に伝わって来た。
そして間もなくそれぞれが離れた位置に落着し、私はすぐさま身体をシャルの方に反転させ、彼女の様子を確かめた。
「……ふ、ふふふ。素晴らしいわ、メル。あの体勢からこの私に一撃を届かせるだなんて。致命傷ではなかったけれど、今ので肋骨の何本かは折れてしまったかもしれないわ」
こちらを見詰めてそう言ったシャルは左の口角から紅い筋を伝わせながらも、何故か嬉しそうな面持ちで、左足だけを大きく踏み出して股を開き、左の掌を開いた状態で正面に突き出すと共に、右の手で握り締めていた剣の柄を肩よりもさらに後ろにまで引いてみせるという極めて奇妙な構えを見せ始めた。
「あの構えは……一体?」
するとシャルはその前に突き出した左の手の掌を左右にゆっくりと揺らし始め、やがて緩んでいるように見えたその口元が、きっと強く引き締まり、真一文字に結ばれた唇がゆっくりと開かれた。
「楽しかったわ、メル」
その瞬間、シャルがそれまでに纏っていた闘気のようなものが、明らかに毛色の違うものへと急変したのが判った。それこそは紛う方なき殺気、そのものだった。
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