第136話 私たちの生きる道


 シャントルヴェイユでの滞在を終えた私たちがフィルモワールへと戻ると、街はこの短い間に本来持っていた穏やかな表情をすっかりと取り戻しつつあった様子で、やがて皆がそれぞれ、元の生活を再び送り始めることとなった。


 師匠は屋敷に戻って来て程なく、また向こうで会おうとロイゲンベルクを目指して出立し、アンリも本来所属している組織の一員としてあるべき姿――エヴァとして日々フィルモワールの安寧秩序を守っているようだった。


 私とリゼ、そしてレイラは自分たちの追い求める道を究めるべく、各々がこれまで以上の専心と研鑽を以てそこに情熱を注ぎ込み、シャルはエステールと共に、より深い知識と富国に活かせるような幅広い知見とを直接得るため、日々各地を忙しく飛び回るといった生活を続けていた。


 またレイラは最近、文通を続けていたディートリンデと近く会う約束を交わしたらしく、私の知らないところでも新たな親交の輪が拡がりつつあるようだった。


 そんな中で最も大きな変化があったのはエセルで、兼ねてより妹を欲しがっていたシャルは、日々エフェスとリゼのやり取りをみていて強く思うところがあったようで、何とか彼女をボワモルティエの家に迎え入れるべく養子縁組を行おうとエセルに話を持ち掛けた。


 一方のエセルは最初こそ難色を示していたものの、これからの生活を送る上での様々な利点やエフェスと共に学校に行けることなどを列挙されたあと、やがてその熱意に根負けする形で、最終的にその首を縦に振った。


 しかし養子縁組を成立させるにあたって、シャルは侯爵である自身の父の了承を得る必要があり、エセルはその出自が極めて特殊であったため、通常であれば生まれの不確かな者が侯爵家の一員となることはまず不可能だった。


 ただエセルが持つ途方もない魔現資質とその神理をも操る運用能力は既に折り紙付きであったことから、シャルは父親に、彼女を迎え入れれば一族に大きな利益と繁栄とを齎し得る存在になるとやや強引に説き伏せたようで、その結果エセルはボワモルティエ家の一員となり、シャルの義妹として新たな繋がりを持つことになった。


 また、意識を取り戻した私の父は特に目立った後遺症なども見られず、医療施設を退院した後にロイゲンベルクへと渡り、法廷に赴くこととなった。


 父は落胤に完全に取り込まれた以降の記憶をすっかり失っていた様子で、その憑代となっていた間に行った行為については裁判官を務める王陛下の取り計らいもあって、心神喪失を理由に全ての責任能力を問われることはなかった。


 判決の結果、昼間は家から出入りすることが許されない、二か月間の逼塞ひっそくを命ぜられるに留まり、失爵することは辛うじて免れた。そして父はまだ自らが置かれている現状を十分に把握しきれていないこともあり、しばらくは自宅である屋敷にて療養することとなった。


 その後、救国の英雄として叙勲式に臨んだ私たちは、女王陛下から国花である白百合を象った国家功労勲章を授与され、またそれと同時に名誉国民の称号をも賜り、さらにその栄誉をより広く知らしめたいとのことで、式後には専用の馬車に乗って街中を周回し、フィルモワールの国民から盛大に祝福されて、リゼや他の皆と一緒に照れくささを湛えた笑みを浮かべながら、皆に手を振って回ることとなった。


 そうして全ての事態が落ち着き、平穏ながらも慌ただしく過ぎていく毎日は季節のページを留まることなく捲り続け、あの美しく色づいていた葉も秋風と共に空へと還り、私たちの住むオーベルレイユの街はもうすぐ冬を迎えようとしていた。


 日に日に深まっていく冬の気配を受けて、私は手編みの襟巻きをリゼに贈ろうと考え、レイラたちに教わりながらも極力自力で編むことにし、素材も自分で調合した防寒性の高い特殊な絹糸を使って、慣れない手作業に四苦八苦しつつ何とか完成に漕ぎつけることが出来たものの、どうやらその寸法を少し長くし過ぎたようで、凡そ一人では持て余すほどになってしまった。


