断章一 スナイプス

 わたしは――八重樫草やえがしそうであるところの、わたしは、朝目を覚ますと時計を確認する。

 今が何年の何月何日かを確認する為だ。

 これはとても大切なことだった。

 だって、油断をすると、行き成り四百年経っていたりするから。

 大切。とても、大切なこと。

 今が今であることを確認して、わたしは目を覚ます。

 女将さんが置いてくれた大きな姿見の鏡は朝日を受けてわたしの姿を映してくれる。

 黒い髪、黒い瞳、部屋の中の仕事だから肌は白い。スタイルは――少し残念だ。

 胸が欲しかった。

 少し、あと、ほんの少しで良いから。

 起きてから三年、十七歳になったばかりのわたしだけれど、胸は大きくなる期待は持てない。そういう家系だから。お母さんも小さかったし。


 ――残念だったね、わたし

 ――そんなことは無いわ、わたし


 鏡の中の自分とそんな一人遊びをする。思わず笑ってしまう。可愛い所があるじゃないか、わたし。鏡の中の彼女の鼻を、ちょん、と突いて、自慢の長い髪を一纏めにする。

 さぁ、今日も一日頑張ろう。








 研磨職人と言うと可愛らしくないから、クリスタルアーティストと名乗っている。

 勿論、嘘だ。

 ただの住み込みの弟子であるわたしにそんなことは出来ない。

 今のこの時代、人々はツリークリスタルの恩恵を受けて暮らしている。共通通貨に、動力に、そして機械の身体の友人の命として。

 わたしの仕事はそんなツリークリスタルの加工だった。

 わたしはスリーパーで、それでもわたしには過去があった。

 記憶を失わなかったわたしは、どうしても平和な時代の考えが抜けず、兵士には向かなかった。だから買い手がつかず、兵士を慰める職業に付くしか無かったのだが――そこをセンセイに拾って貰えた。

 だから今のわたしは研磨職人だ。

 所属は職人組合で、カービンと言うお店でわたしは働いている。








 昨日手を付けたムカデ用の動力核を仕上げてしまおう。

 作業着とゴーグルを身に着け、私は薄緑のツリークリスタルを手に取る。

 日に当てれば大きくなるツリークリスタルだが、核はそうはいかない。

 わたし達、研磨職人の仕事は芯材と呼ばれる珍しいツリークリスタルを用途に合わせた核へと磨き上げることだ。

 作業台に磨きかけの芯材を置いたわたしは、何時もの様にお店の掃き掃除をはじめる。センセイはズボラだから。ズボラな癖に『職人以外は工房に入るな!』と言って女将さんを工房に入れないから。だから、掃き掃除はわたしの仕事だ。

