9 春の光

 二月から三月へ移ろうころにもなると、グランドル王国は一気に春めいてくる。むしろ、昼間は汗ばむ陽気の日が増える。そのぶん夜は冷え込むので、この時期に油断して、体調を崩す人も少なくない。

 当然、そんな例には当てはまらない、丈夫さが取り柄のアニー・ロズヴェルトは、けれどもこの日、蒼い顔をしていた。

「あああ……どうしよう……」

 学生が行き交う明るい廊下で、どす黒い空気をかもし出して、頭を抱える。彼女に気持ち悪そうな目を向けて去ってゆく生徒に、フェイ・グリュースターが頭を下げつづけていた。彼はついに、隣でもだえている幼馴染の頭を小突いた。

「アニー、緊張しすぎ」

「だって、だってこれで留年してたらああ……!」

「大丈夫。そのときは、ぼくも進級辞退するよ」

「何言ってんのよーばかー」

 アニーは、天井を見上げて、情けない声をあげる。フェイは、ため息をついた。今のでこのやり取りは五回目だ。何度やっても、いや、何度もやっているからこそ、アニーはどんどん深みにはまってゆく。むりにでも引きずっていくのがフェイの仕事かもしれないが、悲しいかな、彼にアニーを引きずるだけの腕力はない。

 少年はしかたない、とばかりに、アニーの背中を叩くのだった。

「ほら、急いで受け取ってこようよ。クレマンとエルフリーデが、待ちくたびれてると思うよ」

「ううー」アニーはうなったが、うなっていても何も変わらない。しかたなく、のろのろと、足を前に動かした。


 今日は、先だって行われた、進級試験の合格発表の日だ。まず今日は、生徒一人ひとりに、通知書が入った封筒が手渡される。それからだいたい、三日から五日後に、合格者の名前が門前に貼り出される、という流れになっている。

 しぶりながら封筒を受け取ったアニーは、フェイとともに、門の前へ向かっていた。封筒を手渡すハリス先生のにやけ顔を思い出し、うんうんとうなりながら歩いている。

 門前に出ると、すでに二人の生徒の姿があった。黒髪の、刈り上げ頭の男子生徒と、長い黒髪と紫の瞳が目をひく女子生徒。クレマン・ウォードとエルフリーデ・スベンの二人だった。アニーとフェイが、「お待たせ」と声をかけると、まずクレマンが露骨に嫌そうな顔をした。

「おせーぞ、おまえら!」

「ごめん。アニーがごねて」

 噛みついてくる少年を手でとめながら、フェイが答える。アニーとしては反論したかったが、当然、反論する材料がなかった。しかたなくうなだれていると、エルフリーデに頭をなでられる。

「ああ、エルフィーは優しいなあ」

「るっせえ。おまえがなんだろ」

 け、と吐き捨てたクレマンに、すかさずアニーが食らいつく。

「うるさいのはそっちだ! 昨日までびーびー騒いでたくせに」

「なんだと!」

 売り言葉に買い言葉。たちまちけんか腰になる二人を、フェイがむりやり引き離した。

「そんなことするために集まったんじゃないでしょ」

「みんなで、結果を見るって約束だもんね」

 エルフリーデがふわりとほほ笑んで、封筒を取り出した。とたん、アニーとクレマンの表情がこわばった。言うまでもなく結果に自信がない二人は、フェイにせかされてしぶしぶ封筒をとりだす。それぞれ、目の前にかざすと、「せーの」というかけ声にあわせて封を切り、中の紙を取り出した。

