第79話 うまい話には裏がある?


「……あのお屋敷がそうみたいね、リゼ」

「はい……この紙にある通りなら、きっと間違いありません。ほら、メル。前に街の地図を見た時に、侯爵家の所有と示されていたあの場所ですよ」

「あれってお家なの……? さっき見た他のところよりもずっと大きくない?」


 ベルスリヴィエ大通り。

 其処はまず足を踏み入れることは無いと考えていた、左右どちらの方向を見ても瀟洒な屋敷が当然の如く立ち並ぶ、まさに貴族のために設けられたような極めて華やかな街路。そしてその一角――シャルが示した通りの場所で、他の邸宅が霞んで見えてしまうほど豪壮な門を構えた雄麗な屋敷が、私たち四人の前にその姿を現した。


「本当、ものすごく大きな門ですね……それにここからお屋敷までも、相当な距離があるように感じられます」

「ええ、レイラ。あの門から導入路を経てあの遠くに見える柱廊玄関に達するまではかなりあるみたいだわ。あの時私たちを助けてくれたシャルという女性は、やはりやんごとなき生まれの方であったようね……」

「その……今は色々と事情が複雑ですけど、生まれ持った高貴さならメルだって負けていませんからね……!」

「ふふ。ありがとう、リゼ。私はもう貴人ではないけれど、その言葉だけはありがたく頂いておくわ」


 それから間もなく眼前で屹立していた門兵に私たちの来訪を伝えると、既にシャルから話が通っていたようで、私たちは滞り無く門を通過することが出来た。

 そこから青々とした木々が並木道のように整然と立ち並ぶ導入路をしばらく歩きながら、私はその樹木のいずれにもこの時節にはありがちなひこばえらしきものが全く見られないことに気が付いて、あくまで導入路に過ぎないその通路にさえも、常にこまやかな手入れが行き届いているさまを感じた。

 そして導入路の中頃に設けられた大きな噴水を越え、そのまま道なりに真っすぐ進んでいくと、やがて白い四本の重厚な柱廊を構えた玄関へと辿り着いた。


 そこで私たちは、艶やかな濡羽色の長い髪を前側は真一文字に切り揃え、後は真っすぐ下に垂らした、菫色の双眸を煌かせる女性――以前砂浜でシャルからエステールと呼ばれていた人に迎え入れられた。

 美々しい薔薇のコサージュや、レースやフリルが豪勢にあしらわれた烏色の洋服を纏っていたエステールは、シャルに仕える執事であるとのことで、彼女の案内によって客間にまで通された私たちは、其処で少しの間シャルを待つことになった。

 なお、その室内には豪奢な調度品はもとより、他国の民芸品と思しき風変わりな品々が数多く置かれているのがすぐに見て取れた。


「ねぇリゼお姉ちゃん見てよこれ、おっきな玉に地図みたいな絵が描いてある! しかもくるくる回って……あはは、何だか面白い!」

「あっ、こらエフェス! 人のお家にあるものを勝手に触っちゃ駄目でしょう? ほら、他のお姉ちゃんみたく大人しく座って待っていなくっちゃ」

「……それにしても何だか珍しいものがたくさんありますね、メル」

「そのようね。あれらはきっと、世界の各地から得た蒐集品だわ。だって私の故国、ロイゲンベルクの民芸品でもあるクルミ噛みヌスバイザーまで置いてあるもの」

「ぬす、ばいざぁ? あの人形がそうなんですか?」

「ええ。クルミという硬い殻を持つ木の実があるのだけれど、あの人形みたいなものの顎部分が開くようになっていて、それに噛ませて割るの。クルミは故国で催される冬の祭典で慣例的に食べる、レープクーヘンという焼き菓子に使ったりするのよ」

「れぇぷくぅへん……? へぇ、そんなお菓子があるんですか」

「ええ。蜂蜜と異国由来の香辛料を使ったお菓子でね。家によって結構味付けが違うのだけれど、私の家ではクルミのような木の実を多く使って、独特な香ばしさが加わったものだったわ。よく人やモミの木の形、他にも星やハート型だとか、時には家の形を象ったものもあって、飾りとしても楽しめるの」


 ――そういえば昔、リゼと一緒になってクルミを割るのを手伝ったこともあったわね。そしてお母様たちと共に頂いたレープクーヘンの味は……今となってはとても懐かしい、想い出の味。いつかみんなにも、振る舞える時が来るといいわね。


「……お待たせしたわね、メル」


 ちょうど私たちの会話が途切れた隙間に入り込むようにして、淑やかな挙措を以て現れたシャルは、暁闇の空のような奥深い濃紺の色を基調とした、先ほどのエステールの豪華な洋服が霞んで見えてしまうほどの極めて閑麗な衣装を身に纏っていた。


 その絹の如く滑らかに見える生地には金銀の刺繍と砂子が星々のように散りばめられていて、さらに紫色の薔薇を象ったコサージュや、丁寧に編み上げられたリボン、そして幾重にも折り重なったフリルとレースが余すところなく配されていて、さらにその胸元には中心に黒曜石と思しき大きな貴石を抱く、麝香鳳蝶じゃこうあげはを象ったようなブローチまでもが据えられているといった具合で、まさに侯爵令嬢として相応しい豪奢な出で立ちであるように感じられた。


