第20話 二つの、血


 レイラの話によれば、彼女は砂漠地帯にあるマタール王国の首都、アル・ラフィージャの下層区――貧民街スラムで生まれ育ち、ある時、他の半妖セーミスたちと一緒に何者かに誘拐されて、何処かへと輸送されそうになったところを、翼を犠牲にしながらも命からがら逃げ出してきたという。


 ――そして、何とかこのザールシュテットにまで辿り着いた後、貨物船に密航して元のマタール王国に住む家族の元に戻ろうとした矢先、例の妖魔に見つかり、こうして捕らえられたというわけね。


「半妖が居るという噂は耳にしたことがあったけれど、まさか本当に存在したとは……しかし、あなたたちは一体何処へ運ばれようとしていたのかしら」

「本当のところは判りませんけれど、どうやら私たちは人間に買われたみたいで。裕福な人間の中には、物好きな連中が居るって、前に私を連れ去ったものたちが確かにそう話していました。私もこのままここに居れば、いずれまた……」

「そう……人間が、ね。ならば……はあっ!」

「――っ! な、何を!」

「こんな暗くて狭い檻の中に入れられたままでは、いつか心まで固く閉ざされてしまう。あなたに新しい翼を与えるだけの力は今の私には無いけれど、その戒めを解くことぐらいなら出来るから。ここを出るまでの間、私に付いてくるといいわ」

「……あり、がとう。ありがとう、ございます」


 ――本当はこんな悠長なことをしていられる余裕はない。

 でもこの半妖は、まだ救いを求めるだけの光を瞳に宿しているように見えた。

 絶望の淵に落ちてからでは、きっと誰かが差し伸べた手を取ることすら……。


「ところであなた、お名前は?」

「レイラ……です」

「レイラ、というのね。私はエミーリアよ。とにかく、この地下に囚われている人間や、あなたのような半妖が他に居ないかどうか、可能な限り確かめましょう」



 ***


 

 ――それにしてもこの地下は想像以上に広く、入り組んでいる。

 そして、道中に見えた牢がいずれも空だったところを見るに、レイラの言葉通り、町でさらわれた人たちは、既に何処かへと移送されたのかもしれない。


 地下の最深部と思しき場所にあった、隧道ずいどうのような通路上には、鉄道の線路と思しきものが敷かれていた。どうやらあそこを使って、捕えた人間や半妖の輸送を秘密裏に行っていたと見える。


 やはりこれは、私一人では手に余る案件の様子。この通路を見回ったら、一旦地上に戻り、リゼとも合流して、この施設の存在をザールシュテット伯にも早く知らせなくては。町への誘導はきっとリゼがしてくれるはず。


「エミーリアさん……あれを」

「あら……? 誰かいるみたいだわ!」


 視線の先にある牢の中で、何かが横たわっているように見える。

 妖気を全く感じないところからして、きっとあれは失踪者の一人。


「ねぇ、ちょっとあなた、私の声が聞こえる?」

「う……うぅ、あなた、は?」

「良かった。まだ返答できるくらいの元気はあるようね。あなた、お名前は言えるかしら?」

「私は……コロナ。ザールシュテットという町に、居ました」


 ――コロナ。失踪者名簿の四番目に挙がっていた名前だわ。

 短い赤毛の髪に、緑色の瞳で、記載の特徴とも一致している。

 となると、この場所へはつい最近になって連れて来られたはず。


「コロナ、もう大丈夫よ。今、そこから出してあげるわ……はっ!」

「あ……あなたは、いったい?」

「私はエミーリア。あなたたちを探しに来た者よ。さぁ、立てるかしら? 今手を貸してあげるわね」


 失踪者の内の一人だけといえども、ここで彼女を保護出来たことは幸運だった。

 それに、もう回れそうな通路は全て見て回ったはず。あの妖魔がこちらに戻ってくる前に一刻も早く、彼女たちを引き連れてこの施設から脱出しなければ。


「ねぇコロナ、あなたにも一応訊いておきたいのだけれど、他の子たちについて何か知っていることはある?」

「分かりません……私、ここに来るまで長く目と口を塞がれて居ましたから。だけど、この牢に入れられるまでに、何人か男の人の声がしたのは覚えています」

「そう……ありがとう。やはりあの妖魔だけではなく、他にも仲間がいるようね」


 ――とにかく、今ここで私が出来そうなことはもう無さそう。

 道しるべの代わりとして、通路には私の魔素を帯びさせた魔導体が幾つもある。

 それを辿れば、最初に来た方向――出口の方へと向かうことが出来るはず。

 

「では……ここから早く脱出しましょう。さぁ、こっちよ」



 ***



「……間違いない。私はこの階段から地下へと降りて来たわ。ここを昇ればきっと出口まではすぐよ」

「あっ、はい。ほらレイラさんも、行きましょう」

「ええ……ん、ちょっと待ってください、エミーリアさん」

「どうしたのレイラ? 出口はもうすぐのはずよ?」

「何か聞こえませんか……? 上の方から誰かの声のようなものが……」

「声、ですって? ん……」


 ――なる、ほど。レイラは妖魔の血が流れているだけあってか、その聴覚はやはり私たちよりも優れているようね。私は魔素で能力を拡張して、ようやく感じ取れるぐらいだわ。そう……遠くの方から、複数の声のような音が聞こえてくるのを。


「あなたたち二人は、ここでしばらく待っていて。私が先に上に行って、安全を確保してくるから。私が戻って来るまで、絶対にこちらに来ては駄目よ」

「分かりました……私はここでレイラさんと待っています。エミーリアさん、どうか、お気をつけて」

「ええ。必ず戻ってくるから、少しだけ待っていて頂戴ね」


 ――この音の感じからして、相手は恐らく複数。

 もう少し距離を縮めれば、それが妖魔か否かも判る。

 例え何人居ようと、この私が必ず倒して見せるけれど、ね。

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