宴の席で

 テントに敷かれたのは複雑で、鮮やかな紋様が描かれた絨毯だった。

 その上の大皿に置かれた料理は美味しそうだ。

 早く食べたい。

 そんなことを考えながら、右の親指に刃を食い込ませる。

 浅く、それでも鋭く切ったその傷からは、ぷくり、と血が膨れる様に飛び出した。

 リカンも同じ様にして指に刃を食いこませ、血を出す。

 僕等はお互いの血を盃に落とす。白く濁った酒に朱が落ちる。それは一瞬だ。掻き混ぜればあっさりと血は消える。

 先ずは、リカンが一口。次に僕が一口。そして残ったモノを立会人が一気に煽った。

 舌に、ぴりり、と刺激がある。

 正直、あまり美味しくは無いが、これは僕の舌が子供だからだろう。酒の美味さは今一分からない。


「契約の儀は成った! これよりラチェットは我らの客人である!」


 リカンと同じく四本腕、それでもリカンよりも立派な鬣をした獅子人間、つまりはこのレオーネ氏族の族長の宣言が響き、喝采、乾杯、大宴会。

 互いの血を混ぜた酒を、互いに口にし、最後に契約を見届ける立会人が一気に煽る。

 これがレオーネ氏族の契約だ。

 どうやらその契約の儀式とやらは無事に終わったようだ。

 酒の味で無表情のまま固まっていた僕は、その無表情なまま、水を煽る様に飲む。


「どうした、ラチェット?」

「……いえ、何でも」


 そんな僕を見ながらニヤニヤ笑いながらのリカンの言葉に、強がりを返す。そんな僕にリカンは取り皿に持ったサラダを差し出してくれた。


「子供が好きな味だと聞く」

「大人で紳士な僕の口には合いませんね」


 ――ところでお替りください。美味しいです

 ――それでいいのか紳士

 そんなバカみたいな会話をしながら、周囲に視線を奔らせる。

 僕以外の人間も何人か見えたが、僕よりも『高く』買われて居る者は居なさそうだ。

 トゥースの文化は強者至上主義だ。席順にもそれが反映される。

 目の前に族長の息子であるリカンが居ることからもわかる通り、僕は随分と『高い値段』でお買い上げされた様だ。かなり上の席順に居る。上から数えて七番目。リカンの次の席で、シングルナンバーと言う奴だ。少しカッコいい。序列第七位とかでも良いと思う。

 そして、事前に注意を受けていた通り、この場では席順が下の者から上の者に声をかけることは許されない。だから声を掛けてこないが、下の順位からの視線が凄い。特に、八、九、十の連中からの、だ。


「……」


 怖いので僕は声を掛けない。

 意識を皿に戻しながら、ナンバーファイブのお爺さんに餌付けされているルドを回収する。僕から彼に声を掛けられないので、目礼で謝る。ふっ、とファイブが笑った。


「ラチェット、お前さんの犬の名前は?」


 そして声を掛けてきた。

 向こうから声を掛けてもらえたので、答えることが出来る。


「ルド。ルドルフです」


 由来を言うならば、名前の候補がイッパイアッテナです。


「そうか。このジジイは犬が好きでな。ルド公を少し貸しといて貰えんか?」

「……そういうことならば、少しの間宜しくお願いします」


 ルドを開放する。

 品種改良の結果、人間の言葉を完璧に解するようになった犬は嬉しそうにファイブの膝に手を掛けて立ち上がり、尻尾を振っている。

 凄くやめて欲しい。料理に毛が入りそうだ。

 僕は空の取り皿を庇う様に持ち上げた。折角だから何かを取って食べよう。そんなことを考えて周りを見渡した。ちょうど、料理が運ばれてきた。驚いた。運んでいるのが人間だ。

 緩やかにウェーブを掛けた長髪をサイドで纏めたその少女はふわりとした雰囲気を持っていた。彼女は上座まで料理を運び、その途中で――


「何で人間がこんな上におるん!?」


 僕に気が付いてしまった様だ。

 音が、消える。

 慌てた様子でこの配膳のまとめ役と思われる女性――これまた、人間――が飛び出そうとして、周囲に止められる。

 ……まぁ、そう言うことだ。

 下から上に話しかけてはいけない。

 席にも付けない奴が新入りとは言え、ナンバーセブンに声を掛ける。

 一発でレッドカードだ。

 退場するのがフィールドでは無く、人生からと言うのが救いがない。


「……」


 どうしよう? 僕は少し固まる。考える。答えが出ない。本当に、どうしよう?

