第一章 豊穣節

1 祝日の前

 ヴェローネル学院は、その名からもわかるとおり、学術都市ヴェローネル最初の学びといわれている。グランドル王国全体で見ても、五指に入るほどの歴史をもっていた。もともとは、士官学校と神学校に分かれていた。ふたつが統合されたのを機に、多彩な学問を取り入れるようになり、現在の形になったとされている。

 そのため、『戦士科』などでは今でも、学生の希望先にかかわらず、軍隊的教育が取り入れられているのだ。


「敬礼っ!」

 野太い声が、演習場に響き渡る。少年少女は、号令に合わせていっせいに国軍式敬礼を行った。背筋を伸ばし、かかとを揃えて、正面に出した右手を額に当てるという格好である。十五にも満たない子どもたちが、軍隊の行進のまねごとをしている様子は異様ともいえるが、学院では日常風景のひとつとなっている。


「そこ! 腕の角度が違う!」

「足は揃えろと言っただろうが!」

「手のひらを下に向けるな! 戦時なら殺されているぞ、貴様!」


――容赦のない怒号が飛ぶ。

 たまたまそばを通りかかった生徒たちが、そこだけ殺伐とした空気に染まっている演習場をこわごわと見ては、足早に去ってゆく。そんななかで、二人の『研究科』生が足を止めた。癖の強い短い茶髪に、少し気の弱そうなたれ目を合わせもった少年が、傾いた本の山を抱え直す。急に立ち止まった彼にならい、隣で紙束を抱えていた、鋭い碧眼の少年も、土埃舞う演習場へ、目を向けた。

 やがて、本を抱えた少年――フェイ・グリュースターが目を見開いた。

「あ、アニー見つけた」

「アニーって、おまえの幼馴染の?」

 碧眼の少年が、明るい金髪をさらりと揺らし、身を乗り出してくる。フェイは、うん、とうなずいた。

「へえ。『暴れん坊』でも鬼曹長の授業はちゃんと受けるんだな」

「さすがにあの人に怒られるのは怖すぎる、って言ってたよ」

「おや意外」

 少年が、にやりと笑う。暗に幼馴染を揶揄やゆされたのだが、おおむね事実なので、フェイは苦笑しただけだった。そのまま、演習場を油断なく歩く人影に目をやる。長身と、盛り上がった肩の筋肉ばかりが目立つ男性。軍事を担当している教師の一人のはずだ。

 二人の方からだと、教師は背中しか見えない。けれど、フェイも少年も、彼が陸軍あがりの鬼教師であることは知っていた。退役たいえき直前の階級が曹長そうちょうだったので、今でも『鬼曹長』や『教官』などと呼ばれているらしい。フェイもよく知るハリス先生も、軍出身のはずだが、彼はいたって温厚である。何をどうしたらここまで性格に差が出るのか、不思議でしかたがなかった。

 フェイが考えごとにふけっている間にも、怒号と殴打の音がする。さすがに、二人とも顔をこわばらせた。金髪の少年に「戻ろうぜ」とうながされると、フェイは黙ってうなずいた。



 アニー・ロズヴェルトとフェイ・グリュースターが顔を合わせたのは、鬼曹長の軍事教練が終わったあとだった。茶色い土で汚れた足を手で払いながら演習場から出たアニーが、近づいてくる馴染みの顔を見つけたのだ。彼女は瞳を輝かせて、鉄柵を乗り越えんばかりの勢いで飛び出した。フェイと、彼の後ろについている少女も、アニーに気づいて笑顔を見せる。

「アニー、大丈夫?」

 愛らしい顔立ちの少女が、フェイの前に出た。紫色の瞳は、頼りなげにさまよって、最後にしかと少女を見た。アニーは力強く拳をにぎって突き出すと、歯を見せて笑う。

「大丈夫だよー。怖いって言っても先生だしさ。エルフィーこそ、びっくりしなかった?」

「び、びっくりした」

「だよね」

 二人の少女は笑いあう。夏のはじめに編入してきたエルフリーデ・スベンは、今やすっかりアニーたちの親友だ。たちまち騒がしくなる女子たちの隙間に入るようにして、フェイも顔をのぞかせた。

「お疲れ様」

「うん。……あ、フェイ。授業中に通りかかったでしょ」

 アニーは、悪戯っぽく笑って、言いあてる。フェイは目を丸くして、思わずといったふうに、「怒られなかった?」と訊いた。アニーは胸を張る。最近、人の気配を読むことが身についたのか、馴染みのある人ならば見なくても気づくようになっていた。

