さよならをきみに

 多分、距離を取ったのが拙かった。

 先に遠距離攻撃が出来るワスプを殺し切ったのも拙かった。

 彼我の距離は凡そ、五百メートル。

 狙撃手であるワスプ種を駆逐してしまえば、人間側から奪った銃火器を用いての銃撃がある程度だと高を括っていたのだが……どうやら僕は随分と高い評価でのお買い上げらしい。

 巨大蜂の砲撃がこちらに来た。

 砂礫が舞う。

 叩きつけられた質量弾が赤土を食い破り、奥の濡れた黒土を噴き上げる。クソが。悪態。灰色のハウンドモデルが土に呑まれる。巻き上げられた土砂は威力を語り、威力は僕に恐怖を伝える。精度はまだ甘い。だが、砲撃ポイントから目視で見える場所だ。土嚢の影に隠れてやり過ごそうと思えるほど、僕は豪胆では無い。動く。だが、逃げない。


「――」


 何、攻撃は近くとも、敵は遠い。だったらあまり怖くない。「子号」。一緒に土嚢の裏に隠れていた仲間を、ぽんと叩いて走り出す。位置を変え、射角を変え、変わった景色の中、こちらにAKを向けるアーマーアントを見た。

 昆虫の複眼とハウンドモデルの単眼が交差する。

 ただあるだけの殺意が相手の眼にはあった。

 ムカデであるハウンドモデルの目に乗っているのもそんな無機質な殺意だろう。

 僕は引き金を引く。

 相手も引いた。雑にばら撒かれた弾丸はムカデに当たりもしない。弾幕だ。僕を近づけないと言う意味なら問題ないが、僕は元より近づく気が無いので、無駄撃ちだろう。

 僕が狙ったのは目だ。

 アーマーアントの厚くなった外殻は場所を選ばないと抜けない。高台から障害物から身を乗り出す様にしてこちらを狙っている以上、見えていて、抜ける部位で大きいのは目だった。

 何故だろう。

 複眼が割れて、中の液体が飛び散るのがはっきりと目視できた。


「――ふ、」


 息を吐く。走りだす。砲弾が先程まで僕等がいた地点に落ちる。衝撃と砂礫。バランスを保つのが難しい。スライディング。地面を削る様に身体を投げ捨てる。この方が走るよりも体が上下しない分、狙いが付けやすい。僕はスライディングしながらも銃口を敵に向け、スコープで相手を狙い、引き金を引いた。

 二匹。

 作業の様に単調に。たった一人の僕に、インセクトゥムは二匹を殺された。

 遠距離では僕に分がある。

 ソレを相手は理解してくれたようだ。

 ならば次は?

 数に物を言わせた分隊突撃スクワッド・チャージ

 声を出さないアント達は、それでも己を鼓舞する様に空に向かって吼えた。ぎちぎち。歯が鳴る音が響く。ぎちぎち。酷く不気味で、暴力的で――何とも素敵だ。

 ぶわっ、と湧く様にしてアント達が高台から湧き出る。

 数は――あぁ、良いや。数えるのは止めておこう。

 僕は狙撃手だ。

 どうしたってキルスコアを稼ぐには向いていない。

 身体を起こし、左手で右肩を抱き、その左腕のを台にした。構える、撃つ。狙いは最後尾。今まさにバリケードを乗り越えようとした奴の頭を吹き飛ばす。転がり落ちたソイツは先を行く仲間たちを巻き込む様にして坂を転がり、何匹かを巻き添えにして動きを停めた。

 インセクトゥムはバブルではない。

 戦術を持つ彼等は、一瞬、僕への突撃を迷った。

 隙だ。

 僕がそう思ったのだ。彼女がソレを見逃す分けが無い。

 ――ゥン!

