第61話 宴のあと


「はぁ……私もう、お腹いっぱいです……ごちそうさまでした」

「私はまだまだ食べられますが、このくらいにしておかないと、またメルに怒られちゃいますからね。『あなた、何人分食べるつもりなのかしら?』って」

「ふふ、鶏一匹をまるまる一人で平らげておいて何を言っているの。でもここの地鶏を使った料理はとても美味しかったわね……本当に」


 ――私はこれまで様々な料理を頂いてきたけれど、ここまで美味しく思えたのは、本当に久し振りかもしれない。一流の料理人が最高の食材を使った料理はもちろん素晴らしいのだけれど、リゼが私のためだけに作ってくれたお弁当を頂いた時と同じような、心が喜んでいる感覚を、今ここでまた味わえた気がする。


「ふぅ……お腹が満たされたら何だか少し、頭がふわふわしてきました」

「食べるのにも体力が要るからね。まぁこれだけ食べれば失われた分の血だってすぐに元通りになるわよ、きっと」

「大丈夫ですか、リゼ? 帰る時、肩を貸しましょうか?」

「心配要りませんよ、レイラ。でも帰ったらすぐに寝ちゃいそうです」

「んもう、食べてすぐ寝たら牛になるわよ? ……でも今日はそれも仕方ないかもね。もう少しだけゆっくりしたら、店を出て宿に戻りましょうか」



 ***



「せっかくだから、一度ワインというものを飲んで見たかったですね、メル」

「確かにお店の人がここはワインが美味しいところだって言っていたわね。私たちは二人共、お酒を飲める年齢にはなったけれど、またそれは別の機会にとっておきましょう。フィルモワールへ無事に辿り着りつけた日にでも、ね」

「そういえば今まで一度も訊いていませんでしたが……お二人は今、おいくつなんですか?」

「二人共今年で十六になったわ。度数の高いものが十八まで飲めないところは、こちら側も同じだったみたいだけれど。それで、レイラは?」

「ふふふ、私もお二人と同じですよ。先月、十六になったばかりですが」


 奇遇なことにレイラも私たち二人と同い年だった。その見た目や雰囲気からして、二つほどは年下だと勝手に思っていたから、少しだけ驚きだった。そして三人が揃って同級生だったことに何だか嬉しさを感じていたその帰りの道中、傍らで歩いていたリゼが、急に大きくよろめき始めた。


「おっとっと……」

「危ないわよ、リゼ。ほら、肩を貸してあげるから」

「すみまひぇん、メル。さっきからぬぁんだか足がもふれてしまって」

「ちょっと。もつれているのは足だけではないようだけれど……」

「もう少しで宿ですから。それまで頑張って歩きましょう、リゼ」


 リゼの足元は妙にふらついていて、深酒をした人間が酩酊状態に陥った際に見せる、いわゆる千鳥足のような動きを見せていた。しかし呂律が回らなくなってきているのを見るあたり、これはちょっと様子がおかしいように感じられる。


「レイラ、宿に戻ったら一度リゼの様子をちゃんと確かめましょう。胃の方に血流が言ったか何かで、一時的な貧血を起こしたのかもしれないけれど、何か変だわ」

「らいじょうぶですから、メル……うわっと」

「リゼ、そんな状態で喋っていると舌を噛んじゃいますよ? もうすぐ着きますから、しっかり」


 足元がおぼつかないリゼをレイラと二人で支えながら何とか宿に戻ってはこれたものの、寝台に寝かせたリゼの様子は依然として変わらず、間もなく会話すら満足に交わすことが出来ない状態に陥ってしまった。


「リゼ、一体どうしたんでしょう……食事中はあんなに元気だったのに」

「……! まさか――」

「どうしたんですか、メル」


 リゼをこのような状況に至らしめる原因として思い当たるものがあれるとすれば、一つだけ心当たりがある。それは、彼女の右手首を貫いていたあの刃。そしてその時私は、現場に私たちが居た痕跡を何も残さないよう、落ちた刃を念のために布に包んで保管してあったのを思い出した。