 少しの間、誰もしゃべらなかった。

「じゃあ、ぼくから」フェイが、率先して口を開く。「合格。七回生進級」

「さすが、フェイ!」尊敬の目で少年を見つめたエルフリーデは、ほう、と大きく息を吐いた。

「わたしも合格。ぎりぎりだったけど。……クレマンくんは?」

 呼びかけられた少年は、びくりと肩を震わせた。ぷるぷると震えたあと、蚊の鳴くような声をしぼりだした。

「ご、合格……へへ、やったぜ……」

 今にも倒れそうなクレマンが、すがるような目で、最後の一人を見る。ほかの二人の視線も、彼女に集中した。

 アニーは、いまだに紙を見つめていた。どうだったの、と三人にうながされると、背中を丸め、両手を震わせ、紙がくしゃくしゃになるほど力をこめる。

 そして、すべての力をしぼりだして――叫んだ。


「合格! 進級決定!」


 一瞬の沈黙。そして、次には、四人ともが飛び上がっていた。

「やったあー!」

「よかったね、アニー!」

「うん、よくがんばった」

「全員進級かー、そうこなくちゃな!」

 お互いの肩を抱き合って、飛び跳ねる。自分たちの髪がぐちゃぐちゃになるまで喜びあうと、ようやく離れた。

「さて!」

 封筒に紙をしまったアニーが、手を叩く。そうして全員の視線を集めた彼女は、笑顔で言った。

「ロトにも報告しなくっちゃ。勉強みてもらったんだし」

 三人は、笑顔で返した。その笑顔がこわばってしまうのは、どうしようもなかった。

 

 あの戦いの日に意識を失ったきり、ロトは目ざめていない。マリオンと、薬屋のセオドアが四六時中付き添っているが、今のところわずかな変化もないらしい。アニーたちも何度かお見舞いに行ったが、寝かされている青年は、いつもの苛烈な物言いが嘘のように、静かに目を閉じていた。

 彼がこれからどうなるのかを、アニーは考えないようにしていた。考えて、深みにはまってしまうと、何かが壊れてしまうような気がしたから。そして、フェイたち三人も、あえてその話題に触れないようにしていた。オルトゥーズの死の件とロトの件が重なって、あの後すぐ、アニーがひどく取り乱して泣きわめいたのを間近で見てしまったから、というのもある。そして、なるべくそっとしておいた方がいい、と大人たちに助言されたからでもあった。

 この時期、学術都市ヴェローネルには、アニーたちと同じように、試験の結果に一喜一憂する学生たちがあふれている。先ほどの彼らと似た会話をする少年少女とすれ違いながら、四人はいつもどおり、細い路地に滑りこむ。暗がりに目が慣れたころ、クレマンがいきなり立ち止まった。不満を言いながら肩越しに顔をのぞかせたアニーも、目を丸くした。

「あれ? マリオンさん?」

 暗がりから溶けだしてきた影は、見覚えのある女性のもの。黒衣と黒髪を振りみだし、マリオンが珍しく慌てた様子で走っていた。

「あ、ちょうどいいところに!」

「どうしたんすか、そんなに慌てて」

 挨拶もそこそこに、クレマンが問う。マリオンは、迷うようなそぶりを見せたあと、身をひるがえした。

「説明してる時間が惜しいわ。急いで来て」

「え、え?」

 子どもたちは困って顔を見合わせるも、マリオンはすでに走り出してしまっていた。暗がりに彼女の姿が消えてしまう前に、四人はしぶしぶ後を追った。

 連れてこられたのは、青い三角屋根が目をひく家。便利屋だ。マリオンが子どもたちを誘う場所といったらここくらいしかないのは確かだが、子どもたちは急に、不安にかられた。アニーも、心の中に黒い雲がむくむくとわいてくるのを感じて、うつむく。踏み出すのがどうしようもなく怖かった。

 とうのマリオンは、子どもたちの不安をよそに、彼らをせかした。流されるままに便利屋に入り、相変わらずあせっている女性の黒衣を追いかける。やがて彼女は、ひとつの扉の前で立ち止まった。扉のむこうはロトの寝室だ。黒い雲は、厚くなる。