 と、言う低い唸りは高速回転する午号からだろう。脈動する動脈と静脈。流れる赤い血と赤黒い血。トゥースの寄生型が午号の性能を跳ね上げている。

 イービィーが申号を引き連れ、偽装を突き破り、空へ躍る。

 僕よりも上手く午号を操るのは止めて欲しい。そんな気持ちが半分と、その手慣れた『処理』の仕方に頼もしさがもう半分。

 右腕の生態銃から弾丸が吐き出され、擦れ違い様にアントの群れを蹂躙する。背中と、肩。手投げに近い投擲で投げられた手榴弾が高台の向こう側に吸い込まれていく。

 爆音。

 それは手榴弾の爆発音であり、同時に、イービィーがバリケードを吹き飛ばした音だった。

 姿が見えなくなる。

 敵陣地から絶え間ない銃声が聞こえてくる。

 蹂躙。

 そういう類の行動だろう。

 僕目掛けて主力を出していたインセクトゥム達は僕よりも遥かに強力で残酷な伏兵にどう対処するべきか迷っていた。

 やはり、甘い。

 戦術の甘さが彼等の敗因だ。

 少なくとも。

 少なくとも足を止めては行けなかった。彼等は僕か、イービィーか、少なくともそのどちらかを狙い、潰すべきだった。

 僕を潰せば援護の無いイービィーは最終的に死んだだろう。

 イービィーを潰せば、逃げた僕を背後から食い破れただろう。

 二兎を追った結果など随分と昔から有名だ。

 連続狙撃ラピッド・スナイプ。右手がレバーを煽る。叩き込んだ五発の弾丸は五匹を綺麗にあの世に送り込む。

 悪いな。

 君達には冷静になって貰う気はない。







 申号が呼びに来たので僕も高台に上る。

 どうやら最近見かけなくなったただのアント・ワーカーやソルジャーは裏方になった様だ。後衛部隊を構成していたらしく、イービィーの餌食になって居た。ベビーロールの死体に混じり、一匹のソルジャーが、ぎぃ、と鳴いて僕を見上げた。

 子号が処理をした。


「トウジ!」


 呼ばれたので、そちらに行ってみると、足を折られ、自立できなくなった巨大蜂が倒されていた。生物としては完全に終わっている。一本足を折られるだけで自立が出来なくなり、這って進むことも出来なくなってしまうようだ。

 インセクトゥムにみられる生命力の強さなど、全く見られない。

 がりがりと削る様にして特化させたが故の弊害という奴だろう。


「どうする?」

「回収の任は受けていないですからね」


 伍式を撃つ。

 近距離での狙撃銃は威力がえげつない。一抱え程もある頭が吹き飛び、わしゃわしゃと意味も無く足だけが動き出した。


「戦っている時、新種は居ましたか?」

「いや、おれは気付かなかったけど……」


 そっちは? プテラノドンの様な頭部装甲が傾けられる。

 生憎と。困ったように肩を竦めることで僕はソレに答えた。


「それで、どうするんだ? このままここに残るか?」

「……後詰が来ないことが前提の占拠なんてアホのやることですよ」

「でもさ、ここ、このままにしとくとまた使われるぞ?」


 また砦が砲撃されるぞ、とイービィー。

 分かっている。だが――


「大丈夫です。恐らくですが――」


 砦は破棄されます。







 本拠地に戻れば中々に悲惨な有様だった。

 僕等の方も技術班は兎も角、戦闘班の子供達に三人程の死者が出ていた。アントの相手をしていた所に砲撃が直撃したらしい。運が無いと言えばそれまでだ。

 だから『それまで』で終わらせておこう。


「……」


 死体を確認し、遺品を引き取る。共通しているのはドッグタグ代わりの背骨と、銃。故郷で体の一部を――となった場合でも対応し易い親切設計で有り難い。

 キャンプ地の子供達は僕やシンゾーの真似をしてネックレスに加工している子が多い。適当に集め、適当にハワードさんに送っておいた。

 生きていれば死亡率は百パーセントだ。

 彼等は選んでこの仕事に就いたのだ。

 大体にしてやっているのは種と種の生存競争だ。

 人権も正義も無い。子供でも殺されるのだ。兵士ならば死んで当たり前だ。

 だから取り敢えず僕は三杯のグラスを煽って空にした。

 献杯ではなく乾杯だ。英雄を送るならソレで良い。

 アルコールが身体に回る。すきっ腹だったのが拙かったのだろう。くてん、椅子の上で溶ける僕に丑号が保存食のジャーキーを差し出してくれた。ルドと共有と言うのがアレだが、僕は有り難く貰って齧った。

 どれくらいの時間が経ったのだろう?