 三人が演習場から離れたところで騒いでいると、戦士科の生徒たちの群から、一人がよろめき歩み出てくる。黒髪を刈り上げた、がっしりとした体格の少年は、冷えた手布を頬に当てている。少年に気がついたエルフリーデが目を見開いた。

「クレマンくん!」

 アニーとフェイも顔を上げる。声をかけられたクレマン・ウォードも三人の姿を見つけたようだ。彼らを見るなり、酸っぱい物を食べたときのように目を細める。

「げ……エルフリーデ、いたのかよ」

「やっほう、手のひらを下に向けて怒られたクレマンくん」

「うううるせえ! アニーは黙ってろ!」

 クレマンは、顔をまっ赤にして怒鳴った。ちろちろとエルフリーデの方に視線が泳いでいるのだが、本人は気づいていないらしい。アニーは、おどけて怖がるふりをしながらも、こっそり笑い声をこぼした。幼馴染と目が合い、あきれ顔を向けられる。

 アニーに対して威嚇の姿勢を見せていた少年はけれど、エルフリーデに呼ばれて、三人の方へ歩いてきた。そのまま四人は自然にまとまり、学院の西館へ入る。これから昼食休憩に入るというだけあって、広い廊下は学生たちでごった返していた。

 通りがかった十回生の男女の、弾ける笑い声に気をとられ、アニーはつかのま振り返る。彼らは後輩の視線に気づかず、にぎやかな会話の跡を残して反対側に歩いていった。彼らに限らず、行き交う少年少女たちは、みんな揃って浮足立っている。はて、と首をかしげたところで、クレマンの声が聞こえた。

「そういえば、もうすぐ『豊穣節ほうじょうせつ』だなー」

「……ああ、それでか」

 のんびりとした彼の言葉に、生徒たちの落ちつきがない理由を見いだしたアニーは、うんうんとうなずいた。

『豊穣節』とは、実りの時期を祝うための祝日だ。その期間は地域によってさまざまだが、たいていが七日から十日程度で、その間に収穫祭などの祝祭がもよおされる。学校もこの期間はそろってお休みなのだった。

 ヴェローネルでも実際に祭があるのだが、かなり小ぢんまりとした祭だ。しかし、それもしかたのないことだった。

 この時期、王国の人々の視線は、どうしてもみやこに集まるのである。


 アニーたち四人は、そのまま食堂に入り、同じ卓で昼食をとった。クレマンはしばらく渋い顔をしていたが、『友達』のエルフリーデにあれこれ話しかけられているうちに、あきらめたのか表情をゆるめた。

 食事のさなか。パンをスープの残りにひたしながら食べていたフェイが、突然に話を切り出す。

「豊穣節かー。っていうことは、建国記念祭も近い、ってことだよね」

「建国記念祭?」

「言葉通り、グランドル王国の建国を祝うお祭りだよ。今年は二百四十年目、節目の年だから、特に盛大だろうって、街で噂になってた」

 首をかしげたエルフリーデに、フェイはほほ笑んで答えた。盛大なお祭り、その響きに魅了されたのか、紫の瞳が輝く。「行ってみたい!」とエルフリーデが声を弾ませるも、ほかの三人は苦笑した。

「俺たちも行きたいけど、行くの大変なんだよなー」

 クレマンが、食器を置いてぼやいた。きょとんとするエルフリーデを見て、おざなりに言う。

「十回生より下の奴は、上級生か大人が一緒じゃないと、遠くに行ったらいけないんだよ」

「そ、そうなの?」

 エルフリーデは目をみはった。そのあと、しゅんとうつむく。しおれた花のような姿がなんとなく気の毒で、アニーは目をそらしてしまった。壁につりさげられてゆらゆら揺れる火籠を、見るとはなしにながめる。

「せっかく王都行きの馬車便もたくさん出るしさあ。一度は行ってみたいよね、建国記念祭」

――祭に、というより、王都に行きたいのかもしれない。

 ひとりごちたあと、アニーはぼんやりそう思った。彼女の呟きにこたえたのか、違うのか。直後、人影が四人の席へと近づいた。


「話は聞かせてもらったー!」


 はつらつとした少女の声が、広い食堂の一角にこだまする。談笑しながらも落ちついて食事をしていた生徒たちは、いきなりの叫び声に飛び上がった。それは、アニーたちも例外ではなく、四人そろって声の方を振り返ってしまう。

「ああ、僕の友達が馬鹿をやって、申し訳ない。どうか気にせず食べてくれ」

 すかさず、静かな声でおわびの言葉を告げたのは、色黒の男子生徒だった。彼の冷静を通り越して淡白な表情に戸惑いつつも、生徒たちは食事に戻る。再び、ざわめきが戻ってきた。

