第2話 星光列車に乗って


 ――列車に乗るのは本当に久しぶり。ましてや寝台車などは初めての経験。

 近年になって普及したこの新たな交通手段は、とても魅力的に感じられるわ。

 けれど穏やかな気持ちでは居られない。これは旅行でもなければ、視察でもない。


 自らを縛り付けていた全てからの逃走、それ以外の何物でもないのだから。


 そんな中で、ただ一つ、私にとって嬉しい誤算があったとすればそれは、幼馴染であるリゼが今、この私の目の前に居ること。


「メルセデスさ……いえ、その……メル」

「ふふ、あなたにそう呼ばれると何だか新鮮ね。で、何かしら?」

「これから一体どちらへ、向かわれ……いや、行く、の?」

「そうね……まずは王国の勢力圏外に出るのが先決よ。朝を迎える頃には、ベルリッヒに着くから、其処から更に乗り換えて、南へと向かいましょう」


 ――ロイゲンベルク王国が持つ実質的な勢力圏は、かなりの広範囲に渡る。しかし南方への影響力が比較的薄いところを鑑みれば、まずはそちら側を目指すのが最適のはず。


 そして何より、大陸の最南端に位置する国、フィルモワールには、私がずっと目にしたいと思っていた本物の海がある。しかもあちらの季節は丁度こちらとは逆、つまりこれから夏を迎えようとしているのだから、凍えた心身にはもってこいだわ。


「でもメルセデスさ……メルは、今回本当に、大胆なことをなされまし……した……あぁ! 私、やっぱり対等の言葉でなんて、無理です!」

「あら、そんなに話しづらい? なら、言葉遣いぐらいは、別にいいかしら。けど、メルセデス様っていうのだけはよしてね。私はもう貴人ではないのだから」

「えっと……はい。それは、善処……します」


 ――やはり長年に渡って身体に染みついた癖というものは、簡単には抜けないものね。私自身は、同じ言葉で、あなたと想いを交わしていきたかったのだけれど。

 まぁ、リゼも私と行動を共にしている内に、自然と変わっていくかもしれないわ。


「それで……メル、そのベルリッヒを越えた後は、どうされるんですか?」

「ベルリッヒに入ったら、国境が解放されている三つの隣国の内、いずれかを通って、さらに南下するつもりよ。そこから先は、余計な足跡そくせきを残すわけにはいかないから、この旅券も使えなくなるわね」

「そうですか……しかしこうして二人だけで外に出るのは、学院に通っていた時以来ですよね」


 ――確かにそう。学院を卒業したのは今年の春だったから、ちょうど半年ぶりぐらいになるのかしら。お互い屋敷の外で過ごした時間は、楽しかったわね。


 私たち、魔現マジックはどちらも不得手だったけれど、共に魔素マナを自身の肉体や他の物質へと導く、魔導コンダクトの資質にだけは秀でていたから、その力をどう活かしていくかについては、本当に迷ったものだわ。


 結果的に私は、己の道を拓き、心の器も磨くべく剣の道を、そしてあなたは、その身一つだけでも私のことを護れるようにと、武の道を志したのよね。

 どちらも方向性は違えど、魔導の力を巧く活かすことが出来るものだったから。


 あの頃は、自分の前に続いている道の先が何も見通せなくて、不安しかなかったけれど……今なら、私たちの力を一つに合わせさえすれば、例えどんな火の粉が降りかかって来ても、払いのけられる……そんな気がするわ。

 

 それにしても、こんな状況の中にあっても湧いてくる、この不思議な安心感の正体は……リゼ、あなたの存在が傍にあるからに違いないわね。


「ん……? 何をにやにやとされているのですか、メル?」

「いえ、何でもないわ。さ、明日からは本当に大変なんだから、もう明かりを消してベッドに入るわよ、リゼ」

「そうですね……分かりました。それでは私はこちらの――」

「私と、一緒にね」


「……はい? あの、今一体、何と?」


 ――またそんな面食らったような顔をして。本当はちゃんと聞こえているくせに。手でも引いてあげないと来ないつもりかしら。なら、そうするまでだわ。


「リゼ、二度目? ほら、くっついていないと眠る時に寒いでしょう? いいからこっちに来なさい」


 ――あら……? こうして改めて見て気付いたけれど、この子、また背が高くなったのね。片膝を突いて仕えると言っておきながら、この私に見上げさせるなんて。

 けれどリゼ、何だかあなたのことが、以前よりずっと頼もしく思えてくるわ。


「あっ……メル……」


 何だか手が熱いわね。今更恥ずかしがることなんて無いのに。私より背が高くなっても、そういうところだけは本当に変わらないんだから。


「あの、メル、本当にこうして向き合ったまま眠る、のですか?」

「そうよ。お互いに顔が見えていた方が、安心できるってものでしょう?」

「それは……そう、ですけれど」

「何なら手を繋いだままでも構わないわ。小さい頃、そうしていたようにね」


 ――目の前にあるリゼの頬が、どこか紅くなっているように見えるのは、窓から差し伸べる月明かりのせいでは、決してないわね。


 でもねリゼ……本当は、次に目が覚めた時、あなたの顔がここに無いと、不安に襲われそうな私が、ここに居るから、なの。


 けど、そんなことは口が裂けても、あなたには言えないわ。それこそ私の顔が紅くなってしまうもの。二人して林檎みたいな顔をしていたら、おかしいじゃない。


「でも本当、こうしていると、あったかいですね……メル」

「ほら、私の言った通りだったでしょう、リゼ? さぁ、明日に備えて眠るわよ」

「はい……それでは、おやすみなさい、メル」

「ええリゼ、おやすみなさい。また、明日ね」


 ――目を閉じても、こうしてあなたの温もりを直に感じていれば、怖いものなんて何もないように思えてくるのだから、人の気持ちって、本当に不思議なものね。

 列車の車輪がレールの継ぎ目を過ぎるこの音すら、心地よく感じられて。

 

 今日は私に付いてきてくれて、本当にありがとう。

 明日からもまた、どうかよろしくお願いね……リゼ。

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