第一章 波紋

1 恐怖の一報

 その日、学院が休みだったことは、多くの学生たちにとっては幸運でも不運でもなかっただろう。恐ろしい一報に震えあがることには変わりがなかった。けれども、アニー・ロズヴェルトにとっては、間違いなく、幸運だった。


 アニーは、朝食を済ませてすぐ、友達のエルフリーデ・スベンと合流した。異変に気づいたのは、並んで広間まで歩いて出たときだった。新聞やお知らせが飾られ、張り出される掲示板の前に、生徒たちが集まっている。ときおり悲鳴じみた声を上げながら、なにか騒ぎ立てていた。どこからどう見てもふつうでない光景に、二人の少女は顔を見合わせる。

 白地にまっすぐのびた蔓草つるくさの模様が描かれた壁をつたい、彼女たちは生徒たちの様子をうかがった。少女たちが新聞や噂話を話の種に盛り上がるのは、いつものことだ。一回生だろうと十二回生だろうと、噂好きの女子たちは、毎日のように黄色い笑い声を立てている。そういった慣れあいが嫌いな少女たちは、そんな集団から距離をとっているのが、いつもの風景だった。

 しかし、この日は、ふだん決して輪に入ろうとしない生徒たちまで、興味津々の様子で、あるいはなにかを怖がるふうに、掲示板の前で群れている。ひそひそとささやきあう組がいれば、慌てふためいて叫びだす子たちがいる。みんな、新聞に釘付けで、アニーたちのことなど眼中にもないようだった。

「えっと……どうしたんだろう」

 エルフリーデが、不安そうに眉を寄せる。アニーはつま先立ちになり、新聞を盗み見ようとした。けれど、背の高い先輩に邪魔をされて、よく見えない。アニーはしばらく頑張ったが、やがて力尽きると、歩きだす。あきらめて、輪の一番外側にいる同級生を捕まえて、状況を尋ねることにした。

 茶髪をひとつに束ねた少女は、何があったのか、という問いに、しかめっ面をする。

「知らないの? 怪しい女の人が、『宣戦布告』した話」

「宣戦布告う? なにそれ」

「いきなり町に現れて、さんざん王家の悪口を言ったあとに、『命を奪う魔術』を町のまわりにしかけたとかなんとか、言ったんだって。でたらめだよ……と言いたいところだけど、森が枯れたり動物が死んだりしてるんだよね、本当に」

 思いがけない話に、アニーは口をあんぐり開けた。ほとんど反射でエルフリーデを振り返る。魔術師の卵は、ゆるく首を振った。

「そんな魔術、聞いたことがないわ」

 断言した彼女はけれど、眉を曇らせた。「でも、もしかしたら……」と口ごもる。女友達がのみこんだ言葉をアニーはすぐに察した。

――少し前、その『聞いたことのない』魔術を使う女性に出くわしたのだ。そのとき、彼女は、アニーたちの知り合いの魔術師から魔力を奪い取って殺そうとした。その後、彼女が二百年以上生きているのではないかという推測に行きあたった彼らは、怪しい女性のたくらみを止めるために、調べ物を続けていたのだが……。

 アニーは、すぐにでも走りだしそうな足を叱りつけて、同級生に訊いた。

「ねえ。その怪しい人の見た目って、新聞に書いてあった? 髪の色とか、目の色とか」

「見た目? ああ、銀色の髪で背が高い、って書いてあったよ」

 同級生はそっけなく、新聞を指さした。少女たちの間に確信が生まれる。二人はうなずきあったあと、同級生にお礼を言って、駆けだした。まずは外出許可をもらわなければならない。そんな時間さえも惜しいが、我慢だ。

 今日が休みの日で本当によかった、と、アニーは目を細めた。


 外出のお許しをもらい、寮から学院の正門に向かっている最中、二人の少女は二人の少年と鉢合わせた。一人は茶色いくせ毛に、たれさがった目尻が優しい印象の、細身の少年。もう一人は、黒髪を少し刈り上げていて、鋭い目つきをした、体格のよい少年。どちらも、少女たちの知り合いだった。

