2 捜索開始

 少年少女が馬車の停留所の前で群れているのを、遠くから観察している人がいた。つばの広い帽子キャップを目深にかぶっている。加えてコートにズボンを身にまとっているから、背の高さもあいまって男性のようだったが、体つきは間違いなく若い女性のものだった。彼女はつばの下の大きな目をせわしなく動かした。それを、やがて、外からやってきた子どもたちに注ぐ。

「い、今――ヴェローネルやポルティエって言ってたよね。それって、もしかすると……」

 女性は低く呟いた。停留所の方をじいっと見たあと、彼女は荒く息を吐きだして、何度も首を縦に振る。その姿はどこか、獰猛どうもうな獣を思わせた。通りがかった町民がさりげなく距離をとるほどの不審者ぶりだが、本人は人々の反応など気にしていなかった。

「も、もしかするよ……この魔力の感じ、間違いない!」

「ちょっと。いつまで町の中にいるつもり?」

 一人盛り上がる女性に、背後から声がかかった。声をかけたのは、女性と同じシェルバ人の少年だった。彼女は少年を振りかえると、「ああっ」とひきつった歓声をあげる。

「ティル、ちょうどよかった! 今、いい情報を手に入れたところ」

「へえ。ロンヤのいい情報は、期待したいようなしたくないような」

 冷めた態度の少年は、そのまま続きをうながす。ロンヤと呼ばれた女性は、得意気に胸をそらした。

「ロトとマリオンが、すでに来てるみたい!」

 彼女がささやくと、それまで呆れ顔だった少年は、唖然として彼女を見返した。

「え、うそ? 来てるんなら、どこで何してるの」

「軍人さんの手伝い、してるんだって。どうりで、手紙の返事すら来ないわけだ」

 今にも、どうだすごいだろう、と言いだしそうな女性。一方の少年は、片手で顔を覆って嘆息した。「なるほどねえ」と、笑いを含んだ呟きが空気を揺らす。

「ロンヤの情報が正しければ、抜け駆けされたってわけだ。ロンヤの情報が正しければ」

「ちょっと、ティル。なんでそこを繰り返すのさ」

「まあいいや。とにかく団長に報告しようっと。急がないと、出遅れるかもしれない」

 ティル少年は、女性の声を無視して身をひるがえす。石畳を蹴ると、馬のように軽やかな足取りで駆けだした。ロンヤは帽子をつばをつかみ、「ティル坊ー、置いてくなー」と叫びながら、少年の後を追う。

 こうして、ロトやマリオンの同胞なかまたちも、ひそかに動きはじめたのである。



     ※



 しばらく、少年たちを相手に冒険語りをしていると、迎えがやってきた。ただし、来たのは魔術師たちでも軍人でもなく一羽の鴉である。少年たちの前だったので、鴉はやかましく鳴くばかりで言葉を話さなかった。「なんだかお利口な鴉だな」と、どこか皮肉っぽく言った茶髪の少年に、アニーたちは曖昧に笑いかけた。

 彼らに別れを告げると、翼を鳴らす鴉を追って、町の東の門へと急ぐ。ひとけがなくなると、ふいに、鴉がくちばしを鳴らした。

『やれやれ。辛気臭い連中だったねえ』

「うわ、ひでえ魔女だな」

しきの魔女はひどい奴ばかりさ』

 顔をしかめたクレマンを鴉ことワーテルはそうからかった。『漆黒の魔女』の異名を持つ彼女は、この町の命あるものたちの中では、一番くだんの魔術に詳しいはずである。アニーは軽やかに走りながら、視線の上を飛ぶ鴉を見上げた。

「あなたが来たってことは、調査が終わったんだよね」

『ああ。んで、そろそろ軍人どもがやってきて、町の人間へよそに行くよう言うだろう。騒がしくなる前に出ちまうよ』

「うん」

 憎らしい魔女の言葉に、アニーはすなおにうなずいた。町の人が避難できると知って、ほっとしたからだった。あの子どもたちも、おびえさせてしまった女性も無事であればいいと、心ひそかに願う。


 南門とよく似た石積みの門をくぐると、とたんに空気がよどんだように、アニーには感じられた。術の影響だろうか。今も少しずつ命が失われているのか、と考えて、おののいた。

 ひるんだ少女を引き戻したのは、草の乾いた音だった。いったん軍人たちから離れたロトとマリオンが、子どもたちを見つけて走ってきたところだった。いつもの無表情のなかに、いくらか疲れの色をのぞかせる青年は、四人の顔を順に見ると、ほっと息を吐く。

「ロト、これからどうするの」

「いったんエレノアたちのところに行く。お互いの行動範囲を決めて、それからルナティアたちを探すことになるだろうな」

 ロトがよどみなく答える。その言葉どおりに一行は、軍人たちが森を見下ろす丘の上まで行った。エレノアとアレイシャが喜び半分困惑は半分の笑顔を見せ、ガイ・ジェフリー大尉は破顔した。

「よう、ガキども。久しぶりだな」

「リーヴァ先輩のお父さん!」

「そうか、そうか。おまえら娘の後輩だったな、そういや」

 豪快な大尉は、愛嬌のある笑顔をふりまきながら、子どもたちの頭をなでまわしてゆく。小柄なエルフリーデなどは、彼の大きな手につぶされてしまいそうに見えた。

 つかのま、その場はなごんだ。ただ、感動の再会をいつまでも楽しんでいるわけにはいかなかった。アレイシャが、調査の結果を報告してくれる。それによると、方陣はひとつではないという。町を取り囲むように、六つか七つほどの方陣が置かれているらしい。そして、そのいくつかの方陣はもので、今『完成』している方陣は三つだ。

