2 奔走のち、遭遇

 ハリスの言葉を聞いたアニーとフェイは、互いの顔を見合わせて、首をひねった。

「……《雪月花》?」

 同時に繰り返し、やがてフェイがハリスに説明を求めるようなまなざしを向ける。

 雪月花。知らない名だった。少なくともここにいる二人にとっては、聞いたことのない言葉だった。名前に《花》がつくからには花か植物なのではないかと思うが、真実はわからない。

 うなるアニーの横で、フェイがとうとう疑問を口にした。

「あの、なんですか? それ」

「そいつを先生が教えてしまっては、課題の意味がないだろう?」

 ハリスの答えはそっけない。痛いところを突かれたフェイは、うっと声を詰まらせて黙り込む。困ったようにアニーを見つめてきたが、アニーはアニーでひどく困惑していて、幼馴染に助けの手を差しのべるどころではなかった。

 ひとりでうんうんと考えているうちに、アニーはふっと、ハリスの言いたいことに気付く。一度気付いてしまうと、たちまちもやもやした嫌な気持ちになる。彼女はふてくされた顔で教師を見た。

「つまり――なんにも教えてあげないから、一週間以内にどうにかしろ、ってことですか?」

 低い声でアニーが問うと、ハリスは意地悪に笑う。

「その通り。君にしては上出来な回答だな」

「君にしては、は余計なひと言ってやつです!」

 アニーはためこんだ怒りを爆発させるかのようにハリスへ食ってかかったが、彼は高らかに笑うだけで、結局何も教えてはくれなかった。それどころか、唖然とする二人に向かって、ひらひらと手を振る。

「学院の備品のひとつ壊してくれたんだから、これくらいの罰は当然だろう。今日から一週間、特別に授業には出なくていいから、しっかり課題をこなせよ」

「え、ちょ、先生?」

「そら、行った行った。時間は貴重だぞー」

 ハリスはそう言うと、愛想のよい笑みを浮かべながら生徒二人を追いだしてしまう。こうして少女と少年は、強引に特別課題へと駆り出されたのである。


 アニーとフェイは、ひとまず北館を後にした。慌ただしく駆けていく生徒たちを横目で見ながら、アニーが頬をふくらませる。

「もう、何よあれ! 散々、お手本がどうのって言っておきながら、こんなときだけ子ども扱いなの!?」

 廊下が騒がしいのをいいことに、彼女は大声で不満をぶちまける。隣にいるフェイは、それに対して苦々しく笑っただけだった。

「とりあえず、これから学院図書館にでも行ってみようか。もう、今日はお互い授業もないし」

 静かなフェイの言葉に、アニーは目を丸くした。突然何を言い出すんだ、と思いながら、しげしげと幼馴染を見る。

「図書館? なんで?」

「決まってるだろ。《雪月花》について調べるんだよ。何も情報がないんじゃ、とってきようがないじゃないか」

「……うー」

 もっともである。フェイにぴしゃりと答えられて、アニーはこの世を呪うような気持ちでうなり声を上げた。しかし、そもそもこうして罰を受けることになったのは、アニーが木剣を折ったせいである。フェイは彼女の罰に巻き込まれただけだ。そのためアニーが強気な態度に出られるわけもなく、しぶしぶ図書館へ足を向けた。

 二人は小走りで廊下を抜けてゆく。学院図書館があるのは、南館と呼ばれる建物の隣だ。二人が今いる西館からはやや遠い。帰りがあまり遅くなっても困るので、急ぐ必要があった。

 その小走りが功を奏し、思いのほか早く図書館の前へ辿り着く。二人は少しためらってから、両開きの重々しい扉を押し開けた。

 三階建てで、五角形をうんと高く引き伸ばしたような学院図書館。広大なそこを覆う壁の際には背の高い本棚が整然と並んでいる。壁は建物そのものを囲う白壁だけであり、正面入り口に立つアニーたちにそっぽを向くように配置された大小の本棚が壁のかわりを果たして、細い道を作っていた。制服を着た年上の生徒たちの姿がまばらにある。

 アニーとフェイは、司書の女性に頭を下げて中へ入っていく。途端に、アニーはくすぶっていたいらだちが、すっと抜けていくのを感じた。勉強は嫌いだけれど、図書館の空気や本の匂いは好きなのだ。