「フェイ、クレマン!」

「アニー、エルフリーデも。二人とも、新聞見たの?」

 茶髪の少年が叫ぶと同時、アニーも二人の名前を呼ぶ。アニーは、優等生の幼馴染を少し、見上げた。

「新聞は見れなかったから、教えてもらった。すごい騒ぎになってたけど……」

男子寮こっちもだよ。いろんな情報が飛び交ってて、みんな、すごく混乱してた」

 フェイは頭痛がしたときのように、頭を押さえる。隣で、黒髪の少年ことクレマン・ウォードが、珍しく考えこむような顔をした。

「でもよ。あれって、どう考えてもこの間のおっかない姉ちゃんのしわざだよな。ルナティア、だっけ?」

 クレマンの指摘に、四人は重々しく黙りこむ。沈黙を打ち破ったのは、アニーの足踏みだった。

「とにかく、ロトのところに行ってみようよ。もう、動きはじめてるかもしれないし」

 少女の声はいらだちが焼き付いている。しかし、現状、唯一彼らができることなのは確かだった。証拠に、誰もその言葉に反論せず、力強くうなずいたのである。


 ヴェローネルの街は、いつもと変わらないように見えた。幅広の通りを学生たちが走り抜け、上品なほほ笑みを浮かべた婦人や馬を連れ歩く男性が、それを見守る。けれども、どことなく浮足立っているように感じるのはアニーたちの先入観なのか、みんなが不安がっているからなのか。

 ともかくも、アニーたち四人は、足早にいつもの小路へ駆けこんでいた。薄暗くさびしい道には物音ひとつ立たない。本当の意味でいつもどおりの静けさに、四人ともがほっと息を吐いていた。ただ、彼らはすぐに飛び上がった。ものものしい、軍靴ぐんかの響きが届いたからだ。アニーは、意識しないうちに腰に手をのばしていた。当たり前のようにつり下がっている剣の柄に触れる。

 静けさのあとに現れたのは、見覚えのある女性だった。

「アレイシャさん!」

「あら、みなさん」

 エルフリーデが頬を赤くして名前を叫ぶと、王都の軍人アレイシャ・リンフォードも目を丸くした。彼女は一瞬顔をこわばらせたが、鋭くなった目もとは、すぐにゆるんだ。

「もしかして、ロトさんのところへ?」

 歩み寄ってきた彼女へ、アニーは自然と敬礼をする。

「うん。今朝の騒ぎ、知ってる?」

「ああ……『命を奪う方陣』の件ですか。おそらくは、あの女性のしわざでしょうが」

 ルナティアのことを言う時、アレイシャの声が一段低くなった。子どもたちは、誰からともなく息をのむ。暗がりのなかで、軍人の瞳は冷たく光った。

「すでに、『白翼はくよくの隊』本部へも連絡がいっています。ロトさんたちも対応をはじめていますよ。――来ますか?」

 少女のそれよりかたく、けれども白く美しい手がさしのべられる。四人の迷いは一瞬だった。すぐに、強くうなずいた。アレイシャはふわりとほほ笑むと、アニーの隣に立った。気がせいていて今にも走り出しそうな子どもたちをなだめながら、一緒に歩いてくれる。

 この一年足らずで、何度、あの青い三角屋根の家に足を運んだことか。おかげでみんな――特にアニーとフェイ――は、ひとときも迷うことなく目的地にたどり着いた。ちょうど、軒先に家主の青年が立っていた。アニーが大声で名前を呼ぶと、ロト青年は肩を震わせて振り返った。つかのま、酸っぱいものでも食べたかのように眉を寄せたのだけれど、すぐ目もとをゆるめて、手招きをしてきた。

 歩み寄る少年少女と軍人を見て、彼は軽く苦笑した。

「おまえら、今朝の騒ぎを聞きつけてきたな?」

「あったりまえでしょう!」

 アニーが胸を張ると、ロトは拳で彼女の額を小突く。額を押さえてアニーが苦情を言おうとしたのを無視して、ロトはアレイシャに向き直ってしまった。

「方陣のこと、なにかわかりましたか」

「……いや。とりあえず、からすに調べさせてる。あいつなら、なんか情報拾ってくるだろ」

 ロトが答えるのを少しためらったのは、『鴉』の素性のせいだろう。調べさせている、というのも建前で、実際は鴉がロトに喜々として情報を押し売りしようとしているに違いない。子どもたちは悟ったが、お互いにしかめっ面をつくっただけで、口には出さなかった。

 噂をすれば、なんとやら。ちょうど、耳障りな羽音と鳴き声が降ってきた。空をあおげば、まっ黒い鴉が地上の人々の方へ向けて飛んでくる。鴉は自然な動作でロトの肩に止まろうとしたが、彼はすばやくそれをかわした。くわぁ、と不服そうな鳴き声があがる。