 固まる僕を見て、ナンバーテンが、にやり、と笑――った気がする。残念ながら僕には彼の表情の変化は分からない。


「ラチェット殿にその様な態度っ、何と無礼な女だ!」


 きしゃー。吠える。そんな彼は獅子と言うよりは昆虫に近い。真ん中に一つだけの大きな複眼があり、その身体は滑らかなキチン質で出来ている。畑に置かれた鳥除けみたいだ。

 何故、彼がはしゃぎ出したのか? 答えは簡単だ。


「ワタクシめが始末しましょう!」


 そう言うことだ。表情は分からないが、たぶん、ニヤニヤ笑っているのだろう。それは、比較的人間に近いナンバーエイトを見れば分かる。

 僕に彼女の始末を止めさせ、それを理由に降格をさせる気なのだろう。

 がりがりと頭を掻く。息を吸う、大きく吐く。


「――、」


 天井を三秒見つめた。

 さて、掛かるかな? 掛かると良いな。嬉しいな。


「無礼と言いますが、彼女が何か?」


 リカンを見ている様にしながらも、周囲に聞こえる声で言う。


「何と! ご存じないのですかっ! 宴に置いて下の者から上の者に声を掛けるのはご法度ッ! 許されることではありませんぞ!」


 僕は半目になった。ちょろーぅい。

 視線の先でリカンの口が動く。『馬鹿なんだ、アイツ』。そう言うことらしい。

 さて、釣れた、釣れた、おバカが釣れた。


「それは、命で償うほどですか?」


 僕はそこで漸く彼に向き直る。


「いえ、普段はそんなことはありません! ですが、この宴はラチェット殿の歓迎の為のものでありますが故! ワタクシ、僭越ながらここでラチェット殿が『殺せる』者であることを示しておくべきかと思いますので! ……それに、日和る様な者に上に立たれるのは……なぁ?」


 周囲に視線を奔らせる。

 そうだ! そうだ!

 そんな声が所々で聞こえる。その中にはナンバーナインとエイトも居た。

 さすがに僕より上の者は気が付いているようだが、こんなんで良いのだろうか?

 まぁ、良い。楽で良い。


「リカン、済まない。折角の宴を血で汚す」


 リカンに言うようにしながらも、周りに聞こえる様に声を張る。


「構わんぞ。……得物は?」

「先程頂いた物が」


 護身用に、と貰った自動拳銃を取り出す。弾はしっかりと入っている。

 下半身だけ纏っているハウンドモデルの力を借り、立ち上がる。

 そうして、僕は、銃口を――


「えっ!?」


 ナンバーテンに向ける。


「残念だ。名前も未だ聞いていないのに……」


 僕は気の毒そうに首を振る。


「い、いやいや! 何故、ワタクシなのですかっ!?」


 絶叫するナンバーテン。

 僕はそれに冷たい声で答える。


「何故も何も……君は僕が話しかける前に僕に話しかけたではないですか?」

「僕はリカンに『何故、彼女が無礼なのか?』を問いました。なのに何故か君が答えました、ナンバーテン」

「そういうことです」

「あぁ、すみません。ナンバーエイトとナイン、君達も殺せる者であると示しておいてくれませんか? 流石に近いナンバーが『ソレ』が出来ないのは困ります」

「何故? ですか? 君たちは先程、ナンバーテンに対する同調として声を出しましたよね? 下位である彼の言葉に答えましたよね? つまりは声を掛けられたと認識しましたよね?」


「……何をしている?」


「立て」


「構えろ」


「殺せ」


 しん、と静まった中、僕の声が響く。

 僕は感情を乗せずにエイトとナインを見る。


「本当に、何をしている? 早く立て。それとも、見せた方が良いか?」


 意識する。声音を平坦に、低く、殺気を乗せて、言う。


 ――僕が、逆らう下の者を殺せる、と?


 ビクッ! と下位の何人かが震える。

 ノロノロと立ち上がるエイトとナイン。

 彼らが、それぞれ、己の得物をナンバーテンに向け――


「その辺にしては貰えんか、ラチェット?」


 ナンバーワン、族長から声が掛かった。


「そうですね。……失礼しました」


 僕は溜息を吐き出した後、彼に頭を下げ、席に付く。

 迷惑をかけたお詫びのつもりか、配膳の女たちが料理を皿に取り分け、配膳してくれた。お礼、なのだろうか? 僕の皿には大目に盛られた。

 甘酢が掛かった肉団子の様な者だった。美味しかった。


「……」


 僕は、周りの視線から隠れる様にして、こっそりと安堵の息を吐く。

 助かった。僕が狙撃特化だとバレなくて良かった。三味線はったりが通じて良かった。

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