 一方、アニーたちは言葉を失ったままだった。卓に手をつく女子生徒と、先程の声の主である男子生徒を何度も見比べる。

「ええ、と。確かフラン先輩と……誰?」

 男子生徒に見覚えのあったアニーは、彼を見て首をひねる。『研究科』の十一回生、フラン・アイビスは肩をすくめた。

「そうか、フェイくん以外ははじめてだったね。こちらの騒がしい先輩は、リーヴァ・ジェフリーという。僕の同級生だ」

「よろしく!」

 淡々とした自己紹介のあと、女子生徒は手を振った。動きに合わせて、豊かな茶髪がふわふわ揺れる。それぞれに言葉を返し、一応名前を述べた三人は、それから唖然としているフェイを見た。

「お知り合い?」

「うん。前にちょっと。論文を褒められた……」

 よほど気まずいのか、小声で答えたあと、パンを黙って食べはじめるフェイ。幼馴染と先輩の間で何があったかを知らないアニーは、屈託のない碧眼を、フランに向けた。

「あ、あの、この前はありがとうございました」

「ヒューゴのこと? いいよ、気にしないで。それより、相席いいかい?」

「は、はい」

 どこまでも静かなフランにおされつつ、アニーたち三人は首を縦に振った。

――エルフリーデが編入して間もない頃。アニーたちは、ヒューゴという先輩と、流血沙汰一歩手前の大げんかをしたことがあった。場を収めてくれたのが、フラン・アイビスだったのだ。腹を立てたヒューゴはのちに、子分だったクレマンに編入生をいじめるよう命じた。だが、その試みは、今の食事風景が証明しているとおり、失敗に終わった。

 不思議な縁のあるフランと、謎の先輩リーヴァを前にして、アニーたちのふるまいもぎこちなくなる。しかし、リーヴァはまったく気にせず、お茶の入ったカップを片手に、身を乗り出してきた。

「ところで君たち! 建国記念祭に行きたいって言ってなかった?」

 いきなり話題に割りこまれた子どもたちは、目を白黒させつつもうなずいた。そこでリーヴァは、得意気にほほ笑む。編みこまれた前髪の下で、大きな瞳が猛禽もうきん類のように光った。

「ふふん、やっぱりそうね。……私が一緒に行ってあげようか? あ、もれなくフランもついてきます」

 いきなりの提案に、四人は目を見開いて固まった。フランがリーヴァの頭を叩いて、「人をおまけみたいに言うんじゃないよ」と突っ込んだのだが、誰も聞いていない。からの杯を取り落としそうになっていたクレマンが、おそるおそる、声を出す。

「そりゃ、嬉しいけど……なんでいきなり」

 するとリーヴァは、カップに目を落とす。底抜けに明るかった少女の瞳が、わずかに翳りを帯びた。

「フランから君たちのことを聞いてね。興味がわいたの。だって、あのヒューゴに正面からけんか売ったんでしょ?」

「いや、でも、俺は、もともとそのヒューゴさんと一緒にいろいろしてたんすけど」

「けど、そのあと彼を騙して女の子を助けたんでしょ?」

 いらないことを言う少年にも、先輩は平然として返す。どうして芝居しばいのくだりまで知っているのか、と、アニーは思わずフランに目を向けた。彼は、静かに、腸詰を口に運んでいる。後輩の疑問に答える気はなさそうだった。

「それ聞いちゃうと、気になって気になって」

 わはは、と言ったリーヴァの顔に、もう影はない。彼女はさらに、お茶に口をつけたあと、続けた。

「それにさ、私もどのみち王都に行く予定があったんだ。ほら、うち、実家が王都なのよ」

 陽気な言葉に、アニーとフェイと、エルフリーデは目を丸くした。「都会人!」――憧れをにじませて呟いたのも、田舎いなかの出である三人だ。都人と思ってリーヴァを見ると、なんだか妙に輝いている気がするのだから不思議である。「ね、どう、どう?」と、リーヴァがさらに顔を近づけてきた。美しくうねる髪の毛が、ほんの一瞬鼻先に当たるほどだった。

 申し出はありがたいし、嬉しい。しかし、甘えてしまってよいものか。迷ったアニーは視線をさまよわせる。フェイたちも似たり寄ったりの視線を返してきたが、最後に目をとめたフランは、肩をすくめた。

「リーヴァはほんとに、誰かとお祭りに行きたいだけなんだ。付き合ってあげてくれないかな」

――彼の、この一言が決め手となった。

 ぜひ一緒に、とアニーたちが頭を下げてそう言えば、リーヴァは飛び上がらんばかりに喜んで、友人の肩を揺すっていた。

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