3 前哨戦
「アニー! そっち行った!」
「はいよっ」
曇天の下をかけ声と茶色いしぶきが飛び交う。魔物たちの奇怪な断末魔は、けれど人々をまったくひるませなかった。アニーとクレマンは軽やかに剣を振り、子どもたちが
ぎゃあっ、と低い声で鳴いた鳥の魔物が、クレマンめがけて飛びかかる。そのとき、フェイが勢いよく口笛を吹く。高い音に反応しやすい鳥の魔物は、音に気を取られて動きを鈍らす。そこへ、ロトとマリオンが容赦なく、氷と炎の矢を放った。左翼を貫かれ、右翼を焦がされた鳥は、なすすべもなく地面に激突して、つぶれる。いろいろなものが飛び散って
魔物の集団――ワーテルいわく番犬――が現れてから、半刻が経とうとしている。魔物を切り伏せつつも前へ足を進めていたアニーが、とうとう、魔物を蹴り飛ばしながら叫んだ。
「だああ、もう! なんなんだこれーっ!」
「フェルツ遺跡のときと似てるな。強い力に反応して、魔物が集まってやがる」
のん気な声が答える。同時、少女に蹴飛ばされた魔物は眉間に小さな穴を開けて、永遠に動かなくなった。魔術で刃に変化した小石が頭を貫いたのだ。もちろん、放ったのは、ロトである。
「遺跡のときと一緒か……ルナティアさんは、こうなることがわかってたのかな」
「想定して、あわよくば利用してやろう、くらいには考えただろ。あいつにとっては都合のいいおまけだし」
「まあ、そうだね」
フェイは苦々しく呟く。魔物が、方陣を壊そうとする人たちの邪魔をすれば、そのぶん時間を稼げるのだ。ロトのいうとおり、ルナティアは『おまけ』すらも最初から利用する気でいたに違いない。どこで、どんな顔をして、彼女は術の完成を待っているのか。子どもたちは誰からともなく、そんなことを考えていた。
考えごとにふけりながらも、アニーの剣さばきは鈍らなかった。小さい猿の魔物を一突きで倒したかと思えば、そのまま剣を横に薙いで、突っこんできた鳥の頭を切り飛ばす。血のにおいも、魔物の声も、気にはしてもそれによってひるむことがない。遺跡探検からの戦いづめで戦闘に慣れたことは、嬉しくもあり、どこかさびしくもあった。
魔物を追い払いながら走る道中。アニーが羽音を聞いて顔を上げると、赤い目の鴉が彼女の前を飛んでいた。楽しげに地上を見下ろす彼女は、手伝う気がないらしい。気ままな魔女に少女が唇をとがらせてみせたとき、別の方向から声が飛んだ。
「なあ、ガイ」
「ああ? どうした」
「このあたりって、帝国時代の遺跡はないのか」
耳障りな悲鳴など聞こえていないかのような会話は、青年と軍人のものだった。軍刀で魔物を切り捨てたガイは、細めた眼でロトを見やる。
「知るか。俺に訊くなって、そんなこと」
「役に立たねえな、おい」
「なんだとう!?」
ガイが眉をつりあげたのだが、ロトは年上の男の不満げな声を聞き流した。その方向へ、黒い鴉が飛んでゆく。
『帝国の頃からここらにある建物を探してるってことか。まあ、奴が行きそうな場所ではあるがね』
「皇室か貴族に関係しているものだと、なおいい」
淡々と続けたロトを見下ろして、鴉は楽しげに喉を鳴らす。それからふっと、視線を遠くに投げかけた。
『
魔女の言葉に、魔物を警戒していた一行は、いっせいに引きつけられた。「塔?」と、アニーたち四人は首をかしげて繰り返す。魔女は黙って、遠くの空を見つめている。もっと手がかりが欲しいところだったが、唯一の情報源がなにも言わないのでは、しかたがない。獣の声を聞きつけたアニーたちは、結局「塔」の一語だけを頼りに、また走り出したのである。
しばらくして、アニーは小さな変化に気づいた。
「ねえっ! 塔って、あれのことじゃない?」
大人たちは、驚いた顔を見合わせた。すぐに、ロトが反応する。目をすがめて建物の影を見やったあと、そのまま鴉を振り仰いだ。ワーテルは、あっけらかんとして『ああ、あれだ、あれだ』とうなずいている。
「確かに……ちょっと気分が悪くなってきたわ」うめくマリオンと魔術師たちをよそに、魔女は楽しそうである。
『おーおー、器だけは見事に昔のまんまじゃないか』
「あの塔は、なんなんですか」
戦いから少し離れているエルフリーデが、ワーテルを見上げた。彼女は魔術師の卵を一瞥すると、小さな目を意地悪く光らせる。