「あったわ。私の予測が正しければおそらく……やはりね。これが犯人よ」

「それって、リゼの手首を貫いていたあの刃ですよね? でも傷口はとっくに塞がっていますし、今更それとどんな関係が……」

「この刃先をよくみてご覧なさい。あの時は鮮血に塗れていてよく判らなかったけれど、黒い油のようなものが残っているわ」

「これは……もしかして!」

「そう……きっと毒よ。受傷部位からの出血が多くて、即致死に至るほどの毒は身体に入り込まなかったのだろうけれど、それは確実にリゼの全身をゆっくりと蝕んでいたようね。本当に迂闊だったわ……こんなものまで使ってくるだなんて」

「悔しいですが……毒相手では、私の治癒術でも……」


 しかし毒を取り除くにしても、元の毒成分が何なのか判らなければ、有効な手立てを考えるのは至難。先にアル・ラフィージャで色々と買い込んだ物資がまだ残っているものの、解毒に必要な素材として使えるものがあるとは限らない。


「これが毒であることには間違いないようだけれど、手持ちの試薬だけでその成分を特定できるかどうか……それにもし、これが混合毒だったとしたら……」

「でもそれって……すみませんメル、その刃をちょっと私に貸してください」

「いいけれど……どうするの、レイラ」


 するとレイラはその鼻に刃先を近づけ、匂いを嗅いでいるような素振りを見せた後、自身の髪を一本だけ抜き取り、その毛先にその液体を付けるや否や、それを何の躊躇いも無く口に含んだ。


「な……何をしているの、レイラ!」

「無臭で……苦みだけがあって、この舌が痺れる感じ。間違いありません。これはサバクコハクガエルの蟾酥せんそを使った毒です」

「せんそ……?」

「カエルの皮膚から得た分泌液を乾燥させたものです。これは非常に強力な麻痺効果を持っていますが、口や胃からは毒が吸収されないので大丈夫です。私も矢毒として使っていたことがありますので、この毒のことは良く知っています」

「本当……? ならすぐにでもその解毒方法を教えて頂戴!」

「ジギト・テリビリスという植物の葉が三枚ほどあれば、それを速やかに乾燥させたものを生薬として用いることが出来ます。量を間違えれば毒になってしまう危険なものでもありますが……」

「……それでも構わないわ。お母様の手帳にもきっと記述があるはず……」


 果たしてその姿は、お母様の手帳の中に見ることが出来た。

 濃い紫から薄い桃色へと変容する色を湛えた、釣鐘のような形をした花が幾つも連なっていて、葉は長細く、花よりもずっと下部の方に付いている様子。

 全草が有毒で、葉には特に多くその毒が含まれているものの、適量を以て適切に使用すれば、逆に強心効果や別の毒に対する拮抗薬として利用できるとのこと。

 そしてまたその主な採取地としては、低山の山頂部が挙げられていた。


「私は生薬の状態でしか知りませんでしたが、こんな見た目なのですね……」

「採取場所は低山の頂上部……この近くにもそのくらいの山があったわよね。私、今から探して採ってくるわ!」

「わ、私も行きます! 私なら暗くてもきっと――」

「いいえ、レイラはここでリゼの近くに居てあげて。低山と言えど、雨天で夜間の採取ともなれば危険が大きいわ。ここは私独りに任せて頂戴」

「……分かりました。リゼと一緒に、ここでメルを待っています。どうか、お気をつけて!」

「ありがとう。雨具と魔光灯さえあれば十分だわ……では、行ってくるわね!」


 ――リゼはかつて、私が病に倒れた時、同じように雨の山中を駆け巡って、お兄様と共に薬草を持ち帰り、私の命を救ってくれた。今度は私が、その恩を返す番。

 どうか待っていて、リゼ。私があなたを決して、死なせはしないから。

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