第三章 それぞれの傷
1 突撃
闇の中、かろうじて見えるのは、影と不気味に光る目だけ。だがそれだけでも、この先にたくさんの魔物がひしめいているのだと察せられた。怒った彼らは群れをなし、来る人々を待ちかまえている。アニーも頭では理解できた。けれど、心は頭に追いついていなかった。
あれはいったい、なんなのか。怖い、怖い――!
心の中で、別の自分が叫びをあげる。つきあげた恐怖心は少女の足をすくませた。全身が震え、手にした武器がカタカタと鳴る。アニーは、柄をにぎる手に力をこめた。そのとき、前から「落ちつけ」と声がする。心地よく響く低音。挑むように立つロトの声だ。彼は、アニーが恐怖していることを知ってなお、振り返ろうとすらしない。だが、それでもアニーは、彼の大きな背中をすがるように見ていた。
声だけが続ける。
「深呼吸だ。冷静さを欠けば、倒せるものも倒せない」
「……う、うん」
しぼりだした返事は、情けないほどの涙声。喉を鳴らしたアニーは、動揺をまぎらわすように深呼吸した。地下道の空気は、石や土のにおいに満ちていて少し苦い。それでも、気分を落ちつけるにはじゅうぶんだった。五回ほど、息を吸ったり吐いたりしていると、体の震えがおさまってくる。頭もさえてきた。アニーはうなずいて、改めて前を見る。獣のうなりは、地を這うように届いた。
ずるり、ずるりと影が染みだしてくる。道のむこうから魔物が姿を現した。犬猫だったり、狼だったり、鳥や蛇だったり、魔物の姿かたちはそれぞれだ。あるいはそれらが微妙にまじりあったような異形か。群れる魔物の数は、二十は下らないだろう。彼らは足をたわめ、背を丸め、いつでもこちらに飛びかかれる姿勢でいる。
アニーは、またこみあげてくる緊張感をふりきって、魔物たちに感づかれないようにロトの横へ並んだ。青年は、苦虫をかみつぶしたような表情でぼやく。
「何体いるんだよ、これ。勘弁してくれ」
アニーも無言で同意した。ロトが、静かに手をあげる。指が虚空を叩いた。アニーもそれにあわせて、剣を引き抜く。金属のすれる音が響いた瞬間、前方の殺気がふくれあがった。
少女の構えた剣の先が、角灯の火を受けてきらめく。魔物たちは光を押しつぶさんとばかりに動きだした。
「フェイ!」
ロトが鋭い声で少年を呼び、彼に角灯を預けて下がらせる。フェイの気配がアニーの背中へ戻ったとき、雄叫びが神殿地下を震わせた。彼らは、ここが狭い地下道であることさえもどうでもいいようで、猛り狂い食いついてくる。アニーは目をぎらつかせる狼型の魔物を、力をこめて斬り下げた。十一の少女に似つかわしくない
「こんな通路で固まるなんて、焼いてくれと言ってるようなもんだ」
青年の声は無愛想に呟いた。魔術の炎は、熱もあれば煙も上げる。ただ、その煙は純粋な炎と違って充満しない。気の済むまで獣をなめつくした炎は、チカチカと瞬きながら消え去った。においさえも残さずに。
火が完全に消えたときを見計らい、アニーが駆けだす。炭の
そのとき、ひやりとした風が、一瞬だけ肌をなでた。アニーは息を殺して後ろに飛んで、屈みこむ。飛んできたのは氷の塊。そして奥からは、白い息を吐きだす猫が疾走してきた。背後が赤く光ると同時、アニーは強く地面を蹴る。猫のものにしては太すぎる爪をかいくぐり、その後ろへ回りこんだ。標的を見失い動揺する猫の魔物をアニーは思いっきり斬りつける。
その猫が崩れ落ちたあと、魔物たちの攻撃がおさまった。剣をにぎったままの少女は、そっと息を吐く。
「びっくりした……」
力の抜け切った声がこぼれる。そのままへたりこんでしまいそうだったアニーだが、直後、叱声が飛んだ。
「こら、油断すんな!」
「わあっ!?」
怒鳴り声に飛びあがったアニーはとっさに膝を振り上げる。意図しなかった少女のひざ蹴りは、魔物の腹部に直撃して、小さな体を跳ね飛ばした。同時にまた背中の方で何かが輝き、魔術の炎が迫っていた魔物を焼いた。アニーは燃えさかる赤を見ながら、ぽかんとその場に立っていた。すると、ロトに頭を小突かれてしまう。「いたっ」と声を上げ、青年をにらみつけたのだが、むしろにらみかえされてしまった。
「馬鹿」
彼は言うだけ言うと、前を向いた。魔物の群はまだ散る気配を見せない。暗がりの中で、その影は、死霊のように揺れている。
「ど、どんだけいるのよ……」
「まったくな。すなおに倒してたんじゃ、きりがない」
「じゃあ、どうするの」
アニーはまた、ロトをにらみつける。彼はしかつめらしく考えこんだ。そうだな、ともらしたあと、顎を小さく動かした。
「――突っ切るか」
なぜ楽しそうに言うんだろう、とアニーは顔をしかめた。
「え?」
問い直す声はアニーのものではなく、彼女の幼馴染のものだ。ちょうどロトに追いついてきたフェイは、ぎょっとして立ち止まっていた。アニーもため息をついて「そんな無茶な」と言う。けれど彼女は気づいていた、自分が笑っていることに。
無茶だと思うのは確かだが、そういうやり方は、嫌いではない。
アニーの笑みを賛同ととったのか、ロトは切り替えて魔物の群をにらんだ。
