3 暴れん坊

 アニーとフェイは、しばらく呆然として、ぷすぷすと黒煙をあげる魔物の死骸を見つめていた。が、アニーはすぐ我に返ると剣を収めて、ぱっとフェイを振り返る。

「大丈夫?」

「うん。……アニーこそ、平気?」

 気遣ったつもりが逆に心配される。複雑に思いながらも、アニーはうなずいた。直後、ごん、と重い音が響いた。頭に鈍い衝撃が走って、目の前で火花が散る。変なうめき声をあげながら、アニーは左隣を仰ぎ見た。いつの間にか、渋い顔の青年が拳を固めて立っていた。

「あ、ロト」

「あ、じゃねえよこの大馬鹿!」

 呼びかけただけだったのに、罵声とげんこつが飛んでくる。顔をしかめたアニーは、思わず怒鳴り返していた。

「何よ! そんなに怒ることないじゃん!」

「怒ることあるわ! 俺の言うこと丸ごと無視しやがって! あそこで俺が手出さなかったらどうなってたと思ってる!」

 さらに言い返されて、アニーはとうとう黙りこむ。間一髪、魔術の雷撃に危機を救われた先程のことを思うと、それ以上強く出られそうにはなかった。ロトの呼びかけも、確かに耳には届いていた。が、そこまで考えて、アニーは目を細める。耳には届いていた。けれど、その中身を、きちんと聞いただろうか。自分への、得体の知れない不信感が、胸をよぎる。

「……ひょっとして、聞こえてなかったか?」

 立ちこめた不安を見すかすような言葉をかけられ、アニーはびくっと震えた。

 そうっと顔を上げてみると、ロトは腕を組んで彼女を見おろしてきていた。

「おまえ、あれだな。一度頭に血がのぼると、一気にまわりが見えなくなるな。まあ、血の気の多い奴なんて俺も含めてごまんといるけど、おまえのは」

「それ、は――」

 アニーは何かを言おうとして、結局何も言えず、うつむいた。ロトは途中で口をつぐんだが、彼が言いかけてのみこんだ内容を、アニーはうすうす察していた。

 じわり、と、形の見えない不快感が広がる。

 アニーが黙りこんでいると、突然、大きな手が金髪をくしゃくしゃにしてきた。不服を言う前に、声が降る。

「もっと冷静になれ」

 アニーは目をみはる。声がひどく遠く感じた。

 広がり、漂っていた不快感が、ふいに恐怖に変わる。顔を上げたくない。相手を見たくない。そう思って、ますます沈黙してうつむいた。

 冷静になれと言われるたび、重なるのは、大人の冷たい声。

 思い出す。そそがれる、視線。汚いものを見るような色を含んでいて。

『あの子、怖いわ』

『まるで鬼だ。そうでなくても、あれじゃ魔物と変わらない』

 声が聞こえる。

『この暴れん坊ー』

『あんたみたいなのと一緒にいたくない! どっか行け!』


 嘲笑う、蔑む、貶める、声が――雑音のように混じりあって、鳴り響く。

 それは幻視か、幻聴か。不確かなものもけれど、相手から向けられる優しさを拒んで、砕くものになりえた。

「とにかく、一人で突っ走るのはやめとけよ。心もとないとは思うけど、俺だって一緒に――」


「うるさいっ!!」


 ぱん、と乾いた音が響く。青年の顔がこわばったのも、見えていなかった。少年が息をのむ音も、聞こえなかった。――彼女はとうとう、優しさを拒んで砕いたのだ。

 けれど、アニーは自分が何をしたのか理解する前に、激しく喚き散らしていた。

「わ、私だって! 私だって好きで狂ってるわけじゃないもん! 落ちつけとか冷静になれとか聞きあきた! やろうとしたよ、なろうとしたよ! そうなりたいって思ったよ! でも無理だよ! 無理なんだよ!」

 あふれ出る熱を衝動のままに吐きだし続ける。そうでもしないと、己を保てなかった。ひとあし先に落ちつきを取り戻したロトが、憂いを含んだ目で見つめてきていることにも、気づいていなかった。

「どうせ私なんて、暴れて壊して殺すことしかできない、鬼や悪魔みたいな」

「おい、アニー」

 腕を勢いよくつかまれる。今度はロトが、アニーを止めた。しかしアニーは燃えさかる碧眼で、ぎっとロトをにらみつけると、その手を強引に払った。にじみ出る涙すらも無視して背を向ける。「知らない!」と叫ぶなり、遺跡の奥へと駆けだした。

 