「こんにちは、シャルさん。この度は突然の来訪にもかかわらず――」

「ああ、いいのいいの。そういう堅苦しい挨拶は抜きにしましょ。さぁ、どうか椅子に掛けて、自分の家だと思って存分にくつろいで頂戴。せっかくだから皆でお茶を楽しみながらお話をしましょうよ」

「お心遣い痛み入ります。では、そのお言葉に甘えて……」


 シャルがそう言うと、間もなく給仕と思しき女性が現れ、私たちの前に馥郁ふくいくたる香気が漂う紅茶と金塊のような形をしたお茶菓子を出してくれた。そして真っ先にそのお菓子に手を出そうとしたエフェスを、リゼがやんわりながらも制したやり取りがシャルの目に入ったのか、彼女は微笑みながら右の掌を差し出し、それをエフェスに勧めた。


「あぁ、どうぞ遠慮なく召し上がって頂戴よ?」

「……良かったね、エフェス。でも食べる前にはちゃんと、いただきますを言ってからね?」

「じゃあえっと……いただきます! んっ……あ! これすっごくほわほわした甘さがあっておいしい!」

「ふふっ、それはフィナンシェというのよ。お口に合ったようで何よりだわ」

「……すみません、シャルさん。この子、甘いものには目がないようで……」

「あら、そうなの? 何を隠そう、この私も同じだからよく解るわ。では早速だけれど、あなたたちのお話を伺わせてもらってもよろしいかしら? もちろん、お茶とお菓子を楽しみながらで構わないから」

「ありがとうございます……その、実は……」


 そして私はシャルに、このフィルモワールを目指して、其処に辿り着くまでの経緯を可能な限り詳細に渡って話した。私が家を棄てるに至った動機やリゼたちが同行することになった理由に加え、現在も故国から追われていることなど、私たちに対する心象を悪くさせ得る事情の一切までをも包み隠すことなく。もちろん、現在私たちが亡命申請の審査中で、さらには正国民を目指していることも含めて、全部。


「……なるほど。あなたたちを一目見た時から感じていた、複雑に入り交じった心象の正体を掴むことが出来た気がするわ。本当、ここに辿り着くまでには皆のそれぞれに、筆舌に尽くしがたい、大変な苦労があったようね」

「はい。私たちはまだフィルモワールに着いてまだ間もないこともあり、頼れるような知人もおりませんので、これからの不安も無いといえば嘘になりますが……」

「時にあなたたち、今は……宿住まいをしているのかしら?」

「ええ。私たちのように亡命や難民の申請を行っている者が、審査期間中は格安の料金で滞在可能な専用の宿泊施設がありまして。四人では少々手狭でありますが、文句は言っていられませんから」


 するとシャルはしばし思案をしているかのような様子を見せた後、

「ふむ……だったら、その間だけでもここに住むというのはどうかしら?」

 と俄かには信じ難いことを、一切の淀みなく私たちに提案した。


 どう考えても、私たちの手助けをすることに対してシャルに恩恵があるとは考え難い。無論それは完全な善意による高配だとも受け取れるものの、出会って間もない私たちに彼女がそこまでしてくれるのは一体何故なのか、という疑問ばかりが私の胸の中で膨らんでいった。


「えっ……? あ、あの……」

「遠慮なら無用よ? この別邸でも部屋を持て余していたところだから」

「べっ、てい……? えっと、こことは別にお屋敷があるということですか?」

「ええ。本邸はグランフィリエの方にあるの。ここよりもう二回りほどは広いかしらね。けど、砂浜はこのオーベルレイユの方が美しく感じられたから、こちらに別邸を造っていただいたのよ。私、夏場は大体こちらに居ることが多いの」

「いや、しかし流石にそこまでお世話になるのは聊か……」

「もちろん、一つだけ条件はあるわ。とても簡単なことだけれどね。ただ、あなたたち自身にも色々と都合があるでしょうから、そちら側で一度検討した上で、また改めて私のところを訪ねてくれればいいわ」


 シャルの言う『条件』というのが如何なるものか非常に気になったものの、彼女が言うにはそれも特段大したことではない様子で。もしもこの邸宅を私たちの生活拠点とすることが叶うのならば、それはもう願っても無いことではある。ただしうまい話には必ず裏というものがあるもの。ここはシャル自身も言っている通り、リゼたちと共に一度話し合いをした上で、慎重に判断を下すべきだと思った。


「承知いたしました。この度は身に余る程の大変なご厚情を賜り誠に恐縮ではございますが、それにつきましてはシャルさんにもお勧めいただいた通り、一度こちらで話し合いをした上で、また改めてお返事を差し上げたいと思います」

「ええ、ぜひそうして頂戴。何なら、参考程度にこの屋敷の中を今から見て回っていただいても構わなくてよ? あなたたちに宛がえる部屋も見せてあげられるわ」

「ほんと? 私この大きなお家を見て回りたいかも……ねぇリゼお姉ちゃんたちも、見るぐらいなら別にいいんじゃない?」

「ちょっとエフェス、そういうことは簡単に……」

「あら、いいじゃないの。あなたたち、時間はまだあるのでしょう?」

「あっ、はい。私たちは特に問題ありませんが……シャルさんのお時間を頂戴してもよろしいのでしょうか?」

「ええ、それは全く構わないわ。では、早速行きましょうか」


 そうして私たちはシャルに導かれ、その屋敷の中を案内してもらうことになった。別邸というにはあまりにも広大で豪奢な、まるで城館のような大邸宅の中を。

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