「よし、こうしよう。俺が今から一発、軽い魔術を放って魔物どもをひきつける。その隙に、駆け抜けながら魔物を倒して進む。ただし、動きは最小限におさえろ」
「――わかった」
「え、アニー、わかったの? わかったって、やるの?」
あたふたするフェイをよそに、アニーは冷静にロトの提案を受け入れいた。ロトはまたひとつうなずくと、魔物を正面にとらえる。そして、背嚢の脇から何か小さくて丸いものを取り出した。「耳ふさげ」と適当に告げ、子どもたちが言葉どおりに耳をふさいだのを確かめると、丸いものを無造作に投げた。
パン、パパパン――と、花火にも似た、けれどそれより小さくて甲高い音が、あたりに響き渡った。遺跡全体を刺激するような大きな音ではないが、魔物たちはすくみあがる。ロトはその隙に、空中に少し大きな方陣を描きあげた。描き上がった方陣は、何もしなくても強い輝きを放つ。すると、熱を帯びた黄色い光が、かたまりとなって魔物の群に降り注いだ。当然、魔物たちの意識は光のかたまりへと向く。
合図はない。けれど、アニーとロトは同時に駆けだした。フェイが慌てて二人を追いかける。
いきなり突貫してきた人間たちに、魔物たちは驚き戸惑っていた。その間にアニーが剣を払い、道をふさいでいた魔物を切り伏せる。一息つく間もなく走り続けた。飛びかかってくる魔物を退けることだけに集中しているせいか、あの嫌な衝動はない。彼女の戦いの隙間をぬうようにして、
あの人、ほんと、何者なんだろう。
改めて頭をもたげた疑問に首をひねりつつ、アニーは走る足を止めない。わずかだが開いた道を、つっきりはじめた。あちこちから、威嚇する魔物の声が聞こえる。けれど、立ちふさがるなら斬るだけで、何もしないなら放っておくだけ。胸のむかつきをこらえつつ、そう言い聞かせながらひた走る。それはまた、ロトやフェイも同じようだった。すぐ足音と気配が近づいてくる。
魔物の一体の腱を断ったアニーは、ふっと激しく息を吐いた。そして、腰のあたりに違和感をおぼえて顔をしかめる。
「フェイ邪魔! どこつかんでんのよ!」
「しょうがないじゃないか! こうしないとついていけないんだよ!」
試しに怒鳴ってみると、予想どおり泣きそうな声が返ってきた。いつもであれば、そんなこと知らないからとっとと離せ、と言うところだが、今は状況が状況だ。苦い顔をしつつも、幼馴染をひきずって駆けた。
魔物との攻防は終わらない。ときどき、足や肩を鋭いものがかすったりもしたが、アニーは気にもとめなかった。最低限、戦えないフェイだけは守ろうと意識する。また目の前に魔物の群があった。コウモリたちが羽をばたつかせ、キィキィと鳴いている。少女は愚痴をのみこんで、剣を振りかぶろうとした。けれど、それより早く、彼の頭上をかすめて石つぶてが飛ぶ。それらはコウモリの羽に直撃し、彼らを墜落させた。投石を逃れ、食いかかってくるコウモリは、アニーがばっさり切り捨てた。
茶色い血しぶきの向こうに、ぽっかりとあいた空洞が見えて、アニーは息をのんだ。
「道が……」
「ひらけてるよ、アニー!」
呆然とした彼女の呟きに、背後のフェイが返す。弾んだ少年の言葉に、少女は元気にうなずいて、勢いよく駆けだした。
とたん、視界が明るくなる。魔物のうめきも背後に去った。それでもしばらく走った三人は、魔物の声が完全に聞こえなくなった頃、ようやく足を止めた。アニーにしがみついていたフェイが、ふっと手の力を抜く。
「ああ、よかったあ。なんとかなった……」
今にも泣きそうな声に、アニーもまたうなずいた。ロトはこんなときでも冷静で、ただ一言「お疲れ」とだけ言う。
彼は、いましがた駆け抜けてきた暗闇をまんじりと見つめ――ふっと、目を細めた。
「やっかいなことになったな」
突然聞こえたそんな言葉に、アニーもフェイも目を瞬いた。へ、と間抜けな声をこぼしてしまう。
「そろそろ引き返さないと、日没までに遺跡の外へ出られない時間のはずなんだが」
「え? そうなの? っていうか、引き返す予定だったの!?」
いきなり聞かされた計画に、アニーが身を乗り出すと、ロトはひとつうなずいた。俺も途中までは、一回で奥まで行くつもりだった、と前置きして続ける。
「今日は様子を見て、奥まで行けないようなら明日また出なおす……っていう計画をそろそろ話そうと思っていたところだった。けど、予定が狂ったな」
フェイが首をかしげた。
「なんでですか?」
少年の質問に、ロトはすぐには答えない。また暗闇の向こうに視線を投げて、無愛想に告げた。
「あの魔物だよ。あんだけ固まられてたら、抜け出すのは一苦労だ。しかたないから、今日は遺跡の中で休むしかねえな」
アニーとフェイはぽかんとした。からくり人形のようなぎこちない動きで互いを見て、無言になる。アニーは体中に冷や汗がにじむのを感じていた。つかのま沈黙した二人はその後、「何それっ!?」と声を揃えて叫んだのである。
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