第113話 微かな希望


「それでは……やってみますね」

「ええ、アンリ。よろしくお願いするわ」


 クリストハルトから得たリコリアは、本来アールヴの血なるものを継承しているエセルやエフェス以外には何ら反応を示さないものでありながら、アンリが手にしているその血と同等の性質をもった指輪があれば、同じようにその中に秘められた情報に触れることが出来ると、生前に彼自身の口から語られていた。


「ん……んん……」


 リコリアの中には情報だけではなく、持ち主であった彼が抱いていた種々の感情や深い想念が色濃く渦巻いていて、観る側の精神面にも多大な負荷が伸し掛かる。それ故に以前エフェスと共にその内容を確認した際には、主たる観測者となっていた彼女に相当な負荷が掛かっていた様子で、大方の重要情報こそは得られたものの、エフェスに配慮して確認作業を中断したため、傍観者であった私とリゼは彼が遺した想いや記憶の断片を最後まで見ることは出来なかった。


「ねぇ、メルお姉ちゃん……アンリ、大丈夫なの?」

「それは彼女の心の強さ次第ね……以前のあなたがそうであったように、起動した人間が最も影響を受けるようだから、どこまで深く入り込めるか……」


 時折苦悶の表情を浮かべるアンリの様子を目にしながらも、起動者に強いられる負荷を分散することが叶わないばかりか、彼女曰く指輪自体がいつの間にか指と同化してしまったかの如く完全に外れない状態になってしまったとのことで、私たちはただ固唾を呑みながらそんな彼女の姿を見守り続けることしか出来なかった。

 それからしばらく経ってようやくその手をリコリアから放したアンリは、目を瞑って沈黙したまま、その場で深く項垂れてしまった。


「アンリ……! 大丈夫?」

「……はい、何とか……」

「詳しい話は落ち着いてからでいいわ。リゼ、彼女にお水を持ってきてあげて」

「分かりました!」


 やはりその精神にかなりの負荷が掛かったのか、アンリは近くにあった寝台の側面にその背中を預ける格好で、閉目しながらしばし呼吸を整えている様子だった。そしてやがて彼女は常の平静を取り戻したのか、徐にその双眸を開き、私たちの方を見ながらその口を開いた。


「……色々、判ったことがあります」


 アンリがリコリアに秘められた情報を可能な限り探った結果、そこから新たに得られた情報があったとのことだった。それによると、クリストハルトは不測の事態に備え、暴走した妖獣などを無力化したり、あるいは排除するための法具を研究開発していた施設があるらしく、ひょっとしたらそこに妖魔化した人間を元に戻す何らかの手段が見つかるかもしれない、と彼女は感じたらしかった。


「どうやらクリストハルトは、自身の秘めたる思惑が途中で露見してしまった場合の備えも抜かりなく行っていたようね……それで、その場所は何処にあるの?」

「其処は山脈と平野の中間にある山麓高原のようで、辺り一面が赤い木々に囲まれているようでした。それと、私にクリストハルトの記憶の一部が流れ込んできたせいか、その大体の位置は判る気がします」

「そう……ならロイゲンベルクに向かう前に一度其処を訪れておいた方が良さそうね。何か手掛かりとなるものが見つかるかも知れないわ」

「はい。それとあともう一つ、新たに判明したことがあるのですが……まずは其処を詳しく調査してからのほうが良いでしょう」



 ***



 そうして私たちは翌日、当初の目的地を変更して、アンリが得た情報を頼りに、その妖獣に対抗する法具を研究していたという施設に向かうことになった。精確な位置こそは判らないものの、感覚的に凡その場所が判るというアンリは、かの空中船を練習の成果もあってか見事に操ってみせ、船内に表示されている世界地図から見える地形も参考にしながら問題の施設を半時ほど探し回ってしてみたところ、アンリが当初伝えてきた情報と多くの一致を見せる場所が、終に私たちの眼下に現れた。


 そしてアンリが船を少し木々が開けた平地に着け、船から降りた私たちは辺りを警戒しながら既に目視で捉えられる位置にあった施設を目指して進み、やがてその敷地内へと到達して内部を探索していると、エフェスが何かに気が付いたような表情を浮かべながら、思わぬことを口にし始めた。


「私……ここ、見覚えがあるよ」

「エフェス? それは、本当?」

「だってここ、私が前に居たところだもん……」

「前に居た……? それって、まさか……」


 エフェスの記憶に思い違いが無いのであれば、どうやらこの施設はかつて彼女が他の姉妹たちと共に生活していた場所ということになる。もっとも、エフェスによれば当時から彼女たちが移動を許されていた空間は全体の一部に過ぎなかった様子で、他に彼女たちが知らない研究が並行して行われていたとしても何ら不思議は無かった。


「しかしこの施設は廃棄されてから随分と経っているようね……至る所の硝子窓が割れていて、中にまで植物が入り込んできているわ」

「それに動物が入り込んだと思われる形跡もありますね……あちらこちらに固い爪で引っ掻き回したらしい跡や、力任せに引き倒したと思われる用具が幾つも転がっています」

「……確かね、この奥の突き当りを右に行ったところに、入っちゃ駄目って言われてた場所があったと思うよ」

「ふむ……何かありそうね。辺りに注意しながら、其処に向かってみましょう」


 果たしてその先には、エフェスが言ったように、関係者以外の立ち入りを禁じる旨を記した扉があり、各々が警戒態勢を取る中でアンリがその指輪を使ってその固く閉ざされていた扉を開けると、独りでに点灯した魔光灯に照らし出された通路が現れ、その少し奥には地下へと続く階段があるようだった。


