2 旅は道連れ
五日後――祝祭日の、長い休暇の始まりの日。アニーたち三人は、簡素な馬車乗り場のどまんなかで、呆けていた。
「おっきい馬車」
その呟きが、誰のものかもわからない。アニーが言ったのかもしれないが、違うかもしれない。そんなささいなことを気にしていられないほど、彼らは馬車に気をとられていた。二頭引きの立派な馬車だ。青い車が陽光を弾いて、てらてら光っている。飾り物こそないものの、以前乗った馬車より断然丈夫そうである。
「木材に見えるんだけどな。基礎に違う素材を使ってるのかも」
隣で優等生が分析をしているが、アニーはいちいち反応できなかった。毛並みのきれいな馬と、彼らを巧みに操る
少しして馬車が停まると、彼らの先頭に立っていたリーヴァが振り返った。学生服のときとは打って変わって、黄色い薄手の上着に白い長衣、その下に
「さあて。行くよ、諸君!」
やたらとはりきっている。一人でも飛び出しそうなリーヴァを前にして、クレマンがおそるおそる挙手した。
「あ、あのう、先輩。本当に、こんなのに乗っていいのか?」
「平気よー。これ、十人から十五人乗れるらしいから」
「いや、広さの問題じゃなくて」
クレマンが汗をかきながら突っこむ。するとリーヴァは、ころころ笑った。
「だいじょーぶ。交通費は家持ちなので。いっつも、一人でこんなに使わんわ! ってくらいの大金がくるんだから、嫌になるよ、もう」
いつ何があるかわかんないんだから節約しようって言ってるのに、というようなことを、少女はぼやく。子どもたちは顔を見合わせ、平然としているもう一人の先輩を振り仰いだ。
「ひょっとして、リーヴァ先輩……その、お嬢様なのですか?」
「お嬢様ではないけど。似たようなものかもね」
落ちついているフランは、返す答えも静かだった。言いたいことは山ほどあったが、ここで立ち止まっていては、置いていかれかねない。しぶしぶ、リーヴァについて乗りこんだ。珍しいことに、ほかにも続々と馬車がやってきていて、あちこちで人の列ができている。アニーたちのまわりがさびしすぎるくらいだった。
座席に、繊細な模様の入った布が敷かれているのを見て、アニーはまたしてもぎょっとした。隣を見れば、フェイもおののいているように見える。車体と同じく青地の席に、おそるおそる腰をおろす。乗りこむ人のほとんどが、身なりのよい大人たちばかりで、彼らはさらに委縮した。気にしていないのは、上級生二人くらいのものである。
他の馬車の出発を待って、アニーたちの乗る馬車も動きだした。二頭の馬の、鋭いいななきが聞こえる。リーヴァの小さな鼻歌も聞こえてくるが、アニーは、彼らと何を話していいのかわからなかった。せめて同級生と会話しようかと、視線を動かす。
けれど、そのとき。同級生ではなく、別の人に目がいった。
アニーのななめ前。窓際で、小ぢんまりと座っているその人は、早くもまどろみはじめている。見覚えのある姿に、気づけば声を上げていた。
「あっ」
「――ん?」
すると、相手が声を聞きつけ、薄目を開けた。しばらくぼうっとしていたが――アニーの姿を認めた彼は、鋭い両目をぎょっと開いた。
「お、おまえ……何してんの?」
「いや、それ、私のせりふ……ロトってお金持ちだっけ?」
「今まで俺が金持ちに見えたことが、一度でもあったか?」
とげを含んだ物言いに、アニーは安堵する。まちがいなく彼だ。二人のやりとりで、フェイとエルフリーデも、相手が誰かわかったらしい。叫びだしそうになってから、慌てて口を押さえていた。
「ろ、ロトさんですか」
「おう。なんだ、全員一緒か」
「全員一緒どころか先輩も一緒だよ」
フェイが言うと、ロトの目が横へ動く。はじめて、上級生の存在に気づいた彼は、興味がわいたのか上体を起こした。
「なんだ、珍しいこともあるもんだな。ひょっとしてあれか、学院には面倒くさい規定があるのか」
「さすがですね……」
