第1話 嬉しい誤算
――エルフェンバイン通り。
この通りに入りさえすれば、目指すツァイフェルの駅までは一直線。
女学院に通っていた頃は必ずこの道を通っていたのだから、体が覚えている。
夜の姿は知らなかったものの、魔光灯のおかげでそう変わらないように見える。
駅前広場の噴水が見えて来た。
傍らに立つ時計台が示す時刻は……午前零時を少し回ったところ。
リゼから貰った時刻表によれば、今から二十分後にはここから星光列車に乗って、翌朝にはこのロイゲンベルク王国から出られる。
――ここ最近、屋敷から出る機会が中々得られなかった私は、学院を卒業してから自室の机上で地図を広げては、この時刻表を頼りによく卓上旅行を繰り返していたものだけど、それがこんな形で役に立つとは夢にも思わなかった。
あとはこの……貴族の身分を証明する旅券を示せば、専用車両にも乗れる上に、そのまま何処の国境をも容易に跨げる。私自身はもう貴族の立場を棄てた身だけれど、使えるものは何だって使ってやるわ。
無論、其処から足取りが付いてしまうのが難点だけれど、とにかく今は王国の勢力圏外に出ることの方が先決。些事は後回しよ。
***
駅の構内は、人も極めて疎らで、静寂に包まれている。
確かに、これから冬を迎えるという今の時季を鑑みれば、この何でもない日の夜に、星光列車を使う理由は、そうそう見つからない。
さて、早くあそこの窓口で、特別車両券を購入しなくては――
「メルセデス様!」
――まさか、私を屋敷から追ってきた者が居たとでもいうの?
けれどこれは……よく知っている声。この私が聞き間違えるはずはない。
振り返るよりも先に、その声の主が誰であるかは、手に取るように判るわ。
「はぁ……はぁ……やっと、追いつき、ました」
「リゼ……あなた、どうして……?」
いつだってあなたは、流麗な桃色の髪を左側に結んで、その紫水晶のような双眸を、私の眼前で煌めかせていたのだから、見紛うことなど有り得ない。
けれどあなたがこうして、此処に居る現実を、私はどうにも認められなくて。
「どうしてもこうしても……ありません……私の役目を、お忘れ、ですか?」
「あなたの、役目……」
あなたは、私が五つの時、私の遊び相手として現れ、私と同じ目線で、私と同じだけの時間を過ごして来た、唯一無二の人。ただの友達だった間柄は、いつしか主従の関係へと変わってしまったけれど、あなたとの繋がりは、血よりも濃く、思えた。
「この、リーゼロッテ・ベーゲンハルト。己が身命を賭して、メルセデス様に仕えることこそが、私に与えられたお役目であり、そしてまた……私の誇りなのです」
「……ええ。あなたのその想いは、私が誰より深く、理解しているつも――」
「なら、どうしてですか! ……どうして、この私に何も告げず、お独りで……」
「……理解しているからこそ、よ。自ら家を棄てたこの私に同行するということが、一体何を意味するか、知らないあなたでは、ないでしょう?」
――リゼは、私専属の侍女である以前に、ラウシェンバッハの家に仕えている身。
そして私は、その家を棄てた人間。そんな私を家に引き戻そうとするでもなく、自らの意思でその行動を共にするというのであれば、主への背任行為として法的に罰せられることはまず免れ得ない。そうなれば、彼女は――
「私は! 私は……メルセデス様が居なくなってしまわれることの方が、何よりも怖いのです。私の毎日から、メルセデス様の存在が欠けてしまうだなんて……考えただけで、震えが止まりません」
リゼの体は、本当に震えている。私は何か、途轍もない思い違いをしていたのかも知れない。事実、これ程長い時間を共に過ごして来た彼女に、今こんな想いをさせてしまっているのだから。
彼女が、自身の全てを
「あなたの想い……このメルセデス、確かに受け取ったわ。こんな私でよければ、一緒に、来てもらえるかしら?」
「メルセデス様……もちろんですとも! 何処までもずっと……お供いたします」
――とても冷たい、手。あなたはきっと私に追いつこうとして、この夜の中を、十分な防寒具も持たずに、休みなく駆けて来たのでしょう。
「リゼ、この
「これは……アルベルティーナ様が使われていたものでは……?」
「良いのよ。私にはあなたがくれた、この暖かな気持ちがあるのだから」
――本当にリゼは、私のことになると後先を考えずに即行動を起こすのだから。だけどそんなあなたの想いに触れて、私はこの湧き上がる嬉しさを隠せそうにないわ。
ありがとう……リゼ。
「ねぇリゼ、この先、私と行動を共にするにあたって、一つ約束して欲しいことがあるわ」
「はい、何でしょう、メルセデス様」
「この今から、その様付けを止めて、この私と対等な関係で接しなさい。もちろん敬語を使うのも駄目よ」
「は……今、何と?」
「ふ……常に優秀なあなたが、私の言葉に限って聞き漏らすわけがないでしょう。じゃ、そういうことだから」
「あっ、お待ちください、メルセデスさ――」
「はい、それ禁止。以後は……メルとでも呼びなさい。いいわね?」
「う……」
――そんなに残念そうな顔をしなくてもいいのに。だってそうでしょう? 私たちはまた、元の関係に戻るだけ、なんだから。そう、あの頃と同じように、ね。
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