ぼくらの冒険譚

しちみ

Ⅰ はじまりの冒険譚

序章

小さな事件

 戦士科準備室には、呪いの武器が眠っている。

 いつの頃からか、そんな噂が広まりはじめた。なんの根拠もない噂には、次第に尾ひれがついていき、なんとなく真実っぽい作り話までがささやかれるようになった。

 噂の発信元はわからない。広めたのは不特定多数の生徒たちで、彼らには悪意のかけらもない。くだらない、嘘か本当か知れない話をささやきあい、楽しむのは、好奇心旺盛な人たちにとっての、たわいもない遊びなのだから。

 ただひとつ、彼らの小さな小さな罪をあげるとすれば。

 その、奇妙奇天烈、根も葉もない噂話を、「問題児」の耳に入れてしまったことだろう。



     ※



 空をあおいだ少女は、澄みきった青を見て、口の端をつりあげた。眼下に広がる景色を、もう一度、確かめるように、ぐるりと見回す。まんなかに大きな花壇がある、やたらと洒落しゃれた中庭には、今は自分たち以外に人がいない。ただ、草木の揺れる音だけが、ときどき響いている。

 まさに完璧。『作戦』を実行するには、絶好の日和だ、とアニーは思った。満足そうに閑散とした中庭を見回した少女は、金色の三つ編みを揺らし、むふん、と鼻を鳴らす。

 だが、そんなアニーのふくれあがる高揚感に水を差す声があった。

「ア、アニー! やめようよ!」

 声に気づいて、眉を動かした少女は、中庭でもっとも高い木の上から、また中庭を見下ろした。声の主はすぐに見つかる。木の根元にしがみついて泣きそうになっている、十歳くらいの少年だ。ひょこひょこと揺れる、短い茶色の癖っ毛の下には、やわらかく優しい印象を与える目。普段から下がりがちな眉は、このとき、ますます下がっており、彼の気分の落ちこみようをあらわしているようだった。

 いつものこととはいえ、たまには、その、おろおろした表情にいらだつこともある。むっと顔をしかめたアニーは、木の下に向かって叫んだ。

「何よ、フェイ! ここまで来て怖気づいたっていうの?」

「ぼくは最初から賛成してないよ! アニーが勝手に決めて、勝手にぼくまで引きずってきたんじゃないか!」

 少年、フェイの目はますますうるみ、本当に泣きだしそうだ。むりやり引きずられてきたのに立ち去らないのは、ひとえに、幼馴染の悪行を止めるためである。だが、彼の涙ぐましい努力は、今のところ実っていない。好奇心の塊で、時にそれを満たせてしまうほどの行動力と身体能力を兼ね備えた、活発にして危険な少女。彼女を止めるすべなど、知識と人をいつくしむ優しい少年は、もちあわせていなかった。

 証拠に、アニーは木の中でもっとも太い枝の上で立ったまま、そっぽを向いてしまう。大した平衡感覚だが、感心されることの方が少ない。

「賛成してないんなら、止めないでよね!」

「立入禁止の準備室に入ろうなんて、止めるよ普通!」

 フェイの絶叫は、静寂の中にむなしく響いた。

「呪いの剣が本当にあるのかどうか、確かめるだけよ。平気平気」

「平気じゃない! それにあの噂、絶対嘘だから!」

「普通に鍵を借りて入れる先生ですら、確かめたことないんでしょ。じゃあ、わかんないじゃない。わかんないなら、はっきりさせなきゃだめじゃない」

「はっきりさせなくていい! 少なくともアニーがやることじゃないから!!」

 フェイの叫びは悲鳴に近かった。本当は木を揺すってやりたいくらいだが、悲しいかな、そんな腕力はない。

 一方、アニーの方はフェイの叫びなど、半分以上聞き流していた。

 今年に入ってからうんざりするほど聞く噂。その真偽を、確かめてやろうというだけである。戦士科準備室じたいが、恐怖の対象となりつつなる今、白黒つけないのは問題だ、とアニーは思っていた。

 別に、何かいたずらをしようってわけじゃない。言い聞かせた少女は、すぐそばに見える窓の中を、枝の上で確かめた。白壁しらかべにはりつく窓の中は暗い。ランプなどの明りは、灯っていないようだ。人影はない。薄暗がりにまぎれて、中にある木剣ぼっけんや防具の形が、ぼんやりと浮かびあがっていた。