 しかし、安らいでいられるのもわずかな時間だけだった。

「じゃ、さっそく探そっか」

「う、うん!」

 専門書の書架の前に立った二人は、気を引き締める。目の前では、幅広の本棚がすさまじい威圧感を放っていた。

 二人はさっそく、《雪月花》の情報を探し始めた。名前の第一印象を頼りにして、まずは植物に関する本を見て行くことにした。写真集に図鑑、果ては論文まで。十一歳の子供にはとても読めないような本も、手当たりしだいにひっくり返していった。けれど、《雪月花》の一字もそれに近いと思われる言葉もまったく見つからず、時間だけが無為むいに過ぎていった。

「あー!」

 分厚い植物図鑑をテーブルに放りだしたアニーが、ついにのけ反った。甲高い声で絶叫する。それに驚いた生徒の何人かが、びくっと彼女の方を振り返っていた。しかし、アニーは気にせずテーブルに突っ伏す。

「み、みつからない……みつからないよう……」

「アニー。図書館ではお静かに」

 そばの本棚から『植物の絶滅危惧種』という重たい論文をひっぱりだしてきたフェイが、アニーにあきれ顔で注意をしてくる。しかし彼女は、幼馴染の注意を無視した。

「こ、こんなに探しても見つからないなんて……ハリス先生のばかあ……」

 アニーは木のテーブルに顔をつけたまま、ぶつぶつと呟く。それはさながら呪い言葉のようだった。近くの、同年代の男子生徒がびくりと震えてアニーを見る。そして、それを見たフェイが深々とため息をついていた。

 アニーは一度堪忍袋の緒が切れると、爆発したあとにこうしていじけて、ぶつぶつ文句をたれることが多い。幼馴染の少年はそれをよく理解しているので、彼女を無視して論文を開いていた。しばらく無言で紙をめくっていたが、あるときふと手を止める。「ん?」と小声で言ったあと、はっとアニーの方を見た。

「アニー! これ!」

「んー?」

 フェイの動作を低いところから見ていたアニーは、気だるげな声を出したが、彼の切羽詰まった表情を見て顔を上げた。

「どうしたの?」

「見てよ。《雪月花》の名前があった!」

「えっ!?」

 フェイの言葉を聞くと、覇気のなかったアニーの顔が、一気に目が覚めたかのように明るくなる。彼女は大慌てで幼馴染のとなりに椅子を寄せて、論文をのぞきこんだ。

 論文は、手書きの写本だった。古い紙には、ところどころ文字のインクがにじんでいる。

「ここ。この行」

 アニーは熱心にフェイの指を追う。声に出して、文章を読んだ。

「『アスフル鉱山は、《雪月花》が最初に発見された山として有名だが』――鉱山?」

「そう。ちなみにこの節では、鉱山採掘による環境汚染と植物について述べているみたいなんだけど」

 フェイの口から小難しい呟きが漏れる。それは、アニーには理解しがたいものだった。彼の呟きを聞き流したアニーは、「それよりも!」と身を乗り出す。

「鉱山ってどういうこと? 鉱山に花が咲いてるの?」

 熱を込めて少女が問うと、少年はゆっくり首を振った。

「違うよ。きっと、《雪月花》は花じゃなくて鉱石なんだ。鉄や銅とおんなじだよ」

「鉄や銅と――うそでしょ?」

「ぼくだって信じられないよ。でも、名前に騙されちゃだめってことじゃない?」

 そんな会話をした二人は、今度は鉱石にまつわる本を調べることに決めた。そうして十冊ほど読みあさっていくと、何度か《雪月花》の名を確認することができた。

『子どものための石の話』という薄い写本をめくっていたアニーは、この本でもやはり《雪月花》の名を見つける。

「『《雪月花》は魔の力をもった石。白くて磨くと光る。その美しい見た目から、この名前がついた』――さっきの本にも、同じようなことが書いてあったなあ」

 どうも、探し物に関する情報は、非常に少ないようである。アニーはため息をつきながら、手にしていた本を棚に戻す。そのとき、フェイが本棚の森の奥からてくてくと歩いてきた。肩を落とし、優しげに弧を描く眉は下がっている。彼の方でも成果があがらなかったのだろう。アニーとフェイは目の前で視線を交差させた。

