第三章 捜索
1 人々の不安
古めかしい石積みの門をくぐると、斜面にひっそりと立ち並ぶ家いえが、外から来た者を出迎える。隙間なく建つ家は、落ちついた雰囲気ながらも、赤、黄、茶、灰色などが自然にまざりあった石材のおかげで、豊かな色彩を持っている。ある人はその家の軒先に小さな看板をさげて店屋を開き、ある人は町民のためにパンを焼き、子どもたちは広場に集い、町には静かな時間が流れる。
――というのが、アニーたちが行きがけにエレノア・ユーゼス少将から聞いていた、町の風景だった。仕事以外でその町を訪ねることが多かったというエレノアは、「あそこに行くと気持ちがすっと静まって、心が洗われる感じがするんだよ」と、目を細めて語った。
今はふつうでない状況なので、そこまでの平穏は望めないだろう。それでも少年少女は、少なからず、のどかな町の風景を思い浮かべて、そこを
けれど、馬車が南の門をくぐった瞬間、彼らの
車の壁越しにまず聞こえたのは、悲鳴じみた叫び声だった。あまりに激しすぎて、アニーには何を言っているのか聞きとれなかった。しかし、対面に座っているロトが苦い顔をしているところを見ると、あまりよくない言葉だったのは確かである。
「な、なんだあ?」
突然の怒鳴り声に飛び上がって驚いていたクレマンが、おそるおそる、四角くくりぬかれた窓から外をのぞいた。ぎょっと、顔をひきつらせた彼の後ろから、アニーとフェイも身を乗り出す。そして次には、二人とも顔を見合わせた。
馬車のすぐ横を、杖をついた翁が歩く。子どもたちが集まる前を、小さな猫が走り抜けてゆく。婦人は、花をつめた
人々のふるまいが同じでも、どことなく、町を覆う空気が暗いように思えたのだ。よくよく目をこらせば、井戸のそばに集まっている五人ほどの女性は声を潜めて話しながら、馬車の方をちらちらとうかがっていた。彼女たちの顔には、アニー以上の隠しきれない不安の影がちらついている。
その意味を子どもたちはすぐに察した。察することができるほど事情に詳しかった、ともいえる。
「みんな、怖いのね」
ぽつりと、エルフリーデが呟いた。アニーの方からでは表情はわからなかった。けれど、きっと今にも泣きそうになっているだろうと、少女は確信していた。かといってかけられる言葉はない。むっつりと黙って、馬車の中に体をひっこめることくらいしかできなかった。
「しょうがねえよな。このままここにいたら、死ぬかもしれないんだから」
窓から顔を離したクレマンが、うんざりだとばかりに吐き捨てる。一応、気をつかっているのか、声はいつもより小さい。それでも言葉を選ばない少年を瑠璃色の瞳が一瞥したが、視線はすぐにそらされた。
誰もが言葉をのんだとき、フェイがわかりやすく眉を寄せた。「どうしたの」とアニーが水を向けると、彼はためらったあとに口を開いた。
「どうして誰も町から逃げようとしないのかな、って思って」
「そりゃ、内心逃げたくてたまらないだろうさ。でも、できねえんだよ」
無愛想な一言が、少年の疑問を叩き斬る。それまで黙りこくっていたロトが、上半身を椅子にゆだねたまま子どもたちをながめていた。誰もかれもが無言のうちに「どういう意味だ」と、問いかければ、青年は表情を変えず続けた。
「勝手に逃げだすことも、できなくはない。けどな、町の奴らは考えるわけだ。下手に逃げだして、魔術に巻きこまれたらまずいんじゃないか。町から一歩でも外に出れば、その瞬間に死んでしまうんじゃないか。怖いのを我慢して動かない方が、少しでも寿命がのびるんじゃないか、ってな」
そして、人々のその判断は、魔術師たちの目から見ても正しいことだ。大きさのわからない方陣が町や村の周辺に張られている場合、素人が下手に動けば魔術に巻きこまれる可能性が高い。死人と面倒を増やさないためにも、彼らにはじっとしてもらう方がありがたいのだ。
そういうようなことを、ロトは淡々と説明した。アニーたちは、冷たく聞こえる説明に唖然とした。けれど、感情任せに反論する気は起きなかった。反論のための言葉も浮かばない。それに、隣の女性と椅子にとまる
沈黙が長引いて、車輪の音が大きくなる。その頃に、女性――マリオンが、ほほ笑んだ。
