2 小鬼と火
「ねえ、遺跡の中で野宿って変な感じだよね。っていうか、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫、というより不可抗力だ。どうせ文句言われんのも俺だけだから、おまえが変な心配しなくていい」
てきぱきと荷物の中から食料を取り出すロトに問いかければ、そんな答えが返ってきた。いつもと違って嫌な顔すらしていないところを見ると、『この
本来、野宿をするつもりなら遺跡の外へ引き返すべきなのだが、魔物が群がっていて出られないのならしょうがない。そんなロトの意見があり、三人は少し進んだ先の広い空間で今日の野宿の準備を整えていた。と言っても準備を進めているのはロトとフェイで、アニーは今のところ、ロトにいわれて傷の手当てに専念している。傷のひとつひとつは浅いが、いかんせん数が多かった。刺すような痛みがあって、けれどアニーはそれほど気にしていない。手当ての仕上げに、右腕に包帯を巻きつけた彼女は、フェイの隣に駆け寄った。彼は、今ちょうど、ロトの角灯に火を入れなおしているところだった。
「あたし、やろっか?」
火打ち石の扱いに苦労しているフェイに声をかけた。彼は目尻を下げる。安心しているのがよくわかった。
「ありがとう。……力加減が難しくて。助かったよ」
「私はこれ、得意だからねー。あ、じゃあ、フェイはそれ支えといて」
アニーが角灯を指さして言うと、フェイはこくりとうなずいた。少年の手から火打ち石を取り上げ、アニーは火起こしを始める。ロトの視線を感じる気はするが、彼がどんな気持ちで見ているのかはわからない。ひとまず、目の前のことに集中しようと思った。
努力の甲斐あって、間もなく角灯の中に新しい火が灯る。野宿の準備もひととおり終わったらしい。ひと息ついた子どもたちの横で、ロトは地面に紙を広げていた。アニーは興味をひかれて、青年の方へ身を乗り出す。
「何するの?」
「解読」
答えは短い。けれど、アニーもフェイも彼の言いたいことを察した。彼らが納得したときにはすでに、ロトは自分の世界に没頭していた。しかたがないので、二人は顔を突き合わせてささやきあう。
「ロトって古代文字もわかるってことよね。じ、実は、すっごい人なのかな」
「それは……ロトさんが魔術師だからじゃないかな。魔術には昔の文字を使うこともあるって、本で読んだことある」
「なるほどー、そういうことか」
幼馴染の解説に、アニーはぽんっと手を打った。できれば本人にもいろいろ訊いてみたいが、触れにくい話題ではあるし、何より今は解読中だ。話しかけると怒られるかもしれない。そう思い、青年の横顔を盗み見て、目をみはった。彼は、いつになく険しい顔で文字を追っていたのである。
「ろ、ロト、さん?」
フェイも気づいたらしく、弱々しい声をあげた。いけないと思っていても名前を呼んでしまう気持ちはアニーにもわかる。ロトは、予想に反して怒ることはなく、ただ、ことさら不機嫌な様子で二人を見つめた。
「……おまえらにとっては、朗報かな」
「ろうほう? いい、お知らせってこと?」
「ああ。――どうも、この神殿地下には、守護獣が存在したみたいだ」
思いもよらぬ情報に、子どもたちは目を輝かせた。
「それ、本当!?」
ロトはうなずくと、一枚の紙を手に取る。
「『都の守り手』『神殿の白き守護者』、そんな言葉があちこちに出てくる」
「白――じゃあ、《雪月花》は……」
「持っている可能性が高い。ただ、気になるのは」
今にも飛びあがりそうだったアニーとフェイを、冷やかな声が制する。二人の間によぎったのは、喜びに水を差された不満というよりは、漠然とした不安だった。ロトは二人の表情の変化にかまうことなく、指先をつっと紙の上にすべらせた。彼は小声で何かを読み上げる。それは、子どもたちの耳には届かなかった。かろうじて最初の音を拾ったアニーが、もっとよく聞こうと身を乗り出したころには、青年の唇は閉じていた。
紙のこすれる音がする。ロトはもうしばらく文字を追ったあと、それらを丁寧にしまった。相変わらずの仏頂面で「今日はもう休むぞ」と告げられる。かんじんなところをはぐらかされて、アニーは不満だったが、追及のしようもなかった。
