甘い息

 意識して呼吸を深くする。

 吸って、吐いて、吸って、吐いた。

 酸素を供給された僕の脳細胞が全力稼働。電流に似た直感が全身を駆け巡る。

 分かった。分かったぞ。分かってしまったぞ。


「――犯人は、この中に居る」


 カカッ!

 と、効果音と共に目を見開く。


「だろうな!」


 周りの房から一斉にツッコミが入った。


 ――この中も何も、この場に居る全員が犯人だっつーの! ――っーか、この中じゃなくて全員、檻の中だっつーの! ――おいおい、やべぇ新入りが入って来たぞ、アイツ、いったい何やらかしたんだ? ――トゥースに助力しての、テロ加担容疑らしいですよ? ――テロリストって奴か。ガチの奴じゃねぇか! ――見ろよ、あの目っ! ――墓石リムストーンの瞳っ、何て冷たい目なんだっ! ――あぁ、間違いない。絶対にアイツの主食、生肉だぜ! ――いえ、普通に火を通しますが? ――ひぃ! お、俺達を焼いて食う気だっ! ――た、助けてくれ、看守さん! 頼む、助けて!


 ざわざわ。そんな感じだ。

 ウラバに造られた牢屋の中は期待の新人の登場にざわついていた。

 因みに期待の新人とは僕のことだ。

 囚人である皆さんの言う所の期待の新人であるので、当然、僕も囚人だ。一人、独房にぶち込まれると言う好待遇っぷりに涙が出そうになる。

 だが、まぁ、仕方が無いのかもしれない。

 僕にはテロ容疑が掛かっていた。

 数日前までトゥースの傭兵部族の捕虜になって居たのだから当然と言えば当然だ。

 数日前。そう、数日前だ。

 無理矢理当て嵌めるのならば、子号と寅号。

 英語で言うなら、スクヮーレル&タイガー。

 リスと、トラ。

 りすとら。

 D.Dの一族に雇って頂いたレオーネ氏族はその契約通りに人間の傭兵を雇うのを止めることになった。

 リカン辺りは文句を言っていたが、下手に付け入る隙を用意してやることもないので、『僕は、また一緒に仕事をしよう!』みたいなことを言って、立ち去ることにした。


 まぁ、首になってしまったものは仕方が無い。それなり程度にお金は稼げたのだから、良いだろう。しれっとドギー・ハウスに戻ろう。

 僕はそう結論付け、ドギー・ハウスに戻った。

 一応、僕の無事を喜んでくれているのか、ポテトマンが無料でポテトサラダを食べさせてくれたので、僕はこれまでの経緯を話した。

 キャンプ地を守るためにシンゾーと共にトゥースと戦ったことは流石にポテトマンも知っていたので、レオーネ氏族で過ごした時間のことが主な話だった。

 そこで捕虜ではなく、傭兵として扱われていたという話をしたらポテトマンが頭を抱え、結果として彼が出した結論が、今、僕を牢屋に入れている。


 ――一回、調査して問題なかった、っつー経歴が欲しい

 ――まぁ、直ぐに出してやるから安心しろ


 そんなことを言っていた。

 ポテトマンの言う通り、僕の勾留が一時的なものだからだろうか? 牢屋での生活は、悪ふざけが出来る程度には悪くはない。

 だが、流石にこれは顔も覚えていない両親に報告するのは止めておこうと思う。








 ――もう二度と来るんじゃないぞ!


 そんなお決まりのセリフをまさか自分が聞くとは思わなかった。

 生肉が主食のテロリストと呼ばれる僕だが、一週間を待たずにあっさりと解放された。

 元から無罪であったので当然と言えば当然だが、ドギー・ハウスが何かしたのだろう。テロリストでは無いにしてもレオーネ氏族での仕事で僕は幾つか人間側に不利益な行動をとっている。

 権力と言うのは頼もしくも、怖いものだな。そんなことを思った。

 僕はお世話になった看守さんに軽く頭を下げて、外へ出る。

 そこには僕の頼もしい部下達がいた。

 モノズ達だ。

 僅か一週間足らずとは言え、僕等がここまで離れるのは結構珍しい。戌号達がパトロールに出て以来だ。


「……」


 すっ、と僕は無言で両手を広げた。

 それを見てモノズ達が一斉に転がってくる。

 再会を祝う感動のシーンだ。

 戦闘を走るのは中型の戌号だった。僕らの距離は徐々に詰まっていく。そして――


 ――戌号が踏み台にされただとッ!