 テントの中のガス灯に照らされる影が二つ、増えていた。


「ふむ? お邪魔だったかね、トウにゃん?」

「……いや、それよりもよ、来客あるのが分かってんのに呑むなよ、馬鹿犬」


 エドラムさんとA.Bさんだ。

 しまったな。夜に用事があるとのことだったが……もう夜か。


「何杯呑んだ?」


 A.Bさんの問い掛けに指を三本立てる。


「たった三杯でその様かよ……お前とは酒が楽しめそうにないな」

「他の娘婿と楽しんでください」


 言って大あくび。

 そう言えば、イービィーは兄妹で何番目なのだろうか? 三兄妹? いや、三姉妹か? あぁ、何だ。僕はそんなことも知らなかったのか。まぁ、良い。さして興味も無い。


「さて、そこまで時間が有る分けでは無いので、端的に言おう。トウにゃん……いや、ハウンド。我々はこの砦を破棄する」

「でしょうね」


 砲撃種が出て来たから――と、言うよりは好きに地下道を掘られたのが致命的だ。

 全部は潰せず、サイズがサイズなので、崩れる可能性も残る。既に防衛拠点としてこの場所を使うことは出来ないだろう。

 一度仕切り直し、監視を強化し、地下道を掘らせないようした上での仕切り直し。

 油断を排しての再挑戦が無難だ。


「ハイボール……あー……同僚が火責めしていたみたいですが?」

「ソレで一応、時間は稼げたのだ」


 重い声でA.Bさん。


「どれくらいですか?」

「二日、と言いたいところだが――」

「ま、今のインセクトゥムに下手な予想は無駄ですね」


 巨大蟻、タンクアント。巨大蜂、キャノンワスプ。そしてそれらを効率的に運用する為の長距離通信の為の新種、コクーン。

 戌号達が回収したアントが背負っていたその新種が一番厄介だろう。

 そして、そんなペースで新種が生まれている以上、次に何が生まれるかの予想が付かない。


「さて、ハウンド。今回は人類を代表して君にお願いに来たよ」

「良いですよ」


 言われる前に答えを言う。

 肘掛けに肘を置き、頬杖を付く。

 アルコールが回っている。ぷわぷわする。それでもその言葉だけはスムーズに出た。


「構いませんよ。足止めで、僕が死にます。代わりと言っては何ですが、子供達は――」

「そっちはシンゾー君が引き続きどうにかするそうだ。勿論、私も援助をしよう」

「でしたら問題無しで」


 欠伸が出る。駄目だ。アルコールなんかに負けないでくれ、僕の瞼。


「……あっさり決めたがそれで良いのか?」


 そんな僕に今度はA.Bさん。

 エドラムさんが人類代表なら、A.Bさんは、まあ、お義父さんとしてここに来たのだろう。


「まぁ、仕方ないですよ。ただの決死隊では足止めは出来ないですし、万が一の勝ち目を用意しとかないと人の集まりも悪いでしょうからね」


 【狙撃:5】。英雄の証。

 それの使い処としてはまぁ、妥当なラインだ。

 今の話を聞くと、シンゾーは『そう』では無い様だが……


「他には?」

「お前の所の中隊は全員だ。それと、お前、D.Dと面識があったのか?」


 D.D?