「どうだった?」

「だめ。新情報はないわ。フェイは?」

「こっちも同じく」

 短い応酬を終え、二人は揃ってため息をつく。

「そもそも、どこで採れるかも全然わかんないし。これじゃほんとに、取ってきようがないわ」

 アニーはそうぼやいたあと、フェイを見て「どうしよう?」と問いかけた。頭脳明晰な幼馴染は、うなりながら腕を組む。とても子どものしぐさとは思えなかった。

「とにかく……もっと詳しいことが知りたい。町の中に誰か、《雪月花》に詳しい人がいないか聞いてみよう」


 学院の外に出ると、日が傾き始めていた。

「ちょっと急がないと、寮から締め出されちゃうね」

「うん」

 フェイの呟きにアニーがうなずいた。

 ヴェローネル学院は全寮制だ。アニーもフェイも学生寮で寝泊まりしている。六歳から十四歳までは、日没を告げる鐘の鳴る時間が門限だ。

 二人は何を言うでもなく歩きだす。ヴェローネル市は、国でも五指に入るほどの規模の街で、学術都市と呼ばれている。その名の通り、アニーたちが通う学院をはじめとして、多くの大学などが軒を連ねている。学院から大通りへと接続する通りには、あちこちの大学の制服を着た若者が入り乱れていた。アニーたちも、その一部だ。

「うーん。いっそ、このあたりのお兄さんやお姉さんに訊いたらいいのかなあ」

 集団を作ってはしゃぎあう年上の学生を見ながら、フェイはうなる。情報を集めるためにはそうするべきだと分かってはいるのだが、同年代で、かつ年上の人に話しかけるのがどうにも苦手――という様子であった。

 一方、まったく物おじしないアニーは、ぐっと拳を握った。

「うん! そうしましょう! ここにいる人たちなら、きっとすごい学者さんとも知りあいだと思うし」

「いや、え? 何か根拠はあるの? って、アニー!!」

 アニーは、フェイの制止の声も聞かずに通りを駆けていった。そして、小さな喫茶店の看板の前でたむろしている女子学生をさっそく捕まえた。きょとんとしている彼女たちに事情を説明すると、彼女たちはほほえましいものを見るような顔でうなずいた。自分たちも似たような経験があるのかもしれない。

 アニーが事情を説明し終える頃には、後ろに息も絶えだえのフェイが追いついていた。

「というわけで、《雪月花》に詳しい人を知りませんか?」

 女子学生たちは顔を見合わせて、しばらくひそひそと話しあった。アニーとフェイは、期待と焦燥のこもった目で見つめる。しかし、やがて彼女たちは首を横に振った。

「ちょっと、わかんないや。ごめんね、力になれなくて」

 彼女らのうちの一人、長い栗毛の少女が申し訳なさそうに言う。それを聞いた二人の子供は、しゅんと肩を落とした。

「そうですか……」

「ありがとうございます」

 落胆するアニーの横で、フェイが礼儀正しく頭を下げる。こうして二人は、少女たちと別れた。

 その後もアニーとフェイは聞きこみを続けたが、なかなか思うような成果はあがらない。二人が思わぬ情報に辿り着いたのは、太陽の下端が建物の影に隠れた頃のことであった。

 通りの端に小ぢんまりと、給水所がある。石の器に、壁に取り付けられた蛇口からチョロチョロと水が注いでいた。二人が次に話を聞いたのは、その給水所のそばで誰かを待っているらしい、十七、八歳ほどの少年だった。

 二人の事情を聴くと、少年は目を見開く。

「それなら、いい人を知っているよ」

 あっけらかんとした声を黙って聞いた二人は、目を見開いて動きを止めた。それから、きらきらと目を輝かせる。

「本当!?」

「ですか!?」

 詰め寄る子供を見下ろす少年は、「うん」と言った。

「大通りから少しそれたところに、青い三角屋根の小さな家が建っている。そこに、ロトっていう便利屋の男性が住んでるんだ。年齢は――僕より二歳くらい上だったかな? 魔術とか、考古学とかに詳しいから、その不思議な名前の石についても何か知ってるかも」

 諦めかけていたところでもたらされた朗報に、アニーとフェイは喜びを爆発させる。笑みに彩られ、朱色に染まった互いの顔を、見合わせた。

「なんなら、地図書こうか?」

 嬉しそうな彼らを見て、少年はそう提案してきた。「お願いします!」と二人が声を揃えて頼むと、彼は小さな獣皮紙に、羽ペンでさらさらと地図を描いた。それを、フェイに手渡す。

