第58話 花の一片、落とす影


「えああァアァ!」

「ぐっ! な、何⁉」


 ――私の白刃がその懐に届くよりも先に、自らの左手を犠牲にして剣先の軌道を急所から逸らせた⁉ しかし一体どうやって複数ある幻影の中から、本体の剣筋のみをあの一瞬で見定めたというの?


逆打ちコントラカータ

「いっ!」


 息吐く暇も無く、相手から放たれた反撃の一閃が左の胸をかすめた。

 ほんの四半秒遅れていれば、確実にこの心臓を貫かれていたに違いない。

 ここで即座に次の一手を打たなければ、もはや取り返しのつかないことになる。


 とにかく、相手の左手から剣を引き抜いて――


「ん、なっ⁉」

「おぉ痛い、いッたいなァ! これぞ生きてる証ってもんだァ!」


 ――抜けない。相手の左手を貫いたリベラディウスの刃が、其処に接合されてしまったかのように微動だにしない。一体どうしてこんな――


「えっ? うあっ!」


 何かに足を取られて、あろうことか前のめりに倒れ込んでしまった。

 しかし私の足元には、移動を阻害するような障害物は何も無かったはず。


「な、影から腕のようなもの、が……⁉」

「くっふふふふふ……影は私の友達なんだァ、ずっと私に付いてきてくれた唯一のねェ。さっきだって私に、答えを教えてくれたんだよ。まやかしにはご用心っと」

「まやかし……? はっ!」


 ――そう、だったのね。

 魔素で創り上げた幻影には実体がない。即ちそれは影を持たないということ。このマリオンとやらは、あの刹那の内にそれを看破して、角度的に最も早く対応できる左手を盾にしながら攻撃の軌道を変え、すぐさま返しの一撃を私に向けて放ったと。


 そしてこの影から腕を出すような力は、恰も妖魔が扱うような、魔現と魔導の狭間にあるような奇術。幻体と同様に実在を持たない影に実体を与え、操って見せたのだから。しかし私は、そのような異能に感心している暇など微塵もない。

 

 次の瞬間、この頭上に振り来たるものは、確実なる死。

 その定めから逃れ得る術を、身体の奥から搾り出す!


「はい、おしま――」

開放アペルタ!」


 ありったけの魔素を地中に注ぎ込むと同時に一気に暴発させ、影を壊す。

 そして衝撃の反動を利用して、飛散した土塊と共に宙空へと舞い上がる。

 これで頭上から振り下ろされた凶刃が、この身を穿つことは避けられた。


「おぉ! 生きてるなァ! はっはァ! しかしお前の刃は、こぉこだよ⁉」

「なっ、リベラディウスを左手から抜いて……剣を持ち替えた?」


 頼みのリベラディウスは敵の手中に落ちてしまった。このままでは飛翔の頂点から落下へと転じた時、間もなく眼下のマリオンに切り刻まれることとなる。


「せっかくだァ! お花ちゃんにも、この刃の切れ味を教えてやろう!」

「メ……メルが! いけない! この身体よ動け……! 動いてえぇぇ!」


 ――万事休すとはまさにこのこと。けれどたった一つだけ、この状態からの起死回生を成し得る方法を、私の身体に刻まれた経験が導き出してくれた。

 

 実践出来るのは無論、ただの一度きり。それも、相手の刃圏に入る本当の直前まで行動には移せない。もうここから先は何か一つ判断を誤ったり、躊躇ためらいから遅滞が生じたりすれば、その瞬間に私の死は不可避のものとなるに違いない。


 しかし以前ザールシュテットで液体を操る妖魔と相対した時にも、私は同じような死中から生を掴み取って見せた。ならば今度も、辛うじて見出したこの活路の先へと、己の両足で降り立って見せる!


「最後の一片、舞い散る時だァ! はぁあああアアァ!」

「見えた……双破瀧落襲ヴァッサーフェーレ!」

「なっ、メル⁉」


 マリオンの刃がこの身に届く寸前、黄泉木こうせんぼくで造られた鞘から、リベラディウスと同じ火廣金ひひいろかねで象られたこしらえを瞬時に抜き取り、それを左手にしてリベラディウスの刃を絡め取る一方で、右手にした鞘身を相手の右肩に向け、全ての重さを乗せた状態で一気に振り下ろした。


「ぬぐうぉぁああぁああ! あ……あ……あぁ……あ!」

「はぁ……はぁ……これが、エーデルベルタの神髄よ」


 本来、いくら同じ金属といえど、拵えのみでリベラディウスの剣身を受け留めることなど到底不可能。しかしリベラディウスの切れ味を最大限に引き出すには、長く馴染ませた私の魔素が必要で。仮にマリオンが魔導に長けていたとしても、その刃は他者の魔素に対して極めて強い魔導抵抗を示す。


 故に私の魔素を通した拵えであれば、それを絡め取ることぐらいは何とか出来る。とはいえ、実際に上手くいくかどうかは完全なる賭けだった。


「はっはァ……お花ちゃんは本当、美しい……ねェ」

「ふ、土の味を知るのは、あなただったようね。……っと」


 間もなく上から降って来たリベラディウスを鞘口に受け入れ、間髪を入れずして拵えを再び嵌め直した。いくら返り血の一切を弾き、魔素によって切れ味を最良の状態で保持出来る剣身とはいえ、鞘と共にここまで荒々しく扱った以上は、後で必ず手入れをしなくてはならない。


「メル! ご無事ですか!」

「ええリゼ。何とか、なったわ」


 リゼを拘束していた法具は、マリオンの魔素によって動いていた様子で、彼が地面に突っ伏すように倒れ込んだ直後、リゼの全身を戒めていた黒い霧のようなものも、まるで最初から存在しなかったの如く、あっという間に宙へと消え去った。


「全く……あの貴族院も飛んだ輩を飼っていたものね」

「本当、そうですね。時にメル、あいつに止めを刺さなくても良いのですか? もしもメルの気が進まないのであれば、この私が請け負いますが……?」

「止めましょう。もうきっと何も出来ないわよ。左手を貫いて、右肩を打ち砕いたんだもの。私たちからすれば、もはやその辺に転がっている石みたいなものよ。そんな取るに足らないもののために、余計な重荷を背負う必要はないわ」

「……解りました。メルの判断に従います」


 リゼがあのマリオンに対して、相当深い怒りを堪えているのがひしひしと伝わってくる。恐らくそれは、私たちの関係や逃奔の理由に関して歪曲された事実を吹聴していたであろうことと、不意打ちで動きを封じられた自分の眼前で、この私の命を楽しみながら奪おうとしたことに対してのもの。

 

 しかしあんな奴でも、無抵抗の状態で命を奪えばそれは殺人。

 そしてその罪は、私とリゼの二人に未来永劫、伸し掛かる。

 一度その線を越えたら、もう元には戻れない気がする。


「さぁ、もう行きましょう。レイラが向こうで待っているわ」

「その……ごめんなさい、メル……私、また肝心な時に動けませんでした」

「気にしないで、リゼ。あんな奇妙な法具があるだなんて夢にも思わなかったのだから、あなたのせいでは決してないわ。ほら、行くわよ」

「はい……ありがとう、ございます」


 ――そんな沈んだ顔をしないで、リゼ。

 あなたと私、そしてレイラが無事だったのだから、それでいいじゃない。

 早くフランベネルに辿り着いて、皆で暖かいお茶でも一緒に頂きましょう。

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