第四章 希望

1 思いを託す

 王国東部の野は、本来なら今の時期、土を破って新芽が伸び、春に向かって色づきはじめる。けれど、その東部のある森のまわりは、今、少しずつ色を失いつつあった。さらに、乾いた草の上を恐ろしい形相の獣たちが群をなして進んでゆく。そして彼らが声をあげれば、すぐに刃と血と怒号が飛び交う。まさしく戦場のありさま。灰色の空の下で繰り広げられるおかしないくさの音は、恐ろしい終末を予感させるようだった。

 その混乱のただ中にいる女性は、幼い顔に疲れをにじませながらも、かすれぬ声で指示を飛ばしていた。拳で汗をぬぐい、軍刀をにぎりなおしたエレノアは、遠くから駆けてくる魔物の群に目をとめ、息を吐いた。

「まったく。いったいどこから、これだけの魔物が押し寄せているのやら。おいしい食事にありつけるわけでもないだろうに、ご苦労なことだ」

 ひとり呟く口調は軽い。けれども、とび色の目はまったく笑っていなかった。

 今、周辺一帯には、『生物の命を奪う術』とやらの方陣がしかけられている。とすれば、強い魔力を持つ魔物などまっさきに標的になって弱りそうなものだ。だのに、彼らは弱るどころかさらに凶暴になっている。死が近いことを敏感に悟って興奮しているからだろう、とエレノアはすぐにわかった。魔物といっても、もともとは野生の獣。危険を感じとる能力は、人間よりもずっと高い。

「かといって、それで自暴自棄になられても困るのだがなあ」

 少将は、ぼやきながらも軍刀を振るう。飛びかかってきた魔物は厚刃に頭をさらわれて、体だけがもがきながら地に落ちた。こげ茶色のしぶきを避けて、エレノアは遠くの部下の姿を見る。獣たちが興奮するのは、彼ら自身にはどうにもならないことだろう。怖いからこそ暴れるしかない。魔物が暴れるというのなら、人間は、武器をもって彼らに立ち向かうしかないのだ。

 鳶色の瞳は、またおぞましい獣の姿をとらえた。エレノアがあえておおげさに軍刀を振りかざして威嚇したとき、彼女の顔の右側が青色に染まった。どこかで強く、魔術の光が弾けたらしかった。エレノアは、その術のどころを確かめようと顔をひねった。そして、目を見開く。

 先ほどまでそばで群をつくっていた獣たちが、そろって倒れていた。体はひしゃげ、あるいは穴があいて悲惨な見た目になっている。目をむいてぴくりとも動かないから、もう痛みに苦しむこともできないのだろう。

「誰だ……?」

 エレノアは、声を低めて呟いた。彼女がかぎとった魔力のざんは、彼女の部下のものではなかった。けれど、どこか、懐かしい。

 呟きが聞こえていたわけではないだろうが。すぐに、魔物を殺した術師は現れた。コンラッドと同じくらいの年齢の男性だ。彼と違うのは肌の色と顔立ち。瞳の色も、息をのむほど美しい青色だった。どこか悪戯っぽい笑みをエレノアに向けてくる。

「よお、エレノア殿。相変わらずだな」

 エレノアは、軍刀を下ろして、まじまじと相手を見つめた。

「君たちは……」

「ヴァイシェル魔術師船団、総員出撃いたしました」

 男性は、まじめくさって敬礼する。エレノアは、立ちつくしたまま、肩をすくめたり目もとをせわしなく動かしたりした。その間に、いろいろな言葉が頭を駆け巡ったのだが、結局どれも口から出なかった。かわりに深くため息をつくと、あきらめの微笑を見せた。

「まったく。自由だな」

「もう、すでに団員が首突っこんじゃってるじゃないすか。何を今さら」

 団員とはもちろん、ロトとマリオンのこと。エレノアは、「それとこれとは話が違う」と言いかけて、やめた。彼らからみれば、ロトたちが軍事作戦に首を突っこもうが、ロトたちの戦いに軍人が介入しようが、同じことだ。仲間が関わっているのだから助太刀する、これに尽きる。

 まったく頑固な人たちだ、とエレノアが呆れている間に、男性は戦場を振りかえる。

「ともかく、ここは俺たちに任せて。エレノアさんは、精鋭連れてロトたちのところへ行ってやってください。どうも、やばい奴と戦ってるみたいだ」

 エレノアは空をあおいだ。「やばい奴」には、彼女もすでに気づいていた。空を満たすひりひりとした魔力には、嫌というほどおぼえがある。秋口の騒ぎのことを考えると、今すぐにでも駆けつけたかった。だからこそ、反射でうなずきそうになる。けれどもエレノアは、寸前で思いとどまった。