やがて、ひととおりの準備が整った。もたもたしていると何が起きるかわからないから、とまずは手早く食事を済ませる。味気のない乾パンに辟易しつつ、どうにかすべてを飲みこんだアニーたちはそのまま眠る支度を始めた。が、何気なく横を見た彼女は、ロトがまた紙を広げていることに気づく。
「まだ解読するの?」
「二人が寝に入るころには切り上げる」
ロトは紙に目を向けたままそう言った。相変わらずそっけない。アニーは、むう、とうなったものの、反論する材料も理由もないので、大人しく口をつぐんだ。使い古した布を広げる彼女らのそばで、角灯の火が、ゆらりと揺れる。何気なく角灯を一瞥したアニーは――異変に気づいた。
あたりでゆらめく不自然な影と、危険を訴える自分の本能。ちらばる要素に従って、少女ははっと振り返る。
「フェイっ!」
すぐ隣にいた幼馴染の名を叫び、アニーは彼に飛びかかった。「ひゃあっ!?」と裏返った声を上げるフェイを突き飛ばし、そのまま彼に覆いかぶさると、すぐ上を重い何かが通りすぎてゆく。風を切る音がいやに耳に残った。
「大丈夫!?」
「う、うん。ありがとう。――でも、それより後ろっ!」
フェイは呆然としてお礼を言ってきたが、すぐに目を見開いて、切羽詰まった声を出す。弾かれたように振り返ったアニーは、反射で剣を抜いていた。重いものが剣にぶつかって、ガリガリと不快な音を立てた。暗がりで見えたのは、太い木の棒だった。棍棒というほどではないけれど、殴られたら痛そうだ。
「なんなのっ!?」
引きつった声を上げつつも、立ち上がる。
角灯の火が、襲撃者たちをぼんやりと照らしだした。
「これ、って」
「小鬼?」
アニーのうめき声に、フェイのささやきが重なった。
目の前にいるのは、実に奇妙ないでたちの魔物だった。人間か猿に近い顔立ちで、耳はとがっている。背丈はアニーより少し低いくらいで、ぼろきれをまとい、手には太い木の棒を持っている。それが、五体ほどいてアニーたちを取り囲んでいた。小鬼、という俗称で呼ばれている彼らのことを知ってはいたが、見るのははじめてだ。アニーはごくりと喉を鳴らす。同時に彼らは目をぎょろりと動かして、棒を振り上げた。
子どもたちは、ひっ、と、細い悲鳴をあげる。アニーの方はなんとか剣をにぎったままだったが、彼女が動くより先に、ロトが動いていた。彼は小鬼の群の外側で手早く方陣を描きあげ、火の球を小鬼たちに続けざまにぶつける。火を浴びせられた魔物は、怒りの悲鳴をあげた。不快な高音が耳をつんざく。
「顔はそんなに怖くないけど……鳴き声は、気持ち悪いね」
唇をゆがめて呟いたアニーは、気を取りなおして小鬼と向きあう。彼らの目が自分の後ろをとらえていることに気づいた少女は、背後にむかって鋭く叫んだ。
「フェイ! 立って、逃げて!」
しかし、フェイが動く気配はない。胸にちりちりといらだちがくすぶる。
「何してんのよ、もう!」
「ご、ごめん……でも、なんか、立てなくて」
おそらく腰が抜けたのだ。「しょうがないな」と悪態をついた彼女は、剣の柄をにぎりなおす。そのとき、正面にいる小鬼の数が減っていることに気づいて、苦り切ってしまった。アニーがフェイとやりとりしている間に、横の方へ回りこまれてしまったのだ。どうしようと考える前に、正面の小鬼たちが襲いかかってくる。アニーは腹を決めた。
振り下ろされた棒を避けると同時、大きく踏み込んで逆に小鬼の頭をたたき割る。こげ茶色の血を確かめる間もなく剣を横に薙いだが、跳んで避けられてしまった。あきらめずに剣を振ったが、今度は小鬼の棒が剣撃を受ける。決して上等ではない剣が悲鳴をあげた。
「アニー!」
フェイの、今にも泣きそうな声が耳に届く。
瞬間、心の奥でおさえつけていたものが、ごぽり、とわきあがってくるのを感じた。
――こいつら、倒さなきゃ。殺さなきゃ。
熱を帯びた自分のささやきが、頭の中でこだまする。不安定な声が反響し続ける。殺さなきゃ、殺せ、何度もそれを聞いたアニーは、とうとう喉の奥からしぼりだすように絶叫した。力任せに棒を斬り、続けて小鬼の胴も切り裂く。断末魔も、肉と骨を断つ不快な感触も、すべてどこか遠いものに感じていた。
