第63話 夜の帳の彼方まで


「待たせたわね、リゼ! レイラ!」


 部屋の戸を突き破らんとする勢いで開け、即座に薬草をリゼに与えるための準備に取り掛かる。レイラの話とお母様の手帳から得た情報を併せれば、その葉を温風乾燥させたものを三枚ほど投与することで、たちどころに強心効果を齎し、またその成分がリゼを苦しめている麻痺毒に対しても拮抗を示し得るとのことだった。


「あぁ……メル! リゼはもう言葉を発することすら出来なくなって……! でも、きっとまだ間に合います!」

「ええ! この葉に魔導で働きかけてすぐに乾燥させるわ。あとはそれをリゼに与えれば……」


 レイラに直接その乾燥させてゆく様子を見てもらいながら、彼女が最も良好であると感じられた頃合いで、魔導による変化を留め、呑み込みやすいようにある程度手でちぎった上で、寝台にぐったりと横たわっているリゼの口元へと運んだ。


「さぁ、リゼ。口を開けて、これを呑み込んで頂戴!」

「う……あ……」

「……いけない。もう口を開けて噛む力すら残って……なら!」


 自らの口内で乾燥して硬化した葉を細かく噛み砕いて、それを手で開いたリゼの口へと移していく。もう形振りなんて構っていられる状況ではない。細かく噛んで柔らかくした状態であれば、きっと今のリゼでも辛うじて嚥下えんげすることが出来るはず。


「それを呑み込むのよ、リゼ!」

「ん……んん……!」

「そう……そうよ! 頑張って!」


 そうして幾度か口移しを繰り返し、何とかリゼに必要な量を全て呑み込ませることが叶った。最初にリゼに異変が起きてから、もう二時間近くが経とうとしているけれど、こうなればあとは、その命運を天に委ねるほかにはない。


「リゼ……絶対に生きて……また、私の名前を呼んで、頂戴ね……」


 ――リゼは、今必死に戦っている。己の命を奪わんとする死、そのものと。

 けれどリゼ、あなたは独りではない。このメルセデスがあなたの傍に付いているのだから。どんな困難だろうと絶対に乗り越えてゆけるわ。

 そうでしょう? リゼ……。


「メル……はっ、何ですか、あなたたちは⁉」

「エヴァね……大丈夫よ、レイラ。彼らは薬草を探すのを私と一緒に手伝ってくれた人たちよ。まぁ、少しばかり込み入った事情があってのことだけれど、ね」

「そ、そうだったんですか……すみません、大きな声を出してしまって」

「もはや確認するまでもないと思いましたが……念には念を入れておく必要があったものですから。時にその人が、あなたの言っていた大切な人、ですね」

「……ええ。依然として予断を許さない状態ではあるけれど、今の私が出来ることは全てやり尽くしたわ。あとはどうかもう少し、このリゼの傍に居させて頂戴」

「構いませんよ……あなたはどうみても逃げ隠れをするような人には思えませんからね。ではまた、後ほど」


 エヴァはそういうと、その背後にいた仲間たちと共に、私たちの部屋をあとにして去って行った。本来であれば、私個人の事情などお構いなしに拘束して、厳しい取り調べを受けさせられるものだけれど、あのエヴァはこちらの想いを汲み取って、私たちに時間を与えてくれた。私にはその気持ちが、何とも嬉しく感じられる。


 ――でも、私にとって何より一番嬉しいのは……。

 待っているわ、リゼ。あなたがその瞳で、再びこの私を見つめてくれる時を。

 たとえどれだけ時間が経とうと、いつまでだって、ずっと……。



 ***



 あれから、一体どれぐらいの時間が経ったのか判らない。

 ふと気が付がついた時にはもう、あの篠突くような雨の音はすっかり止んでいて、

傍らで様子を見守っていたレイラは、いつしか腕を組んで寝台に突っ伏した格好で眠っていた。そして俄かに白んだ暁闇を湛える窓辺から時折伝わってくる鳥の囀りが、朝の訪れが近いことを告げているようだった。