「安ものの紙とインク使ってるから、ちょっと見にくいかもしれないけど。ごめんね」

「大丈夫です。ありがとうございます」

 フェイが地図を受け取ったあと、二人は少年にしっかりお礼を言い、学院の方へと歩き出した。

 アニーが、フェイの持つ地図をちらちらと見ながら、嬉しそうに笑う。

「よかったー。これで、課題が進むかもしれないのよねー」

「まだわからないよ」

 期待でいっぱいのアニーに対し、フェイはあくまでも平静を装っていた。が、彼もまた喜びでそわそわしているのが、アニーにはよくわかる。

「とりあえず、明日はこの、ロトさんのところに行ってみよう」

「うん!」

 これからのことを話しあいながら、二人は意気揚々と通りを進む。聞きこみをしていた商店街を抜けると、通りの脇にのびる別の道の向こうに、広場をとらえた。そしてその方向から、二人の男性が歩いてくる。大して気にとめず彼らの前を横切った子どもたちは、しかし、何事か言い争う声を聞いて足を止めた。


「だから、なんで申請させてくれねえんだよ!? あんた何考えてんだ!」


 荒っぽい声に肩をすくめたアニーたちは、声の方を見た。先程、目の端にとらえた二人の男性が、まだそこにいた。茶色い生地に黒い地味なボタンが並んだ薄手のコートをまとう若者が、ぴっちりとした質のいい黒服を着た男に食ってかかっている。黒服の方は、若者に冷やかな目を注いでいた。

「あれ、市庁舎の職員の制服だ」

 フェイがアニーにささやいた。アニーは、嫌そうに片眉をあげる。

「ふーん。つまり、役所の偉い人ってことね」

 お役所仕事に偏見を持っているつもりはないし、役所には優しい人もいるので職員は嫌いではない。だが、あの黒服男の冷たい目は気に入らなかった。渋い顔をしているアニーと、困っているフェイが見守る間にも、言い争いは続いていた。

「申請理由が不十分です。あの程度の申請内容で、遺跡立入の許可がおりると思わないでいただきたい。だいたい、あなたに依頼したのは遺跡の盗掘ではありませんが? こんなところでわめきたてる暇があるのなら、黙って仕事をしなさい」

「あんた、耳が遠いのか? それとも頭が悪いのか? その依頼しごとのために申請出すつってんだろうが」

「遺跡をあさって魔物の発生異常が解決するわけではないですよ」

「その異常の原因をつきとめに行くんだよ! ったく、何回俺に同じ説明をさせるんだ」

 口論には終わりが見えない。この二人が何について議論しているか、アニーもフェイもよくわからなかったが、議論が平行線をたどっていることだけはわかった。二人はいたたまれなくなって、そそくさと男性たちに背を向ける。

「い、急いで帰ろう、フェイ」

「う……うん」

 飛び交う声から逃げるように、二人は通りを走り抜けていった。



     ※



 口論は続いた。とうとう、黒服男の目に敵意が走る。

「あそこは、まだまだ発掘調査の足りていない遺跡です。そんな場所にあなたの手が入っては困るのですよ」

 先程まで熱くなっていた若者は、無言で身をひっこめた。顔から表情が抜け落ちて、奥に潜んでいた冷たさが、ゆっくり浮かびあがってくる。

「そっちが本音かよ。そんなに魔術師が嫌いなら、俺にからんでくるの、やめりゃいいのに」

「とんでもない。魔術師は嫌いではないですし、あなたとは仲良くしたいと思いましたよ。――あなたが、ただの魔術師なら」

 男の両目にこもる侮蔑を真正面から見つめ、若者は舌うちをこぼした。

「――そうかよ」

 痺れを切らしたように、コートをひるがえして相手に背を向け、歩きだす。

「ああ構わねえ、俺を嫌いたいなら好きにしろ。おまえが申請用紙をくれねえんなら、他の職員やつからぶんどるだけだ。時間取って悪かった。じゃあな」

 とげとげしく吐き捨てた彼と、ため息ひとつこぼさず市庁舎へ足を向ける黒服男。

 険悪な二人の間をすり抜けるように、日没の鐘の音が、重々しく響き渡った。

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