青年の声がした。だがそれも、今のアニーにとっては雑音でしかなかった。強引に振り払って、控えていた二体の小鬼に刃を向ける。二体ともすぐに襲いかかってきたが、力いっぱい振られた刃に当たって、血をまき散らしながら倒れた。けれどまだ、死んではいない。とどめを刺そうと、剣を振りかぶったとき――
すぐ後ろから、涙まじりの叫びが聞こえた。振り向いたアニーは、顔をぐしゃぐしゃにしているフェイと、自分めがけて飛びかかってくる小鬼を見た。
「――あ」
吐きだされた音は、言葉にさえならない。凍りついたアニーの目に、打ちおろされる木の棒が映り――それは間もなく、蒼白い雷撃に包まれた。遅れて、落雷と同じ轟音があたりを震わせる。アニーもフェイもそれで我に返った。
どこからか飛んできた雷をまともに食らった小鬼はのたうちまわっていたが、やがてぱったりと動かなくなる。アニーはそのときまで呆然としていたが、蒼い光が爆ぜて消えると、ゆっくりと雷撃が飛んできた方向を見る。
魔術師の青年が、ひび割れた角灯を手にして立っていた。
※
気配に気づいて顔を上げた瞬間、離れた場所で子どもたちが折り重なるように倒れていた。いや、実際は、アニーがフェイを引き倒して小鬼の一撃からかばったのだと、ロトはすばやく判断した。かがめていた身を起こし、指先で虚空を軽く叩く。
襲いかかってきた小鬼は全部で五体。いずれも、棍棒に近い形に削った木の棒をたずさえている。ロトは何かを考えるより先に方陣を描ききった。赤い光を放った陣は、火の球へと姿を変えて、小鬼たちに襲いかかる。だが、放てた火はせいぜい三発。小鬼をしとめきることはかなわず、かえって彼らをあおってしまったようだった。小鬼たちは怒りの声を上げながら、アニーとフェイを取り囲みはじめる。ロトは鋭く舌打ちをした。――これだから知能がある奴は嫌なんだ、と心のなかで悪態をつく。その間にもアニーがすでに立ち回りを始めていて、剣と棒がぶつかりあう音が、続けざまに響く。
助けに入ろうと、深呼吸して自分の魔力を練り上げた。手を動かしている途中、さらに嫌な事実に気づく。小鬼たちがアニーの方へ群がってしまっている。これでは魔術を放とうにも放てない。アニーの、いらだったような、意味のない絶叫が耳をつく。
「アニー! 下がれ、術をぶつけるっ!!」
ロトは、地下道の魔物を刺激する覚悟で、めいっぱい叫んだ。さすがに、これだけ叫べば戦いの中でも届くだろう、という期待はあっさり打ち砕かれる。アニーはロトの声にわずかな反応も示さず、むしろ大きく踏み込んで剣を振り続けたのだ。あせったロトは、しかし自分が叫ぶ前に聞いた少女の声を思い出し、慌てて彼女の様子を見た。大きな碧眼は、ふだんの無邪気さとは違う熱をはらんでいる。食いしばられた歯と、力任せに操られる剣と。彼女の姿は、たとえるならば、戦闘狂のそれだった。
「くそっ……まずいやつか!」
このまま放っておいては、いろいろな意味で危険だ。ロトはつかのま考えて、そばの角灯に目を走らせた。火は変わらずあかあかと燃えている。短い間に決断した青年は、角灯を持ちあげると、もう一方の手で落ちていた石を拾い上げ、それで角灯を叩き割った。石を投げ捨てたかわりに、指で小さな方陣を描く。せわしなく手を動かしながら、頭の中でも目まぐるしく思考が巡る。必要なのは、火の性質の変換、そのための式と文字――考えたことがそのまま五指の動きに反映され、やがて芸術品じみた複雑な方陣ができがって光を放つ。蒼白く光った方陣を吸いこんだ炎は、不安定に揺らめいて、赤から蒼へと移ろう。内側からバチバチと火花を散らし、灯火は雷撃になって小鬼たちの方へ飛んでゆく。
それはちょうど、背後からアニーに襲いかかろうとしていた小鬼にぶつかった。全身をけいれんさせながら地面に落ちた魔物の姿を確かめて、ロトはほっと息を吐く。
どうやら、間にあったみたいだな――と、声には出さず呟いた。
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