4 人の縁
「隊長。四つめの方陣の形成が八割まで進んでいます」
地面に両膝をつき魔力をたどっていたエレノアに、かたい声がかかる。敬礼し、動揺を押し殺した無表情で立っているのは、魔術師の女性隊士だった。彼女の不安を受けとめる意味で、エレノアは、あえてやわらかい声で返事をして彼女をねぎらう。彼女は姿勢をくずさないまま、報告を続けた。すべてを聞いて隊士を下がらせたあと、隊長と呼ばれる彼女はかぶりを振る。
「やれやれ、時間制限ありか。悠長に解析しているひまはないな」
「まったくのむだではありません」
ちょうどそのとき、隣に来たアレイシャが、かがむ。部下に愚痴を聞かれたエレノアは、苦笑して肩をすくめた。
「フォスター副長の方は、どのような状況ですか」
「もうすぐ町に到着する。そこで、住民を避難させる隊とこちらの応援に来る隊に分けるそうだ。短く見積もっても二刻はかかる」
「そうですか……」
「君たちの方はいかがか、リンフォード少尉」
報告を求められたアレイシャは、小さく切った羊皮紙の束に目を落とす。
「あの魔女殿の
「元を断つのが確実だな」
うなずいたエレノアは、右手を地面から離して、見つめる。『元』を探して魔力をたどっていた軍人は、きれいというより幼い顔を少しゆがめた。
「少尉、私は思うのだが」
「はい」
「ワーテル殿のいう『大きな方陣』は、地上にはないのではないかな」
「……と、いうと?」
訊き返す声は静かだ。けれど、少尉の両目には戸惑いの色があった。部下の問いに答えようと、エレノアが唇を開いたとき、その声を鳥の羽の音がさえぎる。二人が顔を上げた先には、鴉がいた。
「魔女殿か。進展があったかな」
立ち上がったエレノアを、ワーテルはつまらなそうににらんだ。アレイシャはぽかんとしていたが、エレノアとしては鴉がここに来るのは予想どおりの展開だ。空を飛べる彼女が連絡役になるのは当然の流れである。本人が嫌がっても、ロトやマリオンあたりなら、なんとか言いくるめてしまいそうな気がしていた。もっとも、この魔女も、やられっぱなしではいないだろうけれど。
ともかく、エレノアが口先で感謝の言葉を投げかけると、ワーテルはとげとげしい声で別行動の一行のことを教えてくれた。すべてを聞いた軍人二人は、とたん、難しい顔になる。
「帝国時代の監獄塔、か。そこにルナティアがいそうなのか」
『あの魔力の感じからして、いそうだけどね。確かなことはわからんさ。今、あいつらが
鴉は少しの間、ふらふらと飛んでいたが、手ごろな岩を見つけるとその頭にとまる。羽毛を整える鴉をアレイシャが見おろした。
『私の適当な記憶が正しければ、あそこはもともと、凶悪犯罪に手を染めた、王族や貴族が収監された場所だよ。空高く、地下深くまで建物はあって、そのほとんどが牢屋らしい。入ったことはないが』
歴史が違えば、アナスタシア・スミーリもそこへ入っていたかもしれない。魔女はそう言い、女性たちをしぶい顔にさせた。けれども、エレノアはすぐに表情を引きしめた。魔女の皮肉よりも「地下」の一言が気にかかったのである。
考える時間は短かった。エレノアはすぐに手を叩き、アレイシャを呼ぶ。
「ひとまず、何人か魔術師をジェフリー大尉のところへ
「了解しました。すぐに」
アレイシャは丁寧に応じて、それから、走り出そうとしたらしい。けれど、その足は踏み出す寸前で止まってしまった。理由は、エレノアにも、すぐわかった。今、まわりに人はおらず、とにかく静かだ。だから、奇妙な鳴き声は、かすかでもしっかり耳に届いた。
『おや、こっちに流れてきたか。それともわざと差し向けたか』
魔女ののんきな声がするが、エレノアは構っていられない。咆哮、絶叫、足音。それらはすべて、野獣ならざる獣のものだ。わずかだが、
すでに戦いの音も聞こえてくる。
部隊を率いる少将は、すぐに動いた。まずはアレイシャを見やる。
「命令変更だ、リンフォード少尉。町の方へ戻って増援部隊を連れてきてくれ。私はこのまま現場を指揮する」
「はっ。……別働隊への増援は、どういたしますか」
エレノアは、少し考えてから、言った。
「いったん保留だ。まずはこの場を切り抜ける」
きまじめな少尉は、鋭い返事をするなり駆けだした。町の方へ遠ざかる軍服を見送る間もなく、エレノアは戦場につま先を向ける。その顔は、今までで一番強くしかめられていたが、無理もないことだ。鳶色の瞳は、このときすでに、軍隊のような群をなして突撃してくる魔物の影を映しだしていたのだから。
※
コンラッド・フォスター大佐率いる魔術師部隊の一隊も、魔物たちの声と気配に気づいていた。町の住民の避難も終わらないうちからこの騒ぎである。ふだんは冷静に隊長を
