第17話 至福の一時


「何をしているの? 早く入っていらっしゃい」

「は、はい……では、失礼して……」


 ――なる、ほど。入ってくるのが遅かったのは、そういうこと。

 確かに私の水着では、あなたのそれを収めるには、少し足りなかったかしら。

 しかし、日々同じものを食べてきたというのに、この差は一体、どこで……。


 それにしても、リボンが付いた水色のフリルビキニを選んだとはね。

 あなたはやっぱり昔も今も、可愛いものが好きなのかしら。


「ちょうど椅子が二つあるから、まずはリゼ、あなたが私の後ろ側に座って……で、こうして私の背後から腕を回して、私の身体を洗って貰えるかしら?」

「はい……えっと、後ろからというと、こんな感じ……ですか?」

「ええ、そうよ。私が持ってきたこの石鹸でよく泡を立てたら、こちらのスポンジにそれを付けた状態で私の身体にあてがって、あとは出来るだけ優しく、ゆっくりと撫でるように動かしてみて頂戴」

「んんっと、こうしてから……優しく、ゆっくりと……」


 ――さすがリゼ、というほかないわ。

 この絶妙な力加減と嫋やかな動き。

 なんて……良い、気持ちなの。


「あぁ……とっても、良い心地だわ、リゼ。しばらく、そんな感じでお願い」

「分かりました。こんな感じで良いんですね」


 ――まさか、こんな至福の時間が得られるだなんて。

 事態は刻々と急を要するというのに、この感覚に全てを委ねてしまいたくなる。

 けれど、最初にロイゲンベルクを出てから、一息をつく暇すらなかったのだもの。


 少しくらいは……良いわよね。この幸せな一時に心身の全てを浸していても。


「次は太ももの辺りを、身をほぐす感じでお願いね……今日はよく、歩いたから」

「ふふ、本当そうでしたよね。では念入りにしておきます」


 ――この、感覚は……長く続けていたら、本当に意識が蕩けてしまいそう。


 こんな風にして触れて貰うことが、ここまで心地の良いものだったとは。

 相手がリゼだからかしら……この気持ちよさは、抜け出せなくなる。


 しかし、もしもこんなものが、夜ごと続いたらと思うと……。

 それを楽しみにしてしまいそうな卑しい自分が居て、恥ずかしく思える。

 駄目ね……そんなことを考えるよりもまず、眼前の大事を乗り切らないと。



 ***



「はぁ……ありがとう、リゼ。この辺りで一度、流して頂戴」

「分かりました。では、お背中からお流ししますね」

「本当に、とても気持ちがよかったわ。次は、あなたの番ね」

「えっ? わ、私の……? いえいえそんな、私の身体なんかをメルに洗っていただくだなんて、滅相もないですよ」

「私がそうしたいから、そうするまでよ。ほらリゼ、席を変わって」


 ――この心地よさを私が独り占めにするだなんて、傲慢が過ぎるというもの。


 交渉の時にはリゼ、あなたを従者と紹介するほかなかったけれど、今の私とあなたはもはや主従ではなく、完全に対等な関係なのよ。だから私があなたにして貰ったことをそのまま返すのは、至極当然のことなのだから。


「……ひあっ!」

「どうしたのリゼ、そんな変な声を出して。まだ水着の上から触れているだけよ?」


 ――けどまぁ、こんなに大きければ無理もないのかしらね……。

 私と違って、リゼの胸を完全に覆うには水着の布地が少し足りないせいか、時折スポンジが胸に直接触れてしまって、急な刺激の変化に妙な声が出てしまうのかも。


「す、すみません。前に化粧水のようなものを肌に塗って貰った時もそうでしたけど、こうして触れられると、どうにも異様にくすぐったく感じてしまって……」

「あら、そう? でもきっとあなただって、だんだん心地よく思えてくるはずよ」


 ――くすぐったいのも分からないではないけれど、ね。

 けど途中から、とっても心地よくなってくるものよ。

 でも、あなたとこうしていると、昔を思い出すわ。


 小さな頃は毎日こうして二人してお風呂に入っては、お互いにくすぐったいって言いながら、一緒に洗いっこをしたものだわ。あの時は真に主従でも何でもない、本当の姉妹のように同じ時を過ごしたわね。あれから何年も経って、私は家まで棄てたけれど、あなたは今も変わらずこうして、そんな私のすぐ傍に居てくれている。


 私はそれを、心から嬉しく思うわ……リゼ。


「ふ、ふっふふふはは……や、やっぱり駄目ですよこれ、くすぐった過ぎて!」

「全くもう。どうしてあの気持ちよさが分からないのかしら……じゃあ、今回のところはこれでお終いよ。背中、流してしまうわね」

「ありがとうございます、メル。相当くすぐったかったですけど、こうしてもらえて、何だかとっても幸せな気分になれました」

「ふふ、それは何よりだわ。では一度、湯船に浸かりましょうか」


 ――こうして共に湯船へと身を任せれば、一日の疲れがそこに溶け出していきそうな、そんな感覚に囚われる。眼前のリゼも、きっと同じ気持ちではないのかしら。


「あ、そういえばメル」

「ん? 何かしら?」

「フィルモワールへ渡ったあとは、一体どうするのですか?」


 ――目的地へ渡ったあと、か。

 よくよく思えば、そんなことは二の次だったわね。


「そうね……まずはそこに辿り着くことが最大の目的だから、後のことは道すがら考えようと思っていたけれど、今のところ漠然としてあるのは……」

「あるのは?」

「あっちでお店でも開こうかなって、思っているわ」

「は……お店、ですか?」

「ええ。まだまだ拙いけれど、私にはお母様から受け継いだ錬金術と薬草学の知識もあるから、それを使って皆のために何かが出来そうな気がするのよね」


 近年は錬金術の進歩もあって様々な迷信は過去のものとなり、またそれをもとにした新興産業が、世界中で急速に発展してきていると聞く。しかしそれに伴って、これまで既得権益に胡坐あぐらをかいてきた旧い貴族たちの力は衰える一方。

 

 これまで身分制度を中心に回っていた生活も、そう遠くない内に激変するはず。

 そしてやがて、誰もが主役になれる可能性を持った新しい時代が、必ず来る。

 

 ――そんな時、大事なものは生まれや称号ではなく、きっと……。


「なら私は、そのお手伝いをしますよ!」


 人と人との繋がりだと、私はそう強く思う。

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