淡々と事実を言いあてた青年に、エルフリーデが感嘆の声を漏らす。それから、「わたしたち、建国記念祭に行くんです」と付け足した。ロトは納得して、うなずいた。そこで、それまで置いていかれていた三人が、会話に入ってくる。
「へえ。君たち、またえらい年上の人と知り合いなんだねえ」
「……僕たちとたいして変わらないと思うけど?」
先輩二人がいつもの調子を崩さないのに対し、クレマンは、視線をさまよわせている。彼がまだロトに会ったことがなかったと、アニーたちはそこで思い出した。アニーはロトの方へ向き直ると、少年の肩を叩く。
「あ、ねえ。こいつ、前に話してたクレマン・ウォード」
「よ、よろしく……お願いします……」
アニーが言うと、クレマンは背中を丸めた。緊張して全身がこわばっている。ロトはというと、いつもどおり無愛想だ。「ああ、噂の悪ガキ」と遠慮のない感想を放る。少年がさらに縮こまってしまったところで、浅黒い手があがる。
「はじめまして。ヴェローネル学院『研究科』在籍の十一回生、フラン・アイビスです」
「同じくリーヴァ・ジェフリーです! よろしく!」
声をひそめて名乗ったフランに、意気揚々とリーヴァが続いた。ロトは、リーヴァが名乗った瞬間、目をみはる。けれど、子どもたちが察する前に、変化は仏頂面の中に消えた。
「こりゃ、ご丁寧にどうも。――俺はロトだ。ヴェローネルの端っこで、『便利屋』をやってる。アニーたちとは春からの付き合いだな」
よろしく、と静かに名乗った彼は、また壁にもたれかかる。彼の目は、興味を失ったかのように外へとそらされたが、子どもたちはにわかにざわついた。
「ほんとに不良みたいだ」と小声で呟いたクレマンに、「いい人よ」とエルフリーデが苦笑を向ける。一方、リーヴァは声をひそめて騒いでいた。
「ちょ、フラン! 何あのかっこいい人!」
「いや、僕に言われても知らないよ」
「彼とずっと知り合いだったってことでしょ。この子たちがうらやましいー」
「そこまで言う? リーヴァはああいう人が好みだったっけ」
馬車の隅を取り巻く空気は、混沌としている。ざわざわひそひそ、騒がしい人々の声を聞き流しながら、アニーは前のめりになった。
「ねえロト。ロトも王都に行くんでしょ? お祭りめあて?」
アニーが目を見開いて問うと、ロトは小さくかぶりを振った。
「いや……俺は、人に会いに行く。呼び出しをくらったんでな」
「え? 誰から?」
青年の口の
「変わり者」
アニーはまばたきし、すぐ目をすがめた。
「答えになってないんだけど」
「あいつらを説明するのに、これ以上の言葉はいらねえ。それだけ」
「え、何それ……」
謎が深まるばかりである。アニーは首をひねりつつ、いくら訊いても答えが得られないだろうとあきらめて、適当に話題を変えた。――『あいつら』と、ロトがそう言ったことに気づいたのは、馬車がわすかに揺れて、止まったときだった。
日が傾いてきた頃、馬車が泊まったのは、街道沿いに長くのびる町の隅っこだった。それから馬車を下りた御者が、乗客を後ろにつかせて歩き出す。そのことに、小さな子供たちは少なくない動揺をおぼえた。しかし、上級生たちや魔術師の青年は、良くも悪くもいつもどおりである。
しばらくしてたどり着いたのは、町で三番目くらいに大きな建物だ。その戸口にぶら下がる、宿屋を示す看板に目をとめて、アニーは瞳を丸くした。
「ひょっとして、今回の馬車って、王都まで直接連れてってくれるの?」
「そう。金持ちは乗り継ぎとか、面倒くさがるからな。そういう考えのない奴もいる」
「うへえ……」
アニーの疑問に、潜められたロトの声が答える。やはり富裕層のための乗り物だったと知れて、アニーは思わず眉をひそめてしまった。けれど、と、同時に首をかしげる。
「……なんで、ロトが『それ』に乗ってんの?」
疑問を再び口に出すと、ロトは黙りこんだ。けれど、今度はそのまま答えを封じたわけではない。
「費用は相手持ちなんだよ」
無愛想に告げられた答え。アニーは言葉にならない声をこぼす。今朝、似たようなことを言っていた先輩を振り返るが、彼女はフェイを捕まえ何やら騒いでいて、アニーの視線にはまったく気づいていなかった。