 取り残された二人は、しばらく呆然としていたが、すぐにフェイがはっとして走りだそうとする。ロトは、そんな彼を静かに呼びとめた。不思議そうにしているフェイへ、自分が割り砕いた角灯の、持ち手の部分を取り外したものを投げて寄越す。

「万が一、行った先で何かあったら、それを鳴らせ。離れすぎなければ聞こえる」

「……はい。ありがとうございます!」

 フェイは手袋越しに受け取った金属の感触を確かめるなり、ぺこりと頭を下げ、反転して駆けだした。あっという間に暗闇にのまれた少年の後ろ姿を見送って、ロトは乱暴に頭をかく。

「幼馴染をブチ切れさせた奴に、礼なんて言わなくていいのにな」

 呟いて、軽く手をにぎり、顔の前にかざす。そっと開いて、掌を見つめて、無意識のうちに笑みをこぼした。

「本当、変なところばっかり似てやがる」

 笑い含みの声は、地下道の空洞に、少しだけ反響して、消えた。

 

 

     ※

     

     

 学術都市に出るより前――彼女がよく見ていたのは、赤い血と、痛みにゆがんだ子どもの顔だった。彼女がよく聞いていたのは、激しい泣き声と、大人たちの、悲鳴、怒声、叱声。そして、

『だいじょうぶ?』

 心配そうな少年の声だった。


 いつから自分がだったのか、はっきりとしたことは覚えていない。ときどき、視界がおぼろげになって、頭の中を意味のわからない叫び声が埋めつくすことがあった。そうなったときの彼女は決まって、子ども、それも少女とは思えない力を振るい、絶叫しながら暴れていたという。それも、あとから聞いた話でしかない。

 悪ふざけをした少年たちに大事なものを壊されたとき。あるいは、友達を馬鹿にされたとき。あるいは、大人に対してむしょうに腹が立ったとき。決まって彼女の心に火がついた。平気でいられるのは、幼馴染の少年の前だけだった。

 自分の力をもてあました彼女は、今までしたこともない勉強を死に物狂いでやって、彼と同じ名門ヴェローネル学院に入ることとなる。「戦いのための勉強と訓練ができる」という噂を聞きつけたからだ。

 いくつかの模擬戦や実戦を重ねるうちに、『戦い』の中でもあの衝動が出ることを知った。けれど、衝動をおさめるにはどうしたらいいかは、いつまで経ってもわからないままだ。先生たちにも「落ちつきなさい」と言われるばかりだった。

 落ちつこうとしている。言われたことを何度も試した。深呼吸したり、わざと手加減をしようとしてみたり。

 深呼吸はあまり効果がなかった。わざと手を抜こうとすればそれはそれで、相手役の子や実戦の相方に怒られてしまった。

 また、どうしていいかわからなくなった彼女は――次第に、自分がどうしたいのかまでわからなくなった。ただ、強い感情が時として胸を熱くさせた。

 見てもらいたい。認めてもらいたい。鬼や魔物の化身でも、暴れん坊でもない、ただ一人の『私』を。

 そして彼女は、満たされない願いを抱えたまま、ただひたすらに人々の注意をひき、認めてもらうことばかりを考えるようになる。

 行動の結果が、『問題児』と呼ばれる今にいたっているのだろう、ということくらいは、幼い彼女にもわかっていた。

 

 アニーはがむしゃらに走っていた。けれど、途中で聞こえた魔物のうめき声にひるんでしまい、たまたま見つけた柱の陰に座りこんだ。急に心細くなって、立てた膝に顔をうずめる。自分の中が静かになったとたん、まわりの静寂がひたひたと追いかけてきた。言葉にできない寂しさが胸を満たす。苦しくなる。

「なに、やってるんだろう。わたし」

 詰めていた息を、独り言とともに吐き出す。目頭が熱くなって、涙がゆっくりにじんできた。鼻の奥がつん、と痛む。

 フェイはまた心配しているだろうか。昔からそうだ、アニーが『狂った』あとは決まって、おろおろとしたあとに、気遣うように声をかけてきた。……今は、そばにいないが。

 ロトは――嫌になっただろうか。アニーは今まで、フェイ以外の人と関係が長続きしたことがない。すぐにけんかをしてしまうせいもあるが、大概はこの暴力衝動のせいで怖がられて、逃げられてしまうせいだった。

「ロトも、どうせそうだもん。私みたいな変なのと、一緒になんて――」

 言いかけて、口をつぐむ。おい、と静かにアニーをさえぎった声が、耳の奥によみがえった。今まであんなふうに止めてくれた人はいただろうか。ふと、そんなことを思った。そもそもなぜ止めたのだろう。あれは暴れることを止めようとしたというよりは、アニーに言葉の続きを言わせないようにしたようにも思えた。

 私、何を言おうとしたんだっけ?