『あれはね、監獄塔さ』
彼女の言葉に、ガイと彼の部下がいっせいに振り返った。彼らが口を開く前に、エルフリーデが「監獄塔ってなんですか」と疑問をぶつけた。誰かが止めるより早く、意地の悪い魔女はうたった。
『偉い人専門の牢屋みたいなもんだよ』
「ろ……牢屋っ!?」
『ついでに処刑場も兼ねていた』
ワーテルの口調は脅すようだった。彼女はさらになにかを言おうとしていたけれど、すでにエルフリーデは蒼くなって悲鳴を上げていた。魔物の群をなんとか押しのけたクレマンが「いじめんじゃねえっ!」と叫びながら剣を振れば、鴉はひと声鳴いて、飛び上がる。空を切った剣をいまいましげにながめる少年の頭をロトが軽くはたいた。
「漫才やってる場合か」
彼はしかめた顔を仏頂面に戻してから、監獄塔の方を見やった。その横顔に、ガイが声をかける。
「どうする、行くのか」
「行くしかねえだろ。……ま、でも、その前に」
青年の声は複雑な感情に揺れて、氷海の瞳は枝でくつろぐ鴉をにらむ。
「ワーテル。とりあえず、エレノアたちに監獄塔のことを教えにいってくんねえか」
『この私をあごで使うか、青二才が』
「やかましい。どうせ戦いとなりゃ高みの見物決め込む気だろ。今くらい働け」
ワーテルは、ふてくされたようにくちばしをならしたが、その後に飛びたった。ロトに痛いところを突かれたのか、たんに口やかましい人の相手をするのが疲れたのかは、わからない。ともかく、飛びたつ鳥を見送った一行は、改めて監獄塔の方角に歩きだした。戦ったかいあってか、魔物はずいぶんその数を減らしていて、一行を警戒しているのか残りの魔物も飛びかかってはこない。アニーは剣に手をかけつつも、黙って魔物の顔の前を通りすぎる。足音に混じってささやきを聞いたのは、そのときだった。
「監獄、ねえ。大丈夫か、
「馬鹿。祟りより心配することがあるだろう。犯人を止めきれずに死んだら、俺たちが祟る側だぞ」
振り返れば、その先にいたのは軍服姿の男性二人。彼らの話し声を聞きながら、意外と迷信深いんだな、とアニーは首をひねる。だが――のん気な感想は、突き刺す寒気にさえぎられた。とっさに左手で鞘をつかんだアニーが視線を戻すと、ロトとマリオン、それからガイはすでに前へ出ていた。
「なに? なんか、来たよね」
「……ああ、来たぞ。めちゃくちゃやっかいなのが」
アニーの曖昧な問いかけに、ロトが応じる。その顔は珍しくひきつっていた。アニーが来たものの姿を確かめようと身を乗り出したとき、隣にエルフリーデが駆けてくる。空をあおいだ彼女は、悲鳴をのみこんだあと、呟いた。
「あれは、魔女の――」
とぎれた言葉はけれど、子どもたちが真実を知るにはじゅうぶんだった。アニーは両手を剣にかけたまま、ただ灰色をにらみつける。うるさく暴れる心ノ臓をよそに、頭の中は冷たいほど冷静だった。なるほど確かに、先ほど感じた寒気は、王都に行ったとき、黒い竜に対して抱いた恐怖とよく似ていた。
誰もが息を殺して見守る中、曇り空に穴を開けるかのように、巨大な鳥の影が現れた。
影はぐんぐん近づいて、はっきりした色と輪郭を帯びてくる。空に溶けこむような姿に、フェイが軽く目をみはった。
「灰色の……鳥?」
「黒くないな」
クレマンが呟く。まったく深刻そうでない口調だが、頬はひきつっていた。
「あれも魔女の《爪》もどきだとしたら――」
「今度は、
身構えるマリオンの横で、ロトが腕を組む。不思議がる視線が集まると、彼は淡白に言葉を続けた。
「橙色の呪いは、『石化』だからな。石の性質が表面に出てきてもおかしくない」
それよりも、と投げ捨てるように言い、ロトは宙に腕をのばした。指先に光が灯る。それを合図に、アニーたちも剣を抜いた。鈍く光る刃を正面に見たとき、アニーは碧眼を見開く。
鳥の背中に、黒い小さな影が、ぽつんと見えた。気になって目をこらした彼女は、間もなく、息をのんだ。
少しずつ近づいてくる、黒い姿。彼のまとう衣のすその装飾が、わずかな光を弾いて金色に光る。『彼』は地上の人たちをながめたあと、黒鞘に手をかけた。
少女は男の名前を呟き、唇の端をかんだ。
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