 マリオンが扉を叩くと、むこうからしわがれた声が返事をした。

『マリオン、戻ったか』

「ええ。テッド、今入っても大丈夫?」

 少しだけ、間があいたあと、『いいぞ』と返ってくる。マリオンは次の瞬間、ためらいなく扉を開けた。白い光があふれて、子どもたちは少し驚いた。アニーとエルフリーデがよろめいたとき、何かがひっくり返ったような声がする。

「――なんなんだ、いきなり出てったと思ったら、いきなり戻ってきて……」

 ため息混じりに、誰かが文句を言った。アニーは思わず、まばたきをする。自分の耳を疑った。

 白い光は、窓からさしこむ太陽の光だった。それに目が慣れると、椅子に腰かけているセオドアの姿が見える。その奥の寝台にロトがいることを子どもたちは知っていた。そのロトと、目があって、アニーは後ろによろめいた。

「えっ」

 二人の声が、重なる。ぼうっとするアニーとは反対に、ロトは跳ね起きようとして、その後すぐに頭を押さえてうずくまった。

「いってえ……」

「当たり前だ。半月も寝てたくせにいきなり起きあがるんじゃねえ、馬鹿が」

 セオドアが、太い眉をしかめて、ロトをむりやり寝かせた。怒られた青年は、「すいませんでした」と唇をとがらす。

 そのやりとりを、子どもたちは言葉もなく見つめていた。ややして、フェイが、そうっとかたわらの女性を見上げた。

「マリオンさん、あの……これ、夢じゃないですよね」

 優等生らしからぬとぼけた質問を、誰も笑わなかった。マリオンはうなずいて、目尻ににじんだ涙をぬぐう。

「ついさっき、やっと起きたのよ、この馬鹿は」

 アニーはほとんど、それを聞いていなかった。ただただ、薬屋と言葉を交わす青年の姿に、釘づけになっていた。

 いつもの仏頂面と、海の色の瞳。どこかふてくされたような声。なにもかもが、ただ懐かしくて――気づけば涙がこぼれて、顔がくしゃくしゃにゆがんでいた。

 子どもたちは、いっせいに、ロトのもとへと駆け寄った。セオドアのすぐ隣で、かけにしがみついて、泣いているのか叫んでいるのかわからないまま声を出した。ロトは、そんな四人を面食らって見上げている。とりあえず、一番声をあげて泣いているフェイの茶髪をかきまぜてみていた。拳で目もとをぬぐったアニーは、青年をにらみつけた。

「ばか、ばか、ロトの大馬鹿! 遅いんだよ!」

「……うん、その言葉、今まで耳がたこになるくらい聞いたんだがな。悪かった」

 アニーはにぎったままの拳を掛布に叩きつけながら、さらに叫んだ。

「ロトが寝てる間に、進級試験の結果、出ちゃったんだからね!」

「本当か。どうだった」

「合格! 全員!」

 アニーは言いきり、胸をそらす。ロトのみならず、ほかの二人もおお、と言って子どもたちを見やった。フェイたちも彼女に続いて、大きくうなずく。

 体を寝かせたままのロトは、よく見ないと気づかないほどの微笑を浮かべてから、子どもたちに目を向けた。

「じゃあ、あれだ。試験のことも含めて、いろいろ話してくれないか。寝てる間のこと、まだなにも知らねえんだ」

 少年少女は、誰からともなく笑いだす。

「もちろんです!」

「覚悟してよね。全員が話し終わるまで、話すのやめないからね」

「嫌だっつっても話すからな」

「……それは、腹くくらねえとな」

 微妙に目をそらしたロトのささやきを聞きつけて、薬屋が豪快に笑う。

「よし、マリオン。茶ぁれてくれ」と彼が言えば、マリオンは「しかたないわね」と言いながらも、軽やかな足取りで部屋を出た。

 しばらくの間、静まりかえっていた便利屋に、笑い声が弾ける。小さな部屋の人々を、窓からさしこむ陽光が優しく照らし出していた。

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