 思い返し、ドーベルマンの様な犬面が思い浮かぶ。あぁ、あの人か。


「アレもだ」

「成程。それは頼もしい」


 兵種すら知らないが、あの口の利き方で雑魚と言うのは無いだろう。


「すまないね、ハウンド。友人の君に――と言う言い方は卑怯になるから止めておくよ」

「それは悲しいですね。僕は友達が少ないので」

「――、」


 ふるっ、とエドラムさんが震えた。

 椅子に座ったままの僕をエドラムさんが抱きしめる。


「ありがとう。そして、本当に――すまない、トウにゃん」

「……」


 年上の人に泣かれると少し困る。何となく、肩を叩いて置いた。

 それでおしまい。

 他の使える奴に死んでもらいに行くのだろう。

 エドラムさん――エドやんは、軽く頭を下げ、深く帽子を被って出て行った。


「……」

「……」


 部屋には僕とA.Bさんが残る。

 話し込むつもりなのだろう。椅子を引き摺ってきて、A.Bさんが座った。


「……良いのか」

「生きてりゃ死にますよ。死んで英霊扱いされるんだから、まぁ……良い場所ですよ」


 石碑とかに名前が刻まれるかもしれない。


「この時代の人間では無いんだろう?」

「この時代の人間じゃないからですって。僕の年齢、知ってますか? 五百越えですよ。とっくの昔に骨すら風化してる時代の人間です」


 話してみて分かった。

 意外なことに、A.Bさんはどうやら僕を死なせたくないと思ってくれているらしい。


「……娘に近づく悪い虫位にしか思われてないと思ったのですが?」

「そこそこ気に入った虫だったからな、いや、犬か?」

「がうがう」


 吼えてみた。

 くっ、と男二人で笑いあう。


「妊娠していないかの確認をしてみたのだがな――していなかったそうだ」

「そうですか」


 『誰が』とは言わない。


「でしたら、まぁ、未亡人になる分けでも無しに良かったです」

「……お前はそれで良いのか?」

「ノーコメントで」


 僕は笑顔でそう言った。


「――」


 どでかい溜息をA.Bさんが吐き出した。

 異形の左腕でぼりぼりと頭を掻く。


「群れの長としては助かった。これで血を結ぶのに使える」

「そうですか」

「だが、戦士として、と言うか、一人の親としては困った。アレはな、本気でお前に惚れているんだよ」

「光栄です」

「――。で、だ。アレは俺の娘だ。俺の思考に近く、俺と違って群れのことを考えなくても良い」

「……」


 話の流れが変わった。

 貼り付けていた笑顔が引き攣る。

 待て。そう言いたい。待ってくれ。そう言おうとした。

 だが――


「戦場で、お前と一緒に死なせてやってくれ」


 それよりも速く頭を下げられた。






 トゥースは戦闘種族だ。

 だから物理的にも、考え方的にも頭が固い。

 決めてしまったトゥースの考えをひっくり返すのは、時間が無いことも在り、僕には無理だ。

 だから適当に幾つかの条件を付けて話を飲んだ。

 だからだろう。


「トウジ!」

「……何ですか?」

「呼んでみただけ!」


 お嬢様はご機嫌で在らせられる。

 飾り気の無い野戦服をドレスに。

 砕けた陣地で。

 月の光の中、くるくる回る。

 外縁部のテント村は完全に破棄されることになったので、人の気配が無い。

 月夜のデートと言うには巡回のモノズ達の目が気に成る所ではあるし、何時戦火に晒されるかもわかったモノでは無いが、僕はイービィーを連れだした。


「死にますが、良いんですか?」

「……おれはな、人間の造った物語が好きだ」


 偶に読んでる、とイービィー。

 そんな答えになって居ない答。


「だから、ね、トウジ? 『貴方のいない世界に意味なんてない』」


 満面の笑顔。

 それでも真剣な瞳。

 向けられて。

 真っ直ぐに見れなかったので、顔を逸らした。


「……それは、男性のセリフだと思うのですが?」

「ではどうぞ」

「君のいない世界に意味なんてない」

「……二番煎じだからか? あんまり良くないな。良し、トウジ! おれを抱きしめながらもう一度だ!」


 ばっ、と両手を広げながらご機嫌に。


「……」


 仕方が無いので、それに合わせて両手を広げると押し倒そうとしている様な勢いで僕の胸にイービィーが飛び込んできた。

 僕は彼女を抱きしめる。

 細い肩。

 そのまま、リクエスト通りに、彼女の耳に口を寄せて――


「それでも良いから生きてくれ」


 首の裏に、とっ、と薬を撃ち込んだ。

 がくん、と糸が切れた様に倒れ込むイービィー。彼女を咄嗟に支える。

 効き過ぎです、C.Jさん。


「大丈夫。無事に君が帰った場合のことは、既にA.Bさんに条件は呑ませてある」


 無事に帰るのが少し早いだけだ。


「……おれ……も、連れ……て……」


 ぐずる様に、いやいやをしながら。

 泣きながら。

 イービィー。

 その涙をそっと拭う。


「さようなら、イービィー」

「僕は君のことが好きなんだ」

「君が思っているよりも、少しだけ」

「だから――」


 生きてくれ。

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