「だから王国の人々は、『そういうもの』に出くわしたら、魔術師部隊からの指示を待つんですって。いくつか似たような事件を経験しているうちに、国の人たちの間で、暗黙のうちに、そういう決まりごとができたって、
「じゃあ、エレノアさんたちが先に行ったのって……」
エルフリーデが、目を丸くしてささやく。ロトが、一回、うなずいた。
「ああ。先にガイたちと合流して、方陣の調査を始める気だ。あいつらも、早いとこ町民を安全なところにやりたいんだろ」
アレイシャとエレノア、そして彼女が連れてきた軍人たちは、別の馬車で先に行っている。その理由を今になって聞かされた子どもたちは、ため息をのみこんだ。
馬車はゆっくりと通りを進み、広場近くの停留所に止まった。馬車から下りると、予想どおり、冷たく鋭い視線があちらこちらから向けられる。しかしながら、アニーと魔術師たちは平然としていた。悪意ある視線に慣れている彼らは、町の人々が、いつもと違うことを怖がっているだけで、自分たちじたいを嫌っているわけではないと、気づいたからだ。
ロトとマリオンが、小声でなにかを話しあった。その後、ロトは、ぞんざいに鴉を呼ぶ。馬車の屋根からまっすぐに飛んできた鴉を見た青年は、そのまま子どもたちに目を向けた。
「俺たちは、先に方陣の調査を手伝ってくる。捜索が始まる頃に呼びにくるから、それまで待ってろ」
「ええ、また仲間外れ!?」
当然、アニーは文句を言った。あれだけ格好をつけたというのに、また遠ざけられるのだ。まだ信じてもらえていないのかと疑いたくなるし、そうなると苦情のひとつもぶつけたくなる。けれど、ロトは、今までと違い、困ったように眉を下げたのだ。
「まだ方陣の大きさも構造もわかんねえんだ。下手に近づいて、おまえらが先にやられたら、笑い話じゃ済まないんだぞ。俺たちだって、そういう事態は絶対に避けたい。だから、おまえらが来るのは、安全な場所と危険な場所があるていどわかったあとだ」
アニーと、それからクレマンは、なおもうなっていた。しかし、続いた「いったん呼び出したらこき使うからな。それまでせいぜい休んどけ」という一言に負けて、青年の言葉を受け入れた。頼りにされたい、というアニーたちの心をロトは逆にくすぐって、納得させたのだ。アニーはロトたちが背を向けたときにそのことに気づいたが、加えて文句を言う気にはなれず、黙って手を振り見送った。
こうなると、町中に子どもたちだけが残される格好になった。一応、馬車の御者を務めた若い男性が彼らに危険がないようみてくれているのだけれど、何度か戦いを切り抜けているアニーたちからすると、心もとない護衛だった。それでも、笑顔をたやさず穏やかな若者がいることで、視線の冷たさは少しやわらいだ。
数本の柱で支えられた、三角の屋根の下。ぶるる、と鼻を鳴らした馬を見守り、アニーたちは魔術師たちからの呼び出しを待つ。すぐに退屈になった少女は、そこから見える町の様子を注意深く観察した。
広場の端だからだろう。ずっと流れてゆく道は、門の方へ戻るにつれ、狭まっている。行き交う人々はヴェローネルに比べればごくわずか。みんな、優しい顔をしている、ように見える。だが明らかに、アニーたちの方を気にしていた。
少し左に視線を動かすと、家の前で花に水をやっている女性と目が合った。アニーはいつもの調子で笑いかけようとしたのだけれど、その前に女性の方があたふたと視線をそらす。彼女は水やりを途中で切り上げて、家に駆けこんでしまった。あまりに露骨な避け方に、さすがのアニーも泣きそうになった。
「なあ。なんでおまえら、こんなときにうちに来たんだ?」
活発さと不機嫌さをまぜた、少年の声がする。アニーが視線をもとに戻すと、同じ年頃の茶髪の少年が、フェイたちの方をにらんでいた。その後ろには少し年下の少年一人と少女一人がいて、一行を物珍しそうに見上げてきている。この町の子だろう。
フェイたちは、顔を見合わせていた。その目はそのままアニーの方に向くが、アニーもどうしていいかわからなかった。どこまで話してよいものか。困っているうちに、少年がぶすっとしたまま付け加える。