 不慣れな手編みということもあり、その出来栄えにも一抹の不安を抱えたまま、休日の散歩にリゼと共に二人で出掛けた折、私がリゼに自作の襟巻きを手渡すと、それを受け取った彼女は途端に夏の太陽の如く燦然とした笑顔を輝かせ、大きく跳び上がるように喜んでくれた。


「ね、本当に変じゃないかしら……?」

「そんなことありませんよ! 私にとっては世界で一番の襟巻きですから。こうして首に巻けば、メルがその手で編んでくれた優しさが肌を通して伝わってくるようで……身も心もふんわりと温まっていくのが分かります」

「本当? それなら良かったわ……出来栄えもそうだけれど、色々と心配で」

「私は、メルが日々忙しい合間を縫って、私のためにこうして素敵なものを密かに作っていてくれたことが何よりも嬉しくって……本当に感無量、です」

「ふふっ。そういってもらえると私も嬉しいわ、リゼ。けれど、やはり少しばかり丈を長くし過ぎてしまったようね……」

「えっ、私こんなの全然気になりませんけど……あっ、そうだ! メル、ちょっと私のすぐ隣に立ってみてください」

「ん、隣に? こう、かしら」

「そうです。では、ちょっと失礼して……」


 その時、リゼは隣に立つ私の首元に余った襟巻きをそっと渡して、そのまま彼女自身と私とを一つに繋ぐようにくるりと巻いて見せた。


「リゼ……これは」

「ふふふ、こうすれば逆に長くなっていて良かったと思いませんか? 私はこれくらい長くてちょうど良かったなって、そう強く思いますよ。だって現に今こうして、メルとぴったりくっついて居られますからね!」

「ええ、これならまさに怪我の功名というものだわ……ありがとう、リゼ」

「いえ、感謝するのは私の方ですから。ほら、早速このまま通りに出て一緒に歩いてみましょうよ!」


 秋の名残りを吹き散らすこがらしが身に沁みるこの時節にあっても、こうしてリゼと身を寄せ合っていれば、寒空の下でもまるで小春日和のように穏やかに感じられる。そして私は傍らに立つリゼの手が縷々るるとして伝えてくる柔らかな温もりに触れながら、この先もずっと、彼女と二人でこんな風に寄り添いながら歩んでいくことが出来たなら、それ以上の幸せはないと感じた。


 その後、二人で密着した格好のままで他愛もない会話に花を咲かせながら街なかを一頻り歩いた私たちは、やがて大きな公園に来たところで広場の中にある東屋あずまやに腰掛け、そこで一息をつくことにした。


「ねぇ、リゼ」

「何でしょう、メル?」

「あなたは今、幸せかしら……?」

「えっ、これはまた急な質問ですね……けど、私は自信を持って言えますよ。これまでの人生を振り返ってみても、今の私は一番幸せな時間の中に居るって。誰に憚ることもなく、メルと想いを通じ合わせながらその隣に居られる、この今が」

「そう……私もね、リゼ。今のあなたと同じ気持ちなの。これまで私たち二人には本当に色々なことがあって、私は自らを諦めようとしたことさえあったけれど……その隣にはいつもあなたが居て、この私を光のある方向へと導いてくれた」

「メル……でも、私がメルを一方的に支えていたわけじゃありません。両親と妹のどちらも失った私は、本当に孤独でした。そんな中、メルは私の心友であるだけに留まらず、一介の侍女に過ぎない私を家族だと言ってくれた。私はあの時、心から安心出来て、またそれと同時にこう思ったんです。メルが……メルこそが私の居場所、そのものなんだって。だから私は私で、メルの存在が心の支えになっていたんです」


 リゼが私を支えて、私がそんな彼女を支える。私たち二人は、お互いがお互いを支え合う関係で、それはどちらかが欠ければ決して成り立たないものだった。しかし二人が一緒ならば、これからいかなる災いたちがこの身に降りかかろうともきっとその全てを軽々と乗り越えていける、何よりも強い絆の力があると感じた。


