第114話 禊祓の炎
「そういえばアンリは、リコリアの中身を見た際にあの施設とは別に、もう一つ判明したことがあったと言っていた気がするけれど、それは何だったのかしら?」
「はい……クリストハルトはいずれ例の落胤を自らの手で始末するつもりでいたようですが、そうするにあたって大きな障害があったことが窺えました」
クリストハルトが落胤の忠実な下僕として振る舞う一方で、世界が改変され自らもその一翼を担った対価として老いの宿命から解き放たれた後に、時機を見てその落胤に成り代ろうとしていた節があったことは既に私も知っていたものの、アンリは私たちが得たものよりもさらに深いところにあった情報を拾っていたらしかった。
アンリによると、クリストハルトは落胤が率いる勢力への対抗戦力として、遺構に残されていた、アールヴの民と言われる詳細不明の民族の血などを特殊な方法で抽出し、それをもとにして創り出したミスパルなる人造人間――古代の錬金術でいうところのホムンクルスを製造する傍ら、落胤そのものの弱点も掴もうとしていたようで、その彼から授けられた古の知識を駆使し、これまで解読不能だった種々の古文書や記録を可能な限り広範囲に渡って参照していた様子だった。
その中で生前のクリストハルトが掴んでいた情報によると、落胤は純粋な妖魔たちの故郷と思われる異界で何らかの理由により放逐された貴人であったらしく、肉体を持たない精神体の状態でこの世界に訪れることになり、誰かに憑依していなければその存在を長く維持することは困難な様子だった。
そして憑依された人間は落胤と同化することにより、己の意識の大部分を奪われると共に彼が本来持っていた力の一端を再現することが可能になるようで、現在はその人物がクリストハルトに指示を行っているようだった。
また、落胤が自身の実在をこの世界に顕現させるためには、非常に多くの妖魔の魂を喰らう必要があり、これから完全体となるには大掛かりな準備が不可欠で、この大陸中に住む人間を妖魔化させ、世界の在り方を改変するのもその準備の一環であるとのこと。
しかしそれは裏を返せばある人間と同化した状態の落胤が現在も極めて不安定な存在であることに変わりはないことを示唆していて、どうやらクリストハルトはそこにこそ彼を葬り去るための手掛かりがあると睨んだようだった。
そこでクリストハルトが過去の記録を参照していた最中に、以前にも世界が現在と同様の事態に陥った記録があったことを発見し、さらにこれまで世紀を経るごとに幾度となく出現した妖魔たちの進出をその都度陰で防いできた者たちが居たこともそこには記されていたという。
とりわけ彼の目を引いたのは、依り代を失って精神体と化した妖魔に致命的な作用を齎すという炎の話で、その炎を纏った武具による攻撃を受けた精神体は、己の存在を維持できずに消滅を迎えてしまうとのことだった。
それは
生きて冥府へと達することは到底不可能だと考えられるものの、どうやらそのための
「冥府って……何だか、聞いていて頭が重くなってきそうな話ね」
「しかしこれが事実だとすると、先に回収したあの特殊容器で妖魔化した人間たちの脅威を仮に無力化出来たとしても、その元凶であろう落胤本体を滅することが叶わなければ、結局すぐに元の状態へと戻されてしまうかもしれません」
「けどイシュワラ・サーダナムって、名前ぐらいしか聞いたことがないような……話によるとバルカーラの一番北の辺りになるんですよね?」
「ええ。もっともあの空中船があれば到達可能だと思われますが……如何されますか? ちなみに高所環境には魔素による身体強化で対処出来ると考えます」
「調査に行くのは良いけれど……現地はかなりの寒冷地でしょう? いくら身体強化で受ける影響を緩和出来ると言っても、場所が場所なだけにやはり防寒具を始めとした様々な装備が必要なのではなくって?」
「それが、監視所にあった各地の体感気温記録を参照したところ、あの山の一帯だけは何故か昔から気温が一年を通じて程よい暖かさであるらしく、防寒具が無くても過ごせるようなのです。他の装備ならその監視所からも調達可能かと」
「それはまた不思議な話……とにかく、そういうことであれば其処にも一度訪れてみなくてはね」
空中船があれば高い山の頂にすらも比較的容易に届きそうなものの、現地であの船を安全に降ろせるような場所があるかどうかは全く以て不明だった。しかし、其処に落胤に対抗するための術が隠されている可能性があるとすれば、実際に足を運んでその真偽を確認するほかなかった。
***
翌日、アンリが操船する空中船に乗って一路バルカーラを目指した私たちは、先日とは打って変わって非常に安定した操舵の技術を見せるアンリの姿に皆が驚きを隠せなかった。どうやら彼女はたった半日にも満たない時間での試験飛行で、この船をほぼ手足のように操る術を身に付けたらしかった。
「流石ね、アンリ。このごく短い間によくもここまで上達出来たものだわ」