『ははあ、なるほど。そういう仕組みか』

 話を聞き終えていの一番に声をあげたのは、意外にもワーテルだった。まだ彼女のことを知らなかったジェフリー班の人々が、ぎょっと目をむく。だが、鴉は若者たちの反応を意にも介さず、ロトの顔の前にまで飛んだ。心底うっとうしそうな彼の両目をのぞきこむ。

『要は、どこかにひとつのでっかい方陣があって、それが残りの小さな方陣を操っているのさ。そうすることで、より広い範囲に方陣を敷くことができる。今の時代にこんな術を使いたがる物好きはそういないだろうが、北の方では、昔はときどき使ってたね』

「……とりあえず面倒くさいってことはわかったぞ。どうすりゃいいんだ、やっぱそのでっかい方陣を壊すのが王道か」

『そうなるだろうさ』

 鴉は目を光らせる。その顔がなんとなく、笑っているように見えた。魔女の狡猾こうかつな笑顔を前に、フェイが身震いをしたが、ロトは不愉快そうに目を細めただけだった。

『そこにあの女がいる可能性も高い。これだけ大きな術だ、術者は方陣の管理をせにゃならんから、持ち場から離れられないはずだよ』

「――そういうことなら、話が早くていいな」

 ため息混じりに呟いたエレノアは、不服そうな魔女を無視して、手を叩く。

その場の全員の視線が、彼女に集まった。

「ここから先、ふたに別れよう。ロトたちにはあの女性を探しだしてもらい、その間に私たちは住民の避難と小さな方陣の解析だ」

「まあ、妥当だろうな」

「おそらく戦闘になるだろうから、うちの部隊からも何人か、捜索に行ってもらうとしようか」

 エレノアが、隊士たちを振りかえる。すると、彼らはとたんにおろおろしはじめた。青ざめた顔で、エレノアとロトを交互に見ている。ルナティアを探しにいくのも、この場に残るのも嫌らしい。怖いのは当然だ。アニーはなんだか、彼らが気の毒になった。

 その隊士たちの中でただ一人、積極的だったのが、ガイ・ジェフリー大尉だった。彼とエレノアが中心となって、てきぱきと、容赦なく、捜索班が結成された。大尉と二人の魔術師が、アニーたちと一緒に行くことになった。


 一気に大所帯となった一行は、草花の生い茂る道を進んだ。先頭は、ワーテルだ。彼女が一番魔力を拾いやすいからで、次にマリオン、ロト、アニーたち、軍人と続く。ロトの首くらいの高さを飛んでいる鴉は、野生の鴉と比べると、とても静かだった。前を行く鴉を、ガイがうさんくさそうに見る。

「あれが魔女って、本当かよ。俺ぁいまだに信じられないんだが」

 幽霊でも見るかのような顔で、彼はうめいた。それでも魔女に突っかからないのは、彼の部下である魔術師たちが、青い顔で彼女の様子をうかがっているからだろう。アニーも魔力を感じ取ることはできないが、鴉が得体の知れない、恐ろしいものだというのは、はじめて出会ったときから感じている。ガイも当然、あれがただの鴉だとはまったく思っていないだろう。

 その鴉が、ひと声鳴いた。アニーがそちらを見たとき、ちょうどワーテルがぼやいた。

『人を見た目で判断するなと言っておるのに』

「逆に、人の第一印象は見た目で決まる、なんて言葉もある」

 ロトが仏頂面で切り返した。ワーテルは、くちばしを鳴らす。『お黙り、小僧』と吐き捨てる声は、それまでと違って迫力に欠けている。

 そんなやり取りもありながら進んでいると、突然、ワーテルが飛ぶのをやめて、アニーのそばの、木の枝に止まった。彼女がそちらを見上げると、魔女は鳥の動きで首を振る。

『あの女のにおいがしてきたね』

「じゃ、こっちであってるの?」

『おそらくは。ただ、正確な方向はわからん。例の術の力が強すぎていかんわ』

 そう言われて、アニーははじめて、草木の様子が変わっていることに気がついた。先ほどまでは緑の草葉があったのに、いつのまにか地面を彩るのはくすんだ黄緑の絨毯になっている。木々は、細く、裸のものが増えていた。寒々しい風景が、心の中に隙間風を通した。

 身を寄せ合って震えた子どもたちをよそに、大人たちは疲れた顔で話しはじめた。

「方角がわからないんじゃ、どうしようもないわね」

「なにか別のもんを目印に探すっきゃねえだろうな」

「別のもんって……」ガイの言葉に、ロトがうめいた。彼は少し考えてから、鴉のいる木を見上げる。けれどもその目は、すぐにさびしい地上へ向けられた。アニーたちも、気づいていた。誰に言われるでもなく、フェイが後ろに下がり、エルフリーデはその斜め前に出て、二人をかばうように、アニーとクレマンが立つ。

 鴉が鳴いた。

『よかったじゃないか、あたりを引いたみたいだよ。せいぜい、番犬のお相手、頑張りな』

 魔女の言葉と高笑いは、草葉の揺れる音と獣のうめき声にかき消された。

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