第115話 幽門を潜って


「うわっ、だ、誰……⁉」

「こらエフェス! それはあちらの台詞でしょう……」

「す、すみません……勝手にこんなところにまで入り込んでしまって」


 この空間へと導いた扉の方から私たちを呼び止めた女性は、その身に纏っている法衣よりもさらに淡い、この地方で見られるという極光オーロラにも似た、ちょうど水の入ったかめを覗いた時のような色を湛えた長い髪に、真孔雀まくじゃくの羽色を想わせるような清麗な双眸を煌かせながら、白皙の芳姿と端整な花顔とを併せ持ち、身丈こそは私とほぼ同等ながらも何処かエフェスに近いいとけなさと、それとは全く対照的に辺りを払うような威厳すらも感じられる、実に不思議な心象を与えてくる人物だった。


「お前たち、外にあるあの奇妙な船でここまで来たのか?」

「は、はい……その、どうか此度のご無礼をお許しください。今日ここに訪れたのには、非常に深い事情がありまして……」

「ふむ、皆まで言わずとも大方の事情は察しがつく。今、大陸中に満ちているこの不可思議な妖気と関係があるのだろう?」

「えっ、ここに居ながらどうしてそれがお分かりに……?」

「ここには世界を渡る全ての水の源があり、祭壇に祀られた神鏡はその水が見てきたありとあらゆる事象を映し出すのだ」

「そんなことが……それより、ご紹介が遅れました。私はメルセデス・リーフェンシュタールと申します。もしよろしければ、あなたのお名前を頂戴してもよろしいでしょうか?」

「我が名はヴィーラ。この地をずっと見守り続けてきた者だ」


 下手をすれば私よりも年下であるように感じられるヴィーラの容貌からして、長い年月に渡ってここに居たとは考えられなかったものの、その言葉は彼女の一族がずっとこの地を見守り続けてきたという意味なのだろうと私は思った。

 そして私たちはヴィーラにここに来た目的を可能な限り詳細かつ解り易いように伝え、その話を終始静聴していた彼女は、しばらく凝然として何かを沈思している様子だったものの、やがてその結んでいた口をゆっくりと開いた。


「ということはお前たちが此度の封じ手なのか……? いずれにせよ常よりも時期が早過ぎる気がするが……」

「封じ手……?」

「この世界には古来より約百年の周期で何処かに異界との繋がりが生まれ、其処から次第に妖魔たちが現れ始める、という話は知っているだろう?」

「ええ、確かに私もこれまでに同じような話を聞いたことがありますが……」

「封じ手というのはその繋がりを閉じるために、それと同じような周期で必ず現れる一族とその従者たちのことだ。前回彼らがここに来訪したのは、今からちょうど半世紀ほど昔のことになる」

「まさかそんな人たちが居ただなんて……。学院で受けた歴史の授業でもそんなことには一切触れていなかったし、これまでにみた書物にもそんな記述は見られなかったというのに」

「封じ手の一族はその存在を知られると、妖魔の生き残りたちにその命を狙われる恐れもあるからな。故に彼らの活躍が表で語られることは今までに一度も無かったはずだ」


 少なくとも私がこれまでに見てきた文献や歴史の授業などでは、妖魔の集団は世紀を跨ぐほどの間隔で何処からか突如として現れ、そして人の住まう地に甚大な被害を与えた後、また来た時と同様に何処かへと去っていくとされていた。

 しかしこのヴィーラの語った話が真実だとすると、これまでその事態が鎮静化した陰では、常にその封じ手たちの活躍があったことが窺える。


「ともあれ今のこの尋常ならざる状況を鑑みれば、封じ手に等しいものたちが現れたのもまた必定か……お前たちに今一度訊くが、本当に禊祓の炎フェブルアが必要なのだな?」

「はい……此度の事態を招いている元凶を討ち滅ぼすためには、それがどうしてもそれが必要なのです」

「……いいだろう。ではしばらくここで待っておれ」


 ヴィーラはそう言うと、意を決したような面持ちを見せながら、私たちの傍らを通り抜けて祭壇の裏手側へとその姿を消した。


「あれ……あのお姉さん、向こうに行っちゃった」

「何か必要なものを持ってきてくれるのかも知れないわ。しかし驚いたわね……あのヴィーラという不思議な女性の存在もそうだったけれど、まさか封じ手なるものたちが居ただなんて」

「ええ。本当ならこれまでに語られてきた歴史が修正されるほどの、とんでもないことですからね……もちろんそれを言えばあの空中船なんてもっとですけど……」

「それにしてもあのヴィーラという人、この世のものとは思えないというか、実に幽娟ゆうけんな雰囲気がある、美しい人よね……一体お幾つなのかしら?」

「また見目美しい女性に見惚れてしまったのですか、シャル?」

「ち、違うわよステラ! 私はただその、ちょっと気になっただけよ」

「ふふ、シャルも相変わらずね。まぁ年齢は私も気になるところだけれど」


 しばらくして私たちのもとに戻ってきたヴィーラは、その手に象牙のように白く滑らかでまた硬質な様相を呈した木の枝と、金属を精練する際により高い熱を持った火を得るために使うふいごのような蛇腹の構造を持つ器具を携えていた。