「どうやらここから先は、外界からの影響に曝されていなかったようね。通路の全体がとても真新しく見えるわ」

「しかしメル、この地下には何が隠されているか判りません。引き続き警戒を怠らず、慎重に進みましょう」


 階段を伝って地下へと降りた私たちは、まだ稼働していると思われる不可思議な機器やかつてクレフ遺跡の地下でも見たような大きな硝子容器の合間を抜けて、何かを実際に研究していたと思われるところに足を踏み入れた。


「ここでアンリの言っていたように、暴走した妖獣を無力化させる研究とやらを行っていたのかしらね……何処かにその経緯が一目で判るような書類なり何なりがあると良いのだけれど……」


 何に使っていたのか判らない機器が方々に見受けられる中で、私たちがその研究内容の詳細を示すものがないかどうかを探していると、何かを見つけたらしいエステールが、書類と思しきものを手にしながらそれをこちらに見せてきた。


「これは……動物の妖獣化とそれを元の状態に回復させる手段についての報告書のようだわ……これにしっかり目を通せば、妖魔化した人間にだって通用する手立てが見つかるかも知れない……」


 報告書によると、特三型と呼ばれる特殊な高濃度の妖気に曝露した場合、人間を含めた動物がその心身に著しい変異をきたし、最終的にはそれぞれ妖獣、妖魔へと恐ろしい変貌を遂げてしまうことが記されていた。

 それらは第二種の変異体ミュータントと呼称され、ただ破壊衝動のみを示すことが特徴的であるらしく、一度そうなってしまった個体を元に戻すためには、同じく高濃度の純粋魔素を大量に吸収させる必要があり、そのためには魔鉱石などから抽出した自然魔素を凝縮し、体表からも急速に吸収させる性質を付与した上で、さらにそれを封入可能な特殊容器を制作する技術も必須だと書かれていた。以上のことから、どうやらここではそのための研究開発を行っていたことが窺える。


「なるほど……あのスプーラの町とその一帯は、図らずもここに記された理想の環境が整っていた結果、他の町のようにはならなかったというわけね」

「しかしこの特殊容器って結局完成したのでしょうか? この辺りを見る限り、それといったものは特に見当たりませんが」

「……ねぇ、こっちにも扉があるよ? でも壊れてるみたいで、開かないみたい」

「では、私の指輪で試してみましょう……駄目ですね。反応を示さないようです」

「ならばあとは、力づくしかあるまい」

「えっ、師匠……ちょっと待ってくださ――」

「ふんっ!」


 師匠の凄まじい刺突を受けた扉は、間もなく強烈な閃光を放つと共に、内部から崩壊を始め、そのまま粉微塵になって跡形も無く砕け散った。


「これは……落花一閃グナーデンシュトース? あ、危ないでしょう師匠! まだ近くに人が居たんですから、発動前にせめて一声掛けてからでないと!」

「何、破壊範囲は極小に留めたつもりだ。事実、扉以外には被害がなかろう」

「だからって……もう、本当にいつも強引なんですから……」

「と、とにかくこの先に進んでみましょう……メル」


 破壊した扉の先には、同じように広々とした空間が広がっていて、複数ある台座の上には、ちょうどココヤシの実に近い大きさと楕円形の形状をした容器が幾つも据えられていた。


「もしかしてこれが、さっき見た報告書で挙げられていた高濃度の魔素を封入したという容器……なのかしら?」

「詳細は不明ですが同じ研究施設内にあるところからして、その可能性が高いと思われます。ただ確実にそうだとは言い切れないので中身が不安ではありますが……これからどこかで妖獣相手に実験を――」

「ん……レイラ! 後ろに何かいるわ!」


 その瞬間、少し私たちから離れたところで容器をまじまじと見ていたレイラの背後に、熊が変異したと思われる妖獣が急にその姿を現し、今にも彼女に襲い掛かろうとしていたのが見えた。


「えっ! きゃぁああ!」


 するとレイラが咄嗟に近くにあったその容器を妖獣目掛けてぶつけるや否や、その衝撃を受けて割れた容器から高濃度の魔素と思しきものが煙霧のごとく大量に発生し、それに呑まれた妖獣の姿が間もなく完全に見えなくなってしまった。


「これは……どうなったの……?」


 そしてやがて薄らいだその煙霧の中から姿を現したのは、私たちの両手に抱いてしまえるほどに小さく可愛らしい、たった一匹の子熊だった。子熊は私たちの方を見て驚いた様子で一目散にレイラの脇を抜けると、そのまま私たちが最初に入って来た方に逃げて行った。


「ねぇアンリ、もしや今の子熊ってさっきレイラを襲おうとしていたあの巨大な熊の妖獣だったのかしら……?」

「どうやら、そのようですね……きっとあの容器に封入されていた魔素を妖獣化していた個体が吸収して、元の姿に戻っただけかと思われます」

「だとすればこの台座にある容器が、例の暴走した妖獣を元に戻すための法具なのね? なら、ここにある分を全て使えば、ロイゲンベルクの王城とその周辺ぐらいなら妖魔化した人間を元に戻すことが出来るかもしれないわ」

「私たちにはあの空中船がある以上、上空で静止した状態からこの容器を投下しようと思えばきっと出来るでしょうし……試してみる価値はありそうですね」


 それから私たちは周囲の安全を確認した後、近くに停めてあった空中船にまで、運送役と護衛役に分かれながらその容器を全て運び入れることにした。これを上手く使えば、件の落胤とやらが居るであろうロイゲンベルクの王城にまで、不要な犠牲を払わずに辿り着けると信じて。

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