「みんなぴりぴりしてるし、なんもないぜ。死んじゃう前に帰った方がいい」
少年の声は暗い。こんな子どもにまでそれを言わせるのか、と、四人は息をのんだ。
アニーは、そのまま息をつめて顔を突きだす。おさえるべきだとわかっていても、おさえきれなかった。
「だ、大丈夫だよ!」
町の子どもたちが、驚いた顔をする。相手の言葉を封じるように、アニーは強く言った。
「今ね。王国の魔術師部隊の人たちが、方陣を見にいってるの。隊長さんまで来てるんだよ。だから、絶対、大丈夫だよ。みんなが死んじゃう恐ろしい魔術なんて、使わせないんだから」
「隊長さん!? ほんとに?」
高い声で叫んだのは、少年の後ろにいた子どもたちだった。少年が彼らをにらみながら「こら」と鋭く叱りつける。小さな少年少女は、つかのまひるんだが、険しい顔の彼を無視して、期待のこもった瞳をアニーに向けた。
「ねえ、それってエレノア・ユーゼス少将のこと?」
「あのユーゼス少将が来てるのか、すげー」
ヴェローネル学院でいえば四回生か三回生にあたる子どもたちは、しぶい表情のままの少年を無視して騒ぎだす。その声はじょじょに高まっていって、あたりを行き過ぎる大人たちが不思議そうな目を向けはじめた。さすがにあせったアニーは、かがみこんで、口もとに人さし指を添える。すると、小さな子たちはぴたりと黙った。彼らがむっと唇を結んでいるのを見やり、アニーは笑った。
「そうだよ。みんな、エレノアさんのこと知ってるの?」
「知ってるよ」
「会ったことはないけどな。でも、ゆうめいじんだろ?」
うなずきながらささやいた女の子に続き、男の子が澄まして言う。そうだね、とアニーたちも笑った。すると、年上の少年がぎろりとにらみつけてくる。
「おい、適当なこと吹き込むなよ」
「本当のことしか言ってねえよ」
身構える少年に対し、クレマンがとげのある言葉を返す。二人はそのまま言い合いをはじめそうだったが、もう一人の少年が間に入って彼らをなだめた。今やすっかり仲介役が板についてしまっているフェイである。
その隙に、アニーとエルフリーデが小さな子たちに再び目を向けた。
「少将さんが来てるなら大丈夫だね」
「うん。大丈夫よ、きっと」エルフリーデが、砂糖をまぶしたような笑顔を広げた。その後、彼女は身をかがめて、悪戯っぽく目を細める。「それに、さっきわたしたちと一緒にいたお兄さんとお姉さん。あの二人は、軍人さんたちのお手伝いに行ったの。二人とも、魔術に詳しいのよ」
「そうなの? 学者さん?」
「ううん。ヴェローネルやポルティエで、魔術を使って困っている人を助けるお仕事をしているの」
「ええ? 本当かなー」
さすがに、子どもたちも疑わしそうに唇をとがらせる。けれどその表情はくるくると落ちつかない。わくわくしているのが、アニーには丸わかりだった。アニーが思わず吹き出すと、そこへまた押し殺した声がかかった。先の茶髪の少年が、また、噛みついてきた。
「だったら、あんたらは何しにきたんだ。足ひっぱりにきたのか」
「いきなり失礼なやつね。クレマンみたい」
アニーは腰に手をあて、名も知らない少年を見上げる。引き合いに出された本人は、当然「どういう意味だこら!」と怒鳴ったが、フェイとエルフリーデにおさえられたので、飛びかかってはこなかった。アニーはクレマンに向かってぺろりと舌を出した後、少年に視線を戻して――腰を叩いた。そこにある金属のものに、今はじめて気づいたのだろう。少年が、目をみはった。
「私たちは、戦いにきたのよ。魔物を倒したことだってあるんだからね」
「うそだろ、そんなん」
「決めつけるのは勝手だけど。とにかく、邪魔しにきたんじゃないってこと」
アニーはお姉さんを気取った態度で少年を黙らせたあと、またしゃがんだ。剣に気づいた子どもたちが、彼女とクレマンの足もとに群がってきたのだ。
四人は顔を見合わせて笑った。その後、子どもたちに自分たちの冒険の話を聞かせはじめた。少しでも、今の不安を忘れてほしかったから。
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