「ありがとうございます、メル。その……エフェスをまた酔わせるわけにはいきませんでしたからね」
「……だってさ、エフェス。これなら大丈夫でしょ?」
「うん、これだったら外の景色を眺めていても全然気持ち悪くならないかも」
そしてやがて太陽が空の頂に昇る頃、私たちが乗る船は其処にすら達しそうなほどに高く聳える霊峰イシュワラ・サーダナムが目で見える位置にまで接近していた。なお、その山腹から下は雲海によって深く閉ざされている様子で、何とも
「えっ、あれがその山? めちゃくちゃおっきくない? おまけに雲が下に見えるし、あんなの下からだと絶対に登れなさそうだよ」
「しかしあれほどのものとなると……一体何処にその秘密と繋がる場所があるのか、確認するだけでも困難を極めそうですね、メル」
「確かに……あの山の周りを飛んでいるだけで日が暮れそうだわ」
「ひとまずもう少し接近してみます。仮に何か施設のようなものがあるとすれば、それはきっと山頂付近だと思うので」
それからアンリが船を山頂付近にまで近づけると、果たして彼女の思惑通り、そこには少し大きな神殿のような造りをした建物が確認でき、さらにその敷地には私たちの船を降ろすことが出来そうな余裕もあった。
やがて船は無事に其処へと接地し、私たちは魔素で身体強化を行った上で、その神殿のような施設が何なのかを確かめるべく、船から出ることにした。
「ねぇ、アンリ。あなたの仲間が今までにここに来たという記録は無かったの?」
「ええ。この山の中頃から上は禁足地として長く入山規制がかかっていましたから。今もそれは解かれてはいないはずですが、今は非常事態ですのでもしここに誰か人が居るであれば、その旨を話せばご理解いただけるかと思います」
「でも本当に穏やかな気候ですね……本来この位置であれば凍えるほどの空気だと思うのですが」
「えぇリゼ。それもそうだけれど、こんなところに神殿らしきものがあるのも実に不思議よね。とりあえず皆で中に入って見ましょうか」
造営されてからかなりの年月が経っているようにも感じられる神殿の周りには、青々と繁茂する草木と色取り取りの花々が咲き乱れており、いざ踏み入った神殿の敷地内には限りなく透徹した水を湛える水路や噴水があちらこちらに配されていて、その岩を切り出して造られたと思われる床面や柱廊には多くの蔦が絡み付いている様子で、さながら周囲の自然と一体化しているようにも感じられた。
「これは……中にも外と同じようにかなり多くの植物が入り込んできているのね。それに、外からの光も普通に入ってきているようだわ」
「空間全体がとても澄んでいるように感じられますね。外へと繋がる水路が様々な方向から伸びていて上から水が落ちてきている場所もありますが、人の気配が全くしませんし、何よりこんなに自然が……本当に誰かいるのでしょうか?」
「レイラの言う通り、何というかほとんど遺跡みたいな感じがするよね。けどアンリが見たっていう話が本当なら、きっとここに何かがあるはずだけど」
「ん……この通路の突き当りに大きな縦長の扉があるわね。その先は祭壇になっているかも。何かあるとすればあの奥じゃなくって? メル」
「そうね。もちろん、予想だにしないものが待ち受けている可能性もあるから、注意だけは怠らないようにして、先へと進みましょう」
ややあって先頭を歩いていたアンリが、慎重にその扉に手を掛けて前へ押して見せると、その大きな縦長の扉は重々しい音を響かせながらも、何ら滞りなく私たちを奥へと招き入れてくれた。
「あれは……祭壇?」
扉の先にあったのは非常に大きな祭壇と思しきもの。それは加工した石材で建造された様子で、段差と水路とが幾重にも折り重なって四角錐状の構造物を形成していて、さらにその最頂部には神体なのか、楕円形の大鏡が据えられており、最下部から伸びる階段を上っていけばそのまま到達出来るように見受けられた。
また室内の外壁は円筒状に上へと伸びるかたちで、その天井部は大きく円形状に開かれていて、外光が祭壇へと降り注ぐ仕組みになっていた。
「あのてっぺんにあるのは鏡……だよね? かなりおっきいみたいだけど」
「そうだね、エフェス。ここではきっと昔からあの鏡をご神体として祀っていたんだと思うよ。あれを近くで調べれば何か分かるかも」
「いいわ。早速あの階段を上って――」
私がそう言って、鏡のある最上部へと進みだそうとした時、聞き覚えの無い声が背後から発せられ、私の言葉を呑み込むと共にその足を強く踏み留まらせた。
「何者じゃ……お前たちは……」
突然の出来事に皆が吃驚する中、即座に声のした方に振り返ると、其処にはこの神殿に張り巡らされた水路を流れる清冽な水のように、極めて清雅な淡い青の法衣を身に纏い、私と同じ年頃と思しき容貌を見せる、一人の女性が立っていた。
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