3 情報院

 馬車といい、今といい、大きなものを前にして驚くことが多い気がする。口を開けて呆けていたアニーは、ぼんやりとそんなふうに思っていた。彼女が間抜けな顔をしているのも、意味のない考えにひたっているのも、見つめる建物が立派なせいだった。

 白と灰色がほとんどで、色合いはひどく地味だ。けれど同時に、何本ものびる円柱と、それに支えられる屋根は、古代の神殿を思わせる荘厳なたたずまいをつくりだしている。門扉も同じ色で統一されているが、そちらには何やら複雑な模様がほりこまれていた。

「――そんなに見上げてると、頭がもげるよー」

「もげっ!?」

 アニーは慌てて正面に向き直る。リーヴァのひどい声がけで我に返った少女は、改めて扉をにらみつけた。もんは開け放たれていて、ひっきりなしに人が行き来している。そのほとんどが、学者や研究者のような格好をした人であった。

「お、俺、ここに入りたくねえんだけど」

「がんばりましょう、クレマンくん!」

 いかにも『頭のいい人の領域』という空気を前にしてひるむクレマンを、エルフリーデが謎の気合で励ましている。やりとりに加わっていない二人の男子はというと、まじめな顔で、建物の歴史について語りあっていた。

 そもそも、なぜこのような場所に来ることになったのか。時は、数刻ほどさかのぼる。


「うーん。だいたい見回ったねえ」

 宿屋の前に立ったリーヴァが、背伸びをして呟いた。彼女はすっかり上機嫌であり、街に出る前より、さらに元気になっている気がする。一方、好奇心にかられて知らない場所を歩き回ったアニーは、さすがに少し疲れていた。

「今日はこのくらいにしたら?」

「そだね。明日、王宮の近くまで行って下見して、前夜祭に備える感じで」

 友人の意見にふんふんとうなずいたリーヴァは、それから、子どもたちを振り返る。アニーがあたりを見回した限りでは、ほかの三人もどことなく疲れているふうではある。けれど、フェイやエルフリーデは、まだ興味津々な様子であたりを見回していた。

「ここまで私主体で案内したからなあ。ね、君たちは、行ってみたいところとか、ないの?」

 先輩は、にっこり笑って訊いてくる。子どもたちは目を合わせてうなった。それから、アニーとクレマンがほぼ同時に手をあげる。

「軍部――」

「それは先生にお願いしてね」

「ですよねえ」

 すばらしい笑顔でお願いをしりぞけられると、クレマンは肩を落とし、アニーは笑った。さすがに、子どもだけで軍の施設に入れるとは思えない。……先生に頼んだところで、王都にまで連れてきてもらえる可能性も、低いのだけれど。

「ちぇー。軍の訓練場とか、見てみたいのになあ」

「クレマンくん、軍部に興味あるの?」

「んー。まあ、な」

 二人のやり取りを聞きつつ、アニーはななめ後ろに目を巡らせる。幼馴染が、妙にそわそわしていた。彼はそのまま黙っているかと思われたが、話し声が途切れたところで、前のめりになった。

「じゃ、じゃあ……情報院なら、いいですよね!?」

 確かめる声には、やけに力がこもっている。知識欲を隠そうともしないフェイの姿に、アニーは思わずのけぞった。一方、先輩たちは、おもしろがるような目をした。

「ほっほう、情報院か。フェイくんらしいね」

「いいんじゃないかな。機密情報を扱ってるところだから、奥までは見せてもらえないと思うけど」

 リーヴァもフランも、特に反対するつもりはないらしい。首をかしげたアニーは、そのまま隣にいる少年を見やった。

「じょうほういん、ってなんだろ」

「はあ? アニーおめえ、この間の座学、おぼえてねえのか」

 クレマンに、思いっきりしかめっ面をされた。アニーはふてくされて唇を曲げつつも、忘れたから教えてよ、と彼にせがむ。わざとらしいため息のあとに、言葉が続いた。

「軍に関わる情報をもってる場所だよ。お金のことから作戦で手に入れた敵のことまで、すっげえ厳しく管理してるって」

「うん、だいたいそんなとこだ」

 フランが、さらりと割って入る。彼は、『戦士科』の後輩たちの視線を受けても、ちっとも表情を変えない。

「もう少し付け加えると、軍だけじゃなくて王室やその他の重要な組織の情報も扱っているね。いくつかの部にわかれていて、部ごとに管理してるものが違うんだ。おもな部は、軍事部、ない広報部、魔術部あたりかな」