 アニーはひとつうなずくと、その場で両足に力をこめた。木の枝がみしり、と音を立てて軋む。枝が重みに耐えきれなくなる前に、力いっぱい蹴りつける。すると、小さな体はかろやかに宙を舞った。


 下で嘆きながら見届けている少年が、実は幼馴染は人間ではなく類人猿なのか、と思ったことなど、当人はまったく知らない。


 アニーは空中で器用に体勢をととのえる。勢いに任せて飛んだ体は、そのまま、彼女が先程見ていた窓の、すぐ下の壁にぶつかりそうになった。しかしアニーは手を伸ばし、すぐ上の窓枠をしかとつかむ。

 そのまま彼女は、少しの間、窓枠にぶらさがった。不敵な笑みが口もとに浮かぶ。

「順調、順調っと」

 遠くから少年の声が聞こえた。止めようとしているのは確かだが、アニーは平然と無視する。両手で窓枠をがっちりつかみ、指の先に力を込めると、腕を曲げる。反動でぐんと上に動いた体をそのままひねり、彼女は窓の内側に足をかけた。笑みをおさえきれないアニーは、その体勢のまま、幼馴染の少年を振り返った。彼は、酸欠気味の金魚のように、口をぱくぱくさせてこちらを見ている。

「いっくよー、フェイ!」

 アニーが呼びかけると、フェイははっと目を見開いた。それから、慌てたように叫ぶ。

「も、もうやめてって! 下りてきなよー!」

「だーいじょうぶだって」

 もうすでに涙をこぼしはじめている、フェイ。アニーは、彼に向かって、にこやかに手を振った。

――そのとき。窓枠にひっかけていた左足が、ずるりと滑った。

「あ」

 間抜けな声を上げた少女は、直後、部屋の中へと転げ落ちる。視界はぐるぐると回転し、やがて黒くなった。

「ぎゃーっ!」

 木の板が割れるような、けれど、それよりもっと激しい音が、薄暗い部屋に響き渡る。

 自分が部屋の中の物に体をしこたまぶつけた音を他人事のように聞いたアニーは、やがて目を開けた。

「いったー……」

 細い声が漏れる。アニーの視界はさかさまになっていた。彼女はどうにか、崩れ落ちた大量の物の中で起きあがると、物の山から抜け出した。物がいちいち固いせいで、手と膝が痛かった。

「はー。まったく、なんで武器と防具が積み上がってるのよー」

 物に責任を押し付けたアニーは、ざっとそれらの山を確認した。自分が落ちたせいで学院の備品が壊れてしまっていたら、さすがにまずいと思ったのである。

 この部屋に押しこめられている物は、剣や盾、弓、それから防具に的などである。ただし「練習用」なので、たいていが木製、質がよくても青銅製だ。埃っぽさと戦いながらアニーは必死にそれらをかきわける。

――やがて彼女は、練習用の木剣の一本をつかんだところで、はたと手を止めた。

 下町の武器屋ですぐ買えそうな、初心者向けの、木の剣。その長さや幅は、六歳から十歳の子供用に調整されているらしく、柄はアニーの手にもしっくりなじんだ。目立つ傷もない。問題はその上だ。

 刃の上半分が無い。どう見ても折れている。

 そして、どう考えても、さっきの落下が原因だ。ふつう、女の子一人の体重で折れるようなものではないが、窓枠から落ちて踏みつぶしたとなれば話は別である。

 さっと青ざめたアニーは、自分の右足が何かを踏んでいることに気付いた。そっと足を上げると、そこには木の棒がある。正確には、折れた跡が見て取れる、木製の刃先だが。

「あ、ははー……」

 乾いた笑い声を上げたアニーは、よろよろと窓の方に歩いていった。身を乗り出すと、中庭で立ちつくしたままの少年に声をかける。

「どうしよう、フェイ」

「何。何やったのー?」

 少年は、疲れ切ったような声で叫びかえしてくる。長い付き合いの彼に向かって、アニーは爽やかに笑った。


「戦士科の木剣、折っちゃった!」


 一瞬、あたりが静まりかえる。そして。

「――はあっ!?」

 フェイの悲痛な声が、学びの庭に響き渡った。

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