「はっ、リゼは……!」


 眼前にあったのは、穏やかな寝息を立てながら、ゆっくりとその胸を上下させているリゼの姿。その頬には仄かな赤みが差し、ずっと握り締めていたその両手からは、確かな温もりがこの肌を通してひしひしと伝わってくるのが感じられた。


「あぁリゼ……! あなた、生きているのね……! 本当に、よかっ、た……」


 目の奥から止めどなく溢れてきたものは、熱。

 それは次々とこの両頬を伝い、顎先へと流れては、少しの冷たさだけを残して、何処かに去っていく。けれど、リゼから伝わってくるこの暖かな温もりは、何処にも行かず、ただ私の傍に居て、この心を優しく包み込んでくれているようだった。


「うっ……うぅ……!」


 ――今の顔、きっとリゼには見せられたものではないけれど、それでもまた、あなたがその瞳の中にこの私を映してくれるのなら、私はもう何だって構わないわ。

 ただあなたがこうして、生きていてくれるだけで私は……世界一の、幸せ者よ。


「ん……ううん……」

「リ……リゼ⁉」

「う…………メ、ル……?」

「あ……あぁ……リゼぇ!」


 次の瞬間、私は何もかもを忘れて、目の前に居る誰よりも大切な人を思い切り抱き締めた。私が何処の誰だとか、今がいつだとか、これから何を目指しているだとか、そんなものどうだってよくなるくらい……リゼ、あなたのその存在のみをこの全身一杯に感じたくて。でもきっとこれが、等身大の私が描く、本当の気持ち。


「う……ちょ……メ、メル! ぐ、くるし……苦しいです!」

「ご、ごめんなさい……リゼ! でも……でも……あなたがまたこうして……その目で私を見て、私の、名前を……!」

「ん……大丈夫ですよ、メル……私は決して、あなたのお傍を離れたり、しませんから。これまでも、今も、そしてこれからもずっと。だからメルも、この私を独りぼっちになんて、絶対にしないで下さいね?」

「リゼ……!」


 ――どうしてリゼは、こんなに温かいのだろう。

 どうしてリゼを、こんなにも愛おしく感じてしまうのだろう。

 けど理由なんて要らない。私のこの想い、そのものこそが全ての答え。


 私はそれを失う前に気づくことが出来て、本当に……良かった。


「あ……」


 その時、ふとリゼの肩越しにあんぐりと口を開けたままこちらを見ているレイラの姿がこの目に映ると共に、彼女の目の内に描かれたものを想像してしまい、それから間もなく激しい含羞がんしゅうが込み上げて来て、このリゼと二人して強く抱き締め合っている状態が、極めて面映おもはゆいように感じられた。


「あっ、レイラ……おはよう!」

「お、おはようございます……メル、そして、リゼ!」

「おはようございます、レイラ。メルはもちろんのこと、レイラにもきっとものすごく心配をかけてしまいましたよね……本当にごめんなさい」

「そんなのいいんですよ! リゼが無事ならそれで!」


 ぐぅるるるる……。


「あら……誰かさんの腹の虫も、ちょうど目を覚ましたみたいよ?」

「す、すみません……! う、うぅ……二人にこんなにもありありと聞かれてしまって、ものすごく恥ずかしい……!」

「ふふふっ。そんな布団に包まってまで恥ずかしがらなくっても、むしろ元気な証拠だわ。この後、皆で一緒に朝食を……」

「……あれ、どうしたんですかメル?」

「いえ、実はその前にちょっと話をしなくてはいけない相手が居るのを思い出したわ。だから食事は二人で先に楽しんできて頂戴」

「あっ、メル……そういうことならレイラと一緒にここで――」

「良いの良いの。正直、どれぐらい時間がかかるか判らないから、先に行ってて。ではまた後でね」


 リゼが目を覚ましてくれて本当に嬉しかったけれど、私は私で、エヴァとの約束をちゃんと果たさなくてはならない。しかしこちらの事情を斟酌してくれたエヴァであれば、きっと悪い方には傾かないはず。願わくばどうか、お手柔らかに。

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