『なんだい。ケチくさい男はもてないよ』

「うるせえ、ほっとけ。引きこもりの魔女に言われたかねえよ」

 鴉のわめきに、老婆の舌打ちが混じる。ロトは、うるさい鳥を横目でにらみつけていた。

――黒い羽をもつそれは、なんの変哲もない鴉だ。けれど、今は鴉の意識に、遠くヴァイシェル大陸に住まう『漆黒の魔女』の意志が乗っている。魔女、ワーテルは、鴉を通してロトたちと同じ景色を見て、同じ気配を感じることができるらしい。そうして今は、魔女のわざを盗んだ女性を止めるために飛びまわっているわけだ。

 単純に戦力という意味でいえば、頼もしい協力者。しかしながら、アニーたちもアレイシャも、どうもこの魔女を心の底から信じる気にはなれない。ロトからすれば、縁もゆかりもなかった自分に呪いをかけて、人生を狂わせた張本人だ。友好的にふるまえるはずもなかった。

 今、ひょっこりと家の中から顔を出した女性も同じだろう。ロトの幼馴染の女性、マリオンは、相変わらずワーテルにとげとげしい視線を注いでいる。気づいた青年が振り返ったものの、彼は眉ひとつ動かさなかった。

「それで? 結果は」

 ロトが、突き放した言い方で問う。ワーテルはつまらなそうにくちばしを鳴らした。

『間違いないね。あの女の魔力だ。――ほかにも、いくつかわかったことがある』

「……なら、中で話すか」

 深海色の瞳が、鋭く左右をうかがった。アニーもつられてまわりを見る。今のところ、怪しい人はいないけれど、あまり他人の耳に入れたくない話だ。ロトの判断は正しい。

 しぶしぶながら、鴉をともなって扉を開けたロトに続き、少年少女も家の中へ入っていった。


『便利屋』を営む魔術師の家も変わらないように見えたものの、机に散らばる本や資料のおかげで、慌ただしさが感じられた。家主やぬしは人々に椅子を勧めたあと、手早くお茶を淹れて戻ってくる。私はもてなさんのか、とかなんとかわめきたてる魔女を華麗に無視して、自分も椅子に腰かけた。ワーテルは、ロトのそっけない反応を見るや、アニーやクレマンですら舌を巻く切り替えの早さで本題に入る。

『わかったことってのは、奴がしかけた方陣のことだ』

「本当?」

 マリオンが、瑠璃色の目を見開いた。

『ああ。奴自身が言っていたことは、正しいよ。ありゃあ、あらゆる生命を吸い取って、術者に魔力として還元する魔術だ』

 子どもたちのほとんどが、首をかしげる。けれども、家の中の空気は一瞬で凍りついた。魔術師たちとその卵が、さっそくカップを取り落としそうになっている。真っ先に我に返ったロトが、咳払いをした。

「……いや。今さら、驚くことでもねえか。それも『魔女のわざ』ってやつなんだな」

『そうさね。今はもう死んじまったんだけどね、かつて五色ごしきの魔女の一角として恐れられていた奴が生み出した術だ。その効果のすさまじさから、同じ魔女の間ですら禁忌と言われて、その術式も発動手順もなにもかも、世間に漏れぬよう封じていた……はずだった』

 ワーテルが、いまいましげに吐き捨てる。「それをなんでか、あの姉ちゃんが手に入れちまったわけだ」と、クレマンが呟けば、魔女はすばやく首を振った。鴉の動きだった。

『正確には、手に入れていたのはエリザース帝国だろう。奴は帝国にいた頃に、それを見つけ出したんだよ』

「そうですよね。いくらルナティアさんでも、一人で、そこまでかたく秘密にされていた術を盗み出すなんて、無理ですよね」

 早く止めなきゃ大変、と呟くエルフリーデの顔は、早くも青ざめていた。あせりを見せる彼女に、ロトが顔をしかめてみせる。

「そのとおりなんだけど、問題なのが、ルナティアの居場所がわからねえってことだ。方陣が仕掛けられてるところから魔力をたどれば、目星はつくんだけど……そっちの収穫はなかったのか」

『だめだね。魔力が充満しすぎてて、あの短時間じゃ探りようがなかったよ』

 ワーテルはけろりとして答えたが、誰もそれを責めることができなかった。いろいろと、相談をしてみた結果、ひとまず『白翼の隊』の本隊が動くのを待ってから調査しよう、ということになった。事情を知る人が、あまりにも少なくて、ルナティアを探しだすには人手が足りなかったからである。

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