 アニーが記憶をたどろうとしたとき。せわしない足音がどんどん近づいてくる。と思ったら、横から影がさした。アニーが顔を上げると、息を荒げているフェイと目があった。

「よ、よかった。まだ、そんな遠くに行ってなかった」

「……フェイ」

 どうしていいかわからず、アニーはとりあえず名前を呼んだ。フェイも、何も言わずあたりを見回したあとに、アニーの隣に腰かける。ぜいぜいと息を整える彼をじっと見て、アニーは目を細めた。

「あんたさ、いっつもそうだよね」

 え、という声が呼吸の下から返ってきた。

「運動、苦手なくせに、こういうときだけ走るのがんばる」

「そ――そりゃあ、アニーが心配なんだもん。ほっとくとすぐにどこかに行っちゃって、一晩帰ってこないこともあって。帰ってきたら帰ってきたでほこりすすにまみれてたりしてさ」

 いつもそうだ、とまぜっかえされて、アニーは押し黙った。沈黙の中でしばらく言葉を探したあと、「ロトは?」と訊いてみる。「むこうで待ってるよ」と優しい声が教えてくれた。また、妙に腹が立ってくる。

「やっぱりだ。嫌になったから置いていくつもりなんでしょ」

「いくらなんでもそれはないよ。……ほら」

 フェイは、何かをアニーの顔の前に出す。それは、角灯の上を覆う黒い金属と、細い持ち手だった。割った角灯からロトが取り外したのだろう。どうやったんだろう、とわずかに好奇心が刺激される。フェイは、持ち手でカンカンと金属を叩いてみせた。

「何かあったら鳴らせ、って。呼びとめて持たせてくれたの。置いていく気なら、わざわざそんなことしないよ」

「なんで自分だけ待ってんのよ」

「それは――野営の準備とかあるし、アニーのこと、気遣ったんだよ」

 言いにくそうにフェイが答える。さすがのアニーも言葉の裏にひそむ意味を理解した。やはり、胸はむかむかしたままだ。

「わけわかんない。大人ってみんなそうだよね。変なとこで優しくしようとする。本当は嫌なくせに」

「アニー」

 言葉の終わりにかぶせるように、少年が少女の名を呼ぶ。たしなめる響きを感じて、アニーは眉をひそめた。

「わかってるんでしょ?」

 ただ一言、それだけ言われて。アニーはなんとも返せなくて唇をとがらせる。頭の中に浮かびかけた言葉を、彼女は強引に打ち消した。

「なんのことよ。知らない。大人はみんな一緒でしょ」

 すると、なぜかフェイは小さく笑った。

「やっぱり、わかってるじゃないか」

 知らないって、とやけになって返したアニーは、魔物のうめき声を聞いてかぶりを振った。胸のむかつきを押さえて立ちあがる。きょとんとしているフェイを、尊大なふうを装って見おろした。

「行く。《雪月花》探さなきゃだし」

「……うん。そうだね」

 フェイは、なんとなく納得していない様子だったが、ひとつうなずいて立ち上がる。二人は並んで、元来た道を引き返しはじめた。

 

 フェイの言ったとおり、そこまで遠くには行っていなかったらしい。すぐに元の野営場所が見えてきた。座りこんで角灯を見つめていたロトが、顔を上げる。二人の姿を認めると、彼は「おかえり」とぶっきらぼうに言った。まるで、何事もなかったかのように。

「戻りました」

 笑いながら言うフェイの横で、アニーも一応はうん、と返してみた。警戒しながらロトをうかがったが、彼はアニーの態度には何も触れない。

「ああ、そうだフェイ。俺のをさっき割っちまったから、おまえの角灯使わせてもらうことにした。悪いな、勝手に」

「いえ! むしろ、さっきは助かりました」

 そんなやり取りを他人事として聞きながらアニーは意味もなく座りこんだ。角灯のそばに書きつけの紙が重ねて置いてある。青年が待っている間に解読を続けていたのだろうということが、うかがい知れた。おもしろくない、と顔をそらしたときにロトの声が降ってくる。

「さて。じゃあ、改めて、寝るか。魔物に備えて交代で番をしようと思うけど、いいよな?」

 はい、というフェイの横でアニーもうなずく。ぎこちない空気の中、見張りの順番を決めた。一番めがロトになったので、子どもたちはそそくさと床につくことになったのである。

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