子どもたちが通されたのは、学院の講義室より少し狭いところに、寝台が三つ置かれた部屋だった。うち二つは、どうやら二人用らしいと、あたりをつける。アニーたちははじめての宿屋に好奇心を揺さぶられ、部屋じゅうを見回した。
「すっげーなー」
クレマンが、ことさらに軽い声を出す。緊張しきっている後輩たちを見て、フランがそっと微笑した。リーヴァはというと、やはりアニーには理解できない方向の陽気さで、荷物の整理をはじめている。ついでに、「手伝って!」と叫ぶなり、ぼうっとしていたクレマンの肩をつかんでいた。
遠慮を知らない子どもたちと、底抜けに明るい少女の声が、平穏の時を彩ってゆく。空がほのかに赤く染まり、太陽が地上近くへ下りてきた頃。突然、扉が叩かれた。寝台の縁に腰かけて本を読んでいたフランとフェイが、顔を上げる。フランの方が先に立ちあがって、扉を開けた。
「あ、どうも」
「……おう」
部屋をのぞきこんできた目が、わずかな戸惑いに丸くなる。一方フランは、唐突にやってきたロトに驚きもせず、顎を動かした。
「どうかしたんですか?」
「いや、様子を見にきただけだ。こいつらの相手は、はじめてだとなかなか大変だろうと思って」
閉めた扉にもたれながら、ロトは仏頂面をわずかにゆるめる。フランがふっと笑いをこぼした。アニーはクレマンと同時に眉をつりあげ、「失礼な!」と怒る。フェイとエルフリーデはというと、鏡のように首をかしげあっていた。フランは、自分以外の人々を見渡してから、笑いをむりやりひっこめる。
「お気づかい、ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。むしろ、うちのリーヴァが、一番世話が焼けます」
「ちょっとフラン、それはひどいんじゃないかい!」
「事実だと思うけど」
今度は、冷静なフランにつかみかかったリーヴァが、ぎゃあぎゃあと騒ぎはじめる。ロトは、ほほ笑んでいるとも苦り切っているともとれる表情でかぶりを振っていたが、やがてぽつりと呟いた。
「なるほど、似てるな」
アニーは軽く首をひねる。誰に似てるの、と、小声で訊いてみたのだが、答えは返ってこなかった。
アニーはそれから、宿屋を見回ってくるといったロトにくっついて、あたりを観察してまわった。はじめこそ「なんでついてくんだ」と苦言を呈していたロトだったが、そのうちにあきらめたらしい。彼女のはしゃぎ声に適当な相槌を返しながら、彼なりの偵察を続けていた。
そのさなか、彼の視線が一か所にとまる。気づいたアニーは、鋭い目を追いかけた。食堂に続く扉の前で、白い長衣をまとった女性が、難しい顔をして誰かと話していた。女性の前に立っているのは、えんじ色のコートを身にまとう若い男性だ。一見、どこにでもいる若者に見えるのだが、胸にはその印象と不釣り合いな、金色の胸飾りが見て取れる。刻まれているのは、一対の羽の模様と――グランドル王国の国章。
「あれって……」
「魔術師部隊の奴だな。王都から、こっちの方に派遣されてるんだろ」
アニーは目を瞬いた。王国軍に、魔術を専門に取り扱う部隊があることは知っていたが、隊士を目にするのははじめてだ。若者は、そのあとも少しだけ白い衣の婦人と話しこんだあと、感謝の礼をしてそばにいた別の人間を捕まえる。
「なんだろ。何かあったのかな」
顔をひきつらせつつも身を乗り出すアニーのかたわらで、ロトが舌打ちする。
「行くぞ、アニー。――目ぇつけられたら面倒だ」
「う、うん」
アニーは慌てて、ロトの背について駆けだす。話聞きたかったのに、と、唇をとがらせたが、出かかった言葉はのみこんだ。青年の背が、言葉を拒んでいるように見えたから。
彼らが王都の影をとらえるのは、これより二日後の朝である。
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