「しかしだな。せめて、副長に指揮の引き継ぎをしてからでないと動けないんだが」

「――隊長!」

 鋭く頼もしい呼び声が、エレノアの言い訳じみた反論をさえぎった。今まさに話に出した人の声に、彼女は一瞬しぶい顔をしてから、相好を崩す。振り返れば、大柄な男性軍人が、部下をひきつれてやってきたところだった。エレノアは、鷹揚に手をあげる。

「副隊長。町の方はもう大丈夫なのか」

「はっ。住民の退避は完了いたしました」

「うん、ご苦労。……気休めていどでしかないが、あそこにい続けるよりはいいだろう」

 姿勢を正すコンラッドに、エレノアはうなずく。言葉の後半は、ささやきだったから、彼の耳には届いていなかった。町民たちを乗せた馬車は、あらかじめ『白翼はくよくの隊』が指定した町に向かっているはずだ。そこもいつまで安全かは、わからないのだけれど。

 ともかく、いつもどおり淡々と報告したコンラッドは、自分の背後に視線を投げる。それから、またエレノアを見て、淡く苦笑した。

「隊長。『王都に現れた黒い竜によく似た気配の鳥がいた』という報告が、部下からありました」

「……そうか。鳥か」

「リンフォード少尉の報告と合わせると、ロト君たちが接触していると思われます」

 コンラッドは、表情を消したエレノアを見すえる。直立不動のまま、いつもどおり静かに言いきった。

「ここは、我々にお任せください。《爪》と戦うには、隊長のお力が必要と存じます」

 エレノアは今度こそ、反論することができなかった。副隊長で補佐官の彼にまでそういわれてしまったからには、動くしかない。必要なときに、必要な場所へ、適した人が行くべきなのだ。彼女は後ろ髪を引かれる思いで戦場を振りかえる。一瞬ののち、かぶりを振って、迷いのもやを追い出した。「わかった」小さく口にし、今度はしっかり、大佐を見返した。

「副隊長、コンラッド・フォスター大佐。魔物掃討作戦の指揮は君に任せる。ヴァイシェル魔術師船団の者らと連携をとって、ことにあたってくれ」

「了解」

 短く応じたコンラッドにうなずくと、エレノアは、黙って飛びかかってくる魔物を吹き飛ばしていた男性を振りかえった。彼は敏感にも視線を感じたのか、すぐにエレノアの方へ目を動かした。

「アルヴィド殿に伝えてくれ。の指揮は貴殿に任せる、フォスター大佐とうまくやり取りしてくれ。それと、セオドアとヴィルマには救護に回ってほしい、と」

「あいよ、承りました」

 ぞんざいな口調とは裏腹に、理解の色が青い瞳に浮かぶ。どこか得意気に笑った彼は、けれど、急にまじめな顔になった。

「エレノア殿。俺からも、団長のかわりに、ひとついいかい」

「構わんが……どうした?」エレノアが問うと、男性は、優しい顔を彼女に向けた。

「あの二人を、どうか、よろしく頼む」

 エレノアも、コンラッドも虚を突かれてかたまった。けれども、エレノアはすぐに背をのばして敬礼した。

「むろんだ。全力で守らせていただく。――必ずみんなで、生きて帰ろう」

 人と獣がぶつかる戦場のなかで、三人は、たくましく笑みを交わしあった。そしてエレノアは、魔女の《爪》に対抗しうる精鋭を選ぶため、上着のすそをひるがえして駆けだした。



 エレノアが駆け去ったあと。男性とコンラッドは短く言葉を交わして、それぞれに駆けだした。コンラッドは指揮を自分が引き継いだことを人々に知らせるため。男性は、団長アルヴィドと合流するため。刃と術で魔物を蹴散らしながら、枯れてゆく大地の上で、人影を探す。

 男性の耳もとで、しゅっ、と風が鳴った。すぐ横に迫っていた魔物が、口から血の泡を吹き出し、もんどりうって倒れる。崩れ落ちる魔物の体を見やった彼は、そのまま視線を反対へすべらせた。短弓を持った、少年のような娘が駆けてくる。

「ねえねえ、あたしらが相手するのは魔物だけでいいの?」

「なにが言いたいんだよ」

「本当に、軍人さんたちに鳥を任せちゃっていいのかなーって。ほら、鳥を狩るのはあたしらの方が得意でしょ?」

 娘、ロンヤは深海の目をきらきらと輝かせる。狩猟民族である先祖の血が騒ぎだしているらしい。男性は、たくましい肩をすくめた。

「状況しだい、だな。余裕がありそうだったら、団長と相談して援軍だすか」

「やった」ロンヤは、無邪気な声を上げながらも、すばやく弓をひく。鳥の魔物をしとめた彼女を見、男性は呆れる。

「おまえを出すとは言ってないからな」

 釘を刺してみたものの、きっと聞いてはいないだろう。男性は娘の相手をすることをあきらめて、宙に図形を描きはじめた。

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