 彼の言葉は少しばかり難しく、いくらかはアニーの耳を素通りしてしまっていた。けれど、そのわからなさがかえって、情報院への興味をかきたてるようにも思えた。

 結果として、全員で情報院をのぞいてみようという話になる。リーヴァの案内で、再び大通りを進んで――大きな建物に驚くはめになったわけだ。


「さてと。そんじゃまー、ちらりとのぞいてみますかね」

 リーヴァの明るい声で我に返ったアニーは、唾をのみこんだ。勝手に入ってよいものかと思ったものの、出入りする人の中には、ふつうの王都民の格好をした人々も混じっているのだ。リーヴァがためらわないということは、問題ないのだろうと、むりやり納得する。

 先輩たちの導きで、開け放たれた扉をくぐる。とたん、冷えた空気が沈みこんできて、六人を取り巻いた。誰に注意されたわけでもないのに、口をつぐんでしまう。黙りこむ彼らとは反対に、情報院の入口は、せわしない音に満ちていた。人が行き来し、紙がこすれてペンが走る。高い靴音が鳴りやまない。ときには、怒号に似た鋭い声が飛んだ。声の方を見てみると、すそに装飾のついた長衣をまとった女性が、白衣をまとった女性に難しい顔で話しかけていた。

 飛び交う言葉はグランドル語のはずなのだが、ほとんどが理解できない。アニーは思わず、白い床のまんなかで、足を止めてしまっていた。

「な、何ここ」

「す、すごい……中はこんなふうになってるのか……!」

 早くも逃げたいアニーとは逆に、フェイは瞳を輝かせている。アニーは思わず、少年を半眼でにらんだ。

「なんかさー、いつもより元気だよね。フェイ」

「だ、だって、だって! ずっと来てみたかったんだもん!」

「ふ、ふーん」

 もともと興味のあることに対して熱くなる人なのは知っていたが、ここまではしゃぐ姿を見るのは、はじめてだ。アニーは、お腹のあたりがむずむずする気がして、顔をしかめた。落ちつかないのはなぜだろう。

「あれ、リーヴァちゃんじゃないか」

 珍しく、底のない考えごとをしていたアニーの意識を、知らない声が引きずり戻す。リーヴァの前に、白衣をまとった男性が立っていた。ぱっと見ただけでは年齢がわからない。男性と思ったのも体格がそれらしいからで、顔つきは中性的。不思議な雰囲気の人だった。緊張する子どもたちとは別に、リーヴァは彼へと駆け寄った。

「あ、ジルフィード先生! お久しぶりです」

「うん。しばらく見ない間に大人になったね。お父上には会ったかい?」

「まだですよ。どうせ、仕事中でしょ」

 仕事放り出されても困るんで、と毒を吐くリーヴァに、ジルフィードと呼ばれた人は曖昧な笑みを浮かべる。アニーの知らない、意思を隠すような微笑は、小さな胸をちくりと突き刺した。彼女の違和感を知るよしもないジルフィードは、リーヴァの後ろに目をやって、頭をかたむける。