 戌号を踏みつけたその小柄の人影は、ぼすっ、と鈍い音を響かせ僕の胸に飛び込んできた。

 はちみつ色の髪の少女だった。

 異形の腕を持つ少女だった。


「おれは心配したんだ」

「なのにお前は全然連絡してくれなかった」

「あほ。ばか。あほ」


 イービィーだった。地味にハグが痛い。トゥースの力は中々に強い。引き離そうとする。更に強い力で抱きつかれる。柔らかい感触が、他人の体温が伝わってくる。

 がりがりと頭を掻く。久しぶりの再会だと言うのに、いきなり罵倒されてしまった。


「僕が連れてきた人達はどうなっている?」

「ハワードが面倒を見ている。あぁ、『戻ったら覚えてろ』だそうだ」

「そうか」

「そうだ」

「……」

「……」

「……離してください」

「お断る」


 うー、と唸ったかと思うと、更に強く抱きしめられる。イービィーは更に僕の胸に顔を埋める。

 そうすると、シャンプーの香りだろうか? 頭がくらくらする様な甘い香りがした。


「ぷー」

「……」


 服の中に空気を吹き込まれた。ぞわっ、とする。


「――ふふっ」


 僕の背筋が跳ねたのを感じたのだろう。

 楽しそうに揺れる猫の様な瞳が、上目遣いで僕を見ていた。

 至近距離で僕等は見つめあう。


「おかえり。良く戻った」

「……ただいま。今帰った」


 僕の返事に満足したのか、再度、イービィーは僕に抱き着く作業再開を再開した。


「あの、周りから注目しているのでそろそろ離して欲しい」

「……条件がある」

「何でしょうか?」

「ぎゅっとしろ」

「……」

「やらないと離さない」


 周りを見渡す。通行人の皆さんに、看守さんはニヤニヤしている。モノズ達は何故か真剣な目で見ている。

 これ以上、見世物になるのは嫌だったので、僕は彼女の要望を飲むことにした。








 失った信頼を取り戻すのは難しい。

 勝手に居なくなった僕をイービィーは全く信用しなくなった。

 見張りと言う名目で常に僕に付きまとうようになった。

 まぁ、一緒に仕事をしていた時と左程、変わりは無い。

 だから、大した問題ではないだろう。そう思って僕は彼女の好きなようにさせていた。

 これが拙かった。

 端的に言って僕は今、生死せいしに関わる問題を抱えている。

 勢力拡大を狙った彼女は、キャンプ地の僕の自室に寝床を造った。

 僕のベッドに枕を放り投げただけの簡易的な物だ。

 ……簡易的すぎない?

 それに僕の遺伝子情報(湾曲的表現)を狙っている彼女だ。流石にそれは許容できない。

 あっちいけ。

 そう諭す僕に彼女は言った。


「分かった。おれは絶対にトウジを襲わない。約束する。戦士の誓いだ!」


 やたら力強く言って、更に周りも味方に付けていたので、僕は渋々この要求を飲んだ。

 これが本当に、拙かった。

 キャンプ地にプライベートは無い。

 トイレも風呂も共用だ。

 それでも今までは自室があったから左程、問題は無かったのだが、もう一度言おう。――僕は今、生死せいしに関わる問題を抱えている!


「シンゾー、十五分で良いから部屋を貸してください」

「……用途が分かってるのに貸すわけがねぇだろうが」

「汚さないし、匂いも処理します!」

「ソレがやられたってだけで十分だ、ボケ」

「君は事態の深刻さが分かっていないようだがな、今夜が山だぞ!」

「事態の深刻さを分かった上で言ってんだよ、さっさと登頂しちまえ」


 上手いこと言うな!

 何と言う裏切り。僕は友情の脆さに涙しながら、次は理解のある大人を頼るべく、ハワードさんの自室に向かった。








 友情は儚いし、大人は頼りに成らない。そして子供は好奇心が旺盛だ。

 僕は問題を解決できないまま、夜を迎えた。


「トウジ、端末弄って何してるんだ?」


 僕の自室には一応、ソファーがある。そこで端末を見つめ続ける僕にイービィーが声を掛けて来た。

 今日は風呂に入れる日だったのだろう。

 さっぽりした様子のイービィーは、ほんのり色づいた頬で髪を拭いていた。手を動かすたびに、タンクトップの裾が捲れ、白い肌が見え――駄目だ!


「ホラー小説を読んでます」


 グロイ奴。生死せいしの問題からはある意味一番遠い気がするから。


「へー面白い?」


 えや、と隣に座ると、身体を押し付けてくる。イービィーの香りがふわりとした。


「……」


 興味を示さないで欲しい。示さないで下さい。示すな。

 僕は無言で端末の画面を消す。


「あれ? もう読まないのか?」

「はい。きりが良かったので」

「ふーん?」

「……」

「……」

「……あの」

「ん?」

「もう端末弄ってないんだから、離れろ」


 顔を逸らしながらの僕の言葉を受け、イービィーが更に体重を掛けてくる。

 ……あ、。拙い。香りに加えて感触が来た。

 それだけで体の一部が大変なことになる。


「お断る」


 声には楽し気な音が混じっていた。


「……あのな。分かっているとは思うが、僕はもう結構、限界だ」

「そかー。でも、おれは分かってないから、説明してくれ」


 ぐりぐりと身体を押し付けてくる。

 僕は偉大な神父の言葉に従い、素数を数えることで対応した。


「良いか。僕は紳士だから問題ないがな、男はオオカミなんだ」


 だから離れろ下さい。お願いします。柔らかくていい匂いがするんです。


「なるほど。でもなぁ、んー……説得力が無いな、紳士?」

「何を馬鹿な。僕ほど説得力に満ち溢れた紳士はいないぞ」


 はっはっは。

 紳士的に笑ってみた。


「コレが?」

「コ……っうぉぅ!」


 変な声が出た。

 拙い、この状況は拙い。

 素数を数えるのに必死で気が付かなかったが、僕は仰向けに転がされ、その上にイービィーが跨っている。これ、もう、その、、、、、、エロ本とかで見たことある奴だこれぇ……。


「なぁ、紳士、これが紳士?」

「やめ、ちょ、う、動くな」


 前後に!


「お前のその行動は、黒色火薬が乱雑に散らばった部屋で花火をするような暴挙だぞ!」

「ふーん、そっか。それじゃ――」


 ぽすん、とイービィーが僕に覆いかぶさる。

 はぁ。

 耳元に、甘い息が掛かる。


「爆発させちゃえよ」

「トウジ、おれは約束を守るぜ?」

「おれは、襲わない。絶対に」

「だから、な? 分かるだろ?」


 甘い。甘い、声で。


 ――トウジ。


 名前を呼ばれた。

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