 掃き掃除が終わり、シャッターを持ち上げると、ちょうどセンセイがやってきた。


「おぅ、お早うさん、草」


 センセイはおじいちゃんだ。

 腰が曲がって、性格も少し曲がっているぐるぐる眼鏡のおじいちゃんだ。そしてとても腕の良い研磨職人だ。だから、わたしは尊敬している。

 だから、わたしはそんな尊敬する先生の弟子として、ここ数ヶ月、繰り返している言葉を今日も言う。


 ――おはようございます。ねぇ、センセイ。わたし、モノズの核の研磨がしたいわ


 にっこり笑う。

 センセイが、わたしは可愛いと言ってくれるから、にっこり笑う。

 だけど返事は分かっている。

 モノズの核の研磨はいわば命を作り出す行為に等しい。だから、一人前の職人にしか許されない。

 だから、わたしのコレは挨拶みたいなものだ。先生は何時もの様に『半人前のお前には未だ早い』って言う。わたしはそれを聞いて『センセイのケチ』と言って舌を出す。

 そんな何時もの挨拶。だけど、その日は違っていた。


「そうさなぁ、ほんじゃったらの、草。次の出店はお前がやってみぃ。上手くすれば核の加工依頼も来るじゃろうて」


 本当に? そう確認をすると「本当に」とセンセイは頷いた。

 だからわたしはセンセイに抱き着いた。








 出店街。

 どこかの会社が長期の仕事をする場合、その拠点に隣接する形で造られる小さな街。

 これまでも何回かセンセイのお手伝いで行ったことはあるから、仕事内容はわかっている。だから、わたし一人でもお店は問題ない。

 だけどわたしはか弱い女の子で、女将さんはとっても過保護だ。

 だから、わたしには護衛が付けられた。

 職人組合の中でもトップクラスの人材だけが集められた超一流の傭兵会社ドギー・ハウスから雇われた護衛だ。更に、ドギー・ハウスの中でも数少ない『犬』だと言う。

 要人警護、拠点防衛のスペシャリスト、狛犬リュータ。

 何回かお店に来たことがあって、わたしも知っているその人が、わたしの護衛だった。


 ……女将さん、やり過ぎです。


 残念ながら、わたしのそんな抗議は無視された。

 狛犬は趣味で武器を造っており、それを売る為に出店街に行くらしく、そのついでなので、わたしの護衛はタダで良いとのことだったが、流石に申し訳ないので偶にごはんを作ってあげている。

 餌付けではない。








 ――狙撃野郎スナイプスが出た。

 そんな噂話が聞こえて来た。

 わたしは、『二年ぶりだなぁー』と思った。

 その前と前、更に前と、前はそれぞれ三ヶ月間隔位で出ていたことを考えると、今回は随分と間が開いた。

 それだけに噂話に語られる“彼”の武勇伝には随分と誇張が入っている様に思えた。

 けれど、あまり興味は無い。

 センセイがいる時なら兎も角、そんな期待の新人は、わたしのお店には来てくれないだろうから。

 いや、そもそもそんな新人は会社側で丁重に扱われているだろうから、センセイが居ても、職人組合のこのお店には来ないだろう。


「兄ちゃん、ここ腕が良いぜぇ! ま、腕が良いのはここの爺さんでお嬢じゃねぇから一番のおススメってわけじゃねぇけどよ」


 失礼なことを言いながら、酔っぱらった狛犬が一人の男の子を連れて来たのは、そんな時だった。


「……そうですか」


 消え入りそうな声。深く帽子を被ったその子は随分と印象が薄かった。

 居るけど、居ない。そんな子。

 頼りなくて、頼られない。そんな子。

 それが第一印象。

 だからわたしは彼が二つ上の十九歳と聞いた今でも、子ども扱いしている。これはわたしの秘密だ。小さな秘密だ。


 ――いらっしゃいませ、ご用件は何ですか?


 狛犬が何か失礼なことを言っているが、お客様だ。

 わたしは笑顔で彼を見た。少し、驚いた顔。だけどわたしの方が驚いた。

 この子、目つき悪い。


「んで? どうするよ、兄ちゃん? 他の店に行くか?」


 狛犬、うるさい。

 だけど、それはきっと正しい。わたしはまだまだ研磨職人としては未熟だ。センセイと比べても、その他の一流の人達と比べても。今は、未だ。だから――


「いえ、ここで」


 その言葉に少し驚いた。


「んぁ? 良いのか、兄ちゃん? お嬢も腕は良いけど、それでも――」

「コマさんが認めた人が、認めた。それならば――」


 一息。すっ、と息を吸う。猛禽類の眼でその子は言った。


「僕は、彼女に任せたい」


 そう、言ってくれた。


 ――それでは、ご用件を窺います、お客様


 わたしは、喋ることが出来ないわたしは、嬉しさが滲む口元を画用紙で隠しながらその文字を見せた。

 これがわたしが始めてモノズ核の研磨を依頼された時の話で。

 これがわたしと狙撃野郎スナイプスの出会いだった。








 わたしは喉の病気だった。

 その治療方法が確立されてから解凍されるはずだったのだが、四百年の年月はその辺りの記録を風化させてしまった。

 幸いにも進んだ医療はわたしに生きることを許してくれたが、わたしはその代りに声をうしなった。

 同じスリーパーだと言うスナイプス――トウジにわたしはそんな説明をした。

 トウジは、深刻そうな顔色で、


「成程」


 と、言った。

 あ、と。その時気が付いた。

 他の人は気が付かないかもしれないけれど、わたしはソレに気が付いてしまった。

 深刻そうな顔をしただけで、実際には何も分かっていない。

 興味が無いから。

 早くモノズ核の作成に取り掛かって欲しいから。

 わたしを一人の職人としてみているから、トウジはわたしが喋れないことに興味が無い。

 思わず、笑ってしまう。

 少しだけ、この子のことが好きになれた。

 無関心は時に心地良い。

 だから、わたしは――


 ――ねぇ、これからの休日、一緒にごはんを食べませんか?


 彼をそう誘った。

 これは餌付けだ。

 少しだけ好きになった彼を逃がさない為の。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る