間もなくアレイシャがフォスター大佐と合流した。彼女が応援を求めてくることは、あたりまえなのだが、このとき彼は苦々しく言った。
「人手が足りないかもしれませんね」
アレイシャが短く訊き返すと、コンラッドは淡々と続ける。
「実は先ほど、『王都に現れた黒い竜によく似た気配の鳥がいる』との報告がこちらの魔術師からあがりましてね」
「えっ……」と言ったきり言葉に詰まったアレイシャは、少ししてから、ひとつのことに思い当って息をのんだ。
「副長。その鳥がいた方角はわかっているのですか」
コンラッドは、黙って空を指さす。アレイシャは、血が頭にのぼってゆくようにも、逆に音を立ててひいてゆくようにも感じた。彼が示したのは、間違いなく、ロトや、ジェフリー大尉や、子どもたちが向かった方なのだ。そのことをアレイシャに告げられると、コンラッドの顔の苦みも増した。
「どこも手が抜けない、と。やはり人員不足ですね。この件が終わったら、魔術師の増員申請を出しましょうか」
魔術師部隊、と名のつく彼らの隊だが、全員が魔術師というわけではない。魔力を持たないながらも魔術の知識に明るい人が隊員の大半を占めるのだ。アレイシャやガイも知識を見こまれて引き抜かれた。そのために、いざ魔術を使って本格的に戦い、となると、天下の『白翼』でも厳しいところがある。
かといって、魔物や魔女の《爪》もどきとは、術抜きではやりあえない。町のそばには上官と仲間がいて、遠くでは若者と子どもとやはり仲間が、強い敵と戦っている。どちらかを切り捨てるということも難しそうだった。
コンラッドは、忙しく指示を飛ばしながらも考えた。アレイシャも彼を手伝いながら、うなった。なんとかして隊員を細かい班に分けようか、という意見に落ち着きかける。けれど、そんなとき、コンラッドが背にしていた民家の陰から声がかかった。
「お困りかい、『白翼』の副長さん」
軽やかな問いかけは、声の変わっていない少年のものだった。アレイシャが呆然とし、コンラッドも少し眉を動かす。振り返った男性は、壁のむこうから顔を出す少年を目にして、いよいよ声を上げた。
「ティル? なぜ、君がここにいるんです」
「そりゃあ、もし困っているなら手伝ってあげようかと思って」
コンラッドが顔をしかめる。そのかたわらで、アレイシャはひとり納得していた。知らない少年だが、何者かは想像がつく。――白い肌に、切れ長の目に、高い鼻。彼は
ティル、と呼ばれた少年は、大きな目をさらに見開いて、大佐を見つめていた。彼はたまりかねたように、視線をそらす。
「気持ちは嬉しいですが、さすがに君一人ではどうにもならないでしょう」
時間をかけて、彼がしぼりだした言葉を、けれどティル少年は笑い飛ばした。
「心配ご無用。一人じゃないんだな、これが」
どういうことだ、と軍人たちが問う前に、建物の裏から人が次々と出てきた。その誰もが、特徴あるシェルバ人。その意味するところを察して、コンラッドもアレイシャも、絶句した。
ずらずらと出てきたのは、老若男女さまざまなシェルバ人十九人。最後に、ティルの隣に立った男性が、頭が痛そうなコンラッドに手を振った。
「どうも、副隊長。エレノアさんが隊長だと、なにかと大変だろ」
「……アルヴィド殿。なんのまねですか」
コンラッドは、さすがに怒りをにじませて、シェルバ人の集団と向きあった。アルヴィドと呼ばれた男性――同胞たちには『団長』と呼ばれている――は、少しも動じず笑みを深める。
「怒ってもむだだからな。軍事作戦への無断介入は、あんたらに協力するっていう条件で見逃してもらう予定」
「勝手に決めないでください」
「厳しいね。――でも、すでにうちの若者二人を巻きこんでくれてるくせして、その言い草はないだろう」
アルヴィドの声が、険しくなる。さすがにコンラッドも押し黙った。その間にシェルバ人の男性は腰に手をあてる。
「あんたらには恩がある。うちの小僧とお嬢も心配だ。というわけで、断られても勝手に助ける。それが、俺たちの総意だ」
団長の声にあわせ、まわりの人々は勝ち誇ったように笑う。コンラッドは黙ったまま首を振った。アレイシャが困ったように見つめても、あきらめろ、とばかりのため息が返ってくるだけだった。
認めてくれた、と受け取ったのだろうか。アルヴィドが、人のよい笑みを浮かべて、宣言した。
「『ヴァイシェル魔術師船団』、六年ぶりの再結成だ。……おっと、もう船団じゃないな。『戦士団』あたりがいいか?」
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