「これは……」

珪仙樹けいせんじゅ霊枝れいし封姨ぼういふいご。それぞれお前たちが冥府の……煉獄へ下りた際に無くてはならない神器だ」

「煉獄……? やはり生きたまま冥府に至る道があるということですか?」

「いかにも。尤も、ここで開く幽門かくれのもんくぐって冥道を渡ることが出来るのはたった二人だが」


 ヴィーラによると、あの祭壇にある神鏡は冥府へと続く幽門なる入り口を開くためのものでもあるらしく、その祭壇の真上に月が昇る頃に神鏡を空へと向け、さらに天井部に配されているという複数の反射鏡を使用して月光を神鏡がある一点へと収束させることで、冥府へと下る門が開けるとの話だった。

 しかしその門を一度に潜ることが出来るのは二人だけであり、加えて漏路くけじの実なる、五十年に一度しか実らないという不思議な果実の力によって一時的に仮死状態となった上で、ヴィーラの秘術により半霊体となることで初めてその門を潜ることが出来るようになるらしい。

 そしてその半霊体となった状態でも冥府へと持ち込めるものが、先に彼女から手渡された珪仙樹けいせんじゅ霊枝れいし封姨ぼういふいごであり、前者は持つ者の思念に呼応して自身の存在の力と引き換えにその形状を自在に変化させることができ、後者は私たちが欲していた禊祓の炎フェブルアを吸い込んで中に蓄えることが可能だという神器だとのことだった。

 ただし半霊体という状態は極めて不安定な存在であり、冥府へと至る二人は両者のことを非常に強く想い合っている間柄であることが絶対条件であるとのことで、私たちの中からは必然的に、その条件を満たすことが可能な私とリゼとが選ばれることとなった。


 一連の話を聞いて迷うことなく心を決めた私とリゼは、ヴィーラから神器の扱い方をそれぞれ教わり、私が武器防具や移動手段にもなり得る霊枝を、リゼが例の炎を集める鞴を使う役割に分かれ、祭壇の奥にあった部屋で月が天頂に差し掛かる時をリゼと共に静かに待とうとした。

 そんな中、ヴィーラが非常時に際しても慌てず冷静に行動が出来るようにと、私とリゼとを瞑想の間なる場所へと導き、敢えて他の仲間たちとは離れた状態に身を置いて精神を研ぎ澄ませるように取り計らってもらい、私たち二人はそこで自分たちの気持ちを落ち着かせながら、必ず無事に戻って来ることをお互いに誓い合った。

 そうしているうちに時間は流れ、いつしか空を支配していた太陽に代わって月が天の頂きへと昇り、やがて私たちを真上から冷たく照らす刻を迎え、レイラたちは空から降り注ぐその月光を一点に集めるべく天井部の空間へと移動し、其処に配置されていた複数の鏡の位置を、ヴィーラの指示を受けながら入念に調整していた。


「いよいよね……リゼ」

「はい。けどメルと一緒なら、絶対に大丈夫だって信じていますから」

「ふふ、そうね。私もあなたと二人でなら、本当に心強いわ」

「では二人共……鏡の前へと進むがよい」

「頑張ってきてね、お姉ちゃんたち!」

「ご一緒出来ないのはとても心苦しいですが……どうかご無事で!」

「皆であなたたち二人の無事を祈りながら、帰りを待っているわね」

「抜かるなよメル、そしてリゼ」


 レイラたちのそれぞれから見送りの言葉を掛けてもらった後、ヴィーラに導かれて祭壇の頂上である神鏡の前へと立った私とリゼは、彼女から青い林檎のような見た目をした果実――漏路くけじの実を手渡され、二人揃ってその身を口にした。

 その歯ごたえのある稠密な果肉は心地の良い甘さを舌に伝えてきた後、後口に仄かな苦みを残した。ヴィーラから聞いていた話によると食後僅か五分ほどで急速に意識が遠のき始め、そのまま仮死状態へと移行するという。

 その間に私とリゼはそれぞれの手に予め渡された神器を手に携え、ヴィーラの指示に従って二人して隣り合ったまま仰向けの状態で横になり、彼女からの注意をもう一度聞きながらその時を静かに待った。


 なお、冥府の煉獄なる場所には、死者の洗礼を受けられずにその魂が縛り付けられている数多の幽鬼とそれを喰らわんとする獄卒とが犇めいているとのことで、特にその獄卒らしき存在と遭遇した際には、とにかくその場から逃げることを最優先とするようにとヴィーラから言われた。

 さらに最も注意しなければならないこととして、私たちが帰還するよりも前にこの月光によって作り出されている幽門が閉ざされてしまった場合、二度とこの現世うつしよには戻ってこられないため、もしも半霊体の身が一部でも透明に見え始めた時は、何を置いてでもすぐさま引き返すようにとの指示を受けていた。


「……あとはお前たち次第だ。無事に煉獄にある禊祓の炎を持ち帰った暁には、お前たちの武器にその炎による洗礼を施してやろう。真に討つべき敵を滅するためのな。ただしくれぐれも炎にだけは直接触れるでないぞ。さもなくば滅されるのはお前たちとなるのだから」

「肝に銘じておきます……そして、必ずやまたここに戻って参ります」

「私も、絶対にメルと一緒に帰ってきますから!」

「ん、もうそろそろ頃合いだな……では、お前たちの健闘を祈るとしよう」

「何だか急に……意識……が……遠のい……て……」

「あ……メ、ル……」


 まるで酷く疲れた日の夜に寝台の布団へと自然に吸い込まれていってしまうような、あの感覚と同じものを感じた私は、それに抗うことなくただ身を任せることにした。そして間もなく失われた意識が元に戻り、再び目を開いたこの私が見たものは、神鏡の前に横たわるリゼと、この私自身の姿だった。

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