「あなたと私は家族で、お互いがお互いを想って助け合う、素敵な関係。たとえこれからどれだけの時間が流れたとしても、それだけはきっと変わらない」

「はい……メルの存在が私の拠りどころであるように、私もまたメルの居場所であることが出来たなら、それ以上の幸せはないって、そう思っています」

「……ならリゼは、これからもずっと私の隣に居て、私のことを支えてくれる? 私と同じものを見ながら笑って泣いて、そして一緒に歩んでいってくれる……?」

「メル……! 私が……この私が、これからずっとあなたの隣に居ても、本当によろしいのですか……?」

「あなたじゃないと、だめなの。あなたが居ない毎日なんて、私には考えられないわ……だからリゼ、この私と一緒になって欲しいの。今はまだお互いに人として未熟だけれど、それでも二人で支え合って生きていけたら……私はいくらでも頑張っていけるから。もちろん今すぐ答えをくれなくっても構わない。それでも私は――」


 リゼはそんな私の言葉と少しの不安とを全て呑み込むように、この身体を力強く抱き締めながら、その艶やかな唇で私の口を塞ぎ、私は全身で彼女という存在とその熱い思いの丈を感じたような気がした。


「考える時間なんて、私には必要ありませんよ、メル。今はまだ、あなたを支える私の腕は頼りないかも知れませんが、あなたのためならどんな艱難辛苦がこの身に降り掛かろうとも必ず切り抜けてみせます……だからどうかこの私を信じてください」

「……ありがとう、リゼ。あなたのこと、私は誰よりも信じているわ。今までもこれからもずっと、ずっと。そして私もそんなあなたのことを精一杯支えてみせる。けどもし私の存在が足りないって感じたら、遠慮なんてしないですぐに私のところに来て。それで私もあなたをより深く感じたい時は、その……いいかしら?」

「もちろんですよ、メル……私、そんなメルの想いにはすぐ甘えちゃいそうですから、私の方から求めるばかりになってしまいそうですが……メルだって、私が欲しくなった時は、思い切り甘えてください。こんな私をメルに求めてもらえるのなら、それ以上に嬉しいことはありませんから!」

「……ええ。これからはお互い、自分の想いにもっと正直になって、今まで出来なかったことも二人で沢山していきましょうね、リゼ」

「はい……メル」

「んっ……」


 それからリゼは再び私と深く唇を重ね合わせながら、まるで永遠にも思えるような緩やかな時の中で、私は彼女という存在の泉に身を浸していた。そして彼女から止めどなく伝わってくる想いは、迸る猛炎のように激しく、また獅子の如く猛々しいものである一方、長閑な春光のように優しく温かでいて、柔らかな綿あめのようにふわふわと甘く溶けるような感覚にも似ているようで、私はそんなリゼと共に、これから先もずっと二人でお互いの存在を感じ続けていたいと強く思った。


「んん……んっ、はぁ……ねぇ、リゼ」

「……はい、メル」

「私ね、今よりもう少しお金が得られるようになったら、小さな借家でも良いから、其処に移り住もうと考えているのだけれど、あなたはどう思う? 今の生活環境は本当にこの上ないものだけれど、いつまでもシャルの厚意に甘えて胡坐あぐらをかいているわけにもいかないから、自分たちで出来ることはなるべく自分たちでやっていきたいの」

「良いと思います。それに、私はメルが居るところなら何処にだって一緒について行きますよ。エフェスは今住んでいる大きなお屋敷の方が良いかも知れませんから、ちょっと相談しないとですが……きっと、解ってくれると思います。それにフィルモワールでは教育費は無償ですから、これから二人で頑張れば何とかなりますよ!」

「ありがとう、リゼ。そうよね……たとえ狭くても、同じ屋根の下で身を寄せ合いながら、自分たちの力だけで生きていけるように、これから力を一つにして、精一杯頑張っていきましょうね!」

「ええ、必ず出来ますよ! 私とメル、二人一緒でなら!」


 私たち二人の人生はこの瞬間から、また新しく始まる。きっとこれからも様々な問題に頭を抱え、胸を痛めることも数多くあるに違いない。しかしリゼと共に、遥か未来にまで続くこの道を歩んでいくことが出来るのなら、たとえこの先にどんな困難が待ち受けていようと何も怖くは無かった。


 私の隣には、いつでもリゼが居て、リゼの隣にはどんな時だってこの私が居る。

 それこそが、私とリゼがお互いに手を取り合って歩いてゆく、二人の未来。

 

 私たちの生きる道。

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