「お連れ様がたくさんだね。お友達?」

「はい。友人のフランと、後輩の子たちですよ」

 フランが軽く会釈をして名乗り、子どもたちも慌てて頭を下げる。相手が静かにうなずくと、エルフリーデが、おずおずと足を踏み出した。

「あ、あの。あなたは――もしかして、院長さんですか?」

 少女の問いに、ジルフィードはひどく驚いた顔をした。一瞬、肩を震わせてから吹き出す。

「僕が院長になれたなら、歴史的な快挙だね」

「ということは、違うんですか」

「残念ながら。期待させて申し訳ない。同胞のお嬢さん」

 ジルフィードは、胸に手をあて、恭しく頭を下げる。エルフリーデは「えっ」と悲鳴を上げた。彼女が言葉を続ける前に、ジルフィードが顔を上げた。

「僕はジルフィード。ここ、情報院の、魔術部の部長だよ。同時に軍医でもある。……というか、医者の方が本業でね。魔術部長は名誉職みたいなものさ」

 言葉の終わりに、ジルフィードは片手を振っておどけてみせる。リーヴァが、いたずらっぽく目をゆがめた。

「またまた。こちらの仕事もきっちりこなしちゃうじゃないですか、先生は」

「一応、任せられてるからね」

 ジルフィードは肩をすくめた。あくまでも一歩ひいた姿勢の彼を、アニーは思わずまじまじと見てしまう。どうにも落ちつかない。意味もなく胸が鳴る。その理由を、考えに考える。目を閉じたアニーはそこで、エルフリーデとはじめて出会ったときのことを思い出した。

 麻の衣と黒い髪をのばしてたたずむ彼女は、すべてからやわらかく切り離されたような空気をまとっていた。

「あ。……ひょっとして、お兄さん、魔術師なの?」

 アニーは目をみはる。確信を持って質問をしてみれば、ジルフィードは明らかに、驚いていた。彼だけでなく、そばにいたリーヴァも。

「えーっ!? アニー、どうしてわかったの?」

「な、なんとなく」

 アニーが頭をかくと、軽やかな笑い声がした。魔術部長で軍医でもあるという彼が、白衣の肩を揺らしていた。

「まいったな。まさか、魔術師じゃない人に見破られるとは」

 将来有望だね、と。ジルフィードの静かな目が、そのときはじめて、アニーを真っ向からとらえる。少女は取り立てて何かを言うわけではなく、ぺこりと頭を下げた。そのとき、子どもたちの脇を薄紫の衣がすり抜ける。何事かと思って顔を上げた彼らが見たのは、知らない女性の後ろ姿だった。

「ジルフィード部長、魔術師部隊の方がお見えです」

「おっと。隊長殿が、また隊士をこき使ってるのかな」

 剣のような言葉に、ジルフィードはわざとおどけて手をあげた。それから女性といくつか言葉を交わした軍医は、リーヴァを振り返る。

「ごめんね。僕が少しくらい、案内してあげられたらよかったんだけど」

「いえいえー。お忙しい先生に、そこまで頼めませんって。大丈夫、私もけっこう、おぼえてるんで」

 この子たちの案内はきちんとしますよ、と胸を叩いたリーヴァは言った。ジルフィードは、穏やかな微笑をこぼすと、女性について去ってゆく。子どもたちはつい、去りゆく彼を目で追いかけていた。確かに、入口の方には女性の軍人が立っていて、相手に気づくときれいな敬礼をしている。

「お? 誰だろ、あれ。新入りさんかなー」

 目陰をさしていたリーヴァが、大きな目を瞬いた。フランが「リーヴァが言うんならそうなんじゃない?」と、投げやりな答えを返す。アニーは、特に何を考えるでもなく、やり取りする軍人と魔術師をぼうっと見ていた。何を言っているのかまではわからない。はきはきと話す女性軍人が気になって身を乗り出したとき、すぐそばから、短い悲鳴が聞こえた。口を片手で押さえたエルフリーデが、軍人の後ろを指さす。

「ねえ。あれ、ロトさんじゃない?」

「えっ!?」

 彼女の言葉に叫んだのは、アニーとフェイの二人だった。目のよいアニーがまっさきにそちらを見ると、確かに、よく知った青年がいた。軍人の後ろですまし顔をしたまま、腕を組んでいる。その彼はアニーたちの方を見ると、ぎょっと顔をひきつらせた。

「あ、気づいた」

 アニーとフェイはとりあえず手を振ってみたが、反応はない。代わりにジルフィードが、彼女たちへ、優しいまなざしを向けてきた。

 なぜ、『便利屋』の青年が軍人と一緒にいるのか。疑問はふくれるばかりで、答えは出ない。答えを出す前に、彼らはどこか別の部屋へと案内されてしまった。



     ※



 ロトは、長椅子の隅で縮こまりながらも、アレイシャとジルフィードのやり取りを観察していた。二人が何を言っているのかは、当然、耳に入ってくる。けれども、情報は極力頭に入れないようにしていた。軍事機密に関わると、ろくなことがない。

 二人はいくつかの言葉を交わした。その後、ジルフィードが立ち上がり、後ろの机の上からとった紙束をアレイシャに渡す。方陣と文字がびっしり並んでいるのは、ロトのところからも見えた。情報院が方陣の分析を任されていたのかもしれない。紙束について説明する軍医兼魔術部長の表情は、けわしかった。

 二人の声が、ふいに途切れる。そろそろ終わりか、と青年が思ったとき。

「それで――君はいつまで、彫像のふりを続けている気だい? つれないね」

 笑い含みの声が耳をくすぐる。ロトは、そこでようやく、数年ぶりに彼の顔を見た。ジルフィードは、帰ってきた息子を見る母親のようにほほ笑む。

「立派になった君とたくさん話がしたかったのに」

「……申し訳ないけど、軍のことにはできるだけ関わらないようにしてる」

「ユーゼス少将に引きずりこまれるからかな」

「自分で選んだならともかく、知らないうちに軍がらみの事件に巻き込まれるのは、もうこりごりだからな」

 ロトは大きなため息をつく。そこから、いろいろと察したのか、ジルフィードもとがめるようなことは言わなかった。一方、アレイシャは、目を丸くして二人を見比べていた。

「えっと。お二人は、どのようなご関係で?」

 戸惑った新人の問いかけに、青年と軍医は顔を見合わせる。答える役を負ったのは、ジルフィードだった。

「彼が以前、王都に住んでいたときにね。心身の治療を担当したんだ。当時の彼は、幼い身にはつらいことがありすぎて、精神的に不安定だったから」

 古傷をなぜられたロトは、黙ってそっぽを向く。アレイシャの感心しきった相槌にも、何も言わなかった。ジルフィードの、それ以上過去について掘り下げることはしない。そのかわり、両目がいたずらを思いついた幼子のように光る。

「ところで。さっきの子たちは、君の知り合いだよね。あの女の子を見たとき、変な顔をしていたし」

 ロトは、唇を曲げた。十中八九、アニーたちのことだ。まさか、子どもたちが情報院を見にきているとは思っていなかった。

「……ときどき、勉強みたりしてるんだよ。あいつら、ヴェローネル学院の生徒なんだ」

 ロトの報告を聞いていたアレイシャが、「ああ、例の」と手を打つ。軍医の男の方はというと、わざとらしく困り顔をつくっていた。

「そうかあ。もっと早くわかっていれば、別の話ができたのにな」

「別の話って、なんだ」

「君の恥ずかしい過去とか」

くびるぞ」

 ロトがにらみをきかせると、ジルフィードは両手をあげ、大げさに怖がるふりをする。ゆがんだ顔も、すぐにもとの端正な微笑を取り戻した。相変わらず飄々としている軍医にため息をこぼしたロトは、席を立つ。

「じゃあさ。次彼らに会ったら、よろしく言っといてよ」

「なんでわざわざ」

 ロトは拒絶の意味をこめて吐き捨てたのだが、ジルフィードは「頼んだね」と、念を押すばかりだった。もう一度出そうになるため息をこらえたロトは、角ばった声で挨拶をしたアレイシャと連れだって、小部屋を出ようとする。

「ああ、ロト。ひとつだけ、いいかい?」

 背に投げかけられる声は軽い。ロトは、頭だけで振り返った。軍医は、いつもと変わらない笑みを浮かべている。

「君は、軍のことには関わらないと言っているけど――そして少将も巻き込むつもりはないだろうけど――今回ばかりは、そうはいかないと思うよ。おそらくあれは、君でなければ対処できない」

 アレイシャが息をのむ。ロトもまた、目をすがめた。

「どういう意味だ?」

「見ればわかるよ。少将に訊いてごらん」

 それはつまり、自分から首を突っこめ、ということだ。出かかった舌打ちをこらえたロトは、「考えておく」とだけ言い置いて、足早に扉のむこうを目指した。

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